白の変動
◇四月一日午前九時頃◇
結局、俺達が学校に到着出来たのは入学式の直前だった。
事件の後、俺達二人はユニオン・ジャッジ傘下の公安企業であるガードナーに被害届と捜査要請を出し、事情説明には二時間以上を費やした。
俺達はガードナーでの捜査要請を終えると学校に向かった。幸いガードナーは駅の近くに支店があるので、ここから学校まではさほど時間は掛からない。
「よかった、入学式には間に合いそうだな」
俺は未だに浮かない顔するハルカに話を振った。
「ごめんなさい、事件に巻き込んでしまって」
ハルカはやはり浮かない顔で謝ってくる。その謝罪の言葉には誠心誠意謝罪の念が込められていることが痛いほど解るが、別に俺は彼女の謝罪の言葉を求めているわけではなかった。
「別にハルカの責任じゃないだろ、それに二人とも怪我はなかったし、お互いこうして友達になれたんだから俺はむしろラッキーだと思ってるよ」
この言葉に嘘はない。確かに車が突進してきた時はどうするべきか多少は迷った。いや、でも、もし実際そんなシチュエーションに急遽陥ったら誰だって困惑するはずだ。
「ありがとう、私も早速友達ができて嬉しい」
ハルカは明るく微笑みの表情を作り、応えた。彼女の言葉に俺は感激する。なんて良い子なんだろう、こんな俺と友達になれて嬉しいと言ってくれるなど、一瞬自分の耳を疑ってしまう。
「ところで一つ気になってたんだけど、苗字の藤堂ってもしかして?」
そう、俺は彼女の名前に、ある疑惑を抱いた。藤堂、それは現在ユニオン・ホールディングズ筆頭株主の一人、藤堂元老と苗字が同じなのである。
ユニオン・ホールディングズは事実上この筆頭株主十名が組織を動かしている。つまり簡潔に言えばこの十人が世界を管理している。彼らは一般に十賢帝と呼ばれ、そうの影響力と知名度は絶大なものだった。
そんな大御所の身内ならば誰かに狙われるのも頷ける。
「うん、私の父親は藤堂元老なの」
彼女は少しだけ虚ろで暗い表情をその刹那に浮かべ、直ぐに笑顔に戻して応える。その仕草は割れ物のような儚さと危うさを含んでいた。
「ごめん、なんか触れちゃ駄目な話題だったみたいだね」
俺は思わず咄嗟に謝る。
「そういうわけじゃないの、ただみんな藤堂の名前を聞くと私を見る目が変わってしまうから、仕方ないことだとはわかっているのだけど時々割り切れなくなるの」
ハルカは視線を下に向け、寂しげな声音で話してくれた。
なるほど、要するに彼女は藤堂の名前のせいで誰からも自分自身を見てもらえない、本音をぶつけてもらえない、それが苦しい訳だ。
接する人みんなが彼女を見るのではなく彼女の背後にいる藤堂元老しか見ない。そんな薄っぺらい人間関係にうんざりするのも納得できる。
こんな時、俺はどういった言葉を掛けるべきかわからない。知り合って間もない俺がいきなり相手の奥底の触れてはいけない領域を汚い手で触るのは失礼だと考え、多少の迷った。が
「そうやって、君自身を見ない奴は所詮その程度の人間なんだよ。今まで出会った人の多くはそういう人だったのかも知れない、けどこれから出会う人は違うかもしれない」
どうにか俺は言葉を選びながら応える。彼女は俺のくさい台詞に耳を傾け、顔を上げる。さっきまでの暗い表情には少しだけ晴れ間が見えていたような気がした。少しだけ笑った彼女の表情はとても可愛らしいものだった。
「そういえば、どうしてあんなに朝早くに登校してたの?」
俺は彼女に別の疑問を振った。
「だって、他の人みたいに一人で歩いて登校してみたかったから、だから家の人に気付かれないように朝早くに家から抜け出したの」
彼女の言いたいことはだいたい解かった。どうやら普段、学校へは護衛か送迎がついているようだ。 十賢帝の身内ならばそれは当然なのだろうけど、いきなりそんな登場ならば周りの人間もすぐに彼女の正体に気付く、恐らく彼女はそれを避けたかったのだろう。
「でも、さっきみたいなことがあったら余計、警護が厳しくなるだろう?」
「そうなの、また周りの人に距離を置かれてしまうんじゃないか不安なの」
彼女はまたしても俯いてしまう。確かにいくらパイオニアのスーパーエリート達の通う学校でも相手は大御所の親類、しかも世界を管理するほどのだ。それが判れば誰でもおいそれと気軽に接することには躊躇う、まあ俺にいたってはその手の類は気にしない性質だが。
「大丈夫だよ。むしろ隠さずそのままの君と交友を持ちたいと思ってくれるくらいじゃないと、きっと後で隠し事が明らかになった時にお互い傷付く。だから胸を張って自分を包み隠さない方が良いよ」
俺はどうにかハルカを慰めようとする。
「それはそうだと思うけど、今まではそれで溶け込めなかった部分もあるから」
「それなら、俺も微力ながらできる限りで協力するよ。と言ってもさっき知り合ったばかりだけどね」
俺がそう言うとハルカはパッと明るい表情を浮かべる。
「ありがとう、キョウはとっても優しいね」
眩しい、なんて可愛らしいエンジェルスマイルなんだろうと阿呆で疚しい下心に若干苛まれた自らの心を戒めていた。
「いやいや、そんなに俺は優しくないって。こう見えて腹の中は真っ黒だぜ」
俺が照れ隠しにそう言うと隣の女の子はクスクス笑いながら聞いて来た。
「本当に腹黒い人がそんなこと言わないよ。キョウって面白いね」
まさか、そんなに誉められると思っていなかった俺は余計に恥ずかしくなる。
