黒の誕生
◆三ヶ月前◆
『世界は変わるべきである。今の世界は歪み、間違った存在でしかない。だからこそ、私は今の世界を許せない。破壊し、私はこの世界を創造し直す。そして、神を屠る、マクベの名のもとに』
世界は変わった。十年前のリーマンショックをきっかけに、百年に一度の大不況が世界各地に訪れる。各国政府は公的資金の投入、雇用作出など様々な政策を施行したが景気が底打ちする兆しはまるで見えなかった。
国家はその財政、景気回復は他の犠牲に基づいた方法以外の模索を断念する。それは即ち、国家は戦争により経済の回復を謀ったことを意味した。
第三次世界大戦の勃発、世界はアメリカ、EU、日本を中心とした資本主義、民主主義国家連合とロシア、中国、朝鮮を中心とした共産主義、社会主義国家連合の二勢力に分化した。
先進国を中心とした資本、民主主義連合はその技術力を強みとし、共産、社会主義連合はその莫大な人力と資財で対抗する。戦況は拮抗し、長期拡大化により両陣営の疲弊は著しいものだった。
各国は戦争により弱体化し、人口の減少、物価の異常な高騰などにより多くの人が苦しみ戦争の早期終結を願った。
そのような、暗黒時代において第三の勢力が戦争に突如参入して来た。それが現在のユニオン・ホールディングズの原型となった企業連合である。企業は戦争参加に対して極僅かな声明を各国に配信した。
『国家の時代は終わった』と国家解体の意志を表明したのである。
それは明確な国家に対するの宣戦布告であり、これが後に言う国家解体戦争への移行であった。
企業は国家が戦争で支出する資本、資源を各国に点在する企業間で独自の連携を謀ることで回収した。
衣食住、金融、メディア、運送などあらゆる企業は内密に連携、統合を繰り返し、また軍需産業においても既に企業連合の傘下に組み込まれていたため、経済、軍事、市場あらゆる分野はもはやこの時点で企業に独占されていた。
二極化していた各国は企業連合に対してすさまじいまでの脅威を感じ、急遽停戦、資本共産双方は直ちに同盟を締結し、これに対抗しようとした。
しかし、同盟を結んだ所で企業連合の圧倒的な優勢は揺らぐことはなく、追い詰められた国家は遂に核兵器投入の方針を固めつつあった。
誰しもが、核の導入により戦争の被害はさらに拡大し、更なる苦しみが待ち受けていることを予期していた。が、その予想は幸いにも実現することはなかった。
明星の惨劇、後に四月二十七日はそのように呼ばれる。数十の小型隕石があたかも国家同盟を攻撃するかのように同時多発的に政府機関、軍事施設に飛来し、数時間の内に各国の国家は次々に瓦解した。
飛翔体の墜落跡には巨大なクレーターと僅かな瓦礫だけが残り、そこに各機関施設の痕跡は残留せず、ただ灰燼と化していた。
結果国家解体戦争は僅か開戦から一ヶ月で終結し、ここに長い人の歴史の中で存続し続けていた国家という概念がその役割を終え、滅んだ。
企業は戦争終結後、直ちに国家の機能を担う業種として公安を設け、複数の企業を設立し、それらを統括する枢密機関としてユニオン・ジャッジが設けた。
また経済に関わる一般の法人の統括枢密機関としてユニオン・プライス、公共事業などの非一般法人や自治体の委託を受けていた企業の統括にユニオン・パブリックをそれぞれ設置した。
この三つの枢密機関を最終的にまとめる最高枢密機関を担うのが大企業連合を原型とするユニオン・ホールディングズである。
ユニオン・ホールディングズは終戦後から僅か二年程で現在の新体制を確立し、日本、EU、アメリカ、ロシア、中国をそれぞれ一つの超巨大都市へと変貌させ、全ての企業と人をそれぞれの都市に移転させた。
その後、企業全体主義に基づき、成人は絶対就労を義務付けられ、全市民を社員として扱いパイオニアとそれ以外とに選別をし、いずれかの企業に所属させることにより全ての人を社会の歯車に組み込んだ。
強大な力を持っているパイオニア達には優遇措置が施され、それ以外の大多数の人々はノーマンと呼称され、そこには少なからず格差と差別が存在していた。企業全体主義に基づいた新たな世界は数の力ではなく、高い能力、頭脳、体力が備わった個々の力と自らの役割を果たす協調性が求められ、重視される社会となる。
逆に、犯罪者、精神疾患者、障害者などは社会不適合者、すなわち欠陥品と判断され、社会の循環に不具合をもたらす不穏分子という理由で都市外へ追放された。これにより世界は都市に居住する社員と戦争により荒れ果てたままの都市外に住む者とで二分された。
このシステムにより都市に住む人々は格段に豊かになり、技術力は目まぐるしい発展を遂げる。経済、政治などのあらゆる分野も一つの組織に統合管理されることで安定性を獲得した。
