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朝食をとり、宿を出る。
ネア領の場所は、ルカが覚えている。
年に数回、使いに出されていたからだ。
領主の知り合いに、数えきれないほどの金を渡すために。
それが何なのか分からなかったが、盗びとに一回、襲われた。
その時に背負っていた背嚢の中身が金だと知った。
幸いにも、巡回していたネア領の警邏たちに助けられ、金も命も失わずにすんだ。
人工的な銀色の、鎧を纏っていた。
助けてくれたのは、男の人だったと思う。
けれど、その中にひとり、女の人がいた。
男の人たちと同じように、鎧を身にまとって、腰には剣を下げていた。
そのことを、イリスに告げた。
彼はわずかに考えたあと、「そうか」とだけ言った。
つぶやきではなく、確信のようなものをにじませた言葉だった。
「知り合いなのか」
「いや。ただ、エクロス大陸のどこかの領に、女の警邏がいると聞いたことがあっただけだ。領お抱えの警邏なら、強いんだろうな」
「……戦う所は見ていない」
「なら、余計だ」
イリスはそれ以上、喋ろうとはしなかった。
どういう意味か分からなかったが、イリスはどこか、確信めいた表情をしていた。
その女が強いのだと。
足を半ば機械的に動かし続けて、半日がたった。
それまで、シオンや盗びとから襲われることはなかった。
シオンも、警戒しているということだろうか。
「ここだ」
ネア領への入り口は、一か所しかない。
それ以外の場所は林や森にかこまれ、獰猛な動物が住んでいるためだった。
入口には警邏が二人、立っていた。
ルカを見ると、ああ、と頷くようなそぶりを見せ、領へ入るように促す。
顔見知りの男だったからだろうか。
死に神の髪と瞳をもつルカに、興味はないようだったが、信頼はしているようだった。
街の中は、雪は積もってはいるものの、人びとの往来があった。
通りの両側には、仕入れてきた貴重な野菜を売る人間や、鹿肉を売る人間、毛皮を売る人間もいる。
イルマタルとはくらべものにならないがエクロス大陸にとっては、ネア領はなくてはならない、商業地域だった。
「ルカ」
「?」
「後ろからついてきている女はおまえの知り合いか」
「え……」
「立ち止まるな」
後ろもふりかえるな、とイリスは小声で囁いた。
ルカは背中に力を入れて、領主が住む通りの奥へ足を無理やり向ける。
「髪は明るい赤毛で、長い。白の服を着ている。目は黒い」
「……警邏だ。さっき、話した」
「名前は」
「知らない。話をしただけだから」
「そうか」
イリスは思いだしたかのように足を止めた。
それにつられてつんのめりそうになったルカは、すんでのところで転ぶことはなかった。
「お前、誰だ」
「お前、とはお言葉ね」
ルカが振り返ると、やはりあの時の女だった。
明るい赤髪を両耳の上で結った、若い女。
「あなたたちのことは知っているわ。セヴェリ・ルカ・エクロス。そして、イリス・トルンクヴィスト。そしてあなたがシグリだということもね」
小声で囁いた女に向けて、イリスは剣の柄を握った。
だが数秒たっても、鞘から抜くことはせず、ただじっと女を見下ろしている。
「私の名前は、ミルナ。あなたたち、クロノ様に会うんでしょう」
「クロノ……? 領主の名前か?」
「そんなことも知らずに来たの? イリス」
呆れたように腰に手をあてた様子は、まるで少女のようだった。
「別に興味ねぇからな」
「ああそう。けれど、ルカ。あなたは何らかの目的をもってきたのね。イリスは用心棒ってところかしら」
「遠からず、近からずだ。お前に話す道理はない」
女は肩をすくめて、白い合わせの洋服の懐から、薄紫色の紙をルカに渡した。
「これは……」
