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リュナの王国  作者: イヲ
第三章・流転する街
27/49

13

「明日には、雪が止むようよ。よかったわね」


 食事が終わったころ、ミルナはすこしだけ、笑んだ。

 

「明日は朝、早めに発つつもりだ。朝飯はいらない」

「……パンくらいは、用意するわ。アイラに言っておく」

「そうか。助かる」


 イリスはそれだけ言い、席を立った。


「寝るの」

「ああ。朝早いからな。――世話になった」

「また、どこかで会えるかもしれないわね」

「……そうだな」


 それは別れの言葉でもあり、否定の言葉でもあったかもしれない。

 もう、会うことはないだろう、という。


「ルカも、元気で」

「ああ。ミルナも」


 薄い赤い髪の彼女は、すこしだけほほえんだ。

 




「一度は、剣を交えてみたいと思ったが」


 部屋にもどったとたん、イリスはそう言った。

 ぎょっとするルカの表情を見て、「冗談だ」とあいまいに笑った。


「生きるか死ぬかの、戦いにあいつを巻き込むことはしねぇよ」

「冗談なんか言えるのか」

「おまえな、俺を何だと思ってんだ。一応人間だぞ、これでも」


 以前、女王の玩具だと自称していたイリスが、自分のことを「人間」だと言ったのを、初めて聞いたような気がする。

 

「あいつは、強いよ。人間の死というか、尊厳、みたいなものを、理解している。いい教師か、いい両親がいるんだろうな」

「……ミルナに、言ってやればよかったのに」

「俺なんかに言われても嬉しかねぇだろ。あいつの場合」

「嬉しいんじゃないのか。誰からでも、そんなことを言われたら」

「まあ、ふつうの人間ならな」


 イリスは自分の剣を持ち上げ、膝に置いた。

 また、手入れをするのだろう。


「手入れか」

「ああ。こいつはデリケートなんだ。血払いしても、すぐに錆びつく。だが、手をかければかけた分、俺の期待には応えてくれる」


 相棒みたいなもんだ、と。

 イリスは笑った。


「信頼しているんだな。剣にも」

「当たり前だ。そうじゃなきゃ、人殺しなんてやってられねぇ。いつ折れるか、いつ刃が零れ落ちるか不安で戦っていれば、命がいくつあっても足りやしない」


 ルカは、そうか、とだけしか答えられなかった。

 胸に、何か――わけのわからない、すこし重たいものがつかえたような思いになる。


 イリスが手入れをしている間、ルカは磨かれてゆく剣をじっと見つめた。


「気になるか。こいつの」


 うつくしさが。


 視線にとっくに気づいていたイリスは、剣をかかげ、不敵に笑ってみせた。

 今まで剣を、うつくしい、と思ったことはない。

 けれど。

 イリスの扱うその剣は、たしかにうつくしいと思った。


「剣は自らを映す鏡だ、と教わってきた。殺意を研ぎ澄ませれば、剣もおのずと研ぎ澄まされる。手入れを怠るなってことだ」

「だから、あんなに斬れるんだな」

「おまえの指、持ってかれなくてよかったな」

「あ、あれは……」


 勝手にイリスの剣を抜いた時のことだ。

 あれは単に運がよかっただけなのだと、イリスは言いたいのだろう。


「別に責めちゃいねぇよ。俺はもう寝る。明日は早い。おまえも、早めに寝ろよ」

「わかった」


 剣を置き、ベッドにもぐりこんだイリスを見送る。


 イリスの「色」は、黒い。

 あの男のような、いろんな色を塗りたくった、汚れた黒ではない。

 芯から透き通る、不純物のない黒。

 一見、色とさえ分からないようなものだった。

 あまりにも。

 きれい、で。美しくて。イリスが持つ、剣のような。

 鋭くて、冷たい。

 色に触れることができたら、きっとそれは触れるものすべてを切り裂くような、冷たさだろう。


 死んだように眠るイリスの顔を、見下ろす。

 本当に眠っているかどうかわからないが、もしかすると気づいているのかもしれない。

 けれど、彼はただ目を閉じていた。


 きれいだと思った。






 お前が普通の子どもだったら、良かった。

 お前が妾の子どもだから。

 死に神の(つら)をして生まれてきたんだろう。

 全く、気味の悪い。

 私をその眼で見るな。



 母は、気づいたらいなかった。

 セハカが殺したらしい。

 愛していなかったのだろう。

 母も。

 ルカ自身も。

 

 ただ。

 もしも、母にもう一度会えるのだとしたら。

 生んだことを咎めたいという強い思い。

 すこし、潮が引いた、気がする。


 母に会えたなら、今はこういうと思う。


 あんたは、辛かったのか、と。

 俺は、辛かった。

 鞭で打たれることも、言葉の暴力も。

 それでも、殺されずに済んだ。


 イリスと、出会えたから。


 あんたには、救ってくれる人さえ、いなかったんだな。

 哀れだ。

 憎んだだろう。

 セハカを。

 それは、俺も同じだ。

 セハカはきっと、あんたと同じ道をたどる。

 

 けれど。


 もしも、神さまがいるのなら。

 あんたは、天国というところにいっていればいい。

 セハカはきっと、地獄にいくだろうから。



 

 目を開ける。

 ベッドから起き上がり、窓を見上げた。


 空は晴れている。

 これ以上ないくらいに。

 雲はない。

 だから、きっと寒いだろう。


 夢を、見ていた気がする。

 独白のような、夢を。



「イリス」

「ああ、起きたか」


 イリスは既に起きていて、身支度をしていた。

 ベッドから抜け出して、自分も着替えることにした。


「晴れたな」


 イリスが、独り言のように呟いた。


「オリアン領は、隣なんだったな」

「ああ。だが、一日はかかるはずだ。吹雪が去った後だし、新雪は足元が固まっていないから」

「一日くらいどうということはないか。だが、問題は足元が悪いことだな。シオンの連中に出くわしたら面倒くさい」

「それは向こうも同じだ」


 何気なく応えた言葉に、イリスはすこし驚いたようだった。


「まあ、そうだな」

「……行こう」

「ああ」


 ルカも身支度を終え、背に矢筒を下げ、弓を持つ。

 玄関に向かう途中、黒髪の少女がこちらに気づいたようで、小走りでこちらに向かってきた。


「もう、発たれるのですか」

「ああ。先を急いでいるからな」

「イリス様、ルカ様」


 少女の後ろから歩いてきたのは、アイラだった。

 手に、ふたつの革袋を持っている。


「こちらをお持ちください。パンと、干し肉です。あと、お嬢様の命を救っていただいた、お礼の品も入っております。クロノ様からです。どうぞ、お持ちくださいね」

「――ああ、もらっておく」

「どうぞ、お気をつけて」

「世話になった」


 玄関のドアを開くと、まぶしい程の光が目に入った。

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