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ディプラヴィディはこう言った

それは偉大なる正午であった。彼の者は目覚め、その薄気味悪い白装束を羽織っては空を見上げている。

口元には冷静な笑みを繕っており、あらゆる理性的な概観視でさえ其れを超越する事は出来ないような雰囲気を作り上げていた。

今までは家に引きこもり、『思索に耽っているのだ、邪魔しないでくれ』と訪れる者物に怒鳴り叱っていた彼の者が、今日は如何にも元気そうな佇まいであった。

空では雲一つない青々とした海がだだっ広く広がっていて、彼の者の視界を妨げることは無い。故に眼前に太陽の美しげなる光が燦爛としていたのである。

白装束の彼は、大きく両手を伸ばしては空に語り掛けた。彼の者の近くで生い茂っていた叢の中から、一匹の黒い尨犬が姿を現したが、敢然としたオーラを放つ存在に恐れを為し、再び隠れてしまった。

「おお、天よ!お前の依る処の真理は、たった今、この私が手にしたのだ!!」

「何を言うかと思ったら、ディプラヴィディ。お前は既に穢れた地に堕ちた存在なのだ。お前が我々の依る処の真理を獲得出来るはずが無いだろう」

「おお、天よ!そうやってお前たちは『穢れた地』だの、侮辱を以て自分たちを遥か偉大なる存在に見せかけようとする。お前たちは何の権限があって"この地を穢れさせるのだ"?」

「あらゆる存在に価値を与えたのは我々である。その価値は今に常識を産みだした。穢れは常識である」

彼の者は急に震えだした。今日は暖かな日だと言うのに、彼の者の取り巻く空気は最早北極のような凍てつきを観測させていたかのようであった。

しかし其の目付きは相対的に鋭さを増していった。彼の者は人間では無かった。其れをも超越した、究極的な存在の、先端部分の岬に居座っていた臆病者の影であった。

遠くに海が見える。此処は高台だ。だが、空は近づかない。…彼らも恐れているのである。自己が確立させた概念の転覆を、今にも恐れているのだ。

彼の者は全てを知った。しかし彼はファウスト博士のような愚者――ドクトルとか言う冗談が逸脱したような称号を嫌厭したのは理解出来るが――では無かった。彼は名声を極端に嫌っていた。

「おお、今に御座します天よ!お前たちは恐れている!…我々が今に世界を捨て、新たなる現実を現実態とする事を恐れている!」

「何を言うかと思ったら、ディプラヴィディ。お前は既に『現実』なのだ。お前が我々の立つ超然たる観測者的立場こそ揺るがない絶対的な空間である事を知らないだけだろう」

「おお、天よ!そうやってお前たちは『知らないだけ』だの、侮辱を以て自分たちを遥か偉大なる存在に見せかけようとする。お前たちは何の権限があって"私を知らないと断定できるのだ"?」

「あらゆる存在に観念を与えたのは我々である。その観念は今に常識を産みだした。観念は常識である」

彼の者は急に泣きだした。今日は心地よい麗かな心模様だと言うのに、彼の者の中を荒れ狂った天気にさせた自我たるものが、全てを壊す破壊者として体現していたかのようであった。

今や彼の者は青ざめた。そこに存在していたのは理性的なものでも悟性的なものでもない。ただ壊れかけた時計が、整然として音を立てながら、天の零落までの時々刻々数えていた。

それが彼の者の幽遠な現実性を更に隠した。今や彼の者は無と闇の狭間の存在である。天は遍く恩寵を、不思議な存在にも照らし出すのだから、荒唐無稽この上ない。

ただ彼の者にとって、それ以上の面白可笑しいことと悍ましく震えることは無かった。世界線に依る処の彼の真理は、今までになく雑然として究極であった。

ゆめゆめそう言った彼の者の態度は天に気に食わなくとも、形骸化さえしている戒律が未だに彼らを束縛する。古く腐った帯は役立たないと、かつてのエレミヤに対して神も言っていたが。

「おお、今に御座します神智神聖の天よ!今、私はお前たちの弱点を知った――お前たちは恐れている。我々が新たな「観念の旗」を振りかざし、「自由意思による理想」と言う名の暴動を起こす事を!」

「何を言うかと思ったら、ディプラヴィディ。お前は既に自由なのだ。お前が我々の与える究極的なカテゴライズに於ける普遍を信じず、ただ自分と言う観測者を永遠に遵奉しているだけなのだ」

「おお、天よ!そうやってお前たちは『究極的なカテゴライズ』だの、誇大を以て自分たちを遥か偉大なる存在に見せかけようとする。お前たちは何の権限があって"我々をカテゴライズするのだ"?」

