明かされる真実
◇四月十五日正午◇
結局、昨日俺は保健室で一時間近く頭を冷やすために居座った。教室に戻るとクラスの連中は俺を見てどよめく、その理由は一目で分かる。顔全体に無数の痣と絆創膏が目立ち、絆創膏越しから滲んだ血が赤い斑点を作っていた。
駆け寄って俺を心配する声を聞き、再び俺の心は刺激されるが、平静を保ったまま微笑みで応対する。
得に心配そうな表情をしていたのはネルとハルカ、勿論詳しい事情を詰問されるが俺は話を流すように
「ルビー・ジョーにとって俺は目障りらしいわ」
ただそれだけを笑いながら応えて話をうやむやにした。
当然、俺とネル、別室でルビー・ジョーも職員に呼び出された。適当に説明を済ませ昨日は帰ってそのままベッドで眠った。
そんなちょっとしたいざこざがあったが俺は日付が変わるといつも通りの自分でいつも通りにクラスの友人と接する。
昼休み、俺はいつものように購買へ昼食を買いに行こうと席を立つと不意にハルカが俺を呼び止める。
「あ、待ってキョウ。お弁当作ったから良かったら食べてくれない?」
ハルカの心暖まる申し出、無論跳び上がるほど嬉しい、しかし同時に昨日のできごとを俺はフラッシュバックさせる。
彼女の気遣いは間違いなく、哀れみの同情ではない、純粋な優しさからくるものだと痛烈に解る。
だが、だからこそ昨日ネルに対して抱いた感情が再び込み上げてくる。俺にとってはこの優しさは残酷だった。
「ありがとう、そんじゃお言葉に甘えて頂くよ」
俺はまた嘘を重ねた。
とは言え、ハルカのくれたお弁当は半端ではないくらい美味しかった。
「うま、これハルカの手作り?」
俺の感想と質問を聞いてハルカは満足そうな表情に笑顔を加えた素敵な笑みを浮かべて
「うん、美味しいでしょ」
ピースサインを片手に彼女は応える。全くもって才色兼備とはこのことだ、ハルカに苦手なことはあるのだろうかと疑問に思ってしまう。
「できれば毎日食べたいもんだ」
俺は素直にハルカの手作り弁当を誉めた。
「じゃあ、毎日持ってきてあげる」
俺は驚く、冗談半分で言ったつもりだったのだが、まさか本当に作ってくれることになるとは思わなかった。
「え、ホントにいいの?」
思わず、聞き返してしまう俺。
「うん、お料理を作る側からしたら誰かに食べて貰えるほうが嬉しいしね」
彼女は少しだけ照れたようで恥ずかしそうに応えた。昨日、厄日だった分今日の運気は好調らしい。
俺は悪いことが起これば良いことも起きるというのは全くもって事実だと実感した。
楽しい午後のランチタイムを終え、再びおっくうな授業が開始され、性懲りもなく間抜け面を引っ提げてトド達は教室の出入りを繰り返し午後四時四十分、終業前のHRまでが滞りなく終了し、ようやく下校時刻となった。
俺は教材が詰まって重みを増した鞄に手を掛けハルカに声を掛ける。
「迎えの車はもう来てるの?」
ハルカは少しだけ思い悩んだような表情で俺の顔を上目遣いで覗き込んでくる。何故だろう? 彼女は何かもじもじしているようでなかなか応えない。
「どうかしたの?」
俺は彼女が体調でも崩したのだろうかと思い聞きなおす。
「キョウはこの後予定何かある?」
ハルカは俺の質問に応えず、俺の予定を尋ねてきた。理由は分からないが彼女は俺が暇人かどうか気になるようだ。
「別段これといって予定は無いけど?」
俺が応えると彼女は少しだけ表情を緩め、小さな声で応えた。
「実は、その、ちょっと行きたい場所があって、迎えは断ったの。それでもし良かったらキョウに付き合って欲しいんだけどいいかな?」
無論暇人である俺が断る理由は皆無、むしろ例え何か予定があったとしてもハルカの頼みならば俺は間違いなく全ての予定を土壇場キャンセルするだろう。だって学校以外の場所に二人きりで出掛けるんですよ、どっちが素敵なことかは秤に掛けるまでもないでしょう。
