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ダブルフェイス  作者: ジジ
6/12

暗澹たるディナー

 ◇四月五日早朝◇


 ――ピピピピピピピーーーー

 やかましい目覚まし時計がベッドの横にある机の上で耳障りな騒音を撒き散らしている。俺は目を開くのも面倒なので、机上に手を伸ばし手探りで目覚まし時計を探す。

 ――ピピピピピピピーーーー

 相も変わらず、アラームは五月蝿い。幼少の頃国民的人気を誇った色んな道具をポッケから出す、二十二世紀の青い猫型ロボットが出てくるアニメ。あの主人公のいじめっ子がしばしば開く下手糞なリサイタル会場に居る錯覚を受ける。これは音の暴力だ。

 俺の五指は机の上をくも蜘蛛のように這いまわりながら音源を捜し求めるが目覚まし時計に辿り着けない。

 ダリ~~。

 俺は渋々体を起こしアラームの停止ボタンに手を差し伸べる。時計は静かになり、カチカチと毎秒を刻んでいく秒針の音だけが室内に響く。

「何で目覚ましが、あんなベッドから遠い机のど真ん中に置いてあるんだよ。」

 俺は舌打ちを鳴らし、独り言を呟く。

 体がかったるい、昨日は久しぶりにあんな緊張感に満ちた仕合をしたせいで体も心も疲労しているようだった。おまけに今日は俺の癒しの太陽であるハルカは恐らく学校には来れない。 尚更、体全身にけんたい倦怠感が駆け巡る。学校行きたくな~い。

 と、一人心の中で駄々をこねて見るが室内は静まり返ったままだった。だんだん空しくなり俺は仕方なく自室から壁一枚隔てたサロンに移動、取り敢えずちゃぶ台の上に無造作に置かれているテレビのリモコンでテレビを起動させる。

 次にまだ寝ぼけ半分の頭を覚醒させるため、コーヒーメーカーに粉と水をセットし、スイッチを入れる。ポタポタと黒い雫を滴らせながら透明の容器をちょっとずつ満たして行く。

 珈琲は五分程時間を掛けて容器の三割ほどまで溜まった。俺は容器の取っ手を取り、マグカップに珈琲を注ぐ。香ばしい香りが嗅覚を刺激し俺の気分は少しずつ爽快になって行く。俺はマグカップを口元に運び、中の液体をすす啜る。

 苦味のあるブラックは朝の一杯には最適だ、しかし、この珈琲ちょっと熱い。舌先を軽微だが火傷してしまったようだ。

 まあこのくらい良いかと、俺は吐息を吐く。

「次のニュースです。昨日午後二時から始まったユニオン・ホールディングズ代表総会に突如黒ずくめの侵入者が現れ、ヨーロッパ都市企業の筆頭株主として有名であるイビル・ジョー氏が惨殺されました。会議に乱入した犯人はイビル・ジョー氏の首を刎ね、その場で演説を初め、場内を騒然とさせた後に逃亡しました。犯人は身長百七十前後、黒のコートに二対の太刀を携帯しています。捜査は現在も継続中で犯人はまだ捕まっていません」

 テレビの中でキャスターは無表情なまま事実を告げ、画面に事件の様子を映したVTRが流される。そこにはグロテスクな場面にはモザイクが施されていたが犯人の侵入から逃亡まで包み隠さずノーカットで映し出されていた。

 VTRが終了すると今度は場内に居合わせた各著名人へのインタビューに切り替わりその中にはハルカの父親である、藤堂元老も映っていた。

「犯人を少しでも引きとめ拿捕しようと虚言も投じたが取り逃がしてしまった自分に憤りを感じる。何よりこれまで社会に大きく貢献して来たイビル・ジョー氏の死に未だに心の整理が付かない。彼を失ったことは社会にとって多大な損失だ、我々は惜しい人材を失ってしまった」

