5.冒険者ギルド
イオンはメインメニューからマップを選んで表示すると、視界の端に移動させた。表された俯瞰図の上に凝った装飾の字体で『グリーゼの街』と書かれていて、自分達の位置は丁度街の中心地に近く、北に向かって移動しているようだった。
大通りは平らな石を敷き詰められて舗装され、舗装のない脇道も幾らか広めに幅を取られいるのは大型種族の住人の為かも知れない。
石と漆喰の建物が多く、異国風の街並みは美しかった。ときどき混ざる縮尺のおかしく見える建物も大型種族用の住居かもしれない。四方のうち通りに面した方に壁がなく、一枚の巨大な扉が面一杯に嵌め込まれ、磨かれた鍋底のようなドアノブが中程の高さにあるのを見た。
行き交う人々には人間属が多い。獣人や亜人も見掛けるが鳥人は見かけなかった。『安全第一』と書かれた黄色いヘルメットをかぶった『ゴブリンマイナー』が三匹、通りを横切って掛けていく。彼らはモンスターではないらしい。ほとんどが《NPC》達で《プレイヤー》達もまばらに見かけた。《NPC》と《プレイヤー》の人間、二人連れとすれ違うとき、彼らが武器《スキル》について雑談を交わしているのが耳に入る。身振りを交えて大声で語る《NPC》にはやっぱり少し違和感を感じた。
「なんで《NPC》ってわかるのかしら?」
イオンはテスの顔を見上げて話し掛けた。聞きたいことは沢山ある。
自分の横を歩くエルフの青年は、なんとなく『現実』では幾つか年下のように感じられた。くせのある髪が無造作に後ろに撫で付けられて流れる金髪、大きめの眼と少し尖った顎、顔の造形に線の細さと野性味が同居して不思議な印象を覚えた。薄く日に焼けた細い腕に、思いのほか鍛え上げられた筋肉の張りがある。キャラクター制作のときに見たウッドエルフという種族だろう。この自分の隣を歩く青年も、すれ違う他の《プレイヤー》達もみんな驚くほど美形で、イオンは自分のキャラクター制作のときのはしゃぎっぷりを思い出して、内心恥ずかしかった。
店を出てから口数が少なくなった彼は、話したい事があってきっかけを待っているように思える。何度か自分の顔を見て何かを云いかけて考え込んでいた。今も考え事をしていたようで、口を開くまでに僅かに質問の意味を確かめる時間があった。
「なんでだろうなー? 表示上はなにも違わないし。」
「《スキル》って言葉も普通に使ってたよね。」
「《NPC》も《スキル》を八個持ってるよ。俺は《識別》って《スキル》があるから人のステータスが見える。」
「前歩いてるオバチャンなんか《剣術》とか高いな、《料理》より。」
「強盗《プレイヤー》対策かしら?」
「ほとんどの《NPC》は安全地帯から出ないんじゃないかな? そういえば、さっき話した戦闘エリアの《NPC》達はほとんど殺されてるよ。」
「うわ……」
「中には《スキル》上げ用のサンドバッグに生かされてるのもいるぜ。」
「人間って怖いわ。」
「割り切り方なんだろうな。あの変な感じの違和感もあるし、変な『クエスト』の《NPC》とかなら面倒な事になる。自分の住んでる周りにはいて欲しくない、ってのはわかる気もする。」
「でも俺達の生活は、彼らがいないとやってけない。」
この街は大きい。ゲームのスタート地点として必要最低限の施設があるだけではない。きっと《NPC》達は皆住む家を持ち、働く場所があって友人宅を訪ねたり、余暇を過ごす場所がある。《プレイヤー》達も街の中にそれぞれの場所を見付けて生活しているのか。すれ違う人たちを眺めてイオンは思った。
「海エルフを選ばなくてよかったわ。」
「そんな種族があるの?」
「水中種族。海の中に専用の都市が有るけど《プレイヤー》は三人だけだって云ってた。」
「……!いろいろ大発見なんだけど。『ギルド』についたら知り合いにその話をしてくれない?」
「いいけど、知ってるのは今喋ったことだけよ。」
「チュートリアルのガイドAIから聴いたの?あいつもバージョンアップしてるのかな。」
「バージョンアップ?」
「最初は《NPC》達も今みたいな感じでなくて、なんつーかもっと人形見たい? 必要な事だけ喋るだけだったんだけど。だんだん人間の真似が上手くなってきたみたい。」
「ちょっとわざとらしいよね? モノマネ。」
「ちょっとな。」
会話が途切れてしばらく無言が続いた。季節がこの世界にあるのなら今はたぶん春。風は心地よく、日は暖かい。遠く景色の山が空気の密度差で微妙に歪んで見えるのはエルフの視力かヘッドギアのせいなのか、イオンには判断できなかった。