「うん、構わないよ。でも、ハルカは狙われてるんだから人気の無い場所に行くのは駄目だぞ」
俺が懸念する唯一の不安事項だけはしっかりと彼女に伝える、以前彼女が襲われたいずれの事件も俺達が二人きりの状況下だった。故に、今回も襲われる可能性はどうしても心配してしまう。街中ならば相手もそう簡単にことを起こすことはないだろう、しかし人気のない場所ではその危険性は一気に跳ね上がる。
彼女の身が心配だし、警護役でもある以上そのような危険な状況下に彼女の身が置かれることだけは認められない。
「うん、大丈夫。普通に街中だから。それに、もし襲われてもキョウが守ってくれるしね」
ハルカははにかんだ可愛らしい表情で応えた。
そんなに、俺の力を期待されても困りはするが、彼女に頼って貰えることは嬉しい。
俺達は鞄を片手に、靴を履き替えて校門を出た。日は少し傾き始め、空もほんのりではあるが朱色に染まっている、二人揃って初めて出会った坂道をとぼとぼ歩いて行く。
いつもの俺はかなり歩調が速いが、今はハルカに合わせてゆったりと車道側を歩いていた。
「そういえば、街まで出るんだったら迎えの車で寄ってもらったら良かったんじゃないの?」
俺はふと疑問に思いハルカに尋ねる。なんでだろう、彼女は俺の問いに呆れたと言った表情をし、溜息まで吐いた。
あれ、俺なんか失礼なこと言ったかな?
「わかってないなぁ」
ハルカは不満そうに応えると少しぷりぷりしている。彼女の歩調が僅かにスピードを増したので俺は慌てて歩く速度を上げ彼女の隣に駆け寄る。
「あれ、なんか気に障ること言った?」
参った、俺はこんな風に異性のご機嫌を損ねた際どのように対処すればいいのか分からない。それに必要な知識も経験も致命的なほど欠けている。
「バカ」
彼女は小さくそう呟くとすたすた目的地に進んでいった。
結局、ハルカの機嫌は目的の場所に到着する直前まで直らなかった、俺はあの手この手で脳をフル回転させ気の効いた台詞を必至に搾り出そうと努力するもその健闘はことごとく彼女のそっけない一言で次々撃沈して行った。
目的地である時計店の前まで来て、ようやく彼女に小粋なジョークで笑いを引き出すことは何とかできたが、女の子というのは良く分からんとつくづく実感させられた。
「寄りたい所ってここ?」
俺はハルカに尋ねる。
「うん、大切な時計の調子がちょっと悪くて診て貰おうと思って」
機嫌の整ったハルカは俺に微笑んでそう応え、店の中に入って行き、俺も彼女に続いて硝子張りの扉を潜る。
店の佇まいは古くからある老舗と言った雰囲気で、ショーウィンドにはアンティーク潮の物や可愛らしい物、風格のある物、豪奢な装飾の施された物など様々な時計が並べられている。
店内は少しだけ薄暗かった。至る所に時計の部品らしき円盤や針、歯車が並べられ、棚や壁にもこれまた沢山の時計が飾られている。
「すみません。時計をちょっと診て頂きたいんですけど」
ハルカは店主と見受けられる眼鏡を掛けた初老の店員に話し掛け、制服の内ポケットから金色の懐中時計を取り出す。俺は懐中時計などあまり見たことがなかったため物珍しそうにそれを眺め問い掛ける。
「懐中時計なんて珍しいものを持ち歩いているんだ」
ハルカは店主に時計を手渡し、店主は店の奥に吸い込まれるように入って居なくなった。
「うん、お母さんの形見なの」
彼女は微笑みながらそう応えてくれた。知らなかった。ハルカの母親が既に他界していることを、だから思わず謝ってしまう。
「ごめん、無神経なこと聞いちゃって」
彼女は左右に首を振りながら微笑む。
「気にしないで、お母さんが亡くなったのは私が幼い時だし、もうとっくに気持ちの整理は附いてるよ」