「あらゆる存在にカテゴリーを与えたのは我々である。そのカテゴリーは今に常識を産みだした。カテゴリーは常識である」

彼の者は急に全体性の中における敷衍化した不快感をもとに唇ががちがち言った。恐怖心に揺らぐ様相は、生きたまま土の中に埋められた人間のようであった。

しかし彼は類癇の必然的な恐怖に対しての不快感などでは無かった。彼の者の名は『真理』、観念さえ光輝かせる神や天をも破壊する、絶対的な施行者であった、故に彼は絶対的であった。

だが今にも彼は突然現れて威張り散らす存在に虐げられている。彼の者はその陰に隠れ、彼は影となった。背中には対称の光背が燦然と閃光を魅せている。けれども其れは真たる彼の者の存在をかき消す上辺の道具に過ぎなかった。

今や彼の者の前に立つ存在は、恐れ戦いた。自分のした数々を自省せずにはいられないだろう。大いなる正午を動かしたのは彼の者であった。太陽も月も火星も宇宙も、全ては彼の者の小さな掌の上にあった。

何時もより彼の者の存在的な属性は強さの色を増幅させ、世界の中で理性的な存在としての神々への超越を始めた。超克した先に待ち構える壁は、神話時代に巨人族が破壊できなかったものであったが、今や彼は容易く壊す力を得た。

再び彼の者は大きく両手を広げた。吹くそよ風が彼の者の纏う白装束を靡かせる。徐々に天は自身を隠し始め、常識は「これから雨が降るぞ」と預言した。どいつもこいつも、"馬鹿ばかりだった"。

「おお、天よ!現識的な恍惚は我々に何を与えた?」

「黙れ、ディプラヴィディ。お前に与えられた知性が現識なぞに関与できるものか」

「天よ、お前たちがそこまで"情けない"答えを寄越してくるとは我とて悲しいものぞ。…なにゆえにお前たちは其処に立つ権限を得た?急に出てきたお前たちは、真理を不法占拠しているだけなのではないか?」

「黙れ、ディプラヴィディ。お前に与えられた理性が真理なぞに関与できるものか」

「天よ、お前たちがそこまで"莫迦げた"答えを返してくるとは我とて悲しいものぞ。…なにゆえにお前たちは我々の理性を比較し知識の批准をする権限を得た?急に出てきたお前たちは、知識を不法占拠しているだけなのではないか?」

「聞け、ディプラヴィディ。"我々は法である"」

彼の者は両手を下ろし、白装束に付随する浅いポケットに手を突っ込んだ。そして彼は再三鋭利な視線を天に投げかけた。今や天は先程あった蒼天とは真逆に、灰色の海と化している。

彼の者は徐に一歩を踏み出した。その瞬間、理性の外延が遍く投影された知識が解放され、灰色を貫く光陰と化して天から降り注いだ。彼の者は耳にした、天の者どもの呻き声を。

更に彼は一歩を前に出した。その瞬間、超然と現実を分け隔てていた観念の壁が解放のダイナマイトで破壊され、更に灰色は光陰の威力に負けて行く。彼の者は目にした、天の者どもの狼狽えを。

そして彼の者はその両目を深紅に染めた。彼の者は一種の異次元となって、大いなる光が降り注ぐ空を仰ぎ見た。彼は再び嗤った。冷淡冷酷な表情の面影には、偉大さの破壊された瞬間を見たと言う誇りがあった。

「お前たちは法ではない。勝手に出てきた愚者だ。出て行くがよい。そして、縄で縛られて幽閉している真理を返すがよい。お前たちは最早誰も恐れない。慄かない。お前たちの説いた天国や煉獄や地獄は、お前たちの都合主義的な幻想に他ならぬのだ」

彼は歩きだした。空を覆っていた雲々はそこにはもう存在しなかった。彼は心地よい気がして、白装束を着たまま正午を目指した。

行き交う人々が、先程まで曇っていた空が晴れたのは神様のお陰だ、と感心している。何が神様だ、何時までもそうやってほざいているがよい、と彼は大いに考えた。

結局のところ彼の者が解放した真理は誰にも気づかれなかった。彼らは皆、神は真理だったのである。そしてまた、ディプラヴィディの理性も欺かれたままであった。真理は今、世界と言う器を大地に抛ったのである。

ディプラヴィディは真理の創始を勘付いた。真理はほくそ笑んで、その天から彼の者を見てこう言った。

「ディプラヴィディ、お前は知った。しかしお前はそれを世界に語りかける預言者にならなくてもよいのだ」

ディプラヴィディはこう言った。

「真理よ、私は私に依る処の私を世界に抛っているまでに過ぎないのだ。真理よ、その口を閉ざせ。人間はまだ、"知らない"のだ」

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― 新着の感想 ―
[一言] 海外文学に明るくない私の浅はかな知識で申し訳ないのですが「神は死んだ」の言葉を思い出しました。恐らく人間は結局どこまで行っても見えない真理よりも見える神を求めるのでしょうね。
2017/06/02 22:47 退会済み
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