どっちにしろこの世界の精密さ、再現度の高さには驚かされる。自分と遠くの山の距離も、その間にある空気や光までシミュレートされているとしたら。もしも砂を一握り手のひらに取って広げれば、きっと全ての砂粒は違う形で違うテクスチャが張られている。そんな気がする。
そんな精密で完璧な『仮装現実』も、それを可能にするような技術もイオンは知らないし信じられない。この世界は異常だ。けれどこの街は美しく、見慣れない建物や住人達を眺めながらテスと歩くのは少し楽しい。
「そういえば《ギルド》だけど。」
今度はテスの方から話を切り出した。
「よくわかんないけど、依頼とか『クエスト』を受ける場所よね?」
「……まあそうだね。だけど俺たち《プレイヤー》で創った組織なんだ。今は《NPC》の職員もいて、責任者もいるけど。大雑把にいうと、街の中の依頼や仕事の斡旋なんかを仕切ってるのは《NPC》の方かな。シェリルってハイエルフの女の人さ。」
「ゲームのシステムにはそういうの無いんだ?」
「『ギルドシステム』どころか『パーティーシステム』も無いんだよ、この世界。」
「《スキル制》だからかしら? 経験値とか無いみたいだし。」
「さあ、どうだろう?……んで《プレイヤー》の方の責任者がアレスって男だけど、街の外の探索やらモンスターがらみの依頼……その他荒事の他に、この世界を探索する『開拓団』なんてのも組織してる。最初はそのアレスと仲間たちで集まって《ギルド》を立ち上げたんだけど、デスクワークの職員募集に《NPC》も応募してきてね、今は職員の半分は《NPC》だね。」
「すごく大きな組織なんじゃない?」
「俺の知ってる限り《プレイヤー》は全員入ってるよ。PK達以外はね。」
街の北の端まで伸びる大通りは街と外の境界線になる大門まで通じ、そのまま北門と呼ばれるこの門の外はいわゆる『初心者用狩場』で、なだらかな丘陵地帯と草原が続いている。大通りの末端は門の前で幅を広くとり、周囲の未舗装の空き地と合わせて『北門前広場』と呼ばれていた。《冒険者ギルド》はその広場に面して建てられた建造物で、周囲にある建物より頭ひとつ高く、大きく構えた入り口には扉がない。周囲の建物を買い取って無理矢理に継ぎ接ぎして拡張された建造物は全体でデザインの統一性を失って、異様な風体をさらしていた。そして戸口の上にかけられた看板には微妙に下手な文字の日本語で『冒険者ギルド組合』と彫りこまれ、グリーゼの美しい街並みにあって力一杯、全力で、違和感を醸し出していた。
「ってゆーか《ギルド》と組合って同じ意味じゃん。」
この建物の設計者はこの街に喧嘩売ってるのかとイオンは思った。
「まぁ《ギルド》設立まで急ピッチだったしね。」
テスが笑った。
建物に入って正面の受付カウンターと、並んで順番を待つ人々の横を通り過ぎて奥に進むテス。てっきり列に並ぶと思っていたイオンが慌ててついていく。
「アレスさんとシェリルさん? って忙しいんじゃないの。」
「まっとうに受付通すと事務員の誰かの対応になるだろうけど、事務員は半分くらい《NPC》だからね、シェリルもそうだし。アレスに直接話をしてほしい。チュートリアルの話や『現実』の話を《NPC》にするのは面倒なんだ。あとアレスもシェリルも今日『特別な用事』があって奥にいるはずだ。」
テスが楽しそうに笑う。イオンがまた質問をするとその表情は少し曇った。
「この街、突然人口が《プレイヤー》のぶんだけ増えたんでしょ? 《NPC》達はどんな風に考えてるのかしら?」
「……たぶん、思い付かないように『作られてる。』」
「作られてるって? 運営とかゲームマスターがいるてこと?」
「なんて呼べばいいのか、どこにいるのか。わからないけど、誰かが作ったからこの世界はあるんだろうね。……この部屋だ。続きはあとで話すよ。」
イオンは思った。訊きたいことは沢山ある。テスにも答えられない事もあるだろう。でも今ひとつだけ訊いておかなければならない。
「ねえテス、まだなんで《ギルド》に来たのか聞いてない。」
「あ……」
テスは何か説明しようと口を開こうとしたが、前に立ち止まった部屋の中から漏れる声に気がついてドアに眼を向けた。テスがドアをノックして中からの応答を待たずに開ける。テスの影から生活感のある私室のような部屋がイオンには見えた。その部屋のほぼ中央に腕を組んで女性が立っている。女性が振り向いてこっちを見た。女性の面前の床に正座している黒髪の男性も女性の視線を追って振り向き、イオンと目があった。頭の上の名前はシェリルとアレスとある。
「やあアレス、シェリルも。」
テスは笑っていた。確信犯の笑みだとイオンは思った。