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―6―

 夕暮れ時、カンナはつくしの家の店の前に立っていた。店は今日は休みらしい。店の左側の路地を覗くと、自宅の入り口らしい扉が見えた。カンナはそこへ向かって、路地を入っていった。

「カンナさん!」玄関を開けて出てきたつくしは、カンナを見ると驚いた表情を見せた。

「今、大丈夫かしら」カンナは努めて落ち着いた口調で言った。

「はい! どうぞ!」と、つくしは嬉しそうな表情で言うと、カンナを自宅へ上げた。

「家の人は?」

「お父さんと二人暮らしなんですけど、商店街の旅行へ行っていて、明日まで一人なんです」

「そう……」カンナは冷静さを保とうと、必死になっていた。

(チャーンス! なんていう幸運。こんなタイミング、絶対逃しちゃ駄目だわ!)

「でも、どうしたんですか? 突然に」

「えっ? あ……、あの……、ほら、そう……、バンドのこと知りたかったから、つくしちゃんに色々聞いてみたくて……」

「そうだったんですか! じゃあ、私の部屋へどうぞ!」と、つくしはニコニコ顔で階段を先に上っていった。

 カンナは大きく安堵の息を吐き、つくしの後をついていった。先に階段を上がるつくしを見上げ、(ぷりぷりの可愛いお尻……)と、つい涎が垂れそうになるのを必死に堪えた。

「どうぞ!」と、つくしが部屋のドアを開けたので、カンナは部屋の中へ入ろうとしたが、思わず立ち止まった。足元に、小さな犬がいて、自分を見上げていたからだ。

(なにこれ……、パグだっけ?)

「あっ、このこ、チャッピーです。知り合いの人に頼まれて、飼うことにしたんです。大人しいから、全然大丈夫ですよ」

 カンナが床に足を崩して座ると、チャッピーは、カンナの太もも辺りにもたれかかるように寝そべった。

(なに、この犬。馴れ馴れしいわね)

「カンナさんが気に入ったみたいですね」つくしはそう言うと、先日バンドの練習をしたときに録音したMDをコンポにセットして、カンナに聴かせた。

(へえ……、このこ凄いわ。恵梨香がやる気になるだけあるわ……)

 カンナはつくしに会いに来た目的を忘れて、バンドの演奏に聴き入っていた。

「どうですか?」曲が終わると、つくしはカンナに心配そうな表情で訊いた。

「えっ? ああ、よかったわ。凄い。びっくりしちゃった。近場にあなたみたいな凄いこがいたなんて、ほんとに驚いちゃったわ」

「ほんとですか。よかったあ……」と、つくしはほっとした表情を見せて言った。

 その後、バンドの話で二人は盛り上がっていた。

「恵梨香とは高校のときからの付き合いでね。しょっちゅうバンドをやろうって言ってたんだけど、結局いい人がなかなか見つからなくて、ずっと二人でやってたの」

「そうなんですか」

「でも、つくしちゃんとやることになって、よかったわ」

「ありがとうございます! そうだ! カンナさん、晩御飯食べていってください。店のカレーですけど、沢山ありますので」

「ええ、ありがとう。そうだ、今日私、泊まっていっちゃおうかしら、もっとバンドの話も聞きたいし、お父さんいなくて一人じゃ寂しいでしょ?」

「はい! ぜひぜひ!」と、つくしが嬉しそうに答えると、カンナは心の中でガッツポーズをしていた。


 夕食を終え、暫く雑談した後、先に風呂に入ったカンナは、つくしが風呂から上がってくるまで、つくしの部屋で待っていると言って、彼女の部屋へ向かった。そして、つくしの部屋へ入ると、ウキウキとした表情で、着ていたものを脱ぎだした。

(ムフフ……。ああ、久しぶり。わくわくしちゃうわ……)

 カンナは着ていたものを全て脱ぎ捨てると、つくしのベッドに潜り込んだ。

(ああ、つくしちゃんの匂い……。たまらないわあ……。早く来ないかしら。もう、待ちきれない……。んっ!?)