 藤堂元老は顔中をしわくちゃにしたような悔しそうな表情をテレビのスクリーンに映し出していた。

 俺はリモコンの電源ボタンを押し、テレビのスクリーンを真っ黒の画面に戻す。社会を浸透させるようなビックニュースも一庶民である俺の興味を引くようなものではない。ハルカの父親が画面に映っている点に関しては多少視線を引かれたがその程度でしかない。

 俺は再び瞼をゆっくりと閉じ、珈琲の味に酔いしれる。珈琲を世界で初めに飲んだ人は間違いなく天才だ。この香り、この渋味、まさに紳士の嗜みだ。ただ一点問題点を挙げるならば飲み過ぎたら胃が荒れることを除けば、俺にとって完璧な飲み物だ。

 ――ピ~ピピッピピピ~

 俺が頭の中で珈琲について熟考していると不意に充電器に刺さったままの俺の携帯電話が着信メロディーを大合唱し始める。

 こんな朝っぱらから電話を掛けてくる非常識な阿呆は何処のどいつだと、俺は少しだけ立腹する。まず視界に飛び込むのは液晶画面、そこには受話器の向こうでトゥルルルの連呼を聞きながら俺が電話に出るのを心待ちにしている愚か者の氏名が記されているはず。

 確認。

 前に言った俺の罵声は全て嘘です、と心の中で叫ぶ。俺は電話の主に驚愕。そこには俺のアドレス帳の中で俺に電話を掛けてくるなんて考えられない人物ランキング堂々首位独走中の藤堂春香という四文字がまじまじと表記されている。

 俺はこの状況を何かの罠、または新手の詐欺か嫌がらせだろうかと疑う。確かにハルカとは入学式の日に連絡先を交換した。だが俺のアドレス帳の中で唯一の女性である彼女からこんな早朝に電話が掛かって来ることなど果たして在り得ようか。

 などと頭の中で考えつつも、俺の体は素直で意に反して勝手に通話ボタンをプッシュし、耳に携帯電話を当てていた。

「あ、もしもしキョウ?」

 声の主は確かにハルカだった。俺はちょっとだけ幸せな気分になる、それは至極当然である。こんな早朝からハルカの美声が聞けて、おまけに彼女の方から電話を掛けて来てくれたならば我が学年、いや我が校の男子生徒ならばみんな飛び上がって歓喜し、嬉しさのあまりコサックダンスでも踊ってしまうに違いない。

「ん、どうしたの?」

 とは言え、そんな気持ちを口にできるはずもなく俺は何事もなかったように平静な態度で応答する。

「朝早くにごめんね、昨日クリアボックス襲撃事件があったんだけどニュース見たかな?」

「ああそれなら、さっきニュースで見たよ。大変そうだけど大丈夫なのか?」

俺はハルカの問いに即答し、彼女の身の回りで起きている騒ぎのことが心配で尋ねた。

「うん、お父さんは忙しそうだったけど、私には直接は関係ないから。それで昨日の屋上で襲われたことを帰って来たお父さんに話したけど、今は忙しいからすまないが自分の判断で対処しなさいって。だから今日も普段通りに学校に行けるんだ」

