3、図書館
人の時代は即ちいくつかの機能が一か所に集中したことで始まったといえるだろう。住居、保存、そして学校……教育施設である。これら三つの機能が集まらなかったとしても少なくとも住居と保存の機能は必須であった。そしてこれら三つもしくは二つの機能はより合理的理由から一か所へと集中した。それらを防衛するために壁が建造された。よそからの攻撃を退けるために防衛に人があてがわれた。都市の、のちの国家の誕生である。
どこかの学術解説書で読んだ内容を思い出しながらも、長谷川松次郎はバイクで疾走していた。正確にはサイドカーに乗っていた。ハンドルを握るのはHALである。運転ならば機械の方が正確だし何より疲れない。そして理由はもう一つあった。
―――HALは、人間を攻撃できない。ロボット三原則が組み込まれているために人間を守るために自らの身を捧げることはできても、自衛という名の攻撃を仕掛けることはできない。銃を握ることはできても引き金は操作できない。相手が動物ならば殺せるが人間だけは不可能なのだ。もし無政府状態をいいことに暴漢が襲いかかってきたらひとたまりもない。となれば自衛用の武器は松次郎が操作しなくてはならなかった。
銃の扱いは正直下手糞である。狩猟に興じた経験が数度。まるで知らない訳でもなく、得意というわけでもない。だから戦法はとりあえずブチかましてとんずらと相談して決めた。
街は荒廃していた。見る影さえ留めていない。かつてのショッピングモールは人が大勢押しかけたらしく棚が販売されているだけ。道路には自動車だったガラクタが列を無している。陸橋など崩れ使いにくさ満載のスキージャンプ台と化している。ビルというビルのガラスは消えてなくなっており道路上に危険な雪溜まりとして積み重なっていた。核の影響、その後の人間の影響、天候、いくつかの要因が街をボロボロの穴開きにしていたのだ。さらに年月が積み重なれば街は自然に分解されていくだろう。
松次郎は、かつて図書館だった場所の前で停車するように命じた。中世の建物を模したモダンな建物は見事に隣のビルに伸し掛かられ今にも潰れそうである。図書館を利用した回数は数知れないだけに胸が締め付けられる思いだった。
バイクを電話ボックスだったものの陰に隠し銃を担ぐ。
街に人らしき影が潜んでいるのを事前の偵察で知っていた。もしかするとこの廃墟のどこかに人間がいるかもしれない。だが松次郎は楽観視していなかった。放射性物質で変異した動物がウヨウヨといるのに、どうして人間だけは変異しないと言い切れるのか。
四つの銃身を集束させた散弾銃を構えHALが先頭に立つ。
「ご主人様は私の全機能にかけてお守りします。私の陰に隠れてください」
「頼りにしてるよ」
「お任せください!」
生き生きと応じるHAL。それもそうだろう。HALのプログラムは長谷川松次郎を守るということなのだから。
HALを先頭に扉を開けて入ろうとして、不可能を悟った。衝撃で歪んでいた。やむを得ずバールを使う。肉体労働より頭脳労働中心だった松次郎にはつらい仕事だ。バールを隙間にねじ込み力を込めるもびくともしない。HALにやらせると片手間にこじ開けた。
「すごい馬力だ。もしかしてバール要らなかったんじゃないか」
「はい。HALの馬力ならば可能です」
どこか得意げにHALはそういうと、図書館エントランスに一歩を踏み入れた。
廃墟という言葉が似合う荒廃したがらんどう。図書館は、崩れるとこまで崩れた廃墟と違い、現在進行形で崩れかけている。柱の罅や崩れた壁などが危険性を伝えていた。
――きな臭い。
「崩れそうだ。探索は早めにしないとまずいな。二手に分かれて探さないか? 時間を短縮しよう」
松次郎は敵意を持つ存在と遭遇することよりも建物が倒壊する危険性を重視した。松次郎に建築学はわからない。建物がどれだけ持ってくれるかなど知る由もない。だから潰されるという恐怖が優先した。
けれどHALは拒絶を示した。HALにとって最優先事項は松次郎の命。万が一死亡したらと考えただけでマイクロ真空管がショートしそうである。無骨な散弾銃のグリップをぽんぽんと叩いて見せる。
「松次郎様を危険にさらすわけにはいきません。私が先行して安全を確かめますので後からついてきてください。最善の策は私一人で探索しますから、待っていてください」
「そうはいかないだろう。君だけ行かせるのは心苦しい。現状、君だけが俺の仲間なんだから」
「承知いたしました。それでは、私の体を盾にしてください」
松次郎は彼女の横に並ぶと蒸気式機関銃を構える。今HALを失えば大幅な戦力ダウンというのもあるが、何より女性を最前線に立たせるのは趣味ではない。HALはロボットと頭で理解しても目前とすると女性を意識してしまう。仮にHALが男性型でも同じだったりするのだが。要するに松次郎はHALが人の形をしていることで人間を意識している。
松次郎は、恐ろしかった。化け物が潜んでいるともしれぬ廃墟に潜るのが。同時に好奇心を抑えきれずにいた。
そんな松次郎は図書館のエントランス受付で固まってしまう。