俺はハルカの言葉は本心だろうと思った。彼女の瞳に哀愁の色はない。
俺は彼女の母親がどんな人だったのかが気になった。普段他人の家族などに興味を惹かれることなどない。しかし、何故かこの時だけは聴きたいという欲求に駆られた。
「もし良かったらどんなお母さんだったか聞かせてくれない?」
彼女は笑顔で首肯し、話し始める。
「お母さんはすごく優しい人だったよ。朗らかで暖かい雰囲気で、私はすごいお母さん子でいつも甘えてた。お料理も上手だったし、ものすごく賢い人だった。お父さんと知り合う前までは当時の大企業に勤めるバリバリのキャリアウーマンだったんだって。でも私が小学校に上がるちょっと前に突然亡くなったの。その原因は良く分かってないんだ。あの時計はお母さんが大切にしていた物でお父さんは私に持ってなさいって渡してくれた物なの」
俺は彼女の話を黙って聞いていた。
「お待たせしました」
ちょうど、ハルカが話し終えた後に店の奥から再び店主が現れた。
「螺旋が古くなっているみたいなので取り替える必要がありますね」
店主は時計の故障した原因を懇切丁寧に説明し、ハルカに修理するかどうかの同意を求める。ハルカは「お願いします」と店主に返事をして同意した。
「では部品の取替え修理いたしますので、本日こちらでお預かりしますので明日取り来て頂けますか?」
「分かりました」
ハルカは大切にしている形見の懐中時計を店に預けて、俺達は店を後にした。
俺達は店を出た後にハルカの迎えが来るまで喫茶店で待つことにした。俺はブラックのホット、ハルカはロイヤルミルクティーをそれぞれ注文し、野外に設けられたテラス席に腰を下ろす。丸いステンレス製のテーブルにそれぞれのカップを乗せ、向かい合って座った。
まだ四月の中旬なのでこの時間帯になれば少々肌寒い。時刻は現在六時半を少し過ぎたところ、ハルカの迎えはまだ等分到着しないらしい。
「ねえ、キョウ。キョウはどうして自分の能力を使わないの?」
ハルカは未だ僅かに腫れや傷の残っている俺の顔を覗き込みながら俺が尋ねられるとは思ってもみなかった質問を投げ掛けてきた。
俺は言葉に詰まり、僅かな間を置いて問い返す。
「なんでそんなことを?」
「だって昨日だってキョウは能力を使えばそんなに殴られずに済んだはずだよ。相手は能力を使ってキョウを殴った、それなら力を使うことを躊躇う理由はないよね。パイオニアが能力を使って他者を攻撃すれば命を奪うことだって簡単にできる、下手したらキョウはもっと大怪我していたかもしれなかったんだよ」
俺は頭の中でどう応えるか迷い、考える。
「俺の能力は戦闘には向いてないからどうしようもなかったんだ」
考えた末に出した応えがこれだ、俺は再び嘘を重ねた。
ハルカは俺の瞳をじっと見る。その瞬間、俺は自分のミスに気が付き、咄嗟に視線を外そうとするが、間に合わなかった。
「どうして、うそつくの?」
彼女は俺の目を見て、俺のほんの僅かな動揺を見抜いていた。以前、俺が藤堂元老に対して憤りを感じたことを見抜いた時のように。
「おいおい、人をまるで詐欺師みに言うのは失礼だぞ」
俺は冗談めかして話を逸らせようとする。しかし、彼女は俺の想像を遥かに上回るほど、俺のことを良く見ていたらしい。
「ほら、今もそうやって流そうとしてる。キョウを見てると思うよ、そうやって自分についての質問は笑って逸らせるか、嫌な顔を繕って逸らさせているかのどっちかだよ」
俺は何も言わない、いや言えなかった。まさか自分の行動をここまで分析されているとは思っても見なかった。
しばし、沈黙が場を支配する。
ハルカは黙り込んでしまった俺に言葉を続けた。
「キョウは私と始めて出会った時、言ったよね。その人自身を見ない奴は所詮その程度の人間だって、自分のことを見てくれる人間はきっといるって。それはキョウ自身には当て嵌まらないことなの?」