 ハルカの報告に俺には安堵と喜びの感情が同時に沸き上がる。

「良かったじゃないか、でも何時またあいつが現れるかわからないから注意は怠ったちゃ駄目だぞ」

 わざわざ、昨日の報告をする彼女の律儀さに俺は感心しながらも浮かれ気味のハルカを少しだけ窘める。

「言われなくてもわかってるよ」

 受話器越しの彼女が少しだけ拗ねたような態度を取っているのが伝わる、俺はそのようすを感じ取って微笑する。

「それで、キョウももしかしたらあの黒装束の標的にされているかもしれないでしょ。だから車で迎えに行こうと思って電話したんだけど。何時頃そっちに寄ればいいかな?」

 俺は彼女の暖かな気遣いに感激する。この気遣いを断るのは失礼だし、もしそんな奴がこの世に存在していたら俺はそいつを顔の形が変形するまでボコボコにしてしまうだろう。

「それじゃあ、三十分後くらいにお願いするよ」

 俺は彼女の厚意に素直に甘える。

「わかった、じゃあまた三十分後ね」

 ハルカはそういうと電話を切った。俺は急いで仕度を始める、まずはシャワーを浴び寝汗も寝癖も一緒に綺麗にする。シャワーによる十分程のタイムロスは大きいがこれからハルカと一緒にリッチに車で登校するならば多少時間が掛かっても念入りに髪と体を洗う。

 風呂場から出ると俺は洗面台の前に立ち洗顔と歯磨きをする、特に歯磨きは歯がいつもより白く輝くように丹精込めて力強く磨き上げる。おかげで歯茎からは血が出たがこの際、そんな些細なことは気にしない。壁に掛けられた時計を確認する、ハルカの到着まで後十分、髪をドライアーで乾かす時間は残念ながら残っていない。俺はあっさり断念し、天然乾燥で我慢することにした。

 次に俺は自室に戻る。壁にえもんか衣文掛けで吊るされている制服を外し、寝巻きをその辺に脱ぎ捨てる。純白のYシャツのボタンを上から順番に締め、黒い制服のズボンを穿き、ベルトを通す。最後に制服の上着の袖に俺は右腕を滑り込ませ、腕時計のベルトを左手首に巻きつけ、着替えを完了させた。

 脱ぎ捨てた寝巻きを浴室の脱衣所に置いてある洗濯機に放り込み一息吐いた。俺はサロン中央のちゃぶ台の前に再び腰を下ろし、空になっていたマグカップに新しい珈琲を注ぎ、口の中に流し込んだ。

「ピーンポーン」

 俺がちょうど黒い液体を一口啜った瞬間に家の呼び鈴が鳴った。俺は座ったばかりの腰を忙しく上げて、玄関のドアノブを回し、ゆっくりと扉を開け放つ。

「おはよう。迎えに来たよ」

 玄関先には黒の制服に細剣を携えつつ慎ましく佇み、両手を前に組んで鞄を持ち、微笑みの表情を浮かべるハルカが居た。

「キョウ、早く学校行こ」

 屈託の無い笑顔で僅かに首を横に傾げる彼女の仕草に俺は不覚にも本気で胸がときめいてしまいそうになる。いかんいかん、朝一番で鼻の下を伸ばして馬面を引っ提げて学校に行くわけにはいかない。俺は必至に自制して心を鎮めるように努める。

「おはよう、鞄取ってくるから少し待っててくれ」

 俺は落ち着いた声で応えて、室内に戻り、鞄に今日必要な教材と携帯電話を放り込む。窓の戸締りと、電気の消し忘れ、ガスの元栓を確認し、最後に右手に鞄を持ち、逆の空いている左手で祖父の形見で新調したばかりの鞘に収められた愛刀を掴み、再び玄関先に出て扉を施錠する。

「お待たせ。じゃあ、行こうか」

 俺が声を掛けると、ハルカはコクリと頷き二人でマンションの階段を降りて行く。

 俺のマンションの前には昨日も来た黒の高級車が停まっている。運転手も昨日と同じで車の前に立ち、俺達の視界に車が映ったと同時に運転手は一礼し、後部座席のドアを開いて俺達に乗車を促した。

 車が学校に到着するまでに掛かった時間は五分程だった。

 俺達は車から降りると運転手に一礼し、お礼を告げる。運転手はハルカに迎えの時間を確認すると直ぐに走り去った。俺は腕時計を確認すると円形の盤上には七時半と表記されている。

