エピローグ
◇四月二十日正午◇
俺は松葉杖を左手に携えて、体を支えながら学校の西にある、桜並木の街道に佇んでいた。桜の花びらはとうに全て散って今は新緑の葉がおいおいしく桜の木を彩っている。
「結局、今年は桜を見ることができなかったなぁ」
「しょうがないよ、来年一緒に見にいこうよ」
俺の呟きに応えたのは、隣で俺の背中に手を添え支えてくれているハルカだった。
ハルカは私服姿で相も変わらず俺の心の癒しとしてその存在感を感じさせる、例えるならば棘のない薔薇といった所だろうか、まさに文句の付け所が皆無である。
彼女を見つめて心の療養を行っていると彼女は俺の足元に視線を落とした。
「足、まだ痛む?」
心配そうな表情で彼女は俺の左足に視線を送り、尋ねてきた。
「大丈夫だよ、痛みはまだ残っているけどきちんと完治させれば問題ないよ」
俺は笑顔で彼女に応えた。足の傷は幸い医者に見せたところきちんと治せば後遺症も残らず、以前通り元に戻ると言われた。無論、どうやったらこんな酷い怪我をするのかと医者に呆れられはしたが。
傷は未だに痛む、だが俺は自分の足のことなどよりもハルカの方が心配だった。先日の戦いで一番深く傷付き、多くのものを失ったのは間違いなくハルカだった。俺は彼女を巻き込んでしまった。例え、それが彼女を守るためだったとしてもそれは言い訳にしかならない。
「すまない、俺のせいでハルカまで巻き込んで」
俺は俯いたまま謝罪の言葉を口にしていた。
その瞬間、ハルカが俺の背中に添えている手で俺の後背筋の皮を掴みつね抓り上げた。
痛い。
ハルカは俺の瞳を覗き込んでくる。彼女の眉は僅かに吊り上がっていた。
「私はもうキョウがマクベだってことも含めて全てとっくに受け入れたよ。私はずっとキョウの傍にいたい、キョウを守りたい、キョウを支えたい。キョウはまだ私を受け入れてくれないの?」
やはり、この女の子にはつくづく支えられていると実感してしまう。彼女はきっと俺なんかよりもずっとずっと強い。こんな既に汚れ切っている俺を尚も求めてくれる、優しくしてくれる、温もりを与えてくれる。
「俺も誓うよ。今度は自分自身を変えるって、もう何も恐れないって」
俺はそれだけを小さな声で、でも確実に彼女の耳に届くように呟いた。彼女は俺の言葉に微笑んで一度だけ頷く。
その笑顔はもはや俺にとって何よりも大きな存在だった。この笑顔を、彼女を守りたい、それは俺の心からの願いだ。今まで心の深淵でただ膨らませているだけだった願望、誰かと共に生きること、それは俺が長く忘れていた暖かなものだった。
俺はずっと孤独を選び続けて来た、でも、彼女だけは拒絶することができなかった。俺は彼女と出会ったその時から既にハルカに惹かれていたのかもしれない、だから距離を保つことも、全てを隠し切ることもできなかった。
俺はこの忘れていた温もり決して失わない、ハルカをどんなことがあっても傍で守る。
この歪められた瑕疵世界を神の鎖から断ち切る。この運命を規定するシステムを壊す。この憎しみと悲しみが溶け合う永劫の螺旋を砕く。
神と管理者を失ったこの世界に目に見えた変化はない。だがこの世界は自由になった。今まで雁字搦めに縛っていた根源を壊したことでゆっくりとだが変わっていくはずだ。
俺自身がこうして変われたなら、世界も変われるはずだ。誰かに運命を強要されrことのない自由な世界。そこに至る為の楔は打ち込んだ。
俺は傍らのハルカの手を強く握り締めて呟いた。
「来年はこの桜を二人で見にい行こう」
俺の呟きにハルカは微笑みながら俺の手を強く握り返して応えてくれた。
俺はこの温もりに浸ろうと瞼をゆっくりと閉じた。もう、この手を離さない。俺は真っ暗闇な中でただその一言をゆっくり、深く心に刻み込んだ。
第一部 完
これは二年前に執筆した処女作なのですが、構想的にはまだ完結していません。
いずれ機会がございました続きを書いてきっちりと完結させようと考えていますのでその時はよろしければ拝読いただけると幸いです。