不安定な彼女の熱
「君は本当にバカだね」
「すびばせん……」
ぼくが「君はバカだ」と言えば、いつもは必ず反論してくる彼女だが、今日は珍しく素直に謝るだけだった。まあ、それもそのはずか。何故なら、
「もう一度言おう。君は本当にバカだ」
「はい……」
「夏風邪はバカが引くんだよ?」
「うぅー……」
力なく、小さく呻いた彼女。それが精一杯の反論なのかもしれない。
ぼくははあ、と一つため息をついて部屋のドアを閉め、この暑い中布団をかぶって寝ている彼女のベッドに腰かけた。
「まったく、夏休みに入ってすぐ風邪を引くなんて、やっぱり君はバカだね」
「すみません……でも、さっきからバカバカ言いすぎですよ!?」
「夏風邪を引いたバカな君に、バカと言って何が悪いのかな?」
「うっ、そ、それはそうですけど……もうあなたなんか知りません!」
彼女はそう吐き捨てて、ごろりと壁側を向いてしまった。――ああ、まったく。
「ひゃっ!?」
すると、彼女が突然奇声を上げて、肩をびくっと震わせた。いや、「突然」ではないか。だって、ぼくはそれをある程度予想できていたのだから。というか、
「いきなり何するんです……か?」
「そろそろ水分がなくなるんじゃないかと思ってね」
ぼくが彼女のほおに冷たい水の入ったペットボトルを押し当てて、そんな声を上げさせたのだから。
「ありがとう、ございます……」
彼女は緩慢な動きで上半身を起こしてそれを受け取ると、ふたを開けて口に運んだ。
「君が風邪を引いてると、楽でいいね」
「……どういう意味ですか」
「おとなしいし、素直だし、何より、いつもみたいな不安そうな言動がない」
そう、彼女はいつも情緒不安定のような質問をしてきては泣き、ぼくに抱きしめられて落ち着く。何をそんなに不安がっているのだろうか、と思う反面、ぼくが彼女を不安にさせているのか、という自覚もある。しかし、それにしたって彼女は不安がりすぎだろう。
だが、今日はそれがない。いつもこんなふうに素直だったら苦労はしないのに――
「不安、ですよ」
「え?」
ぽつり、いつもにまして弱々しい声が聞こえた。そちらを振り向けば、彼女はうつむいたままペットボトルをぎゅっと握りしめている。
「不安ですよ、不安に決まってるじゃないですか。夏休み早々に風邪を引いて、一人で寝るだけ……そんなの淋しいじゃないですか!」
「そんなこと言われても、風邪を引いた君がバカなのが悪いんじゃないか」
「ま、またバカって……! と、とにかく! わたしは淋しいんです!」
彼女はそこで一呼吸置いてから、ゆっくりとこちらを向いた。その顔は風邪のせいか赤く染まり、目も潤んでいる。
「だから……わたしが眠るまで、そばにいてください」
「……君、今日は本当に素直だね」
「いつもだって十分素直じゃないですか」
「へえ、それは初耳だね。でもまあ、」
くすり、と笑みをこぼして顔を近づけ、こつん、と額をくっつける。
「いいよ。そばにいてあげる。――ずっと、ね」
「――はいっ」
嬉しそうに返事をした彼女は、もう不安などないというような満面の笑みを浮かべていた。素直な彼女も捨てがたいが、まずは早く風邪を治してもらいたい。
「じゃあほら、横になって。ああ、薬は飲んだかい?」
「あ、そこにあります。ちょっと取っていただけますか?」
「これ?」
「はい。――って、え!?」
手に取った薬をぷち、と取り出し、口に含む。驚く彼女をよそにその手からペットボトルを奪えば、その水も口に流しこんだ。
「ちょっとあなた何やって――、っ!?」
そして、そのまま彼女の口を塞いでやった。ごくり、と彼女が薬と水を飲みこんだのを確認し、ぼくは口を離す。
「なっ、なななな何して……!」
「何って、薬を飲ませてあげたんじゃないか」
「く、口移しでする必要はないでしょう!? 風邪がうつっても知りませんからね!」
「あいにくぼくは君と違ってバカじゃないから、ご心配なく」
「まままままた……っ! もういいです!」
彼女は真っ赤に染まった顔でそう怒鳴ると、ばふっ、と布団にくるまってしまった。ああ、早くもいつもの彼女に戻ったようだ。これならすぐに治るだろう。
ぼくは彼女の頭と思われる部分にそっと手を置き、顔を近づけて囁く。
「おやすみ。ずっとそばにいてあげるよ」
それから少しの間を置いて、「おやすみなさい」という小さな声が聞こえた。