「キョウのご両親はどんな人なの?」
ハルカの突然の問いに思わず言葉に詰まる。
「どうして?」
俺は何故そんなことを尋ねるのか不思議に思い聞き返した。
「ただ、初対面の人にそれだけ優しく接するキョウのご両親は素敵なご両親なんだろうなって思って」
微笑みながら応える彼女から俺は視線を逸らし、空を仰ぎながらこう応えた。
「さぁ、どんな人だろうねぇ」
そんなふうに話をはぐらかし、和気藹々ととりとめもない話をしながらいつの間にか俺達は学校に到着したのだった。
ユニオン附属高校は大まかに五つの棟で構成され、その敷地面積は広大なものだった。中央には生徒の学び舎である教室棟、その奥には体育の授業や式典などが執り行なわれる大き目の体育館。正門から東側には図書館棟、西側には部活動専用の部室棟がある。中央の教室等は六階建てでなんとエレベーターも完備されている。
入学式は滞りなく進み定刻通りに閉式した。新入生はそれぞれ六つのクラスに分かれ教室に集まった。俺はなんの偶然かハルカと同じ四組で教室は二階だった。教室自体もかなり大きめで教室の備品も最新鋭の設備であり、机にはパソコン、プリンターに加えて各席と内線が繋がっている。
俺は適当に教室の真ん中辺りの席に腰を下ろし、ハルカは隣の席に座った。周りの連中は互いに友達作りに奔走しながら担任の教員が来るのを待ち侘びている。
「はじめまして、僕はネルソン・トラファルガーだ。よろしくね。」
不意に俺の後ろに陣取っていた奴が声をかけてくる。肌は白く金髪のミドルヘアーの好青年で瞳の色は淡いブルーだった。体系は細身で身長は俺より少し低いくらいだろうか。どうやら声を掛けてきた奴はヨーロッパ出身のようだった。
国家が解体されてから国、国籍という概念はなくなり世界はとてもグローバルになった。宗教も文化も全て、隔たりが取り払われ言語も一つに統合されることになり、ユニオンはその新秩序の定着を僅か五年余りで実現したのだ。
そのため、この教室の中で日本出身者はおおよそ半分程度だった。
「雪白恭介だ、よろしく。ネルソンって呼べば良いか?」
俺は声をかけて来た男子生徒に応える。
「おいおい、堅苦しいぞキョウ。もっとフレンドリーにネルと呼んでくれよ」
なんとも暑苦しい上に馴れ馴れしい奴だ、ネルはこんな感じで恐らくクラスの連中全員に手当たり次第に声を掛けているのだろう。まあ悪い気はしないが。
――ガラガラ
みんなが急に静まる、教壇の方に視線を向けると担任と思われる男性教師が立っていた。
「席は自由で構わん、立っている者は直ちに席に着け」
教師は偉そうにちゃっちい威厳を振り撒いて命令する。
「さて、諸君は晴れて本日付でこの学校の生徒となった訳だ。諸君はみなパイオニアとしての能力をよりこの社会で活かすために三年間学ぶことになるが、まずはわかっているとは思うがパイオニアがどういったものか説明し、その価値と諸君に掛かる社会の期待を理解してもらおうと思う」
なんとも頭の堅そうな教員である、俺個人としては自己紹介をさっさと済まして下校したいものだが、その要望が通ることはなさそうだ。
「パイオニアとは五年程前から我々人類に発現した人智を超える能力を持つ能力者を指す。その能力は様々だが発現のきっかけとなる要因は自己の深層心理へ接続することだと現在は考えられており、その深層心理の具現化したもので、深層心理により強い思いがあればより強い能力が発言する。また発現した者五割以上は諸君らと同年代かそれ以下の子供が多い。また発現する能力も一人一つが原則となっている」
はぁ、なんで入学早々にこんな面白くもない話をダラダラ聞かないと駄目なのだろう。もう少しユーモラスな先生が良かったと俺は嫌みったらしく教師にも聞こえるくらい大きく溜息を吐く。
「故に諸君は、その能力を開眼している数少ない貴重な人材だ。その数はおおよそ一万人に一人だ、諸君はそれぞれの能力を今後社会発展に貢献させ………」
教師は俺の溜息や態度はどうやら眼中にはないらしい、長々と話を続けている。
しかし、それにしても長い、かれこれ十五分はこんなしょうもない話が続いている。というかそろそろ瞼が重い、みんなよくこんな話を聞いて居られるなと思いながら俺は周りに目を配る。隣の席のハルカはさすがだ、この面白みの欠片もない話を真剣に聞いている。これは小声で話し掛けるのは気まずいと思い視線をネルの方へと移す。
ネルはネルで、俺の背中に隠れて爆睡している。全くもってこいつは神経が図太いとある意味感心してしまう。結局知り合った人間に声を掛け小声で話でもして時間を潰すという俺の目論見は早くも断念。
「だからこそ諸君にはこれからの学校生活では精進を重ね、より己を高みへと持ち上げて行って欲しい。では諸君の自己紹介へと移る」
やっと終わった。あいつ、ざっと見積もっても三十分は話していたな。朝礼で校長の長い演説を聞くくらいしんどかったと俺は内心で文句を連呼した。
教師の長々とした話が終わると自己紹介やその他諸々は順調に進行し、昼前には下校となった。
俺が鞄を手に取るとネルが一緒に帰ろうと声を掛けて来る。俺は家の方向は一緒なのだろうかと疑問に思い質問をするが、些細な問題だと無視されてしまった。その大雑把さ加減と我が道を突き進む精神は見習うべきか、否か。
