表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リュナの王国  作者: イヲ
第二章・爾後の嵐
14/49

 宿のなかは、あまりにも静かだった。

 当たり前だろう、だれも泊まる人間などいないのだから。


 イリスは、血糊さえ宿の主人に見つからせずに、部屋にこもった。

 部屋には、ルカもいたが言葉を発することはなかった。


「……風呂に入ってくる」

「わかった」


 独りごとのように呟いたイリスは、併設されている風呂場に入って行った。

 窓を見る。

 そこには、情けない自分の顔が浮かんでいた。

 ふいと顔をそむけ、壁にたてかけてあったイリスの剣を見つめる。

 血はすでにぬぐわれている白銀の柄と黒檀の鞘が、ルカの目に入った。

 この剣で、幾人もの人間を殺してきたのだろう。


 しばらくの間、じっとその剣を見ていたルカは立ち上がり、その剣の柄に手を触れた。

 硬質的なそれは、重たかった。

 そして、冷たい。


「………」


 そっと、剣の鞘を抜く。

 ほんのわずかだ。

 ルカの顔がうつるほどによく磨かれている剣の刀身は、まるで汚れを知らない無垢な存在のように感じた。


「何をしている」

「っ!」


 イリスの声に驚いたルカは、その剣で指を切った。

 わずかな痛みが脳を刺す。

 上半身に何も身に着けていないイリスは、髪の毛を乾かさないまま、水滴を絨毯に湿らせてこちらに歩いてきた。

 かすかな怒りを覚えているようだった。


 ルカの手のなかにあった剣を乱暴に取り上げ、ルカの指からしたたる血を見下ろす。


「ったく。手、出せ」

「……すまない」


 ほつ、と、ルカの手にイリスの髪の毛から落ちる水滴が落ちた。

 イリスは傷の具合を見ると、自身の革袋から白い、清潔そうな布を取り出す。

 それをルカの指に、丁寧に巻いていく。


「謝るくらいなら、触るな。鞘から抜くということは、抜いた人間か、対峙した人間か、どちらかが死ぬ時だ」

「極端だ」

「そのくらいでちょうどいい。俺はそういうふうに育てられてきた」

「……あんたの、」


 あんたのことが知りたい。


 ルカは、そのことばをぐっと飲みこんだ。

 おそらく、聞いたとて応えてはくれないだろうから。


 近くで見るイリスの身体は、あちこちに傷があった。

 どれだけの死線をくぐってきたのだろうか。

 

 ふと、碧眼と目が合う。

 

「なんだ」

「い――いや、何でもない」

「俺は人間じゃない」


 ふ、と。

 イリスは呟いた。

 白いまつ毛を伏せて、けれど哀愁などどこにもない表情で。


「そう、思わなければならない。シグリは。人殺しの機械だ、と」

「……あんたが?」

「女王の狗じゃない。女王の――玩具だ」


 甘い甘い夢を見る、女王(おんな)の。


 イリスはそれだけ呟くと、服を着た。

 この部屋は暖炉があるから、寒くはなかっただろうが。


「女王に、おれは救われた」

「そうか。そういう人間もいるかもしれない」

「けど、世界は何も変わらなかった」

「女王に、そんな力はない」


 きっぱりと、イリスは言った。

 ベッドに座り、ぎし、とスプリングが鳴く。


「寝ろ。明日は早い」

「………」


 イリスはそのままベッドにもぐりこみ、寝息をたてた。

 彼が。

 イリスが、もしもルカのもとにこなかったなら、ルカはいずれ、殺されていたかもしれない。

 実の父に。

 否、と。

 そう思う。

 あれは悪魔だ。

 幻想小説(ファンタジー)のなかに出てくる、悪魔にちかい。

 罪もない人間を、何人も、何人も。


 思わず、息を止める。

 イリスは――。

 剣も戦うためのすべも知らない人間を、もしかすると殺してきたのかもしれない。

 だが、そこに罪はあった。

 あったのだ。

 女子供も容赦なく、その剣を振るったのだろう。

 セハカとは違う。

 違うのだ、と。

 半ば強引に言い聞かせ、ベッドのなかに入った。

 照明を消し、やがて暖炉の火も消えた。

 月が出ていた。

 雪に反射して、明るく輝いている。

 眠るための明かりは、それだけで十分だった。

 ただ、指先の痛みだけが眠りを妨げる。

 けれど一日歩いた疲れが勝り、やがてルカも眠った。



 悪魔の子ども。

 それがルカであった。

 それでも、人は見た目で判断する。

 セハカは黒髪であったとしても、赤目をしていなかった。

 ルカこそが、死に神であり――悪魔なのだと、そう恐れられ、そして指をさされた。

 嘲笑。

 嫌なものを見たように眉を寄せる表情。

 どれだけのものを、ルカは見てきたのだろう。

 だが、イリスは違った。

 その天の御使いのその眼に。

 嫌悪は見られなかった。

 ただ、静かに、じっと見つめていた。

 そして、「おまえがセヴェリ・ルカ・エクロスか」と尋ねた。

 警戒していた訪問者に、ルカはわずかに驚いた。

 自ら天の御使いの格好をしているにもかかわらず、死に神の格好をしたルカを嘲笑うことはなかった。

 ただ、言われたから来た、と。

 それだけなのだろう。

 昨日、初めて会ったときも、そして、今も。

 そう思うと、なぜか苦しかった。 



 雪も降らず、

 ただ静かな、耳に残るほどの静寂には飽くことはなかった。

 そこに、何かがあるかもしれない、と、そう恥ずかしげもなく信じている。

 動物だとか、そういったものではなく、絶望だとか、曖昧なものだった。

 動物は見える。

 けれど、心は見えない。

 その、違い。

 たったそれだけのことととるか、否か。

 ルカには分からなかった。

 けど、死ねば見えないものになる。

 肉体は焼かれ、骨もいずれは土に還る。

 そして、誰かの記憶からも消える。

 それでいいと思った。

 死んでしまいたいと思ったことは少なからずあったけれど、見えないものになるのは嫌だと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