「えっ!? なに!? いや! ああ! やだ! 凄い! ああ! ああ!」

 カンナは突然つくしのベッドの中で喘ぎだした。



「ああ、さっぱりした」つくしは、風呂から上がり、水をごくごく飲むと、「そうだ、カンナさんと新曲の話しよっと」と言って、自分の部屋へと向かっていった。

 二階の自分の部屋のドアを開け、つくしは目を見開いて凍りついたように、立ち尽くした。

「か……、か……、カンナ……さん……」

 カンナが丸裸で、チャッピーを抱きしめて立っていた。

「つくしちゃん!」

「ひゃっ、ひゃい!」

「お願い、つくしちゃん! チャッピーちゃんを私に頂戴!」

「ひぇっ!?」

「お願い! 私、チャッピーちゃんがいないと駄目なの!」

「お願い!」と、カンナが素っ裸でつくしに迫ってくると、つくしは引きつらせた顔をカクカクと縦に何度も振った。

 それを見たカンナは物凄い勢いで、服を着ると荷物をまとめだした。

「それじゃあ私帰るから!」

「へっ? あの……」

「じゃあね! バイバイ!」

 つくしはチャッピーを抱いて去っていくカンナを、唖然とした表情で見送った。


 *


 恵梨香がスタジオへ入ると、カンナと小梅としおんが雑談していた。つくしはまだ来ていないようだった。

「あれ? カンナんちいったんだけど」

「ああ、私引っ越したのよ」

「えっ? そうなの?」

「あそこペット飼えないから」

「ペット?」

「そう、つくしちゃんから譲ってもらったのよ。チャッピーって言う、雄のパグ」

「つくしちゃんに?」

 恵梨香はカンナがつくしと会っていたことを知り、なんだか不安になってきた。

(あれだけ二人で会うなって言ったのに……)

 恵梨香は心配になって、つくしの携帯電話に電話を入れようとしていると、スタジオの扉が開いた。

「お待たせしました! お父さんが練習見たいってうるさいから、遅れちゃって……」

 つくしの元気そうな姿を見て、恵梨香はほっと溜息を吐いた。

 つくしはスタジオの中を見渡すと、カンナに声を掛けた。

「カンナさん、チャッピーちゃん元気ですか?」

「ああ、元気よ。でもねえ……」

「えっ? でも何ですか?」

「んっ? ああ、普通のバターはあんまり好きじゃないみたいなのよ……」

「バター?」つくしと恵梨香は声を揃えて言った。

「んっ? うん。でも、ピーナッツバターは好きみたい。もう舐めまくりで、すっごくって、腰が抜けそうになるわ」

(舐めまくり? 腰が?)