 朝のホームルーム開始の三十分前、少々早い気もするが俺達は教室に向かって歩き出す。

今日の登校は何事もなかったなと俺は多少安堵、昨日みたいな事件が起きず、平穏な一日であることを祈りながら傍らの女の子の顔を横目で覗き込んでいた。

 俺達が教室に入るとクラスの連中は街中で有名人を発見し群がって来る野次馬のように押し寄せて、俺達二人を取り囲む。

「昨日大変だったらしいじゃない大丈夫だったの?」

「黒づくめの変質者ってどんな奴だったんだ?」

「雪白君が藤堂さんを助けに入ったって聞いたけど本当?」

「相手はパイオニアだったそうじゃねえか?」

「詳しく教えろよ」

 四方八方から喧しく語尾にクエスチョンマークを点灯させる質問が次々浴びせられる。

 隣のハルカはかなり戸惑っているようすだが質問に応えようと周りの連中を宥めている。

 俺は正直この状況が不快だった、クラスの話題になるのは悪い気はしないが対応が非常に面倒だ。おまけに弁えを知らない無神経な輩は喋りたくもない所まで蒸し返す。

 俺はこの騒ぎの対処をハルカに任せようと思い、周りに聞こえないように耳打ちする。

「ごめん、俺こう言うの苦手だから一先ず撤退するわ」

「え、そんなのずるい」

 ハルカは俺の囁きを聞くと逃げ出そうと体を反転させる俺の手首を素早く掴む。眉間を中央に寄せながら微笑み、俺に言う。

「一人で逃げるなんて許さないよ」

 俺の手首を握るハルカの力は強く、ちょっと痛い。そして、何より彼女の怒りながら笑うという器用な表情は俺の背筋を凍りつかせる。

 この場で逃げたら後が怖い。俺は苦笑し渋々逃走を断念する。

 そこからは役割分担で周りの野次馬の処理。ハルカが飛び交う質問を一つずつ拾い上げ俺が応える。ハルカの仕切りは的確で膨大な量の入り混じる声を聞き分け次から次へと掬い上げて俺に振る。

 その手際は聖徳太子もビックリするような勢いで、瞬く間に勝手に盛り上がっている野次馬共の鎮静化に成功する。

 俺達が自分の席に着席できた頃には俺はすっかり疲れ切っていた。隣の席に座っているハルカを見ると、彼女もさすがに疲れたようで机の上に顎を乗せて項垂れている。ハルカがこっちに視線を向けて来ると俺の視線とぶつかって、お互いに苦笑する。

「朝からスターは大変だね、お二人さん」

 俺の後ろの席からネルが声を掛けて来た。

「スターなんて立派なもんじゃないよ。朝一であれはしんどいっての」

 俺は苦笑しながら背後のにやけ面を引っ提げる友人に応える。

「でも、実際そんな状況で良く助けに入るなんて勇気ある行動ができたね。普通は怖くて逃げ出してしまうものだと思うけど」

 実際当時の俺は何度逃げ出そうかと考えたことか、自分の内心全てを包み隠さず話せばそんな胸を張れるような内容ではない。

「結局、逆にハルカに助けられたけどな」

「そんなことない」

 突然隣に座っている女の子は勢い強く俺の声を遮る。

「そうだよ、君は自分を卑下し過ぎだ。もっと堂々と胸を張るべきだよ」

 ネルがその後に続いた。どちらの台詞もありがたいし、素直に嬉しかった。

「ま、そういって貰えると俺も嬉しいよ。ありがとう」

 俺は二人の優しさに礼を述べる。


 朝に質問攻めにはあったものの昼休みまで各カリキュラムも平穏に過ぎ俺とハルカに加えてネルの三人は教室で昼食を摂ることにする。

 勿論、外で新鮮な空気を吸いながら食事したいとは思ったが、昨日あった出来事だけに屋上も封鎖され、極力屋外に出ることは自粛するように先生からも言われているので殆ど誰も教室から出ようとはしない。

