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光が雪に反射し、めまいを覚えるほど、まぶしい。
新雪は誰も踏んだあとがなく、ただやわらかくそこにあった。
歩きづらいが、今のところ追手も来ていない。
「少し、休憩するか」
太陽が真上にきたころ、イリスが切り出した。
ちょうど、岩がせり出ている場所がある。そこに腰をおろして、アイラから渡されたパンにかじりつく。
硬いが、腹持ちは良さそうだ。
「ネア領は、もう大丈夫なのか」
「あいつがいるだろ。殺さずに生かすことができる奴は、本当に強い人間だからな。ネア領の警邏も、あんなことがあった後だ。警備を強化しているだろうし、油断しなければ、大丈夫なはずだ」
イリスは、ミルナのことを強い、と言った。
殺さずに生かすこと。
それができる人間は、強い、と。
だが、ルカには分からない。
それが、本当に強いことなのか、と。
たぶん、イリスとミルナが戦ったとすれば、イリスが勝つだろう。
ミルナは、ひとを殺せないから。
イリスは、ひとを殺せるから。
彼は殺すことしかできない、から。
生と、死。
それを誰よりも分かっているのは、イリスのほうだろう。
そして、どっちつかずの自分は、ミルナよりもずっと弱い――。
「ルカ」
「……?」
指先についたパンくずを払いながら、イリスはふいにルカの名を呼んだ。
「おまえは、そのままでいい」
「え――」
「そろそろ行くぞ」
ルカのことばを待たずに、そのまま背を向け、歩き出す。
そのままでいい、というわけにはいかない。
自分では。
ルカ自身は、変わらなくてはいけないと思う。
弱いままなら、きっとイリスの隣に立つ資格もない。
イリスがそれを否定したとしても、ルカ自身がゆるさない。
「イリス」
「あ?」
「ひとは、変わる、と思う」
「ああ、そうだな。不変なんてことはねぇ」
「けどあんたは、そのままでいいと言った」
「……そうだな。俺の、自分勝手な願いだ」
目をあわせず、ただ淡々とこたえるイリスの背中を見る。
新雪を足でかきわけながら、ただただ歩いた。
「そろそろ、オリアン領だ」
「そうか」
「あんたは、神を信じていないんだろう」
「まぁな」
「前も言ったが、オリアン領は、国教徒がおおい。だから、あまり目立った言動はしないほうがいい、と思う」
「分かったよ」
オリアン領の門が見えてきた。
門番は長い槍を持ち、イリスとルカを見つけると、にこりとほほえんだ。
ただの旅びとだと、思っているのだろう。
オリアン領は、国教徒がおおいため、巡礼の地としても知られている、とルカは言った。
「巡礼のかたがたですか?」
「ああ、まあ、そんなものだ」
「そうですか。どうぞ」
答えたのはイリスだった。
意外だったが、オリアン領は閉鎖的だ。たしかに巡礼者と思われたほうが、動きやすいかもしれない。
「なに、ぼうっとしてんだ。いくぞ」
「あ、ああ……」
街の中を行きかう人間は、みな穏やかな表情をしていた。
幸福そうな表情で、同じ方角へ向かってゆく。
イリスはその方角を見ると、巨大な噴水があった。
噴水のまわりには、教徒が大勢集まり、手を合わせている。
水を吐き出している中心の白磁の石は、国教のシンボルである石像が立っていた。
「あそこが巡礼地のようだな」
「そう、だな。行くのか」
「いや。興味ねぇからな。今日はもうじき夜がくる。宿を探したほうがいいんじゃねぇか」
「わかった」
巡礼者の波をかき分けるように石畳を歩き、宿をさがす。
ここの多くは建物は石でできているのか、どこか寒々しい。
一番最初に目についた宿屋に入ると、「いらっしゃいませ」と、か細い声が聞こえてきた。
「部屋、空いているか」
「ええ、空いております。一部屋でよろしいですか」
「ああ」
老女が、にこりとほほえんで、鍵を差し出してきた。
イリスはそのカギをうけとると、そのあてがわれた番号の部屋に入る。
暖炉があったが、火はついていなかった。
だが、部屋は広く、ベッドがふたつと、風呂と洗面所、トイレは別々になっていた。
「ずいぶん、立派な部屋だな」
「イリス、火をつけていいか」
「ああ、頼む」
イリスはベッドにすわり、息をついた。
思った以上に、新雪の道を歩くのは体力を消耗する。
一日歩いてシオンが襲ってこなかったのも、新雪のせいもあっただろう。
イリスとしても、ありがたがったが。
冷たかったほおが、徐々にあたたかくなってくる。
ルカがつけた暖炉は、すでに木を火が燃やし、ぱちぱちと火花が散っていた。
「意外だった」
「なにがだ?」
「門番に、言ったこと」
「ああ――」
今気づいた、というように、イリスは足をくんだ。
「口先だけなら、べつに何とでも言える」
「いやじゃ、ないのか?」
「別に。人殺しがそんなナイーブじゃやってられねぇよ」
「……そう、か」
「今日は休んで、明日から、街中歩いてみるか」
「分かった」
窓をみあげる。
雪の白さが、街灯の灯りに反射して外は明るく感じるが、もう夜だ。
夕食をとるために食堂に行くと、しんとしていた。
しずしずと食事を口にしているが、決して口を開くことはないようだった。
「夕食をとるときは、あまりしゃべらない方がいいという教えがあるらしい」
「へぇ」
小声でルカがつぶやくと、納得したようにイリスはうなずいた。
「息苦しいな」
ぼそり、と吐き出したが、誰もイリスのことを見向きもしない。
「イリス。さっさと食べよう」
「そうだな」