俺はハルカにも声を掛け一先ず三人で帰ることとなり、下駄箱へと向かう。靴を素早く履き替え下靴を履いて三人揃って校門前まで行くが、そこには普段見ない一際異彩を放つ軍団が居た。
校門前には黒服にグラサンの男が六人に、大きな黒い車が二台停まっていた。六人の黒服は後ろに手を組み、俺達三人を確認すると一斉に一礼する。
ハルカはそれを目にすると「ハァ」と溜息を吐く。
「迎えが来てるみたい」
俺はハルカの言葉に首肯し彼女に手を振って見送る。彼女の背中は寂しそうだった、きっと友人と一緒に下校してみたかったのだろう。俺も彼女と下校できないのは凄く残念に思った。
隣のネルは多少驚いていたが些細なことは気にしないのだろう、大声で「また明日~。」と叫んでいる。
取り残された俺達二人、取り敢えず俺は帰ろうと歩き出そうとする。すると、ネルが俺の肩に手を乗せ引きとめる。
「おいおい、キョウ。僕達はこれからの絆のためにお互い親睦を深める必要があると思わないかい?」
俺は全く思わないのだが、ネルが素直に解放してくれるとも思えなかった。
「まずは、お昼ご飯でも食べに行こうか」
予想通りネルは俺の返事を待つことなく話しを進める。抵抗するのも馬鹿らしいので俺は溜息を気付かれないように吐いてから素直にこの人懐っこい笑顔をふりまくクラスメートに従い市街のレストランに向かうことにして、二人歩き出した。
十五分程歩いて俺達は適当に値の張らなさそうなレストランで窓際の四人掛けの席に腰を下ろしランチタイムに突入。全くもって何が悲しくて学校帰りに自腹で、野郎と二人で食事せにゃならんのだろうと感傷に浸っているとネルが突然口を開く。
「藤堂さんと仲良さそうだったけど、幼馴染みか何かかい?」
俺はその質問を一旦保留させ、俺達の腰掛ける席にオーダーを取りに来たウェイトレスに注文する。俺は朝も摂っていなかったためガッツリ目のハンバーグセットを頼み、ネルはパスタをオーダーする。
「ハルカとは今日の登校途中に知り合ったんだよ。二人して事故に巻き込まれてな、いろいろ成り行きで仲良くなったんだよ」
俺は注文を済ませてネルの質問に応えた。
「事故って?何があったのさ?」
「いや、歩いていたら突然無人の車が突っ込んで来たんだよ」
俺は今朝の出来事を大まかに話してやった。
「ふ~ん、無人の車がねぇ。それ本当に事故なのかな?」
ネルの言いたいことはだいたい予想がついた。
「だって藤堂さんって、十賢帝の一人、藤堂元老の娘さんだろ。彼女が無人の車に襲われたんだったら事故より事件と考えるのが自然じゃないかな」
まぁそうなるだろうな、学校に迎えが来ていた時点でハルカがただ者で無いことも察しがつくだろうし、何より苗字が藤堂なら誰だろうとまず十賢帝の籐堂元老を連想する。それに無人の車が疾走することも奇妙だった。
「多分そうだろうな、今の車が事故を起こす方が珍しいし」
「犯人の目星はついてるの?」
俺が応えると即座にネルは問いを投げ返してきた。
「今日知り合ったのに、俺が知る訳ないだろう。ガードナーに依頼しているし、ハルカの親父さんもなんか対策とるだろう」
「確かにね。いくらパイオニアでも僕ら所詮は只の学生だから何もできないかな」
ネルの言っていることはもっともだった。パイオニアは確かに特別な存在だ。しかし、学生レベルでは自分の能力を使いこなせる者も多くないし、蓄えている知識も経験も未熟だ。
そんな若輩者が多少努力した所でどうにもならない現実はある、そう考えるのが普通だろう。
「ところで、キョウもユニ高の生徒ということはパイオニアなんだよね?」
ネルが違う話題を振ってくる。しかし、こいつの俺がパイオニアかどうかという質問は俺を馬鹿にしているのだろうか。
「そりゃそうだろ。じゃなかったら今、目の前にいるお前とも出会わずに済んだんだがな」
俺は皮肉たっぷりの返事をネルに返した。
「酷いな、一応確認しただけじゃないか。気を悪くしたなら謝るよ?」
実際は気に触った訳でも謝ってもらいたいわけでもないのだが、知り合って間もない人間に余り色々と詮索されるのは好きではなかった。
「別に気にはしてない。ただなんでそんなことを聞いたんだ?」
「いやねぇ、僕は人の能力が気になる性質でね。将来はユニオン・ジャッジに入りたいと思っていて、自分以外の能力のことも知っていたほうご視野も広がるだろうし、パイオニアと相対した時にはそういう視野の広さが生き残れるかを決めるって聞いたことがあってね」
なるほど、ユニオン・ジャッジは公安企業の中枢だ、そんな組織に入ればアルマゲストを代表とするのテロ組織との抗争で当然パイオニアとも戦うことはあるだろうし、犠牲者の数が多いこともしばしばメディアで報道されている。知識があれば、ない者より当然対処しやすいだろう。
あくまでも確率が上がるに過ぎないが。
「だから僕はキョウ、君の能力にも興味があるんだよ。良かったら教えてくれないか?」
「断る」
俺は即座に拒否した。
「どうして?、減る物じゃないんだからいいじゃなか」
「誰もがお前に全てを教えてくれるわけではないぞ、人にはそれぞれ踏み込まれたくない領域がある。例えそれが友人であってもな」
ネルは俺の僅かに強くなった口調に戸惑い、少ししょげた顔になるが俺は気にしなかった。だが、さすがはネル、暗い顔も僅か十秒足らずで飽きたのか、また明るい屈託のない笑顔に戻し違う話題を振って来た。
「じゃあキョウはどうして、ユニ高に入学したんだい?」
