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死びととの戦いは、そう長くは続かなかった。
相手はただの操り人形だ。
意思も、知恵もない、ただの。
――死したひとびとだ。
魂もなにも、ない。
「なんで……こんな、こと……」
病院へ運び込まれた警邏の男たち、そして命を落とした男たちは、すでにここにはもう、いない。
ただ、吹雪のなか立ちつくすミルナは、絶望をのぞき込んでいるような、そんな表情をしていた。
「冒涜だわ。死者への」
「死者には、なんの意思もない。もう、何も感じない。冒涜だと感じるのは、ミルナ。お前が生きているからだ」
イリスはとうに鞘におさめた剣を持ち、血に染まった白い大地を特に、なんの感慨もなく見下ろした。
血の、生き届かないところに、ただ立っている。
ルカは黙り込み、ミルナの背中を見ていた。
「でも、私は、こんなのいや。けど、なんで、こんなことができるの? 死んだひとを、お墓から掘り起こすなんて」
「……掘り起こした、のは、たぶん、死人そのものだ。死人の爪に、土がついてたから」
それに、と。
ルカがそれを言っていいのか、迷ったように言いよどむ。
「なんとなく、だけど。感じた。あの、どす黒い霧の持ち主の、色、みたいなのが」
「色?」
「黒ずんだ、いろんな色を塗りたくったような、色。そんなの、人間じゃない。だから、分かる」
「そんなのが、どうしてこんなところに」
「わからない。近くにいるか、遠隔でもそんなことができる存在なのか。まだ、情報が足りない」
ルカが言う、どす黒い色を持つ存在がなぜここを襲撃したのかも、まだ何も分からない。
軽率に考えることも、行動することもこれからは避けねばならないだろう。
「だが、向こうはこっちが丸見えってことだ。ミルナ、あまり感情的に動くなよ」
「どうして……どうしてそんなこと、言えるの? うちの隊員が亡くなってるのよ」
「感情的になるなって言ってるんだ。視野が狭くなるぞ」
それだけ言い、イリスは屋敷のなかに入って行った。
残されたミルナは、ぐっとくちびるを噛んで、手を握りしめる。
「悪気があって、言ったわけじゃないと思う」
ルカのことばに、彼女は「分かってる」と、頷いた。
「イリスが言いたいことは分かる。隊員が亡くなったのは、初めてのことじゃないのに、こればっかりは慣れない、わね」
泣いてはいないようだが、辛そうだった。彼女は。
だが、ルカにできることは何もない。
励ますのは、筋違いだ。
一度うつむいてから、ルカもイリスに倣い、屋敷へ入って行く。
屋敷の空気はじっとりと重たく、どこかうっそうとしている気がした。
夜、だからだろうか。
分からない。
イリスが、剣の手入れをしながら、どこか疲れたようにベッドにすわっている。
「イリス……」
「魔術だな。死人をいじくることができるなんて、それ以外考えられない」
「おれも、そう思う、けど。どうして、今」
「さぁな。魔術なんて使う人間の考えていることなんて、どうせろくでもねぇことだろ。考えても仕方ない」
ひとつ。
思いつくことがあるとしたら。
クロノ領主から預かっている、本。
「……イリス、本は、どうした」
「鍵付きの引き出しに入っている。さっき確認したが、開けられた形跡はない。だが、向こうからすれば、筒抜けなんだろうな。面白くねぇ話だ」
「そんなに、それは――何でもできるのか」
「ああ。言っただろ。基がなくても、何でもできる。死人を操ることもな。もしかすると、生き返らせることもできるかもしれない」
絶句したルカをひとめ見ると、イリスは手入れをする手を止めた。
この世界のことを、すべて知っているわけではない。
けれど、一般の人間が知らないことを、知っている。
その事実に、ルカを引きずりこもうとしていることに気づいた。
「……悪い。忘れてくれ。おまえに、言うことじゃなかった」
「なん、だよそれ。あんたが知っていて、おれが知っちゃいけないことなんて、あるのか」
ルカは機嫌を損ねたように、ベッドから立ち上がる。
剣の手入れを中断したままのイリスの目の前へ歩みより、見下ろした。
「おまえはもう、この国の闇に片足をつっこんでる。これ以上、知るのは危険だ」
「危険かどうかは、おれが決める」
「……おまえは、あの女の恐ろしさを知らねぇから、そんなこと言えるんだ」
剣を鞘におさめ、壁に立てかける。
ただ――イリスは、目を合わせなかった。
どこかで、恐れていたのかもしれない。
知られることが。
あの、女王の裏の顔、そのものを。
ルカは悔しげに歯噛みし、目を合わせないイリスに苛ついているようだった。
「もう、寝ろ。俺も寝る」
「……っ」
そのままイリスはベッドに横になった。
もう、何も言わなかった。
イリスも、ルカも。
ただ。
悔しかった。
認めてくれていたのだと。
信頼してくれていたのだ、と。
思っていた、のに。
別に、イリスはルカを傷つかせたいわけじゃないことは、知っている。
だから、くるしい。つらい。
ひとを――信じた痛みは。
こういう、ものなのだろうか。
けれど。
信じなければよかったと、そうは思わない。
イリスは、やさしい人間だから。
ひとを殺すその手が、どれほど血にまみれていようとも。
人の命を断罪する、その姿はルカにとって、どこか――恐ろしい程にうつくしく、見えた。
天の御使いの姿かたちをしているからではない。
イリス自身の、たましい、というものが。
おそらく、うつくしい、のだと思う。




