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キエロの花が咲いている。
それはとても白く、清らかで、見ただけでは毒があるなどとは思えない。
そこにたたずむ青年――イリス・トルンクヴィストは白い息をはきだし、かすかに吹く風に目を細めた。
その手には、血にぬれた鍔のない刀が握られている。
イリスの下に咲くキエロの白い清い花は、赤く汚れていた。
そこには、少女が横たわっている。
胸をひとつきにされ、殺された黒い髪の少女。
ただ、彼女はほほえんでいた。
これ以上ない幸福を手に入れたように。
花束をそのちいさな手に賜ったかのように。
イリスの碧眼は、もう少女を見ていなかった。
透き通る程に白い髪の毛は、キエロの花と同じように揺れている。
やがてイリスは、キエロの花畑から立ち去った。
残ったのは血。キエロの花。血でけがれてもなお美しい、少女のほほえみ。
雪がほおを叩く。
青年とも、少年とも見えない年齢の男が、雪原の樹氷の陰に隠れている。
理由は獲物に見つからないようにするためだ。
矢筒から矢を取り、弓にあてがう。
セヴェリ・ルカ・エクロスは、冬ジカへと弓矢を引き絞る。
弦がしなる、きりきりとした音が耳元で鳴り響く。
「………」
呼吸を乱せば、気配に敏感な冬ジカはすぐさま逃げてしまうだろう。
年間をとおして冬しかおとずれない場所。
植物は育たず、隣の国から輸入してくる野菜はあるが、量はすくない。
けれど、寒冷地でたくましく生きる野生動物の命を頂いている。
矢が風を切る。
冬ジカはその音に気づいたが、もう遅かった。
頭に矢じりが突き刺さり、雪原に倒れた。
ルカはエクロスの民と自称する、狩猟民族である。