この質問も俺にとってはタブーなのだが、また先程みたいな返答をすればいくらなんでも場の空気が重くなるだろう。俺もそれはしんどいので浅くだが話してやることにする。
「単純に俺はパイオニアだし、ユニ高は学費も殆ど課からない。入学の理由はそれだけだかな。」
「えっ? それだけの理由でユニ高に入学したのかい?」
俺の応えにネルは少々驚いた様子だっ。、確かにユニ高は名門であり門戸自体は狭い。そんな理由で入学する者など少ないだろうし、学費が安く、パイオニアを優遇する高校など他にも探せば幾らでもある、しかも他の方が入学するのも遥かに楽だろう。
だが実際今後学歴があって困る訳でもないだろうし、パイオニアだからといって能力だけで生きていけるほど甘い世の中でもないだろう。
ただ、あの学校において志のここまで低い人間は俺ぐらいかもしれないというのは事実だ。
「そいう、お前はなんであそこに入学したんだよ?」
俺は目の前で頭の上にクエスチョンマークを点灯させている馬鹿面に聞き返した。
「さっきも言ったけど、僕はユニオン・ジャッジに入りたい、それならユニオン・ホールディングズ附属の学歴はあった方が圧倒的に有利だからね」
「そういうもんかねぇ」
俺にはいまひとつその必要性を理解しかねるのだが、本人はそう考えているのだから恐らくそうなのだろう。
「そういうものなんだよ」
ネルが俺の呟きに応えると、ちょうど先程オーダーを取りに来たウェイトレスが二人分の食事を運んで来た。それぞれの品物をそれぞれの前に配膳し、ウェイトレスは一礼して去って行く。
俺達は話をやめ、黙々と料理に集中する。俺は腹が減っていたため料理を完食するまでにさほど時間が掛からなかった。料理が配膳されてから僅か十五分ほどでナイフとフォークを置く、向かいのネルはまだパスタをすすっている。俺は窓から見える外の静かな町並みに視線を送りながら物思いに耽る。
今朝の事件は明らかにハルカを狙ったものだった。しかし、改めて考えてみれば不可解な点も多い、何故彼女を、誘拐ではなく命を狙ったのだろうか。誘拐ならば身代金の請求や管理者の権力を利用することは可能だろう。
しかし、殺してしまってはただ藤堂元老の恨みをかい、自らを危険にさらすだけではないのか。車を遠隔からコントロールするにもそれだけで相当な技術者、もしくは能力者であることは明らかであり身元を割り出されるリスクは十分にある。それ程のリスクを負いながら彼女を抹消することにそれほど大きなメリットがあるのだろうかと俺には理解できない。
「キョウ、キョウってば。」
俺の頭を現実に呼び戻したのはネルの声だった、振り向くとネルは口元をナプキンで拭いながらようやく食事が済んだようすだった。
「どうしたの、ずいぶん考え込んでいた様子だけど。」
あどけない笑顔が俺の視界に広がる、こいつは呑気で良いなと俺は思いながら
「いや、なんでもない。食事も済んだことだし長居するのは店にも悪いからそろそろ出ようか。」
と一言告げて重たい腰を上げ、二人でレジに向かい会計を済ませる。レジでは注文を先程取りに来ていたウェイトレスが百パーセントの営業スマイルで、微笑のバーゲンセール実施中のごようすだった。 ぺこりとこちらに一礼して
「またのご来店お待ちしております」
と一言告げる。
俺達はその後すぐに解散してそれぞれの家路についた。そういえばこの後業者がトイレを修理に来るなどの雑念を頭の中で思い浮かべながら俺は自宅を目指し歩いていた。
入学式が過ぎ三日経過して、授業も普通に実施されるようになり、俺は新しい生活を馴染ませようと四苦八苦しながら毎日を過ごしていた。
しかし、学校とはつくづく面倒だ。なにが悲しくて堅苦しい制服に身を包み、朝っぱらからトドみたいに同じことを連呼する阿呆面に頭を垂れて教えを乞わねばならんのだ。これが美人の教師なら足を舐めろと言われようと、頭を踏み付けられようと、尻を鞭で、はさすがに嫌だが、きっと清き心を持つ男子生徒諸君は文句の一つも零さないだろう。いや、むしろ一部のアブノーマルな連中はそう言った仕打ちがあるほうが歓喜するかもしれない。
まあ、そんな愚痴も周りのむさ苦しい野獣の隙間に咲き誇る可憐な花を鑑賞すれば我慢できる。俺の隣には得に美しく、雅な花が凛と咲いている。例えるならば枝垂れ桜が良いだろうか。他にもぽつりぽつりと俺達メンズの目を癒してくれる花達。所々には当然ある。いや、むしろそっちのほうが多いウツボカズラやラフレシアは、この際俺の一身上の都合により視界から排除する。
そう言えば、もう桜が咲いている季節だろうかと俺は不意に思い、低俗な脳内庭園を封鎖し現実へと帰還する。俺の記憶が正しければ確か学校から西の方角へ五分程歩いた所に桜並木の街道があったはず、後で屋上に行って確認して見に行くのも一興だろうと思い、次の二限目の始まりを待っていた。次の科目はまだ受けたことのない現代社会情勢の授業だった。
――チリリリリン
いかにも機械で無理やりローカルな音を作り出しているのがバレバレの電子音特有の味気無い始業ベルが鳴り響き、立って談話を楽しむ生徒達も一目散に自分の席へと戻って行く。
――ガラガラ
教室の扉が開くと女性教員が入室する。大人の雰囲気を醸し出し、なかなかの端正な顔立ちで長いストレートが良く似合っている。胸元は・・・残念、頑張り賞といったところだろうか。
って、あれ?
