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扉をノックする音がして、アイラの声が聞こえてくる。
「お二人とも、お夕食ができました」
扉をあけると、アイラが笑顔で立っていた。
どこか、嬉しそうだ。
「ミルナお嬢様がご一緒に、と。こちらへ。食堂がございますので」
「ありがとう、ございます」
廊下には、壁に掛けられたランプにぼんやりと光がともっている。
ひどく明るい、というわけでもなく、うす暗いというわけでもないその光は、どこか高ぶっていた心を落ち着かせた。
「わたし、ミルナお嬢様から聞いてはいないのだけれど、イリス様はどちらから?」
「俺はイルマタルだが」
「まあ、そうでしたの。イルマタル。それはまた、遠いところから……。それに、ルカ様、でしたね。――大変だったでしょう」
「アイラさんも、知っていたのか?」
「……領主から聞きました。クロノ様も、被害者だとか」
アイラは言いづらそうに、そっと呟いた。
聞くことでもなかっただろうか、とルカは思うが、このネア領の領主さえ、被害にあっているということは、他の領地も被害にあっているのだろう。
ネア領は比較的大きな領地だ。
ほかの小さな領地も、きっと。
「いえ。申し上げることではありませんでしたね」
彼女は背中を向けながらも、笑っているふうだった。
おそらく、無理をして。
「さあ、こちらです」
食堂は、広かった。
クロノの客間ほどではないが、ルカの家の食堂よりも広い。
「来たわね。ほら、はやく座って。冷めちゃう」
ミルナはすでに椅子に座っており、三人の姿を認めると、立ち上がって笑ってみせた。
よく笑うひとだと、思った。
二人が椅子に座る。
アイラは嬉しそうに「よかったですね、お嬢様」と手を合わせて見せた。
「ずっと、旦那様も奥様もいらっしゃらないから。久しぶりに、他のかたとお食事ができて。わたしも、嬉しいですわ。ひとりでお食事なさると、味気ないでしょう?」
「そ、そんなことないわよ。ひとりだって、アイラの食事は美味しいわ。今回はたまたまよ、たまたま」
薄い赤色の髪の毛を揺らしながら、彼女は勢いよく座った。
この大きな家には、たしかに生活の跡がみられる。
ミルナや、アイラ。
そのほかの女性だけではない、たしかな生活の香りがあった。
「旦那様と奥様は、今、イルマタルに。女王陛下にお会いになるとかで」
「……なんだと? 女王に?」
「ええ。イリス様。つい、朝方発たれました。――おそらく、ですが。族長のことで。勅令がくだったようです」
「そうか……」
どこか呆れたように、それとも、憎々しげに、吐き捨てた。
「相変わらず、仕事熱心な女だ」
その言葉は、誰の耳にもとどかなかった。
「なに難しい話しているのよ。父さんも母さんも仕事で忙しいんだから仕方ないでしょ。……別に、もう儲ける必要ないのに」
私が、稼いでいるんだから。
そう、胸を張って言い放った彼女は、自信に満ち溢れていた。
ルカには、ないもの。
けれど、そこにはひがみや、妬みといったものはない。
そうさせるものが、彼女にはあった。
おそらく、それがミルナの魅力なのだろう。
料理は、野菜が集まるネア領らしく、種類も豊富だった。
サラダが体が冷えるからと、あたたかいスープに入っていた。
「おいしいわ。アイラ、さすがね」
「ありがとうございます、お嬢様」
「おれの家の料理とも、違う」
おいしかった。
本当に。
見かけは、ヤナのものとほとんど同じなのに。
これが、心がこもっているということなのだろうか。
分からない。
ルカには。
「そりゃそうでしょ。家によって、それぞれ味は違うわよ。味付けだったり、盛り付けだったり」
「そういうものなのか……」
ルカは、友人と呼べるものも、親友と呼べるものもいない。
あの、牢獄のような家が、ルカの世界だった。
けれど、そのことをミルナは知っているのだろう。
知っているからこそ、言ったのだろう。
「あなたたち、どうするの。これから」
「ここで、思った以上に収穫があったからな」
イリスは咀嚼したパンを飲み込んでから、呟いた。
すべては、ルカにゆだねられている。
もう少しここで調べてもいいが、と思うも、時間がないのかもしれない、とも思う。
「雪が止んだら、ここをたつ。次は、ここの隣の領。オリアン領に行く」
「オリアン領って、あの、閉鎖的な?」
「ああ。……初めて、あの男を見たのはここだが、ネア領の隣はすべてオリアン領内だ。だから、そこに行っていた可能性が高い」
「ほんとに、そんな人がいるの?」
ちら、とイリスがアイラがいた場所を見るが、すでに姿はなかった。
ミルナが小声で言っているところを見ると、クロノから大体の話は聞いているようだ。
「いる、と、それだけは断言できる。あんなもの、人間だといえないかもしれないが、たしかにいる。たしかに、存在している」
かみしめるようにミルナへ告げると、彼女は表情をかたくして、「そう」と頷いた。
「あなたのことは疑わないわ。その眼で見たのなら、それが真実なのだろうから」
ふいに、外から、ごおん、ごおん、という鐘の音が聞こえてくる。
祈りを捧げる時間なのだ、と。
鐘の音が告げている。
「あんたは、祈らないのか」
「私は祈らないわ。祈るものなんて、ないもの。祈りたいものがある人だけ、祈ればいいわ。私はそう言われて育ってきた」
「へえ、そりゃ、立派な心掛けだ」
イリスの問いに、まるで誇ってみせるように答えた。