彼女の声は少しだけ悲しげだった。しかし、俺は何も言い返せない。隣に座る女の子の言葉は俺にとって痛いところばかりを的確に突いていた。自分の発言が矛盾していることは嫌と言うほど実感させられる。
話すしかないのだろうか、自分自身について。
何故俺がこんな考え方しかできないのか、何故俺がそうやって人を避け続けるのかを………
「少し寄って欲しい場所があるけどいいかな?」
沈黙の後に俺は物静かに一言だけ告げ、彼女はそれに一度だけ頷いた。
俺はハルカに迎えを電話で遅らせて貰い、喫茶店を後にした。今、俺達は再び自分達の通う学校の正門前に立っている。まだ建てられて十年しか経っていない比較的新しい校舎が眼前には広がっている。
時刻は午後七時過ぎ、まだ仕事中の職員も残っているようで職員室の電気は点いている。
「この土地は学校ができる前、何があったか知っているか?」
俺は一歩隣に佇むハルカに唐突な質問をした。
「詳しくは知らないけど前は病院があったって聞いたことがある」
俺は唇を少しだけ歪め、鼻先で笑った。
「病院か………まぁ、半分は正解かな」
そう、そこにあった施設は確かに病院であった。しかし、その地下には全く違う別の施設も並存していた。
「ここには病院があった。だがその地下にも別の施設が存在していて、そこにはたくさんの幼い子供が集められていた」
「子供?」
ハルカは語尾に疑問符をつけて呟く。
「そう、子供だ。深層心理に強い欲求を抱かせるために企業に親を、兄弟を殺された子供たちがね」
ハルカは俺の言葉を疑っていた。そんな事実を信じられないのだろう、父親がトップに立つ企業でそのような非道が行われていたなど信じたくはないはずだ。
「………信じられないか?」
彼女は小さく頷いて俺の問いに応える。
俺は正門を潜り、校舎内へと歩み出し、普段通っている中央の教室棟の扉に手を掛ける。どうやらまだ施錠は行われていないようで扉は僅かな力で簡単に開いた。俺は奥に進み靴を履き替えた。ハルカもそれに黙って追随する。
上階に伸びる螺旋階段で俺は脚を止め、彼女に振り向き言葉を紡ぐ。
「今から、それを証明して見せよう。時間に余裕はまだあるか?」
俺の問いに彼女はコクリと一度だけ頷いた。
俺は床に手を当て、撫でるように左から右へと掌をスライドさせる。俺の掌に床の僅かな継ぎ目の感覚が届くと俺はそこ自分の愛刀を突き立てた。
「ちょっと、キョウ何してるの?」
ハルカは俺の行動を見て、慌てて俺を制止させようとするが、俺の動きのほうが速かった。俺は突き立てた刀の柄を握る力を強め、引き抜くように持ち上げる。すると刀は床に刺さったまま一メートル平方の正方形状の板となって抜け外れた。
ハルカは目を見開いて「うそ」と小さく驚きを漏らす。床から外された板状の蓋の下には五立方メートルの空洞が広がるが、中のようすは暗くて確認できない。
「ここが施設の入り口だ」
俺はハルカに告げ、二人は一平方メートルの正方形の穴から暗い漆黒の空洞に飛び降りた。
手探りで壁の何処かにあるコンソールを俺は探す。そしてそれは直ぐに見つかった。
小さな液晶モニターは指が触れた瞬間に光を放ち、暗い空洞の中を僅かに照らす。コンソールにはただ一から九までの数字が表記されている。パスワード、既に凍結されているこの施設に入るためには当然厳重なセキュリティーが施されている。俺は残念ながらパスワードを知らない。恐らくこのセキュリティーを掛けたのは企業だろうという予想しか付かなかった。
「暗証番号? キョウ分かるの?」
ハルカもコンソール画面の数字を見て俺に尋ねた。
「いや、知らない。でも問題ない」
