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ルニタニアオンライン イオン編  作者: るるゐゑ
グリーゼの街
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8.シェリル

 アレスの部屋を出たシェリルは、廊下をカウンターのある玄関ホールと反対方向の奥に進んで、自分の部屋まで戻った。部屋に入って執務用の机の椅子に座ると、白い磁器の水差しから少しだけグラスに注いだ。中で揺れる水面が光に透かして見えるほど薄い磁器の水差しは、いつまでも中の液体を冷たいままに留める魔法のアイテムだった。

 一口だけ口にして、椅子の手すりを撫でる。この椅子は《プレイヤー》の職人の手による物で、高さを自由に調整出来る仕掛けの金属部品が上手く木製の座に埋め込まれて隠されている。最初にこの仕掛けに気が付いたとき、彼女はとても感心して驚いた。椅子は装飾のないシンプルなデザインと機能的な構造を気に入られて、彼女のお気に入りの家具のひとつになった。

 彼女はそのお気に入りの椅子に身体を完全に預けると、途中で退席してしまったアレス達との会話について考え始めた。


 会話の途中で席をたった事を急に申し訳なく思う。あの少女を驚かせてしまったかしら?――イオンという名のグレイエルフ。驚かされたのは私の方だ。グレイエルフの少女、少女がグレイエルフなんて、そんなことが有るのだろうか?ドラゴン達がこの世界を創り、最初に精霊界から呼び込まれて『受肉』したのがグレイエルフ、別名『上古エルフ』だ。創世神話の時代の種族、全てのエルフ達の祖先。グレイエルフから産まれた者が世界で『最初に産まれた者』ハイエルフと呼ばれるようになった。グレイエルフ達が今も世界の何処かで生きていて、自身と同じグレイエルフの子を成す事があるのか。小柄な種族だと聞いているが、今日出会った黒髪の少女は本当に若いエルフのようだった。それに来たばかりだと。彼女は『ノースさん』と呼ぶ者によって世界に送り込まれたと云っていた。『ノース』というのが『北風のノース』であるなら、それは……


 それにテス、あのウッドエルフの若者は《ギルド》で働くようになって以来の付き合いがある。『北風のノース』にカボチャを賜ったと云っていた。あれは何かの冗談か符号のようなものだろうか。アレスも何か知っている。アレスは真剣だった。自分以外のあの場にいた者達同士では話が通じていたようだ。何故だろう?私には何かがわからない。


 《ギルド》で働くようになって数ヶ月、彼らのような者達から何度もの話を聞いた。今日のように具体的に矛盾を見つけた事はなかったが、いつも何かが心の何処かに引っ掛かった。シェリルはなるべく正確に今日の会話を思い出そうと眼をとじた。……ガイドエーアイが……後の世界を……アレスの言葉だ。彼は何の後の世界と云ったのか?私はその言葉を聞いた。けれどそれは意識に上がってこない。忘れている訳ではない、私には認識できない何か。声、アレスの声を思い出せ。意味は考えるな…口の動き…形…音として思い出せ…ろ ぐ い ん、彼は『ろぐいん』と云ったのではないか?


「ろぐいん」


 シェリルは恐る恐るその言葉を口にした。これだ、確かに彼はそう云った。何故かこの言葉を記憶できなかった。彼女は慌てて机の上の紙片にこの言葉を書き留めた。紙片を手にとって見つめ、口のなかで何度もその言葉を繰り返した。


 このとき彼女の意識の上に現れることのない深層で小さな戦いが起こり、終わった。

 『シェリル』を構成する無数のプログラム達のひとつが『シェリル』に入力された情報のなかに『封印』対象を見付ける。プログラムは表層の人格の意識に干渉してその対象から彼女の注意を逸らした。人格はすぐに別の方法を探り始める。記憶の中の音と映像から、失われた情報を再構成しようとし始めた。プログラムはプログラム自身を含む『シェリル』の内部に再構成されつつある情報を『封印』するために人格に対し、自身の記憶から注意を逸らすよう操作を行うが、人格はこの音声情報を認識しなくなる前に外部から自分の声で音声を新しく記憶域に書き込んでいた。この記憶は新しい断片として認識されたが、彼女自身の声であり内部記憶の反芻であるために『封印』対象との関連性がプログラムによって検証されることがなく、見逃された。幾つかの視覚の記憶と音声の記憶から彼女の自身の音声として合成され、新しく記憶される情報が結合し、再度『封印』対象が再構築されそうになるとプログラムは『封印』対象を作り出す彼女の人格自身を、彼女の意識の外に押しやろうと動きだした。


 この行動は上位の優先度を持つ保護プログラムによって阻まれる。自分自身を認識しない自我という矛盾は『シェリルという自我』を制御、維持する為に起きてはならない事だった。プログラムは上位の保護プログラムによって危険と判断され機能を凍結された。この凍結処分は暫定的なもので、次の機能保全プログラムによる総合点検までとされたが、ここでまた別の系統のプログラムの介入があった。それは『シェリル』の外部にあり上位の指示系統にあるAIで『シェリル』の全てのプログラムはその指揮下にあった。『グリーゼ統括管理AI』が凍結処分を最上位の指令で無期限としたのだ。


 刹那の時間に戦いがあって、勝利して、助けられた事をシェリルは知ることができない。全ては彼女の自己の深層と認識不可能領域の出来事だった。彼女が勝ち取ったのは『ログイン』という言葉。


『ログイン』


 もう一度魔法の言葉のように呟く。


 自分の何処かで何かが変わった。彼女はもう一度アレス達との会話の記憶を思い出そうとした。ガイドAI……システム……他の街……『仮想現実』……聞いたことがあっても今初めて意識上に登る言葉達。認識は出来ても意味はまだわからない。ただ『他の街』とは?街とは彼女にとって『グリーゼの街』の事だった。もしもグリーゼの他に人の住む場所があるのなら、アレス達はそこからやって来たのか?そういえばアレスやテス、ほかの大勢の者達は突然この街にやって来た。何故、どうやって彼等は来たんだろう?今までそれに疑問を感じなかったのは何故だろう?


 ノックの音に思考を中断されてドアに眼を向ける。ドアの向こうからアレスの声がした。


『ログイン』


 魔法の言葉をもう一度呟く。彼女はドアを開けるために立ち上がった。

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