「へえ、チャッピーちゃんがそんなの好きなんて知らなかった。今度差し入れしますね」

「ありがとう、つくしちゃん。助かるわ」

(まさか……)恵梨香はカンナとチャッピーの様子を想像して鳥肌を立てていた。

「そうだ! みなさん!」恵梨香が寒気を抑えている隣で、つくしが声を張り上げた。

「なによ、いきなりでっかい声出して」小梅が怪訝そうな表情で言った。

「新曲作ってきました」

「へえ、どんなの?」しおんが興味深げに訊いた。

「カンナさんが入ってくれたので、ピアノ中心のバラードにしたいんです」つくしは皆に譜面を配りながら言うと、MDを持ってきたコンポにセットした。

 コンポからは、ゆったりとしたアコースティックギターの演奏が始まった。

「誰がギター弾いてんの?」恵梨香が驚いたように目を丸くして訊いた。

「お父さん。びっくりしちゃった。お父さんがギター弾けるなんて知らなかったから。結構上手いんですよ、これが――」つくしは照れた表情で答えた。


「結構いいんじゃない。でも、歌詞がめちゃくちゃね」曲が終わると小梅が言った。

「YUI語じゃなくて、つくし語ね」しおんが言った。

「イメージは出来てるんですけど、まだまとまってなくて」つくしはテレた表情で言った。

「じゃあ、歌詞が出来たらやりましょう。それまでは各自がアレンジを考えるってことで」恵梨香が言うと、皆頷いた。



 カンナが加わり、数週間がたっていた。この頃は、地元のライブハウスのレギュラーバンドになるために、オーディションを受けようと、猛練習に励んでいた――。

 スタジオの中に恵梨香のハードなギターソロが響いている。それを支えるように、しおんと小梅は重厚なリズムを刻む。そしてカンナのメロディーがさらに盛り上げていく。

 そんなご機嫌なサウンドで満たされたスタジオの真ん中で、ワイヤレスマイクを握り締めたつくしが額に汗を滲ませて立っていた。

 ギターソロが終わりかける。つくしはゆっくりとマイクを持った手を上げていく。

 しかし、口元まで行く前に、マイクはつくしの手から滑り落ちた。

 ごろごろと床を転がるマイクの横に、つくしはどさりと膝をついた。

 皆、演奏を止め驚いた顔を見せた。

「つくしちゃん!」床に蹲っているつくしを恵梨香が抱き起こした。

「やだ! 凄い熱!」

「どれ?」と、小梅もつくしの額に手を当てた。

「げっ! ほんとだ! あんた、なんで具合悪いのに、練習なんかにきたのよ」

 つくしはうつろな目を小梅に向けた。

「だって……。もう直ぐライブハウスのオーディション……、だから……」

「そんなこと言ったって、ぶっ倒れてちゃしょうがないでしょ!」と、小梅はつくしを叱るように言うと、彼女を背負った。そして、「ウチまで送ってくるわ」と小梅が言うと、「私も行くわ」と恵梨香も一緒に、スタジオを出た。


 つくしを家まで送り、小梅はベッドにつくしを寝かせた。つくしはぐったりとした表情で眠っている。

「えっと、着替えとかどこですか?」後ろに立っていた、栗雄に恵梨香は訊いた。

「いやあ、まいったな。部屋に入ると怒られるもんでね。どこに何があるんだか……」と、栗雄はおろおろしながら答えた。

「じゃあ、私が勝手に探しちゃってもいいですか?」と、恵梨香が訊くと、「多分、私が探すよりは、そのほうがいいかも。勝手にタンスなんか見たら、暫く口利いてくれなくなるから」と栗雄は申し訳なさそうに言った。

 恵梨香がタンスから、着替えの下着とパジャマを見つけ出すと、小梅が水枕と薬を持って、部屋に戻ってきた。

「全く、こういうときに、父親って言うのは本当に役に立たないね」と、小梅はぼやきながら、つくしを水枕に寝かせた。

「まあまあ、仕方がないでしょ。今日は私が泊まって看病するから」と、恵梨香はつくしの額に濡れタオルを乗せながら言った。

「そう、じゃあお願いするわ」

「オッケー、任せて」と言って、恵梨香は小梅を見送った。

 つくしに目を向けると、彼女は汗だくになっていた。

「凄い汗ね……」恵梨香はタオルでつくしの顔の汗を拭いてあげると、パジャマに着替えさせようと、つくしの服を脱がし始めた。

 絞ったタオルで身体を拭いてあげていると、「んん……」とつくしは甘ったるい声を出した。恵梨香はハッとした。無意識のうちにつくしの胸を揉んでいた。

(やだ私なにやってんの?)

 恵梨香は慌ててつくしにパジャマを着せた。

 パジャマを着せ終わると、ほっと息をついてつくしの顔を見た。つくしは少し気持ちよさそうな表情になって、すやすやと眠っている。

 恵梨香は知らず知らずのうちに、つくしの顔に見入っている自分に気がついて、気を紛らわせようと、つくしのギターを手に取ってみたり、本棚の本を眺めてみたりしていたが、それでも暫くすると、またつくしの顔を覗きこんで、かさかさになっている彼女の唇をじっと見つめて、ごくりと唾を飲み込んでいたりしていた。

(やだ……、私どうなっちゃってんの?)

