雨降る裏通りにて
雨が降り続いている。一時間ほど前から降り続く雨は、だんだん強くなってきているような気がする。打ち付ける雨の音を聴きながら、俺は裏通りを歩く。笑顔で溢れ返った表通りは、俺の性分には合わない。表通りに降る雨は、俺の目にはまぶしすぎた。
傘を持ち合わせていなかったので、俺の体はもう随分びしょ濡れで、しかし、どこか心地よさも感じている。
「昨日までの俺とは違うんだ」
黒々とした雲から俺を打ち付けてくる雨で、そんな俺の決意は、まるでごみ屑のように、どぶの中へと流れてしまった。
県立高校に通うしょうもない男子高校生ではあるが、この年齢特有のことなのか、心の中では、俺は周りの奴らとは違うんだと、掠れた声で叫んでいる。こんな調子だから、同級生とはうまく馴染めず、軽い仲間はずれにもされている。
桜の咲いていたあの頃は、胸いっぱいに希望を抱えていたなあ。
しかし今では、その希望がどんな肌触りだったのかも、思い出すことができない。清清しい気持ちでいっぱいだった自分の姿も、蜃気楼のごとくとらえようのないものになっていた。制服の中には、どろどろしたものがパンパンに詰まっていて、再び希望を抱くことができる余地は、もうどこにも無かった。
そういう状態に体が慣れてしまって、周りと距離を置いて、自分が「普通」であることに気付かないようにすることに慣れてしまって、いつしか俺は言葉を失った。
たくましく生きてほしいという願いから両親にこの名前を付けてもらったが、今ではこのざまだ。力無く、ただいるだけの置物のような存在、クラスの中では、もはやあってないようなモノになっていた。
辛い、悲しい、しかし、この想いを誰かに伝えるための言葉を、俺はもう持っていない。掌を固く握りしめるだけで、あとはもうどうすることもできない。
とうとう俺は、一人になった。
涙が溢れてきたが、即座に雨で洗い流される。滲む前景に、何の光も見ることができない。濡れた服の適度な重みだけが、俺の存在を証明してくれる。
眠気が急に襲ってきたが、裏通りを進むこの歩みを止めてしまうと、なんだかすべてが終わってしまうような気がして、だから俺は、痛いほど強く眼をこすって、ただひたすらに、裏通りを歩き続けた。
のろく、重い足取りは、表通りでは人の流れを止めてしまう、迷惑なものであるが、裏通りでは、これくらいが丁度よい。
はきはきとした話し声が聞こえてきた。ひどく胸がざわめく声で、思わず耳を塞いだ。ふと前を見ると、そこは裏通りの終わり、裏通りと表通りの接着点であって、その声は表通りからのものであった。
「ヘドが出る」と吐き捨てた、かったが、俺には言葉が無いのに気付き、ひどく惨めな思いをした。頬に熱が溜まっていき、体中が強張っていくのを感じる。
「まるで意気地なしじゃないか、たかがクラスメイトを見かけただけだろ、普通に振舞えばいいじゃないか」と自分に言い聞かせるが、踵はすでに返されていて、表通りに背を向けていた。
惨めだ、惨めな男だ。
むかつきが、つま先から脳天へとものすごい速さで駆け上がっていく。
目に浮かぶ雫は、どうやら雨のせいではないようだな。
もしも、と俺は考えてみる。
奴らと俺とは違うんだと思っていなかったら、みんな同じ人間で、仲良くやっていけばいいと思っていたなら、今ごろ俺は、仲間と一緒にあのまぶしい表通りを闊歩していたのだろうか。夢に向かって、仲間とともにあのまぶしい表通りを走っていたのであろうか。
よそう、そんなことを考えるのは。
楽して生きるには、周りの人間に合わせればいいというのは、あの時からもうわかっていたはずだ。離愁もあるが、俺はひとり裏通りを歩いていくことに決めたのだ。
瑠璃色の花瓶に挿さる、一輪の花を見つけた。檸檬のように爽やかな黄色をしたその花は、たった一輪ではあるが、ものすごい存在感を放っており、この花のようになれたらいいなと思う。
路上にたたずむ一輪の花なんて、憂いに満ちていていいじゃないかと思いながら、しゃがみ込んで瑠璃色と黄色を見つめていると、何故だか急に目頭が熱くなってきた。
わずかに、降る雨の強さは弱まってはいたが、目の前の花が滲んで見えるのは雨のせいだと強がって、俺は暗く湿った裏通りへと歩みを進めていく。
を、を、をから始まる言葉なんてないか。
ん、諦めよう。
実は、各文の頭文字が50音順に並んでいます。最後の2文は、「を」と「ん」から始まる言葉が思いつかなかったという意味です。