ぼくの彼女は彼女だけ
彼女ではない女から呼び出された。用件は大体見当がついている。「放課後」「裏庭」という何ともベタなシチュエーションで、さすがに一人の女から殴られるということはないだろう。
「何の用?」
その女はクラスメイトの一人で、結構美人だと言われている人物だった。確か中学も同じだったはずだと記憶している。まあ、ぼくはあまり興味がなかったので、定かではないが。
「あら、わかって来てくれたんだと思っていたのだけれど」
「さあ、見当もつかないな」
ぼくがわざとおどけて見せると、女はやれやれというように苦笑したが、すぐに真剣な面持ちになって口を開いた。
「彼女と、別れたほうがいいんじゃないかしら」
告白されるとばかり思っていたので、意外な切り口に驚いたが、その話に少し興味を持ったので、ぼくは続きを促すことにした。
「どうして?」
「だって、彼女はいつもあなたを困らせているように見えるもの。結構おっちょこちょいだし、時々勝手に怒っているし、ヒステリーなんじゃないかしら」
「確かに、よくわからないところでいきなり怒り出すのはやめてほしいね」
「でしょう? それに――」
そう言いかけて、女は止まった。
ああ、興醒めだ。結局はつまらないんだね。
「回りくどいな。つまり君は、ぼくが好きなんだろう?」
「やっぱりわかってたんじゃない」
「当たり前じゃないか。ああ、それとも大好きなぼくと付き合っている彼女へのイヤガラセかな?」
くすり、と嘲笑をこぼせば、女の顔がカッと赤くなった。どうやら図星のようだ。
「沈黙は肯定と受け取るけど?」
「――違うわ。私はただあなたが好きなだけよ。だから、あなたのためを思って……」
「ぼくのため? はは、君のためだろう?」
ああ、世界はエゴであふれている。
「残念だけど、ぼくは君を愛していない」
そう言って、ぼくは残酷なほど冷たく笑ってやった。
すると、女は怒りに震え、カオを歪めている。かわいそうに、これでは美人が台なしだ。
「じゃあ、ぼくはこれで」
目の前にいる女がぼくを愛していようと、ぼくは彼女を愛していない。だから、もう用はない。本当はこの呼び出しさえ無視しようとしていたのだが、ぼくの本当の彼女に「行かなきゃダメです!」と言われたので、仕方なく来ただけだった。
「――私は、本当にあなたを愛しているの」
きびすを返したぼくの背中に向かって、女が独り言のようにつぶやく。まだ言うのか、しつこいな。
「彼女の代わりでもいいの。だから――」
「悪いけど」
「それはダメです……っ」
そう言ったのは、ぼくでも、目の前にいる女でもなく。
「……何やってるの、君」
「た、たまたま通ったんです」
「ここはたまたま通るような場所じゃないよ」
「だ、だから偶然ですって!」
頑なに偶然を主張する声の主――ぼくの愛する彼女だった。まったく、覗き見とはなかなかいい度胸をしている。
「どうして……?」
「え?」
「私だって彼をこんなに愛しているのに、どうしてあんたなんかが……どうして私じゃダメなのよ!」
存在すら忘れかけていた女が取り乱したようにに叫ぶ。へえ、これがこの女の本性か。彼女のほうがよっぽどヒステリーだし、それなりの美人なだけあって、プライドも高いようだ。
その滑稽な姿にくくっ、とのどを鳴らして笑い、ぼくはゆっくりと女に近づいてゆく。
「ねえ君、良いこと教えてあげようか」
「え……?」
女の顔をのぞきこむようにして、先ほどとは打って変わり、酷く穏やかな笑みを浮かべてみせた。それに安堵したのか、女の表情がやわらぐ。
――ああ、バカな女だ。
「彼女の代わりは彼女しかいない。悪いけど、ぼくは君が思っている以上に彼女を愛しているんだ」
そう宣言すると、彼女は大きく目を見開き、泣き崩れてしまった。ああ、これでやっと解放される。
ぼくはもう何も言わずに彼女とその場をあとにした。
* * *
「よかったんですか? 彼女を置き去りにして……」
「いいんじゃない? 面倒だし。それに、迷惑を被ったのはこっちだよ」
「でも……彼女、泣いてましたよ?」
あの女が心配だと目で訴えかけてくる彼女に、ぼくはため息をついた。
「もとはといえば、君が行けって言ったからああなったんじゃないか。そもそも、君はいつから聞いてたの?」
ぎくり、という効果音が聞こえてきそうなほど過剰な反応を示した彼女の肩が大きく跳ねる。しばらくの沈黙ののち、彼女はその重い口を開いた。
「……最初から、です」
「へえ? 君もなかなかやるね」
皮肉るように言うと、彼女はうつむいてしまった。
最初から、ということは、すべて聞いていた――ああ。
「我慢、してたんだね」
「……っ、わ、わたし、ヒステリーですか?」
「まあ、それに近いときもあるかな」
「ひど……っ」
「でも、」
そう言いながら、彼女を自分の胸に引き寄せる。いつだったか、ぼくの腕の中は安心する、と彼女は言っていた。
「そんなところも含めて、愛しているのは君だけだよ」
「……そう、ですか……ふふ、それは光栄ですね」
いつもはぼくが言ってるセリフを言われてしまい、思わず苦笑する。
そう、ぼくは彼女を愛している。彼女の代わりなんていらないし、いない。
ぼくの彼女は彼女だけだ。