ハルカは俺の応えに疑問を抱いているようすだったが、口で説明するよりも実際にやって見せるほうが手っ取り早いだろうと俺は思い、コンソールに左腕を翳す。するとコンソールには「プロテクトデリート」と表示さられる。これが俺の能力の一部、以前屋上の昇降口の扉をこじ開けたときも同様の方法を用いた。
「え、なんで?」
ハルカは素直に驚きを口にした。
――グウーーーーン
彼女が驚きの声を上げたのとほぼ同時に俺達の立っている床が突然振動する。振動と共に天井は次第に高くなっていく、つまり床が段々地下へと降下していることになる。
そう、この空洞は地下施設へと続くエレベーターであり、入り口でしかない。下降を続けること五分ほどで床は小さな衝撃を脚に伝えると静止した。どうやら目的の場所に到着したらしい。
俺とハルカの眼前には白色の鉄扉が道を塞いでいた。俺は扉に備え付けられているパドル状のノブを握り、力をこめて時計回りに回す。鈍い金属同士が擦れるような不快な音を立てながら一回転、二回転、三回転と回し、四回転目でこれ以上力を込めても回せなくなった。俺はパドルを体に引き寄せるように引っ張り、重たい鉄扉は徐々に開きながら中の光景を覗かせる。
扉が全開まで開け放たれると室内の照明が入り口側から次々点灯し、中の様子を顕にした。
室内の様相を端的に説明するならば『白』。床も、壁も、天井も、全てが白一色で統一された空間である。
俺はゆっくり施設の中へと足を踏み入れていく。
「ここが凍結されたのは七年前だった」
俺は物静かにその施設がどんな物なのか説明し始めた。
「大体二十人くらいの十歳にも満たない子供が集められてパイオニアの研究の被験体にされていたんだ。ハルカはパイオニアがどのようにして生まれるか知っているか?」
俺はハルカに尋ねる。パイオニア、それは人の心の奥深くに存在する本人ですら気付かない欲求、怒り、憎しみ、悲しみなど様々な思いが具体化した力。しかし、それは能力の確定させる要因でしかない。
「授業で習った通りじゃないの?」
彼女は俺の予想と全く同じ答えを返してきた。
「それは、どんな能力になるかを決める要因でしかない。パイオニア自体が生まれる理由は別にある。天使と呼ばれる人間の血液を体内に流されることにより人は変異する。肉体構造的なものでなく概念的な変異、より簡単に言えば進化するとでも言うべきかな」
ハルカは全く理解できないと言った表情だ。無理もない俺もここでの記憶がなければ到底理解できないだろう。俺は施設の奥へと足を運んだ、そして大きなモニターの前で足を止める。モニターは既に稼動して立ち上がっている。この研究所の凍結はエレベーターのプロテクトを消去した時点で解けているようだった。
「記録を見せたほうが速いだろう」
俺はそういってモニターにタッチし施設で行われた全研究のデータベースにアクセスする、無論アクセスの際にパスワードや指紋認証、網膜認証など何十にもロックが掛けられていたがエレベーターの起動時と同様に能力の一部を使い全て排除する。
画面上には無数のレポート記録が表示される。記録にはこの研究所で研究されていた全てが記されていた。天使とは神によって力を与えられた神の代行者であること、パイオニアとはその天使から血液を媒体に神が持つとされる頂上の力を一部移植され、力を発現できるようになった人間であること、パイオニアになり損ねたメシアについてのこと、この研究所に多くの子供が集められたこと、この研究所が当時はまだ存在が公になっていなかった企業連合によって運営されていたこと、そして神という存在についてがそれぞれ事細かに記されていた。
ハルカはそれらの記録にざっと目を通すと両手で口を覆っていた。企業の実態が彼女にとってショッキングなものだったことはその態度を見ただけで明瞭だった。