腐敗した人の死体が山積みになっていたから。
口を押え、後ずさる。
「うっ………!?」
受付台の手前とこちら側の境界線さえ見えなくなる量の無数の屍が山となっている。首のない死体。痩せ細った死体。血の気の抜けた白っぽい死体もあれば、緑色に変色した死体もある。こんがり焼けた炭もある。すぐ横には切断された手や指がある。腕輪や指輪を奪うためだろうか。
松次郎は現実が信じられんと言わんばかりに数歩後退すると、噎せ返った。胃酸だ。嘔吐だ。
「いけません。松次郎様。見てはいけません」
「う、うう………」
「心の傷になります。目を逸らしてください」
HALが死体との間に割り込んだ。松次郎の視界を隠す。
HALの偵察は主に遠くからだった。近距離からの撮影はなくいわば自分とは関係ないと思い込ませる要素が含まれていた。だが、己の目で見る現実は果てしなく現実であり、人が大勢死んだという事実があった。松次郎は医大を卒業したわけではない。人の死体というものを見慣れないごく普通の市民だ。
いっそ胃の中をぶちまければ楽になるかもしれないが、プライドが邪魔をした。
松次郎はぐっと嘔吐感を堪えのろのろと腰を上げた。
そして、死体を直視する。死体、死体、死体、死体。死体だらけ。吐き気は相変わらず胃袋を責め立てている。それでも目は逸らさない。一歩間違えば自分もこうだったと教訓に刻んで。
人が死んだのだ。大勢死んだのだ。物言わぬ骨と皮だけの骸骨を凝視する。
信じられないが、信じるしかない。
―――もしかすると、二人もそうなってるかもしれない。妹と親友の顔が脳裏に浮かぶ。心臓がくすぐったくなる。今すぐ掻き毟りたい。これは、そう、不安だ。思い出す。かつて妹が車に撥ねられたと警察から連絡が入ったとき。たまらなく不安になった。生きているだろうか。生きていて欲しい。だから足は止められない。
松次郎は口元までせり上がってきていた酸っぱい液を飲み込むと、銃をぎゅっと握った。
「ああ、大丈夫だ。俺はこんな―――」
――チュン。松次郎の頬を何かが掠めた。横一文字に傷痕が引かれると血液が滴った。
それは壁に突き刺さっていた。小さい安定翼。尖った先端。ボウガンの矢。
「松次郎様!!」
HALが松次郎に飛びかかると地面に押し倒す。刹那、放物線を描いてやってきた手榴弾が炸裂した。破片と衝撃を最後に松次郎の意識が消失した。
暗転。
目を覚ますと、椅子に座っていた。ただの椅子ではないことを後に知る。
「ウーン…………ここは?」
頭痛が酷い。まるで、頭の中に釘をねじ込まれたように。
松次郎は己がなぜ椅子に座っているのかという理由を探ろうとして目を開いた。コンクリート造りの一室。ぼんやり霧のかかった思考を振り払うように首を振って瞼を持ち上げる。ギリギリと金具が鳴った。さしずめ特別製。
「これは………? 捕まった?」
畜生。迂闊だったと己を呪う。
木製の椅子に金具を追加した拘束具に座らされている。暴れてみたが金具が鳴るだけ腕が痛くなるだけ。HALなら強引に破壊できたろうにと考えたところで、気が付いた。
HALがいない。HALに庇われたことだけは覚えているが、それから先の記憶がない。気絶している間にHALはどこへ行ったのか。不安になり部屋を見回していると丁度壁際に何かがあるのを発見する。
蛇腹関節。ドーム型の頭部。マニュピレータの形状は人間のそれではなく鋏を彷彿とさせる。丸を縦に引き延ばしたような楕円形の胴体。最近流行りの人に酷似したタイプではなく、より機械的なアンドロイドであった。色合いはネイビーグリーン。軍事用らしい。
機能が死んでいると思いきや生きていた。ドームの中でカメラが蠢いている。
松次郎は気が気でなかった。ロボットの胴体には固定式銃器がちらついていたからである。もし軍事用とすればマニュピレータにも銃がある。
軍事用ロボットはロボット三原則がオミットされており独自の原則で動いている。無論人を殺すこともできる。松次郎を殺すなどロボットにとって他愛もないこと。
ところがロボットは動かない。カメラでじっと観察するだけで発砲しない。
「おい、そこのロボット。ここはどこだ」
がらになく荒い口調で詰問する。立場はロボットの方が上であるが。ロボットは看守。松次郎は収監者。
「答える義務はない」
ぴしゃり。ロボットのスピーカーからそのような拒絶の言葉。
「俺と一緒だったロボットはどこだ」
「答える義務はない」
ロボットは渋い男性の声で唸るだけで話をしようともせず跳ね除けた。
身動きの取れぬ松次郎は心臓が不安に高鳴るのを知り深く息を吸い込んだ。焦ってはいけない。ロボットが発砲してこないということは生かす価値があると見定められたからだ。もし殺すつもりならとっくにやっている。まだ俺には価値がある。交渉の余地はある。そう方針を決めると耳を澄ました。
誰かがやってくる。緊張に肢体が震えた。
扉が開いた。
「こんにちは。と言っても時間帯は朝だけどね。松次郎だっけ? 我がアジトへようこそ」
姿を現したのは女だった。