 俺は購買部で買ったパンを口にくわえながら物思いに耽ていた。昨日、今日の出来事で引っ掛かっている点が多過ぎる。

 何故メディアに昨日の出来事が報道されていないのか。あんな不祥事が名門であるうちの学校で起きれば普通飛びつかないはずはないようなネタだ。しかし、実際は朝のニュースでもそういった見出しはなかったし、学校に取材陣が押し駆けに来てもいない。

 もうひとつは昨日の黒装束の侵入手段と目的だ。いくら学校と言ってもあんな目立つ格好をした不審者が何百といる生徒や職員の誰にも見られる事なく屋上に侵入することが可能かどうかだ。

 前者は恐らくユニオンの権威を失墜させないために管理者が情報規制をしいたと容易に推定できる。しかし、後者の疑念は簡単には拭えない。

 何より気になるのはやはり目的だった、昨日の黒装束の行動からも明らかに奴はハルカを殺そうとしていた。俺にはその理由の見当すらつかない。ただ頭の中で何故という単語がぐるぐる回り、実に不快だった。

「そういえばキョウにお願いがあるんだけど」

 俺の熟考を遮断させたのはハルカの美声だった。

「お願い?」

 無論お願いするのがハルカなら、俺はランプの精霊に負けないくらいどんなことでも喜んで引き受けるつもりだ。

「うん、実は今日学校の帰りにうちに来てほしいんだけどいいかな?」

「へ?」

 俺は妙な奇声を発する。なんで彼女は俺をわざわざ自宅に招くのか意味がわからない。

「実はお父さんがキョウと話したいことがあるみたいで家に呼んで欲しいって昨日頼まれたの」

 俺は思わず緊張してしまう。俺のようなその辺にいる何の変哲も無い一学生が世界の頂点に立つお偉いさんと謁見するなど考えもしなかった。何より粗相でも起こせば俺はきっと社会の闇に抹消されるという不安を抱く。

「なんで、ハルカの親父さんが俺なんかと話したがってるの?」

 俺の頭の中には戸惑いがあり、そのせいで声が僅かに震えていた。

「私にも良くわからないんだけど、とにかく家に来てもらうようにって」

 ハルカも納得仕切れていないような顔で肩を竦める。ハルカのお宅にお邪魔するのは吝かではない、いやむしろ普通の状況なら喜んでついて行く所だが今回ばかりは遠慮したいと思う。

 しかし、藤堂元老直々の来訪要請を俺が断ることなどできるはずもない。俺は釈然としない表情で首肯だけでハルカに同意を表明する。

 結局その後の授業はこの後のことが気になって内容は右から左に抜け落ちるだけで何も覚えていない。

 俺はハルカの迎えの車に乗って首都圏郊外にある高級住宅街に向かう。俺は目の前の光景に絶句、藤堂家が俺のような庶民では想像もできないほどの莫大な資産を持っていることは頭ではわかっていたが、いざそれを目の当たりにすればよりリアルに現実を知ってしまう。馬鹿でかい門に噴水、広大な庭、本館はどこかの文化遺産のような巨大な洋館が佇んでいる。

 俺は口をあんぐり開いた間抜け面をいつもの表情に戻し取り敢えず一言。

「………ものすごい家だね」

 ハルカは俺のリアクションに苦笑いしながら「まあね」と一言で処理する。俺は改めて住んでいる次元が違うのだとか、これが格差社会の現実なのかと言ったしょうもないありきたりなことを考える。

「取り敢えず、入って入って」

ハルカは俺の背中を押しながら俺を館内に招き入れてくれた。俺が案内された部屋は赤絨毯に白い皮製のソファーが幾つも並んだ広い客間と思われる部屋だった。執事と思われる中年くらいの男性が俺にお茶と茶菓子を振る舞ってくれる。