「クロノ様に会うための書状。あの方は多忙だから、早く行った方がいいわよ」
それだけ早口で言うと、ミルナと名乗る女は颯爽と去って行った。
「ミルナ……あいつ、強いな」
誰にも気づかないような声で、イリスがつぶやく。
ルカは気づいていたが。
「行くぞ。クロノっていったな。ここの領主は」
「――ああ」
「どんな奴なんだ」
「あの男よりはまともなひとだ」
ルカは慣れた足取りでこの通りでひときわ目立つ、屋敷の入り口へと向かった。
入り口は大きな柵に囲まれ、門番が立っている。
鎧を身に着けた男がふたり。
「クロノ様に謁見したいという者か」
「これを」
ルカが手渡したのは、ミルナから受け取った薄紫色の書状だ。
それを見た門番の男は、ぎょっとした顔をし、「これは」と呟く。
「ミルナ様からの……」
「やはり、ただの警邏じゃないようだな」
「当たり前だ。あのかたは、ネア領の警邏のなかで一等強い。今まで、ただの一度も勝てたものはいない」
「ミルナ様からの書状があるとなれば、信用たるものたちなのだろう。通りなさい。だが、くれぐれもクロノ様にご無礼のないように」
巨大な柵でできた門が開く。
ぎい、と軋んだ音をたてて。
雪のなかでも咲く花だけを寄せ集めた庭。
紫、
赤、
黄。
さまざまな色。
さぞ手入れは大変だろう。
雪は降るが、ここは雨が少ない。だが、もしかするとあまり水を必要としていないのかもしれない。
扉を開くと、シャンデリアが下がった廊下がずっと続いている。
ただその他に部屋はないのか、石づくりの壁が詰められていた。
「壁が石なのに、ここは暖かいな……」
ルカのつぶやきに、イリスはふと足を止める。
「イリス?」
「いや……誰かに見られている」
「だが、ここは廊下しかない……」
「そういう思い込みが一番危険だ」
イリスは剣に手をあて、注意深く再び歩き始めた。
クロノという名の領主は、いまだよく分からない性格をしている。
ただ、ルカの第一印象からすれば、「いいひと」だった。
警邏たちの言葉からすると、慕われているのだろう。
イリスを先頭に、歩いておおよそ2分ほどたっただろうか。
ようやく、人と行き会った。
その彼女は驚いた顔をして、腕に抱いていた荷物がずり落ちそうになっている。
「ああ、クロノ様のお客様?」
「……あんたは?」
彼女は、ふふ、と口許だけで笑んで、ちいさく会釈をした。
「私はクロノ様の――」
「テナ」
ゆったりとした声に、イリスが顔をあげる。
テナ、と呼ばれた女は、現れた男にゆっくりと頭をさげた。
「テナは私の妻だが――おまえたち、ミルナからの書状を持っているようだな? それに、おまえ、覚えているぞ。セヴェリ・ルカ・エクロスだろう」
そっと頷いたルカは、かすかな声で、「領主にお聞きしたいことが」と呟いた。
「……いいだろう。こちらへ来るがいい」
会釈したテナは荷物を抱えたまま、歩いていった。
クロノという領主の男は、黒い髪をし、目は濃い灰色をしていた。
そして、あごには黒い髭を生やしている。
わずかに、白いものがちらついているところをみると、それなりの年齢なのだろう。
「自己紹介は歩きながらでも構わないか?」
「客人、おまえのことは知っている。シグリだそうだな」
「ああ、そうだ。俺はイリス。イリス・トルンクヴィスト」
「――イリス? どこかで聞いた名だな」
「さあ、そんなに目立ったことはしてきていないんだがな」
イリスは剣から、すでに手を放していた。
どこか考えあぐねているようなクロノに、敬語など忘れたかのように話しているが、彼は特別、気に障る様子はない。
「そうか。ならば、そうなのだろう。さあ、ここが客間だ。入ってくれ」
鉄のような見た目の扉をクロノがあけると、暖炉に火がともっていた。
まるで、もとより訪うことを知っていたかのように。