俺はその女性教師の顔に既視感を抱いた。何処かで、それもつい最近ものすごくお世話になった気がしてならない。俺は隣の可憐な女の子へと視線を流す。
ハルカもその先生の顔を見るやいなや驚きを顕にする。
教師は俺とハルカを視界に捉えるとニッコリと微笑み、右手を振っている。その動作を見て俺はハッと思い出した。そう彼女は俺の命の恩人であり、神の生まれ変わり。暴発寸前だった俺に厠を貸して下さった、あの寛大で偉大な救世主だ。
なるほど、彼女が別れ際に言っていたことはこう言う意味だったのかと今更になって気付いた。入学式の時は人も多かったし、何より教師陣に興味は欠片もなかったため、全く視界に入っていなかったのだ。
「先生、先日は危ない所を助けて頂きありがとうございました」
俺は座席から立ち上がり救世主に改めてお礼を申し上げる。周りは俺の奇行に多少ざわめくが気にしない。
「あら、良いのよ、気にしなくて。困っている生徒がいれば助けるのが教師の勤めですから」
聞きました。まさに教師の鏡ですよ。全くもってこのキリストのような先生の爪垢を煎じていつも長ったらしく、つまらない話をグダグダ呪文のように唱えるあの愚かなトド共に飲ましてやりたい気分だ。
「さて、皆さんに現代社会情勢を教える紅早百合と言います。上手く教えられるかどうかわからないけれど楽しく授業を進めて行けるように皆さんも協力して下さいね」
紅先生は自分の自己紹介を終えると今度は生徒に自己紹介するように促す。どうやらこの時間はそれで潰れるようだ、俺は自分の番が回って来るまでぼけっと無心の境地で悟りを開くため、頭を真っ白にして何も考えないようにする。
すると、隣から指で肩をツンツンと突つかれたので振り向いた。
「まさか、あの時の家主さんがここの先生なんてビックリだね」
話し掛けて来たのはハルカだった。彼女はこの偶然に驚きと喜びの混ざり合ったついつい見入ってしまう程可憐な表情で俺に視線を合わせる。
「全くだ、この学校はトドばかりかと思ったけど、まとも先生もいるみたいで俺は安心したよ。」
「他の先生をトドって、いくらなんでもちょっと失礼だよ。」
彼女は俺の応えにクスクス笑いながら窘めた。
「キョウはこの後のお昼どうするの?」
昨日までは授業も半ドンだったが、今日からは通常時間割のため、まだまだ下校できない。俺は昼食のことは何も考えていなかったため適当に学食か購買で済ませるつもりだった。
「良かったら一緒に食べない?」
彼女からのランチのお誘いは俺には至極の福音に聞こえる。先日のネルとの昼食など比べるに値しない、まさに月と鼈くらいに嬉しさの差は大きい。このお誘いを無下にするほど俺は愚かではないので。
「勿論。じゃあ俺、購買で適当になんか買ってくるよ。何処で食べる?」
と即答、彼女は表情を笑顔で一杯にしながら
「屋上はどうかな、確か昼休みは解放されているはずだし」
と提案する。
「わかった、鐘がなったらすぐ買って来るから先に行っていて。」
俺は心の中でスッキプしていた。屋上ならついでに桜並木道の場所も確認できるので一石二鳥だ、今日の俺の運勢は恐らく最高なのだろう、きっと朝のニュースの占いでも一位だったに違いない………
訂正。
俺の今日の占いは間違いなくドンケツだ。なんだ、今の状況は何がどうなっている。目の前にいる、あのバチバチ蒼い輝きを放っている危険な変質者はなんなんだ。
俺は紅先生の授業終了のベルが鳴るとネルや他の友人からの昼食の誘いを完全無視し、全力疾走で購買部に向かい、適当にサンドウィッチとおにぎりという異質のコラボレーションをチョイスすると再び全力の猛ダッシュで屋上へ駆け上る。
俺が屋上に到着した時、何故か昇降口は堅く閉ざされていた。
おかしい電子ロックが掛かっている、本来この時間は絶対にロックが解除されているはず。俺はシステムの故障でハルカが中に閉じ込められていないか心配になり、必殺の裏技で操作パネルをちょいといじった。
――プッシュ
と言う音とともに扉は開いた、がその瞬間俺は自分の目を疑った。ハルカは屋上の中央付近で膝をついて屈み込んでいる、そして彼女の真正面には黒装束を羽織り、赤い包帯を顔に巻いて、素顔を隠す不気味な人影が立っていた。
そいつは左の手、五指の指と指の間に何かを挟んでいた。凝視すればそれが手術などで用いる医療用のメスであることがわかる。
赤い包帯野郎は日光を浴び怪しく光るメスを握り込んだ左手を振りかざし、ハルカの頭を細切れに裂こうと振り下ろす。
ハルカはその殺意に満ちた攻撃を右に転がり、紙一重でかわした、メスによる斬撃は微かに彼女を掠めたのか数本の黒い髪の毛が宙を舞う。彼女は俺の方を振り向き
「きちゃダメ!」
と叫ぶ、彼女の声が俺の耳に届いた瞬間、それまで混乱のせいで機能不全に陥っていた俺の脳は急速に回転数を上げ状況把握に努める。
今ハルカを襲っている黒装束が先日の事件の犯人だろうこと、藤堂元老に喧嘩を売るような大それた真似ができるということはそこら辺のふらつきではなく、それなりの力と自信を持っている実力者であろうことを瞬時に脳は推定した。
俺は頭の中にある考えをまとめ、彼女のもとへ駆け寄ろうと身を乗り出す。俺の動きを察知するや、黒装束は標的を俺に変更し、何も持っていない右手を翳した瞬間。
――バチン