 ハルカは「着替えてくる」と俺に一言告げて退室して行った。

 俺は出されたお茶に口を付ける、紅茶と言うことはわかるが生憎そちらの知識もない上に味の判断もできるほど俺は育ちが良くない。言えるとしたら多分美味しい、これが俺にできる精一杯の味の表現だ。

 ハルカは十五分ほどで戻って来た。

「お待たせ」

 彼女はそういうと俺の隣に腰掛ける。彼女の私服姿を俺が目にするのは初めてだが、かわいい子が何を着ても似合う原則は当然彼女にも当て嵌まり、赤と黒のチェックのスカートに白のブラウスと合わせる彼女の私服は言うまでもないが似合っていた。

「お父さん、帰ってくるの六時くらいだと思うからそれまでのんびりくつろいでて。」

 くつろ寛いでと言われても俺にとっては今この現状は落ち着かない。広過ぎる部屋に、あちらこちらに並ぶアンティークの高そうな家具。こんな室内でリラックスして過ごせる人間は間違いなく大物になるだろう。

 それに加えてこれから帰宅して来る人物を想像すれば緊張は高まるばかりで、部屋の端に置かれる大きな振り子の柱時計が六時の時報を鳴らす頃には俺は若干の吐き気をもよおしていた。

 全くもって情けない話だ………

 時報が鳴った五分後きっかりに客間の扉が開いた。俺はその瞬間、心臓が一回大きく鼓動する、扉の向こうに佇んでいた男は黒と白の薄いストライプの入ったスーツに黒いシャツを着込んでいた。年齢は目測だが五十代半ばくらいだろう、身長はやや低めだが、男の体格はがっちりとした筋肉質であることは衣装の上からでもはっきりわかった。髭を綺麗にそった顔面には深い皺が幾重にも伸びて貫禄を醸し出している。

 目の前のこの人物こそ、藤堂元老その人だ。

「こちらから、お招きしたにも関わらず、待たせてしまった非礼を詫びよう」

 彼は俺をその鋭い眼光で一瞥すると会釈して謝罪する。

「いえ、自分のような者があなたとお会いできるだけで身に余る光栄です」

 俺は建前だけで塗り固められた作り笑いを顔に浮かべながらなんとか応える。

「話は、食事の席でしよう」

 いくら、学生相手でも自分から呼び出し用件だけぶしつけに伝えて追い返すような無礼は彼のプライドが許さないようだった。俺、個人としてはもてなしなしの方が直ぐに帰れて助かるのだが、相手の申し出を断るような失礼な行為は俺も極力避けたいと思い。厚意を受け、夕食をご馳走になることにする。

 食事の用意に時間は掛からず、俺と藤堂元老が向かい合い、その間にハルカが座るような座席配置、出される料理も一級品のフレンチが振る舞われた。

 食前酒に藤堂元老は年代物の赤ワインをゴブレットに二割ほど注ぎ、グラスを時計回りにくるくる回し、香りを確かめ、一口口内に流し込む。味を確かめると彼は味見したワインをボールに吐き出し、横に待機している使用人に一度だけ頷きボールを下げさせる。

「君もどうかね、お酒を嗜なみながらの方が話も弾むと思うが如何かな?」

 どうしたものか、俺は悩む。企業主体の体制がしかれ、世界の法律は統一され飲酒も十六歳からは認められているものの、酔いが回って余計なことを口走らないとも限らない。しかし、俺は正直な所お酒は大好きだ。目の前のあんな高級なお酒はこの先飲む機会など恐らくないだろう。