「俺の家族は父子家庭だった。親父と五つ年上の兄貴、家族三人で大変なこともあったけど普通に何不自由はない生活を送っていたよ」
俺はショックで頭の整理がまだ付いていない彼女に追い討ちを掛けるように自らの過去を話し始めた。
「ちょうど十年前に家族三人、家でテーブルを囲んで夕食を食べている時だ。黒服にサングラスの連中が突然家のドアをぶち破って屋内に雪崩れ込んで来た。そしてなんの予告も威嚇も忠告もなしに親父と兄貴を俺の目の前で射殺した」
ハルカは俺の顔をただ見つめていた、何も言うことなく黙って俺の話を聞く。俺も彼女の姿勢に応え話を続ける。
「俺はこの研究所に一番最初に連れてこられた。そして、名前も知らない爺さんの血液を無理やり輸血された。しかし、当時の俺には何の変化も起きなかった。企業はパイオニアとして覚醒しない俺を観察しつつ、その後も次々世界中から子供たちを拉致し俺と同様に輸血して研究を続けた。そして俺以外で輸血された子供の三分の二はパイオニアとなり能力が覚醒した。残りの三分の一は自分の精神に飲まれて失敗作であるメシアとなった。メシアになった子供は悲惨だったよ、瞳が赤色に染まり、自我を無くして、培養機の中で管理され、モルモットのように毎日俺達以上に酷い実験の被験体として扱われていた」
俺はここまで話し、吐息を一つ吐き休憩を挟んだ。僅かな間沈黙が室内に漂うが、直ぐにまた俺は続きを語るため口を動かす。
「研究が進むに連れ、能力の確定理由も判明され、メシアが自我を崩壊させる代わりにより強い能力を覚醒さ、強靭な肉体に変異させることも次第に判明して行った。俺が施設に収監されてちょうど三年ほど経った頃、企業は突然この施設内に居る全パイオニアとメシア、つまりは被験体の処分を決定した。
研究施設には俺達の実験のデータを基に覚醒を果たした大人のパイオニアが百人近くやって来た。
施設の子供はみんなあっさりと殺されたよ、抵抗しても高々十歳にも満たない俺達がいくら抵抗したところで勝てるはずもなかった。施設に来て仲良くなった友達もみんな殺され死体を焼却されていった。俺はそれをただ黙って怯えて見ていることしかできなかった。俺は施設の中で最も仲の良かったクロムという子供と二人で身を潜めてやり過ごそうと必至に隠れながら外を目指した。だが当然見つかったよ、クロムは俺を助けようと彼の能力で抵抗した。彼の能力は死という概念を操る。今現在でも最強に近い能力の持ち主だった。いくら大人でも彼は能力を使うだけで人を殺せた、それほど強力な能力者のいなかった大人たちでは思考と知識と経験で勝っていても純粋な能力の強さだけを見れば敵うはずがない、クロムは次々大人たちをただ祈るように死ねと念じて殺して行った。研究所から病院の中に入り込み、病院の裏口まで到達して、あと少しで脱出できると言う所でクロムは外を見て少し安心してしまったんだろうな。彼は俺に外だよとはしゃぎながら笑って俺の顔を覗き込んでいたよ。ちょうどその時、彼は病院の屋上から頭部を狙撃されて死んだ。外という希望を見て笑顔を浮かべたまま」
いつの間にか俺の目元からは涙が流れていた。頬を伝い雫はゆっくりと床に落ちる。俺はそれを拭うことはしない、僅かに震える声で話し続ける。
「クロムが殺されて俺は頭の中が真っ白になった。そして、それが俺の能力を覚醒させる引き金になった。俺の能力は他人の能力を写し取る力、他者の能力を視認し、性質を理解し、実際に俺の体でその能力の干渉を受けることでコピーできる能力だった。だから俺はクロムの持つ能力以外の施設の子供が持っていたほぼ全ての能力が使えた。その能力を使い俺は大人たちの能力をコピーしながら次々殺した。ただ死にたくないという恐怖と仲間を虐殺した連中への怒りで一心不乱に殺し続けた。そして、のこのこ一人生き残ったんだよ。その後、国家解体戦争が起きて戸籍データなどもむちゃくちゃになり、俺は偽りの戸籍を登録し、祖父によって育てられた。企業は研究のデータを基に戦争終結直後世界中の極少数の強力な能力を発現させる資質のある子供をパイオニアとして覚醒させた。何かの予防接種とか適当なことを言ってな」