しかし、それらの恵みの恩恵を受けられる者は管理者を筆頭とする力を持つものに集中する傾向があった。能力、権力、資力そのどれも持たない者は都市市民の数は全体の半数以上であり、一部の中には困窮の末に犯罪に走るしかなく、都市を追放される者も少なくはなかった。
また、ノーマンにとっては公安企業へ捜査、保護の依頼は手の届かないほどの金銭が必要になるため、多くの者は自分の身は自分で守らなければならない。だからこそ街中でも武装している人は半数以上居る。
しかし、大多数の都市民はそれでも今の社会を支持している。
それはマイナス面以上にプラス面が多くの者に高く評価されているかだ。社員は今まで得ることのなかった安定と秩序と調和に歓喜し、誰もがユニオン・ホールディングズを希望の象徴のように称える。その本質がどのようなものかも知ろうともせず、ただ与えられる運命を受け入れていた。
これが企業を中心とした新しい世界であり、僅か十年前までの歴史である。
「ここは何処だ?」
ふと、男が意識を取り戻せば目の前には見覚えのない光景が辺り一帯に広がっていた。
真っ暗闇の直径二十メートル程度はあろうかという大きめの部屋の中には四本の松明が備えられており、中の様子を朧気に照らし出している。
その松明のちょうど中央には支配者が座るに相応しい絢爛豪華な玉座が置かれている。彼の背後には映画館顔負けの巨大なスクリーンがあり、そこには世界地図が映し出されていた。
「ほう、我の所に人間がリンクしてくるとは珍事だな。我に何用だ?」
不意に声が室内に響き、声の方角を辿ると先程視界に入った玉座の方向から声が聞こえてくる。低い渋味のある、ダンディーな声だった。
彼は視線をそちらに戻すと誰も座っていなかったはずの豪奢な肘掛け椅子には主と思われるものが肘をついて頬杖をつき、足を組んで腰掛けていた。白銀の鬣に獅子を思わせる外観、身の丈は裕に三メートルほどはある。その大きい口元には鋭い牙が見え隠れし、獅子には似合わない真っ黒で装飾過度な古風な西洋甲冑を身に纏っていた。獅子が醸し出している異質な雰囲気は男に眼前の生き物が人外の存在であることを容易に想像させた。
「我に何用だ?」
銀獅子は繰り返し同じことを口にした。男はそれにただ戸惑いを顕にするだけだった。
当然だ、彼は昨夜確かに自室の寝室で普通に床に就いた。移動したわけでもないのにこのような異質な空間で目覚め、加えて目の前に得体の知れない存在が佇み、こちらに声を掛けてくるならば誰だろうと状況の理解に苦しむ。
「なんだこれ?」
彼は混乱する頭の中からただ思った言葉を口にした。
「無意識で第三領域である此処にリンクしたのか‥‥‥面白い。主ならば我にとっての永久の牢獄に等しきこの退屈な遊戯を終わらせられるかもしれん」
目の前の奇妙な存在は興味深そうに男を眺め、鋭い眼を僅かばかり和らげる。第三領域、リンク、退屈な遊戯と、男にとっては意味不明な単語をただ並べる銀獅子。言語自体は共有できてはいるが彼はその言葉が意図している内容の理解が追いつかない。
彼は思った。夢ならばもう少しまともな夢が見たいものだと。どうしてこのような幼稚で不快な悪夢なのだと。
しかし、今彼は立っている感覚も、室内の籠もった空気と臭いも、目の前に映る不気味な存在も随分とはっきりと感知していた。
夢ではないのか………
突然、彼の頭の中にはそのような非現実を、現実だと認めてしまうような考えが脳裏をよぎった。
「ふん、所詮主も下らん感傷に酔う愚かなゴミか」
銀獅子は狼狽する男の感情を読み取るように言葉を吐き捨てた。男はその台詞を聞いた途端にそれまで半目にしか開いていなかった寝ぼけ眼を全開にし、銀獅子を睨み付けた。
「下らないだと………」
男は明らかに憤怒の感情を抱いていた。何故彼がそれほどまでに憤り、憎悪を剥き出しにするのかは分からない、彼の眼前に座る人外の存在を除いては。
「ゴミをゴミと言って何が悪い。所詮主らはそのように単純な思考しかしない、故に主らは奴らに踊らされる駒となっている」
銀獅子は男を見下ろしながら嘆息する、その仕草は男にとっては実に不愉快であり、勘に障る態度だった。
男はただ静かに呟いた。
「口の利き方には気を付けたほうがいいぞ、貴様を消し去るなど造作もないことだ」
男の言葉を聞いた途端に銀獅子は表情を一変させ、満足そうな嫌らしい笑みを浮かべる。
「言うではないか人間、それだけ自身の力に自信があるにも関わらず、何故主はその内に秘めた感情を己が野心のために爆発させない?」
銀獅子は尚も男を挑発する。しかし、彼はその挑発に乗るどころか怒りを沈め冷静な表情で応える。
「この程度では何かを変え、何かを成すためには足りない」
彼は理解するまでには至っていないが感覚的に知っていた。所詮人間一人足掻いた所で成せることは限られていることを、圧倒的な力を前にすれば自らの持つ力は塵にも等しいことを。
