7
あいさつもさせずに、イリスは急くようにくちびるを開いた。
それに応えたケントゥリアは、本題に入る。
「興味ねぇな」
「そうおっしゃると思いました。ですが、ご相談とはまさに、そのことなのですよ」
きゅう、と。
男の、薄いブルーの瞳が細められた。
「レグルス家は、誰一人として国教徒を出してないのはご存知ですね? それは聖典に関する教養がない、代々の当主様が貴方のように無神論者だから、というわけではありません」
「ああ」
イリスは半ば投げやりに頷き、先をうながす。
ケントゥリアのとなりに座っているペルナは、真剣な表情、あるいは緊張した面持ちで、イリスを見つめていた。
「簡単なことです。ただ単に、欲しいのですよ。――レグルス家の、業が。口伝のみで伝わる、その知識が」
「業、知識、ね……。そんなものがあの女の庇護をうける理由になるのか」
「もちろん。ええ、なりますとも。このカレヴァ王国に必要なもの。それはヒトを操るための、業。そして、知識に他ならないのですから」
「……カレヴァ王国に必要なものじゃねぇ。あの女が必要なものだ。それは」
そう吐き捨て、いらだちを隠すことなく。
シグリを傘下に置き、レグルス家を利用する。
さすが、あの女の考えそうなことだ、と。失笑するしかない。
そしてその思考を読み取ったように、ケントゥリアはほほえみを浮かべ、「それはもちろん」とうなずいた。
「もちろん、知っております。それを知らないほど、当主様は愚かではありませんから」
「――それで、俺に何をしろというんだ?」
「次期当主になられるペルナ様のまわりに、小賢しく愚かで、そして救いようのない人間が、嗅ぎまわっているようです」
「シオンか」
「そうであるかもしれません」
「……あるかもしれない?」
そして、この部屋にきて初めて――ペルナがくちびるを開いた。
「シオンのようで、シオンではないような。そんな気がするのです。シオンであるのならば、どうにかなります。ですが、曖昧な存在は、掴もうとするとするりと逃げてしまう。まるで、影のように」
「かげ」
今までの会話の内容が頭に入っているのか、いないのか。
ルカ自身も分からなかったが、彼女のことばを本能的にひろった。
「イリス……」
ルカはその赤い目をイリスに向け、「魔術」ということばを使ってもよいのかどうか、と。尋ねようとしているようだ。
軽くうなずき、立ち上がってネア領の領主――クロノから借りた複製本を取り出す。
そして、ペルナにその本を見せた。
その瞬間、彼女の顔色がさっと変わる。
「それは……!」
「ある人間から借りたものだ。中は見せられねぇが。顔色が変わったってことは、なにか知っているんだな。魔術について」
「イリスどの。これを持っていて、なにか変わったことは?」
「ああ、まあ……そういえばいたな。死人を繰った奴が」
「死人を……」
ペルナは考え込むようにくちびるに指をあてている。
彼女のかわりに口を開いたのは、ケントゥリアだった。
「死人を繰ることは、まあ――女王にとって下劣のすることだ、と。首を刎ねるでしょうね。ですが、その魔術を使う人間は今のところ、見ていません。騎士団、シグリ、そしてペルナ様の目をかいくぐることができるものが――本当に人間なのかは。怪しいところですが」
「人間じゃないという、ことも……ある、のか?」
「ルカ殿。貴方の目で、それはどう見えましたか。人間に――見えましたか?」
「……いや……おれは、おれの、目には。人間には見えなかった……。でも」
どうしても、どう考えても、どう見ても。
あれは、見えなかった。あんな、濁った黒色をもつ、男なんて。
けれど「男」と、はっきりわかっているのならば、もしかすると――人間なのかもしれない。
「ルカ殿がそうおっしゃるのならば、そうなのでしょう。人間にあらず、と、言い切るまでにはなっていない、ということも含めて」
「他のシグリにでも依頼したらどうだ。俺は違う依頼で手いっぱいだからな」
「いいえ。イリス殿。これは貴方にしかできません」
ケントゥリアは、はっきりと、宣言するように言い放った。
この男の言いたいことが、分かってきた。
「シグリのイリス」ではなく、イリス・トルンクヴィストに、依頼をしたいのだろう。
「貴方にとっても、そしてルカ殿にとっても悪い話ではないと思うのですが」
「あの男について、何か知っているのか」
ルカの声は、わずかに不安をにじませている。
顔の見えない男。
その男はシオンではないことは分かっているため、ルカはことばを濁したのだろう。
「知っているといえば知っておりますが、ルカ殿が見た姿とは、違うかもしれません。なので同一人物かはあやしいところですが。それでもよろしければ、お話ししましょう」
一回、うなずく。
承知ととったケントゥリアは、むかしばなしをするように、目を細めて語り始めた。
「あれはひと月ほど前。私がペルナ様のお供をさせていただいた時です。レグルスのお屋敷に異変を感じました。いえ、感じたのはこちらの――ペルナ様なのですが。庭園に出ますと、ひとりの警邏が死んでいるのを発見しました。彼は外傷もなく、医師に依頼して身体を開いても、病気どころかいたって健康体だったようです。突然死に至るための何かさえ発見できませんでした。ですので――これを、レグルス家では魔術によって殺されたのだと。そう断定いたしました」
「魔術、ね……。まあ、医者が匙を投げたんじゃ、そうとしか思えねぇな」
「しかし、なぜ殺されたのかが分からないのです。その警邏は誰からも好かれるような人間でしたので。恨む人間などいない、と、口をそろえて他の警邏、はては当主様まで仰るのですから」
それは表向きかもしれない。
芝居を打っていたことも否定できない、と。
そう思う。
真っ向から他人を信じてはならない。
表があれば必ず裏もある。
「おまえ、それが真実だとでもいうのか?」
ケントゥリアの言葉を切り捨てるように。
吐き捨てた。