 理性を取るか、欲をとるか。

「では、お言葉に甘えて。頂いてもよろしいでしょうか」

 負けた、俺の理性は欲求にあっさりと完膚なきまでに叩きのめされた。その試合時間僅か四秒、俺の理性はかくも脆いものだ。

 藤堂元老は俺の返事に満足げに微笑し、再び隣の使用人に視線を送る。使用人は彼の意を受け取ったのか俺の隣に歩み寄りゆっくりと赤黒い液体を俺のゴブレットにも注ぐ。

「お前はどうだ?」

 藤堂元老は、今度はハルカに尋ねる。

「私はお酒弱いから遠慮しとく」

 ハルカは父親の勧めに苦笑いで断りを入れた。

「お前にも、クラスメートのように一緒に飲めるようになってもらいたいのだがなぁ」

 藤堂元老は少しだけ残念そうな顔になり、ハルカはそれに「ごめんね」と苦笑いの一言で応える。

 藤堂元老が再びゴブレットを口元に沿えワインを飲むのを確認し、俺もグラスに口を付ける。まろやかな香りに僅かな酸味と渋味が口中に広がる。さすが、一級品だけあって深い味わいだった。

 グラスを俺がもとあった位置に戻すと藤堂元老が再び口を開いた。

「ふむ、君はなかなかいける口だね。まだ名前を伺っていなかった、教えてもらってもいいかね?」

「はい、ハルカのクラスメートの雪白恭介と申します」

 俺は一礼を添えて応える。

「そうか、では早速で恐縮だが、雪白君。今日、君に話したいことは私から一つ。君に頼みたいことがあるのだよ」

 藤堂元老ほどの権力者が一学生でしかない俺に頼みごとをするなんて考えられなかった。俺に成すことが不可能で彼に成せることがあっても、その逆は恐らくない。だからこそ、俺は尋ね返す。

「自分に頼みごとですか? 具体的にどのような?」

「娘の話を聞いた限り、雪白君は娘を二度も助けてくれたね。その実力を見込んで娘の警護を君に一任したい。周知の通り、昨日、マクベと名乗るテロリストにより十賢帝の一角が落とされた。我々は昨日の議場での事件と春香の事件とを照合した。結果、我々企業は犯人が同一人物ではないかと推測している。能力の共通点、服装の共通点に加えて同じ日にちょうど前後するように襲撃している。

春香を狙った理由は恐らく警護の人員の分散を目的とし私の隙を付くことだろう。だからこそ今現在の春香の護衛をはずし、君に一任したい」

 俺には藤堂元老の言葉が信じられず、問い返す。

「どういうことですか?」

 俺は視線を僅かに逸らしハルカ見る。彼女は先程からずっと黙って話を聞いている。その表情から彼女の内心を読み取ることが俺にはできなかった。

「君はマクベが、春香の警護が増える所か減り、逆に私の護衛が強化されればどうすると思うかね?」

「敵の行動パターン通りに考えればハルカに再び接触を謀り、警護の分散を促すのでは?」

 俺は藤堂元老の情報を基に頭の中で素早くまとめ、考えを素直に口にした。

「恐らく、そう出るだろう。だからこそ我々はそこを叩くのだよ。能力もほぼ判明している奴を潰すことなど訳はない。だが、そのためには娘を危険に晒すことになる。だからこそ、実力に信頼を置ける君に警護お願いしたいのだよ。勿論君自身を危険に巻き込んでしまう訳だから無理強いはできないが」

 なるほど、理屈は理解できる。しかし、俺は藤堂元老という人間は理解できない。

自分の娘を囮に使うその神経を疑う。それも当の本人であるハルカに同意を得ようともしない。それほどまでにマクベから自分の身を守りたいのだろうか、ハルカをまるで駒か何かのように捉える彼の考え方には虫唾が走った。

「ハルカはそれで良いのか?」

 俺は向かいに座るエゴイストを無視し、ハルカに尋ねた。

「まぁちょっと怖いけど、それでことが納まるなら私は構わないよ。心配してくれてありがとう」

 彼女は笑顔で応える、しかし俺にはそれは無理に笑っているようにしか見えない。実際誰かから命を狙われる恐怖は想像を絶するものだろう、今まで彼女は護衛も警備も必要ないという仕草を装っていたがそれは彼女の周りに対する気遣いだ。父を、友人を心配させまいと、自分は大丈夫だとアピールしていたのだろう。