 つくしが寝返りを打って、尻が布団から覗いている。恵梨香はついついその尻に、パフッと顔を埋めたいなどと思っていた。

(やばい! 私なんか変だ!)

 恵梨香はその夜、悶々とした時間を過ごした――。


 *


 恵梨香は自分の部屋のベッドにもたれかかり、ギターを抱えた。まだ歌詞のついていない、つくしの曲のアレンジを考えようと思ったからだ。

 つくしから貰ったMDを再生すると、目を閉じてイメージを膨らませようと、つくしの歌声に耳を集中した。

 でも、まったく曲を聴くことに集中できなかった。つくしの顔が浮かんできて、しかたがなかった。気がつくと、彼女に会いたがっている。

 恵梨香はギターを床に置いて、膝を抱えた。

(どうしよう……、私なんかおかしいよ……)

 携帯電話の着信音が鳴った。携帯電話を見ると、健司からの電話だった。恵梨香は慌てて着信ボタンを押した。

 健司からの電話の内容は、恵梨香が以前から見たいと言っていた映画のDVDを手に入れることが出来たので、一緒に見ないか? という誘いの電話だった。

 勿論恵梨香は快諾し、健司を家に呼んだ。

 恵梨香は健司が来るまでの間に、部屋の掃除を済ませ、シャワーを浴び、ワインと摘まみの準備を始めた。

 摘まみの用意が済んで暫くすると、健司がやってきた。

「こんな時間にごめんね?」暫くぶりに直接聞いた健司の声に、とても新鮮な感じを恵梨香は受けた。そして首を振り、はにかんだ表情を見せた。

 部屋の照明を少し落とし、ローテーブルの前に並んで座ると、ワインを飲みながら、二人は映画を見始めた。

 治療法がまだ見つかっていない、不治の病に犯された主人公の少女の夢は、歌手になることだった。少女がずっと思い続けていた少年は、彼女の自分に対する気持ちと、彼女の病気のことを知ると、彼女への思いが膨らんでいく。自分に出来ることはないか――。少年は考えた末、いつか訪れる別れの前に、彼女の夢を形に残したいと、必死にアルバイトをやり、稼いだ金で彼女の歌をCDにする。少年は出来たCDをラジオ局や有線放送局へ送り、放送してもらうように、リクエストを繰り返した。そんな頃、少女は遂にこの世を去ってしまう。向日葵で埋め尽くされた棺の中の彼女の表情は、とても穏やかだった。彼女を失った辛さを乗り越えようと、少年は必死に笑顔を作り、友達とじゃれあうように日々を過ごす。そして――、地元のローカルラジオ局のFM放送から、彼女の歌が流れ出した。少年は彼女の歌声が流れるラジオを抱きしめる。少年の心の中で、彼女が蘇る。彼女は少年の心の中で、まだ生きている――。

 恵梨香は、テレビ画面を見つめて涙を堪えた。すると、健司の手が恵梨香の肩にかかり、彼女を引き寄せた。

 恵梨香は健司の顔に目を向けた。健司の目は、真剣だった。

 健司が顔を近づけてくる。恵梨香は息を止め、目を閉じた。

 しかし、健司が口付けしようとした寸前に、恵梨香は顔を逸らしていた。健司は驚いたように恵梨香を見ている。

「ご、ごめんなさい!」

 恵梨香は思わず健司に背を向けた。

「ぼ……、ぼくの方こそ……」

 健司はそう言うと立ち上がった。顔が思いっきり引きつっている。

「ご、ごめん……。もう遅いから、今日は帰るから……」そう言って、健司はそそくさと恵梨香の部屋を後にした。

(バカ! なにやってんの! 私!)

