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べつに、祈りを強制されたところで、祈りたいことなどない。
せいぜい、無駄な時間をすごしたな、と思うだけだ。
口には出さないが。
真剣に祈っている人間もいるのだから、と。
そう言い聞かせている。
イリスは、すべての料理を少しずつ食べてから、平らげた。
くせ、のようなものだ。
毒か何か入っているか調べるために。
もっとも、あらゆる毒の、微々たる量ではイリスは死なないのだが。
「馳走になった」
「お口にあいましたでしょうか」
「ああ」
アイラと、見たことのないもう一人の使用人は、皿をさげるために再び部屋に入っていた。
使用人は、少女、といった年齢で、ルカと同じような、黒い髪の毛をしていた。
目も黒で、おとなしそうな顔をしている。
「雪はまだ、やみそうもねぇな」
「2、3日は止まないって言ったでしょ。そんなに急いでいる旅じゃないんじゃないの。すぐに亡びるってわけでもあるまいし」
楽観的とは思うが、ミルナの言うとおりだ。
無理に出て、凍死でもしたら元も子もない。
「ま、すこしのんびりしたら? 今まで忙しかったんでしょ? イリス、あんたはとくに」
「……さぁ」
肩を軽く上げて、どこで嗅ぎつけたのか分からないが、とりあえずしらばっくれておく。
ルカの視線を感じたが、感づかないふりをした。
「だが、タダで俺たちを世話することもねぇだろ。小間使いでもなんでもするぜ」
「おあいにく様。家のことは困っていないわ。彼女たちの仕事をとりあげろとでもいうの?」
「そうかよ。なら、遠慮なく、邪魔させてもらうが」
「それでいいの。お客なんだから。一応ね」
ミルナは、二つに束ねた赤い髪を翻し、じゃあね、また明日、おやすみ、と一息で言い、部屋から去って行った。
残されたのは、イリスと、ルカ。そして――どこか、委縮してる様子の使用人の少女。
アイラはもう、いない。
「……なにか、あるのか」
イリスは少女を見もせずに、腕をくんだ。
黒い、くるぶしまであるドレスに、白いエプロンをした少女は、ぐっと手のひらを握りしめて、あの、と細い声で二人の前に足を一歩、踏み出す。
「あの……お願いが、あるのです……」
「だれかを殺せってか」
「ちがいます! そんな、恐ろしいことは」
肩までの黒い髪の毛がゆれ、少女はかぶりを振った。
「おそろしい、ことは……。ただ、わたし、聞いてしまったことがあって。お嬢様にも、言えなくて」
「……シオンか」
「! ご存知、だったのですか」
「ああ。あんた、俺がシグリだって、分かってるんだろ? なら、話が早い。シオンが、誰を狙っている?」
まだ名も知らぬ少女は、イリスのことばに安堵したように、胸の前で手を組んだ。
「お嬢様……ミルナさまです」
「あいつの腕なら、シオンの一人や二人、どうということはないと思うが?」
「お嬢様は、ひとを殺せません」
「殺したことがねぇから、俺に殺せ、と。そういうことか? さっき、違うと言っていたのはうそだったか」
「いいえ。そこまでは。シオンたちを殺さなくても、警邏たちが捕縛すれば、問題ありません。けれど、違うのです。お嬢様は、お優しいかたです。お強いかたです。だからこそ、ひとを傷つけることは、できません。傷つけるのは、お嬢様が傷つけてもしかたないと決めた人だけ……」
少女は一気にまくしたて、それから、静かに呼吸する。
イリスはその様子を、じっと見つめていた。
おもしろくない、というのは簡単だ。
ミルナ自身が傷つけるのがいやだから、イリスに頼む。
それは、少女にとって、たやすいものだと思っているのかもしれない。
なぜなら、少女はミルナがいなくては困るからだ。
雇い主。
もしくは、やさしいから。
そういった、心情的なもの。
「言うのは、簡単だ。だが、ここで世話になっている以上、俺も断る理由はないだろうな」
「では……」
「いいだろう。だが、俺は殺すすべしか知らない。警邏どもに引き渡すのは、死体だ。それだけは、忘れるな。おそらく、ミルナは知るだろう。自分の手を汚さず、他人に殺させた、と」
「イリス」
言いすぎだと思ったのだろう、ルカがイリスの名を呼ぶ。
少女も、どこか恐ろしいものを見るような目でイリスを見つめていた。
そうだ。
そういう目で見られることは、慣れている。
恐怖。
後悔。
そういう、もの。
「シオンが、ミルナを狙っている。なら、その露払いをするのは、俺だ。それでいいな」
「……はい。どうか、お嬢様を、お守りください」
少女は深くあたまをさげて、部屋を出ていった。
おそらくだが、もやついた、いやなものを胸に抱いて。
「イリス、言いすぎだ」
「だが、本当のことだろう。――まあ、本当のことでも、言っていいことと悪いことがあるが」
「イリス……」
「俺は、こんな言葉しか、しらない」
だから、悪かったと思うこともできない。
イリスのつぶやきに、ルカは何も言えなかった。
ただ、目を伏せただけで。
「戻るか」
「あ、ああ」
イリスは椅子をひき、あてがわれた部屋へむかう。
カーペットが敷き詰められた廊下。
だからか、足音はわずかにしか聞こえない。
やっかいだな、とイリスはおもう。
足を踏み込むたびに、体が沈む感覚が襲う。
あの少女が言った、ミルナを狙うシオンが、もしもこの広い屋敷に入ったとて、床中に敷き詰められたカーペットでは、イリスの耳も、あまり役に立たない。
「本当に、いいのか」
「恩を売られたままじゃ、気味が悪い」
壁に剣をたてかけ、ベッドに座ったイリスは目をきつく細めた。
いやなものを、見るような目だった。
「シオンをやるのに、シグリの許可をいちいちとる必要はねぇからな。民間人を襲うなら、シグリも黙ってはいられないだろ」
「殺す、のか」
「ああ」
当然だとでもいうようにこたえるイリスはとげとげしかった。
何が悪い、とか。
何がいい、とか。
そういったものは、分かっている。
けれど。
イリスは、それでもやらざるを得ない。
そう、躾けられてきたのだ。
去勢されてきたのだ。
「だが、ここじゃあ、少し骨が折れるな」
「?」
「足音がほとんどないし、あいつの部屋も知らない。いつ、どこに、何をしに行くのかもな。命を狙われているのなら、朝も夜も関係ない。いつ、死んでもおかしくはないからな」
「……おれが」
ルカが、なにかを決意したようにくちびるを開く。
「あ?」
「おれが、耳になる。おれは耳がいい。遠くの冬ジカの足音も、聞こえる」
そのことばに、イリスはぎゅう、と目を細めた。
「その意味、分かってるんだろうな? おまえ、人殺しに加担するってことだぞ」
「分かっている。おれだって……おれだって、役に立ちたい。あんただけに、つらい思いをさせたくない」
「……その覚悟があるなら、俺は何も言わねぇ」