耳障りな嘶きとともに右腕からは一閃の青白い光が飛んでくる。閃光は俺の脇腹右五センチのところを通過し、昇降口の左の壁面に黒い焦げ跡を焼き付ける。
なんだ今の、速過ぎて視認できなかった。しかもあの威力は尋常ではない、あんなものが仮に俺の体を貫けば間違いなくあの世に直行だろう。
「次は当てる、私は利口な子供が好きだ。馬鹿はろくに役にも立たん上に口だけは一人前のことを言うからな。君は利口か、それとも馬鹿か、どっちらかな?」
黒装束は始めて口を開いた。声は変声機を通しているためか機械でいじっていることが丸わかりの不気味なものだった。しかし、冷徹で、命を紡ぐ行為になんら躊躇いを感じないという意思がその言葉には色濃く含まれていた。
正直なところ、俺は迷った。ハルカを助けたい、しかしここで危険を背負うのも避けたい。額には汗が若干滲み出る、迷えばその時間の分だけ俺とハルカの生存率は下がるような気がした。いや実際下がるのだろう。
俺は頭の中での葛藤に強引なピリオドを打ち、手に持っていたおにぎりを黒装束に投げ付けるが、おにぎりは放たれる一閃で瞬時に黒焦げになっていた。
手を翳すだけで物体を焼くことが出来るその現象を見れば相手は間違いなくパイオニアであること、それも上位クラスの殺傷能力を持つ戦闘用の能力だということは容易に理解できた。
問題なのはその性質だ、あれだけの速度なのに威力も十分にある。攻撃速度や発光体の放出から光、もしくはそれに類するものを操っているということだけしか推測できない。射程も不明、反射、屈折するのかも不明では安易に近付けない。俺はどうしたものかと頭を回転させる、その僅かな隙に黒装束の第二波を示す右手が再び掲げられた。
俺は黒装束の右手射線上から即退避、激しい轟音とともに僅かに閃光に触れた俺の制服の裾は焦げていた。俺はこげた部分を摩ったその瞬間、体中に衝撃と痛みが走った。体の隅々を一瞬で駆け巡った衝撃は俺を驚かせると同時に黒装束の能力の性質を教えてくれた。
その衝撃は、抜いたばかりのコンセントを濡れた手で触った時に全身を走る衝撃と酷似していた。
俺がその衝撃を受けたのはちょうど裾に備え付けられている金属製のボタンに触れた瞬間だった。
電気、なるほどそれが能力の正体。放電ならばその速度も性質も納得できる。ボタンに触れた瞬間に電気が流れたのは僅かな帯電が残っていたためだろう、奴の能力の正体が電気操作ならば車を操作することも昇降口に電子ロックを掛けることも容易く可能だろう。つまりこの黒装束が先日の車を使った襲撃の犯人でもあることは間違いなくなった。
俺は眼前に立ちはだかる敵の能力にある程度の推察が立つと、今度はその隣で怯えている女の子に視線を送る。
彼女と黒装束との距離はさっきの攻防で少しだけ開いた。ならばここは一気に敵との距離を詰め奴を俺に集中させるのが得策だろう。
ハルカがこの場所から避難してくれれば後はどうにかできる、俺にはその自信があった。
俺は考えをまとめ左腰に掛けている祖父から譲り受けたご信用の一振の柄に右手を掛け、鞘を腰から外し左腕に持つ。左足を僅かに前に出し体重の八割を乗せ前傾姿勢を取る。
大丈夫、昔あれだけ無駄に厳しい爺に剣術を叩き込まれたんだ。
俺は揺れる心を自ら律し腹を括る。
次に奴の放電がくれば射線上と平行に懐に飛び込む。上手く入り込めれば奴は俺との間合いを置くために離れるか咄嗟の反撃行動に出るはずだ。
それだけ隙が生まれればハルカも充分に逃げられるだろう。
俺は黒装束の右手を僅かな動きも見逃すまいと凝視する。
少しの静寂が場を支配しお互いに一呼吸したその直後、黒装束の右手が再び挙がる。
来る。
俺は敵の放電に身構え全身に緊張を走らせる。
奴の右掌中央に小さな蒼い光球が形成され徐々に大きくなっていく。
俺は咄嗟に奴の攻撃の射線上から体をずらし、刀の鍔を親指で音を立てながら弾く。
鞘からは十五センチ程度黒塗りの怪しく閃く黒鉄の刃が面をあげる。
後は右足にためた脚力を解き放ち目の前の敵に一気に詰め寄るのみ。
俺は黒装束の光球が虚しく空を裂く轟音を待つ。
さぁ、来い。
しかし、轟かない。
視界を黒装束の掌をクローズアップしていたピントから奴全体を捉えるピントに戻す。
奴は掌に収束させている紫電を放たず、そのまま照準をゆっくり斜め下にずらして来る。俺が射線上に乗るように徐々にだ。
黒装束の右手が俺を捉えたその瞬間、紫電の光球は一気に収縮し始める。
まずい………
俺の視界には敵の顔を包み隠す包帯から僅かに見える俺を嘲笑いっている奴の瞳が映る。
光球の収縮は臨界点に達しようとしていた。
今度こそ黒装束の放電来る、だが俺にはそれをかわす術はない。
どうやらまんまと罠にはまったらしい………
………奴がな。
俺は轟音が空気を振動させる前に鞘に納まったまま刀の切っ先を黒装束に向け掲げる。刀身の腹を下から左掌で支え、柄を握る右腕は肩の後ろまで引き、ちょうどライフル銃を構えるような姿勢を取る。
俺は引いた右腕の力と左足の踏ん張りから右足の踏み込みへの力とを連動させ握り締める柄を前方に打ち込む。
――バチン
俺の待ち望んでいた轟音と刀の鍔と鞘の口とがぶつかり合う甲高い衝突音とが重なる。
鞘は敵の右手目掛けて射出され、俺と黒装束との中間地点で乾いた嘶きと蒼い雷光の炸裂が起きる。鞘の先端はばらばらに砕け木片を散らしながら床に落ちた。放電と接触した部分は焦げて薄い煙を一筋昇らせる。