「バカ! バカ! バカ!」恵梨香は床に蹲って叫んでいた。

 健司が迫ってきて目を閉じた途端、つくしの顔が浮かんできた。そしてその瞬間、恵梨香はつくしの歌をCDにしてあげたいという気持ちでいっぱいになっていた。無意識に健司を避けていた。

 恵梨香は自分の気持ちが分からなくなってきていた――。


 *


 ギターソロに入った途端、小梅は演奏を止めた。

「どうしたんですか? 小梅さん」つくしは不思議そうに小梅を見た。小梅は不機嫌そうな表情で恵梨香を見ている。

「ちょっと、エリちゃんさあ、何なの? その気の抜けた演奏は。もう直ぐオーディションなんだけど、やる気ある?」

 恵梨香は俯いたまま小梅の言葉を聞くと、ギターを肩から下ろした。

「恵梨香さん、どうしたんですか?」つくしは心配そうに恵梨香の傍へ近づいた。

 恵梨香はついつい、つくしの顔をじっと見てしまっていた。

(もう駄目……、ぎゅって抱きしめたくてしょうがない……)

「恵梨香さん?」

 恵梨香は思いっきり拳を握り締めると、大きく息を吸って、つくしから目を逸らした。

「ごめんなさい。私ちょっと体調が悪くて」恵梨香はそう言うと、ギターを片付け始めた。

「えっ? 恵梨香さん大丈夫ですか? ひょっとして私の風邪がうつったんじゃないですか?」つくしは心配そうな表情で恵梨香に必死に話しかけていた。

 恵梨香は何も答えずにスタジオを出て行った――。



 真っ暗な部屋の中で、恵梨香は膝を抱えて座り込んでいた。自分がつくしを思っていることは明白だった。恵梨香はそのことにショックを受けていた。カンナと関係していたときは自分はあくまでも普通だと思っていた。おかしいのはカンナの方だと恵梨香は思っていた。

(どうしよう……)

 つくしの傍を離れたくない。でも、一緒にいると変な気持ちが沸き起こってくる。

(どうしたら……)

 玄関のチャイムが鳴り、恵梨香は仕方なさそうに、ゆっくりと立ち上がって部屋の明かりをつけた。

 ドアの覗き窓から見ると、つくしの姿が見えた。恵梨香は驚き、急いで玄関のドアを開けた。

「恵梨香さん、具合どうですか?」つくしは心配そうな表情で訊いた。

「ええ、大丈夫よ。どうぞ、上がって?」

 つくしは少し表情を和らげて頷いた。

「ごめんなさいね、心配掛けて」恵梨香はつくしが座ると言った。

「恵梨香さん、何か悩み事でもあるんじゃないかと思って……。私なんかじゃきっと何にも出来ないと思うんですけど、なんだかとっても心配で……」

「優しいのね、つくしちゃんは……」

 恵梨香は必死に落ち着いた口調で言った。

 今、つくしと二人っきりでいるかと思うと、どうにかなってしまいそうだった。

「私、今歌うのが本当に楽しくて――。恵梨香さんのおかげなんです。恵梨香さんがいなかったら、私こんなに歌にのめり込めなかったと思うんです。だから、力になりたいんです。恵梨香さんは……、大切な人だから……」

 恵梨香はつくしに目を向けた。

「私に、何か出来ることありますか?」つくしは真剣な目をして言った。

「あるわ」と言った次の瞬間、恵梨香はつくしを抱きしめていた。

「えっ? あの、恵梨香さん?」

「つくしちゃん……、私……、私つくしちゃんのことが好きなの!」

「えっ? あの、えっ?」

「私の恋人になって!?」

「えっ!?」

 恵梨香はつくしを床へ押し倒した。つくしはもがいて起き上がろうとする。しかし恵梨香はつくしの腕を押さえつけて、どんどん顔をつくしへ寄せていく。

「いや! ごめんなさい! いや!」

 もう恵梨香は自分を抑えることが出来なかった。今、恵梨香の頭の中にあることは、つくしを奪うことだけだった。


 *


 七色にライトアップされた幻想的な噴水広場の片隅のベンチで、恵梨香は一人でぽつんと座って噴水を眺めていた。

 つくしと出会った日の記憶が蘇ってくる。つくしの左手を見て驚いたこと。つくしの歌を聴いて感激したこと。二人でこの噴水広場で演奏することに夢中になっていた頃のこと――。

