64.箱
元スラムの住人達の身の振り方も、新しい住居の手配もどうやら無事に片付いた。昨日はシェリルと一緒に教会まで出掛けて、司祭と彼等について話し合った。教会の照明の付け替え作業の求人と《付与魔法》の使い手に限定されるが、完成後の照明器具のメンテナンス要員の斡旋を任せてもらえた。戦えない《プレイヤー》達には貴重な仕事だろう。少しずつでも戦えるようになってくれれば、また違う生き方もあるはずだが。
いや、街のなかで生きていけるなら、それがいいのかも知れない。
そんな事を考えながら、アレスは執務用の机に座っていた。山と積まれた書類の束に一度伸ばした手を引っ込める。
デスクワークは好きじゃない。明日か明後日には、街から一番近い巨石郡の再調査に出ていたチャカやヤラッサ達が帰ってくる。秘密裏に動いているため、彼等には無理をさせてしまっている。その報告と取りまとめで忙しくなる前に、机の上の煩わしい紙切れは少しでも片付けてしまいたいが。
彼等が帰ったら飲みに行こう。シェリルになんとか小遣いの無心を……たまには彼女も一緒にどうだろう?
そう考えながら伸ばした手は、やはり書類の束から逸れた。束と同じような、別に置かれている木製の薄い箱の中身に伸びる。この箱はシェリルや他の《NPC》達が扱いに困るような依頼が、ほかのものと分けて置かれる事になっている。アレスの楽しみの一つだった。
よくあるのは『彼女募集』、これはシェリルや受付の職員を名指しで指名しているものも多い。他には『サンタクロースを探して欲しい』だとか《プレイヤー》の名前を指名して『○○の被ってるヘルメットが欲しい、中身入りで』なんていうブラックなのもあった。『UFOの捜索依頼』なんかは、笑い飛ばしてほうっておく。『紫地に緑の水玉のパンが食べたい』とか『足が三本ある緑色の大男捜索』などは保留だ。万が一にもこの世界のどこかに存在したら、笑いながら突きつけてやる為だ。そのうちこの世界にも、エイプリルフールの習慣が興るかも知れない。
こういった依頼は偽名の物が多い。(職員がカウンターで依頼主の本名も控えている。頭の上に名前が書いてある世界で、偽名に何の意味があるのか。)ある意味、本名の依頼の方が厄介だ。依頼主が本気かも知れないからだ。
今日の箱の中身は、依頼の書類のが二件分だけだった。最初のヤツの依頼主は『鹿』で、支払いが『おいしい葉っぱの木の場所』だ。そう云えばサンタクロース関連の依頼は『トナカイ』からの依頼が多かった。鹿君の相談事は『世界の平和』か、昨日教会で鹿がお祈りに来ることが有るか聞いてみたらよかったな。記事欄には『最後のドラゴンティアーの捜索』……ドラゴンティアー!
備考欄に有るのはテスの名前だった。わざわざ《ギルド》のカウンターまで、小鹿を連れて来てやらかしたらしい。冗談にドラゴンティアーを使うのは流石に不味い。ここのところ、忙しくて無理をさせてしまっていたが、昼間から酔っていたのか?とにかく会って一言云わなきゃならない。
アレスは立ち上がって簡単に身支度を整えると、部屋を出ていった。無人になった部屋の開いたままの窓から虫が一匹飛んでいった。虫が出ていったあとは、部屋の中にはもう動くものは何もない。
しばらくしてコーヒーの盆を持ったシェリルが部屋を訪ねる。ノックに返事が無いことを半分予想していたのか、すぐにドアを開けて部屋に入ってくる。部屋を見回してあらためてアレスが居ないことを確認すると、ため息をついて机に座る。しばらく頬杖をついて組んだ足を揺らしていたが、もう一度ため息をつくと山の上からの書類を手にとる。敵を見るような眼で書類とにらみ合ってから、ペンをとってインク壺に浸した。結局コーヒーも彼女が自分で飲んだ。
アレスがマジューレの店に入ると、カウンターの奥で店番をしていたのは鹿だった。――鹿だ。鹿になんて声をかけたら良いんだ?
鹿はアレスをみとめると、ペコリと頭を下げて奥の作業場に入っていく。少しして、鹿に呼ばれたらしいマジューレの顔が戸口に現れた。
「アレスじゃないか、早いな。」
「ああ、お早う親方。テスはいるかい?」
「今買い物に出てる。ゲルダも一緒だぜ。」
「イオンちゃんは一緒じゃないのか?」
「イオンは朝から教会だよ。照明の付け替えの件だ。」
そういえば教会の照明の件は、彼女の細工が発端だった。アレスは思い出しながら鹿を眺めた。マジューレの影から顔を出して、小鹿はまっすぐにアレスの眼を見ている。
――どうも妙だな。まさか本当に《プレイヤー》なのか?
「その鹿、本当に《プレイヤー》なのか?」
「そうだよ。」
声はアレスの後ろからした。
「やあアレス。今日もこっちから出向こうと思ってたんだけど、来てくれて助かったよ。そいつを連れて歩くのは恥ずかしいんだ。」
ちょうど買い物から帰ってきたテスとゲルダがアレスの後ろに立っていた。そして鹿を顎で指して笑うテスの後ろに、もう一人大柄な人物が立っている。
「やあ、お早うギルドマスターさん。ちょっと相談事が有ってね。ドラゴンティアーとこの世界の平和について、良いかな?」
「グリーゼ統括管理AIのブラウンさんよ。」
アレスは、ゲルダの云った言葉が理解出来なかった。ゲルダとブラウンが微笑んだ。