俺は既に鞘を打ち出した後、そのまま踏み込みの勢いを殺さず直進。
鞘が床に落ちる音と俺が地面に足を着く瞬間が重なり、そのまま俺は黒装束との間合いを一気に縮める。
俺が黒装束の懐に辿り着いたとき、俺は間合いを詰めた勢いを抜き身の刀に乗せ奴の胴に薙ぎを繰り出す。
刃は空気を切り裂き、小さな気流を生みながら黒装束に傷を、痛みを、鮮血を与えんと忍び寄って行く。
零コンマ零一秒毎にその輝く、凍てつく漆黒の斬撃は着実に敵の胴まで距離を詰めて行く。
刀が胴までの距離、残り三十センチに達したとき俺の視線は奴の目を見ていた。
あんな、今から居合いで間合いを詰めますと宣言するかのようなバレバレの構えで攻めてくると馬鹿正直に信じた愚者の瞳には驚きの色がほんの少し垣間見えた。しかし、奴の瞳の大半は別の色で染められていた。
なんだ、その目は。
何故、お前の瞳には余裕の色が浮かんでいる。
視線を交わすうちに、刀は奴の横腹まで後二十センチの所まで迫っていた。
俺は奴と視線を交差させ、急激に不安に苛まれる。今、俺は確実に優位に立っているはず、奴の脇腹が裂け、汚い血を吹き散らすことは必至のはず、どうしてその瞳に焦りがない。
刀身が残り十五センチに至ったとき、不意に俺の刀に強い暴風で押し返されるような激しい抵抗を受ける。一センチ、いや、一ミリ刀が奴に近付くに連れ押し返す抵抗は力を増す。
馬鹿な、敵の能力は電気操作、それはここまでのやりとりでほぼ確信に至っていた。電気を操作することで斬撃を阻むことは出来ないはず。
しかし、刃は十センチの距離を残し、力尽きたように進むことを止め、押し返される力で一気に押し戻され、刀の切っ先は床に着いた。
「残念でしたね。伝導率の低い木製の鞘で私の電撃を弾いたのは見事ですが、詰めが甘いようで」
黒装束は床に垂れる切っ先を見て初めて両端の口元を吊り上げ、俺に告げる。
「君は確かに馬鹿ではなっかたね。でも未熟だった」
黒装束が俺の胸の中央真上に右掌を掲げる。冗談ではない、健全に稼働中の俺の心臓には電気ショックは無用な代物だ。そういうのはICUで心停止を起こした患者さんに使うもので使い方を間違えないで欲しい。
俺の脳は焦りで下らないことしか考えられず、ただ空回りを続ける。頭の中ではただ悔恨の念が山彦のように反響する。
こんなところで………
敵の掌中央に再び蒼い光球が形成され、拡大、収縮の各工程を瞬時に済ませる。
――バチン
四度目の閃光の発射音、それは同時に俺をぶち殺す非情な死の宣告でもある。
「させない」
不意に俺の胸と敵の掌の間に何かが割り込んでくる。
俺の視界の前に小さな肩と背中、きれいな結われた黒の長髪が前方を遮った。俺の頭の中で組み立てられた予定では既に昇降口に向かって走り出しているはずの女の子。ハルカが俺を庇うように両手を広げ佇んでいた。
蒼い閃光はハルカ目掛けて一閃、しかし、彼女の体に触れた瞬間に音もなく消え去る。
俺は目を見開いた。目の前の奇跡が理解できない、紫電は確かにハルカを捉らえたはずなのに、ハルカは傷一つ負わずに毅然とした態度で立っている。
「なっ!………」
皮肉にも俺と同じ疑問をどうやら黒装束も持ったらしく口を間抜けに開いて驚いている。
「馬鹿な、私のでんきそうさ能力を受けて何故貴様は無傷なのだ」
敵は疑念を素直に口に出した。
「絶対不干渉、これが私の能力です。私にはパイオニアのあらゆる能力が効きません」
ハルカは敵の質問に素直に応え、続ける。
「即刻立ち去りなさい」
気迫の籠もったハルカの言葉に黒装束は僅かに怯む、しかし一呼吸置くと再び両端の口元を引き上げる。
「ただの令嬢かと思っていましたが、これは驚いた。あなたもやれば出来るのですね。」
黒装束は嫌味な微笑みから吐息を吐いた。
「ふふ、確かに今の状況は私に少々部が悪いようですね。またの機会にしましょうか」
言い終えると、黒装束は屋上の鉄柵に歩み寄り、右足を掛けるとそのまま屋上から飛び降りた。
俺はそれを見て直ぐに鉄柵に駆け寄り屋上から下を覗き込む、そこに黒装束の姿は影も形もなかった。奴は何者だったのだろうか、俺の中にははっきりとしない不快な疑問が頭の隅に凝り固まる。
「はぁ~~」
背後から脱力感に満ちた吐息が漏れる。俺は視線を後ろのハルカに向ける。彼女は足の力がなくなったかのように、へなへなっとコンクリートの床に座り込んでいた。
「ふぅ、大丈夫かハルカ」
俺は彼女の隣に歩み寄りそっと手を差し出しながら声を掛ける。
「うん、なんとか。キョウの方こそ怪我してない?」
彼女は俺の手を取りゆっくりと立ち上がる。彼女の顔には安堵の表情が浮かんでいた。
「ああ、俺は平気だよ」
俺はさっきまでの緊張感に満ちた顔を一気に緩め微笑んで応える。
「ごめんなさい、また巻き込んじゃったね。私キョウに助けられてばかりだね」
ハルカは俯いて言う。俺は内心ビビッて一瞬助けに入ろうか迷ったことへの罪悪感に苛まれる。それに実際今回は助けたというよりむしろ勝手に首を突っ込んで逆に助けられたというのが正しい状況説明だろう。なんとも情けない話だ、これに加えて謝罪までされたら俺は立ち直れなくなりそうだ。
「いやいや、むしろ助けられたのは俺だろ。情けない話だけど俺は何にも出来なかった」
俺は苦笑しながら応えた。