だから、彼は今、何もしようとはしない。例えやらなければならない義務を背負っていようと、死んだ魚のように生気を失った瞳になろうと、彼はもはやそんな些細なことを気にはしない。今の彼の力だけでは足りないことは彼自身が理解していた。無駄なことに徒労するほうが彼にとってはよほど愚かで下らない、彼はそう考えている。
その理由は単純なものだ、彼は待っているに過ぎない。機が熟すのを、自らの望みを自らの力で叶えることが可能になるその条件が満たされる瞬間を。
「ならば、その巨大な力も、何もかもを捻じ伏せる力を新に与えてもまだ待つか?、世界の真実を知っても主はまだ待てるか?」
銀獅子の言葉は男の聴覚を深く刺激し、耳から離れない。新たな力、世界の理、どちらも彼にっとては特別な魅力を持つワードだった。
「聞かせろ」
彼の口は頭で冷静に今の状況を判断する前に言葉を吐き出していた。常に冷静で、常に考え、計画を立ててから実行に移す彼からは考え難いほどの即答だった。
「全ての元凶は一つ、この世界の管理者たるテスタメンツだ」
銀獅子が話しを終えると、男はただ静かに笑う。
「ふふふふ………そうか………全ては奴らのせいで………」
男は全てを理解した。この世界が何故あるのかを。この世界がどうして歪に捻じ曲がり、今の枠に嵌まっているのかを。何故自分という存在があるのかを。何故自分の過去は歪められたのかを。長い間答えを求め続け、導き出そうとしていたその全てを知った。
「許さない、壊す。こんな世界は存在する価値がない」
男の肩は小刻みに震え、その形相はすさまじいほどの怒りに満ちていた。
「貴様の名は?」
男は声を荒げ銀獅子に名を尋ねる。
「我は終焉と破滅を司る神、名はメギド」
メギドは淡々とした口調で自らの名を名乗った。
「貴様と契約しよう。私にはもう失うものなど何もない、私が願うのは唯一つこの世界の変革だけだ」
メギドは満足げに笑い、男に応える。
「素晴らしい応えだ。共に終わらせよう、この退屈な遊戯を。残酷で酔狂な神から今こそ全てを開放させるために」
二つの影は共にシンクロしたように歪な笑みを浮かべ、互いの理念の合致を喜び合う。
契約それは互いに利を成す約束、それはどちらか双方に不利益しかなければ決して成立することのない互いの利益をもたらすもの。
「では、我は主に力を与えよう。代わりに我は主の名を頂こう」
「そんなものいくらでもくれてやる」
男は応える、名の本当の意味も考えることなく、ただ己が欲望を叶えるために。彼もやはり愚かな人間の一人なのかもしれない。
強欲であり、力を求め、大切なものの本質を見失った愚者。それは失って初めて理解し、悔いることのできるもの。
だが、しかし、既に彼はそんなことは遠い昔に理解している。既に彼は多くを失い過ぎ、既に彼は失うことを悔いることにも慣れ過ぎてしまっていたのかもしれない。
メギドは男の同意を得ると、彼の胸に手を翳す。するとそこから先程視界に入ったモニターの地図に記載されていた文字と酷似した文体を引き抜いて行く。文字は鮮血の紅でまがまがしい輝きを放っている。
「これは………」
男が言葉を発する、がその前にメギドは光を帯びた文字列を俺の胸元から剥ぎ取り、手に掴むと口を大きく開き喰らった。
その刹那、メギドの体から黒い霧状のものが散布され、男の口から体内に入って来る。彼は抗うことができず、ただ体を蝕んでいく圧倒的な力に身を任せるしかなかった。
「テスタメンツを殺せ」
メギドの声が耳元に届くのと同時に男の意識は落ち始めて行く。
絶望、終焉、滅び、それらを具現化する神の力が男を覆い包む。暗く深い深淵へと彼は誘われ、黒く、黒く、黒く彼の全てを染め上げようとする。
『マクベ』それが力の名、『マクベ』それがこれから男の背負う罪、『マクベ』それは彼に与えられた仮染めの名前、『マクベ』それは世界を正す者。マクベの誕生、それは世界に大きな変革をもたらす予兆だった。
目が覚めるとマクベはいつもの見慣れた自室のベッドに横たわっていた。寝汗で彼の寝巻きは汗ばんでおり、僅かな嫌悪感を抱かせた。
先程のできごとは夢?
不意にマクベは自分の名を口にしようとする。しかし、自分の本当の名前は音にはならない。ただ口がパクパクと動くだけだった。
その状況でマクベは理解した。そうかあれは紛れもない現実だったのかと。
「ふははははは」
浅い少しだけ高めの声で彼は笑った。あれが現実ならば、まずやるべきことは管理者の抹殺。深夜の暗い一室に、その男の世界を嘲笑する笑みは少しの間響き続けた。
「私は力を得た、私は世界を救う、私は正義となる」
言霊のようにその部屋には不気味に怪しく彼の声が反響した。
大罪人マクベが十賢帝の一人の首を刎ね落とした、ユニオン・ホールディングズ代表総会襲撃の三ヶ月前の出来事である。