 だから、だから俺は藤堂元老に対して憤りを覚えた。

気付けばテーブルの下で俺は拳を強く握り込んで少しだけ汗ばんでいた。幸いそのようすはテーブルクロスに隠れて誰にも見えない。俺は徐々に握る力を抜き、ゆっくりと拳を解き、気持ちを静めて応える。

「分かりました。謹んで引き受けさせていただきます」

 その後の気分は最悪だった。どんなに高価なお酒も、どんなに高級な料理も味気ないものに感じる。金を掛けた分だけ気持ちの抜け落ちた粗悪な味、そんな食事の席で会話は弾むこともなく終止殆ど無言で栄養を摂取するだけの単純作業、ハルカには申し訳ないがこれほど不愉快な晩餐は俺にとっては久しぶりかもしれない。


 帰りの車中、何故かハルカも一緒に家まで送ると言い張り、俺の隣に彼女は座っている。

「さっきはありがとう、キョウは私のために怒ってくれてたんだよね」

 俺は驚いた。誰にも気付かれないように表情も繕っていた、それをあっさり見抜かれていたことに対して。

「どうしてそんなことがわかる?」

 俺は彼女の視線に目を合わせる、ハルカは俺を気遣うように心配そうな顔をしている。彼女の瞳はまるで俺の心を覗き込むようにじっと見つめてくる。

「だって、キョウの目は笑ってなかった。こんなこと言うと気を悪くさせちゃうかもしれないけどキョウって人と普段話したりする時、なんて言うのかな、目に色が無いって言うか感情が籠もってないような気がしてたの。でもさっきのキョウの瞳はいつもより鋭かったし眼光もきつかったような気がした」

 そんな些細な違いで分かったのか。いやむしろそんな違いに気付けることが驚嘆に値すると言うべきだろうか。俺のように人に興味を持たない人間では決して分からない感覚を彼女は持っている、だからこそ俺は彼女に対して少し警戒を強めた。

 俺は過去の経験から人を信じることをやめた。無論他者を信じることをやめれば人から信頼してもらえなくなる。自分を信頼できない人間を信用しないのは必然だろう。だから俺はずっと孤独だった。いや、自ら孤独を望んだと言う方が正しい表現だろう。

 だが、それにより俺が苦しんだという印象はない。

 人は慣れる、俺は孤独に慣れている。人の愛情を忘れてしまえば、それは知らないのと同義。無知のものに関心は抱いても渇望することはなくなる、何故ならそれがどれほど素晴らしいか、心地良いか、暖かいかが解らない。

 そのものの良さが解らなければ求めることもなくなる。

 だから俺は一人が好きだった。だから俺は人と接する時はなるべく薄い関わりしか持たないように心掛けていた。

 だが、目の前の女の子はそんな俺の閉ざし包み隠した内心に気付き始めている。

 出会って五日しか経っていない僅かな時間で俺の人としての不自然さに気付き始めている。

「おいおい、俺が普段はロボットみたいに無感情な目をしてるってちょっと失礼だぞ」

 俺は苦笑い浮かべながら冗談めかしに話題を逸らす。

「ごめん、でもちょっとだけ怖い目をしてるなって思ったから」

 ハルカも苦笑いを浮かべた。

「まぁ、正直に話せば、ちょっとだけムカついたかな」

「どうして?」

 ハルカは両手をシートに付いて前のめりになって俺の顔を覗き込んできた。顔が近い、俺は少しだけどぎまぎして慌てて応える。

「なんというか、ハルカを囮にするみたいで腹が立った」

 俺は絞り出した言葉の恥ずかしさに少しだけ照れてしまい、僅かに俯いてしまった。

「ありがとう」

 彼女は笑顔一杯のエンジェルスマイルを俺に向けながら礼を述べる。俺は彼女の俺への一言で余計に恥ずかしくなった。


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