「そんなことないよ、キョウが助けに入ってくれて私すごく救われた。あんな風に能力〈絶対不干渉〉を使えたのも、敵を追い返せたのもキョウを守らなきゃって思って咄嗟のことで‥‥」
後半のからはデクレッシェンドが付いているかのように声は小さくなるハルカの言葉。ハルカは言った後「なんでもない」とぼそっと呟きながら顔を両手で覆い、耳を赤色に染めていた。
俺には後半ほとんど聞き取ることは出来なかったが、その仕草はかわいいなんてものじゃなかった。 俺は彼女を愛でるように見つめながら一息ついた。すると
「おい、上からなんか大きい音がしたが大丈夫か?」
不意に昇降口の方から声が聞こえる。俺は彼女を愛でるように眺めることを止め、視線を声の主に向ける。見れば屋上の入り口にはトドの群れの代表格でもあり、我がクラスの担任である仙道教諭が佇んでいる。
仙道教諭は屋上の焦げあとやバラバラに破砕した俺の刀の鞘、俺が右手に握っている刀を見て目を大きく見開き、驚きを隠せない声音で尋ねてきた。
「何があった?」
仙道教諭に俺達は昼休みのことのいきさつを話した。先日の事故のことも含めて、昼休みに黒装束のメスを握った変質者のこと、そいつがパイオニアであったこと、俺が自衛のために刀を抜いたことも包み隠さずだ。目の前のトドはずっと目をでっかくしっぱなしで俺はちょっとだけ噴出しそうになるが必至に堪える。
結局俺達二人は襲われことのショックも考慮して今日は早退して自宅で静養せよということになった。学校側も大変だろう、明日にはニュースで報じられ、マスコミがわんさか学校に押し寄せて安全面の責任問題を問われることだろう。当然ハルカのご両親も学校にどやしつけるのは目に見えている。
世界の十人の管理者、その一人の手に掛かれば学校責任者はみんな揃って総辞職だ、全く持ってご愁傷様です。掛ける言葉も見当たらない。
俺はハルカの迎えの車でついでに家まで送って貰えることになった、学校を公認でサボタージュできる上に迎えまで付けてくれるなんて万々歳だ。
ハルカの迎えは学校が連絡を入れると直ぐにやって来た。俺達は車に乗り込むと運転手の人柄のよさそうな六十手前くらいで所々の白髪が目立つ男は俺の家の住所を尋ねて来たので、俺はそれに丁寧に応答する。運転手は「かしこまりました」と一言告げると車を発進させた。
「明日学校にちゃんと来れるのかなぁ………」
不意に俺の隣のハルカが呟く、確かに前の事件に引き続き、学校で直接襲われたならば家の中に居るほうが安全だろう。ハルカの家ならば警備も万全で侵入は困難、安全面は学校とでは比にならないはずだ。
「確かに、こう立て続けに事件があったら怖くて学校に通えないよな。両親も心配してハルカを当分家から出さないんじゃないか」
ハルカは「困った」を絵に描いたような表情を浮かべる。
「どうしよう、私学校に行きたいよ。家に居たって退屈だもの、それにせっかくクラスのみんなと仲良くなれてきたのに会えないなんて嫌だよ」
俺はハルカのこの一言に安堵していた。学校ではいつも明るく振る舞っているし、楽しそうに周りの連中と話している光景も良く見かけるが、登校初日はあんなことを言っていたから少し心配していた、それも俺の要らぬお節介だったようだ。
「俺もハルカがいない学校は寂しいよ~、何を癒しにあの苦痛な授業を耐えればいいんだよ~」
俺は笑いながら見えみえの嘘泣きをする。
「も~~、口ばっかり。まじめな話なんだからね」
ハルカは両頬をぷく~と膨らませ両腕を組む。
「ごめんごめん、でもあんなことがあった後だししょうがないよ。もし学校に来れなかったらネルとか連れて学校サボって自宅に押しかけてあげるよ」
俺は笑いながら冗談を言う。
「だめだよ学校サボっちゃ。もう、だいたいお父さんも過保護すぎるのよ。学校くらい一人で行けるのに」
まあ過保護ではあるだろうけど、家柄も考えればしょうがないだろうと思い俺は苦笑。
そんなこんなで車内は笑い声の絶えない雰囲気で色々話をしていたら車の窓から俺の家が見えて来た、車は俺の住むどこにでもある普通のアパートの前で停車した。
「着いたみたいだな」
俺はそういって車のドアを開き、下車する。
「へえーー。ここがキョウの家なんだ」
俺の降りた降車口からハルカが顔を出しながら呟く。
「そ、見事なぼろ屋だろ?」
「そんなことないよ、ねぇ、機会があったら遊びにお邪魔しても良いかな?」
ハルカの返しは俺の虚を付く以外なものだった、何故俺の家なんぞに来たいのだろうか疑問だった。しかも、さすがにこんなしょぼしょぼの家にハルカを上げるのは気が引けるし、何より気後れする。
「俺の家なんて来たってなんもないし、汚いだけだからやめとけ。」
俺の返答にハルカはまたも頬を膨らませ、「ええ~いいじゃない」と言いながらむくれる。俺はハルカにでこピンを弱く当ててそれを窘めた。ハルカは未だ不満な顔をしているが納得したのか渋々諦めた。彼女は小さな声で何か呟いたようだったが俺には聞き取れなかった。
俺はそのままハルカに別れを告げて車のドアを閉めてやる、ハルカが窓越しに手を振りながら車は再び動き出し直ぐに見えなくなった。
俺はふうと吐息を一つ吐き出し、不意に腕時計に目をやる。時刻はまだ午後一時過ぎだった。今からどうしようかと考えながら階段を上がり自宅の扉のノブに手を掛ける。