(もう……、終わりだ……)

 恵梨香はがっくりと肩を落とした。

 結局つくしの涙を見た途端、恵梨香は何も出来なくなってしまった。それと同時に、取り返しの出来ないことをしたと後悔した。つくしに謝ろうとしたが、彼女は直ぐに泣きながら部屋を出て行ってしまった。

 ふと足元にパグが寄ってきたのを見て、恵梨香はハッとした。

「いたいた。こんなところに」

 カンナの声が聞こえて恵梨香は顔を上げた。

 カンナは恵梨香の隣に腰を下ろした。

「あんたもつくしちゃんも練習に来ないからさ、小梅ねえさんがかんかんに怒って大変だったんだから」

「ごめん……」

「んで、なにがあったのさ」

「私……、つくしちゃんのことが……」

 恵梨香はカンナに全てを打ち明けた――。

 カンナは恵梨香の話を聞くと、腹を抱えて笑い出した。

「なによ! ひとが真剣に悩んでるっていうのに!」

「だって、ひひひ――。ありえないでしょ? ふふふ、そんなこと」

「私は本気なの!」

「バカ言ってんじゃないわよ。あんたはそういうタイプじゃないわよ」

「だって……、カンナとは……」

「本気だった?」

「それは……」恵梨香は目を伏せた。

「本物のレズが言うんだから間違いないわ。あんたは全然普通。彼氏と上手くいってないだけよ。目、覚ましなさいな」

「そうなのかしら……」

「そうよ」とカンナは言うと、チャッピーを連れて帰っていった。


 恵梨香は暫くぼんやりと噴水を眺めていた後、溜息をついてゆっくりと立ち上がり、重そうな足取りで公園を後にした。

 自宅のアパートの前に着くと、健司が立っていた。

「ごめん、こんな時間に……」健司はすまなそうに言った。

 恵梨香ははにかんだ笑顔を見せて首を振ると、健司を部屋へ案内した。

「あの……、ビールでいいですか?」

「いや……、話しがあるんだ。真剣な話……」

 恵梨香は黙って頷くと、健司の前に正座した。

「あの……、僕は恵梨香さんが好きなんだ。真剣に付き合って欲しいと思ってる」

 恵梨香は健司の目をじっと見つめた。

「この間は、いきなりおかしなことをしようとして、本当に申し訳ないと思ってる。どうか、嫌いにならないでほしい……」

「私……」恵梨香は言葉を飲み込んだ。

「あの……」健司は不安そうな表情で言った。

 恵梨香は意を決して告白することにした――。

「私……、むかし女性と付き合っていたことがあるんです」恵梨香はそう言うと奥歯をかみ締めた。

「知ってる……」

「えっ?」恵梨香は驚いたように目を見開いた。

「恵梨香さんと一緒にやっていた、ピアノの人でしょ?」

「なんで?」

「彼女から聞いた。私の恵梨香を奪わないでって言われた」

「あの……、それじゃ……」

「彼女と肉体関係があったことも知ってる」

「あの……、いいんですか? そんな私でもいいんですか?」

「かまわない」

「でも! 私、男の人に抱かれたいって、全然思わないんですよ? そんなんでも、いいんですか?」

「かまわないよ」

「どうして……」

「僕は……」健司は俯いた。そして、顔を上げると、真剣な目を恵梨香に向けた。

「僕は、不能なんだ」

「えっ?」恵梨香はまた驚いた。

「抱きたくても、抱けないんだ。それでも恵梨香さんを好きな気持ちは抑えきれない。逆にこんな僕でも付き合って欲しい。僕は恵梨香さんが好きなんだ」

 恵梨香は健司のことを急激に愛おしくなっていく自分を感じた――。


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