鮮明にフラッシュバックされる過去の映像、俺の心は未だに悲しさと悔しさ、そして怒りが混ざり合って渦を描いている。
家族、友人、全てを失ったことの衝撃は経験していない人間からは理解も想像もできない。無論、俺が世界で一番不幸などと言う自惚れを口にするつもりはない。
しかし、自分の持たないものを他人が持っていれば羨ましいと思うのは当然ではないだろうか、自分の失ったものを欲するのは当然ではないだろうか。
俺は他人に対して嫉妬や渇望の感情を抱く、それも絶大なほど強烈に、それこそが恐らく俺にコピーと言う能力を与えたのだろう。
俺は一度全てを失った。だからこそ俺は理性で他者に抱く強すぎる感情を抑えることにした。もう、何かを失うことは嫌だ。だからこそ、俺は孤独を望んだ。
始めから何もなければ何かを失うこともない、失うことによりつらい思いを再び味わうこともない、何もないことに慣れてしまえば孤独も悪くないものだった。
例え、俺の本質が何かを、誰かを求め続けても、全て理性で否定し、抑制し、支配し続けてきた。
ハルカは隣で俺の話を聞き終えると泣いてくれていた。目元を赤くし、涙の粒は彼女の白い滑らかな頬をゆっくりと伝う。
どうして君が泣く?
その理由は俺にも分かっていた、それがハルカなのだろう、それ程彼女は優しいのだろう。だが、俺はその優しさを受け入れることを望んでいない、優しくされることを望んでいない。優しさも、愛情も、友情も、あらゆる温もりを俺は拒まなければならない。それを受け入れてしまえばそれは何かを得ることになる、俺にとって大切な存在が生まれてしまう。
それだけはなんとしても避けなければならない。
だが、ハルカのその姿は俺の深層領域で眠る全ての欲求を刺激する。
どうする、どう鎮める。
俺は頭でありとあらゆる感情を無理やりでも構わないから整理する方法を考える。胸の奥深くから押し寄せようとする。強い欲求と感情の波を鎮める方法を考察する。
「私は、キョウの触れられたくない領域を土足で踏み込んでしまった。何も知らないくせに知ったような偉そうなことを言った。私は貴方の力になりたいと思っていた。でもキョウはそれを望んでいない。本当にごめんなさい」
泣きながら、呻くような声を必至に絞り出し、ハルカは俺に謝罪する。彼女は俺の内心を少なからず理解してくれたのかもしれない。
そして、その謝罪は更に波を強くさせる。心から感銘を受けてしまう。彼女は俺ではないことを理解している、彼女は俺を理解することができないことを理解している。
人と人は同じ成分で、同じ構造で生成されているかもしれない。しかし、個々には大きな違いがある。環境、文化、主義主張によって無限の違いが存在する。この世界に全く同じ人間は存在しないのである。
だからこそ、人は他者を百パーセント理解できることは在り得ない、理解できると思っている者がいるならそれは理解している気になっているだけだ。
彼女の言葉はそれすらも含んだ上での謝罪だった。俺は何も応えない、ただ黙って彼女を見つめていた。
「そろそろ帰ろうか」
しばらくの沈黙の後に俺は心の高ぶりを抑え付けながらただそれだけを告げた。
ハルカは黙って頷き、俺達二人は来た道を引き返し、再びエレベーターに乗り起動させる。
エレベーターは静かにゆっくりと上昇を始める、まるで俺達がそれぞれ感情の整理が附くのを待ってくれているかのようにゆっくりと、ゆっくりと足に振動を伝えながら暗闇の先に見える小さな出口から漏れる光を求めて昇る。