プロローグ
戦争、それはいつの時代もどこかで必ず起きていた酷い悲劇。
しかし、戦争は長い歴史を刻んできた人間社会の中で規模は変わっても無くなる時代は存在しない。必ず何処かで人と人は互いに傷付け合い、悲しみと憎悪、復讐と報復の悪循環に陥る。
それは人が存在するために必要なシステムの一部のように………
猛々しいビル風が吹きすさむ摩天楼の一角に黒いコートを羽織り、深々とフードを被った男は口元を歪に緩める。昼下がりの平穏な都市内での出来事だった。
◆四月四日午後二時半頃◆
ユニオン・ホールディングズ全体の大規模な会議。本年度は日本の中央都市、東京にある旧国会議事堂跡地に建設された大型の議会場にて行われていた。
その外観は実に近代的で、尚且つ機能重視で無駄な装飾は一切ない。完結に言ってしまえばガラス張りの透明の箱型である。
戦争終結後、この周辺にも高層ビルは立ち並んでおり、近場にはユニオン・パブリック本社ビルなど大手企業の拠点が点在しているが、この建物の存在感は他の抜きん出ていた。
この議場はその見た目からクリアボックスとも言われ、この場でメディアに開放した会議を行うことは社会運営の透明性をアピールするためとも言われている。
故に今日行われている会議も多くの取材陣が目に留まる。全ての報道陣は管理者の一つ一つの挙動発言を見逃すまいと目を輝かせていた。
「現状において、都市外テロ組織の被害は拡大を増し、警備の強化、都市間の移動においてもそのチェックを厳密に行い、都市内の監視体制も強化し、被害を抑える方針を採っております」
クリアボックスには八百を超える議席が敷き詰められ、各々が多様な顔で座っている。
その赤敷きの絨毯の議場中央に設けられた演台には黒スーツの中年の男が恐縮した態度で恐る恐る周りの反応を伺いながら状況報告を行う。
男の額には脂汗が浮き出し、今にも垂れてきそうだった。時折、男の視線は右往左往と泳ぎ、声もどことなく落ち着きがない。その態度を見ればこの演台に立つ男の重圧は十分に伝わってくる。
「我々は被害の予防ではなく、根源の駆逐を行えと言っているのだよ。何故それができない。君にはジャッジの管理者という役職を我々によって与えられていることが解かってもらえているかね?」
男の真正面に一際高く、豪奢に設けられている十席の座席、その左端に腰掛けている男は語気を強めて男に詰問する。
男は顎に見事な白髭を蓄え、白髪の頭頂部が禿げて議場の照明で光を煌びやかに反射させ、薄っすらとだが周りの景色を頭に映し出している。風格漂う仰々しい振る舞い、年齢は初老といったところで高級感漂うグレーのスーツを身に纏っている。
「我々は君に期待しているのだよ。あまり失望させないでくれ。繰り返して言うが我々の総意は予防策の充実ではなく、テロリストどもの拿捕と鎮圧、組織の解体だ」
初老の翁は言葉を吐き捨てた。
壇上の男は額をハンカチで拭いつつ、手元の資料に目を落とし、紙面の上を視線があちらこちらと迷走する。口の中の唾を飲み込み、喉を鳴らし、そして焦りを隠せない声で応える。
「で、ですが、資料にも記載の通り都市外組織の数、勢力はともに膨大であり、数多のパイオニアが構成員として存在する以上、下手に手を出せばこちらの被害も出てしまいます」
壇上の男の反論に翁は眉を鋭角に傾け、立ち上がり、男に対して声を荒げて言葉を発する。
「君は馬鹿かね? 我々には何人のパイオニアがいると思う、どれだけの兵力があると思う、どれほどの技術があると思う。少しはその小さな脳みそを働かせたまえ。我々はただ無駄に君達に資本を与えている訳ではないのだよ」
翁はそのまま壇上へとゆっくりと歩み寄りながら続けた。
「君にはつくづく失望させられたよ。もう少し使える人間だと思っていたが………残念だよ」
翁の言葉が途切れると、壇上の男は急激に青ざめた。恐怖の表情を顔に浮かべ、極僅かだが足が震えていた。男は握り込んでいた拳を解き演台に手を付き、体を支えながら情けない声を喉から絞り出す。
「どうか決議だけは、現状ではこれが限界なのです。どうか慈悲を」
男が目の前の翁を見る目はまるで神に懺悔、または願いを懇願する弱り切った瞳だった。
翁は男を一瞥する。その瞳には侮蔑と哀れみと蔑みの色が濃厚に表れていた。あたかも自ら身を燃やしながら光を求め蠟燭の灯火に飛び込む愚かな蛾を見るような、そんな目だった。
「この者の解任の決を採る。賛成の者は御起立を」
無常な権力者の宣告と同時に先程まで翁の座っていた十の座席、そこに腰掛けていた残りの九名が立ち上がった。
それに伴い、周りに備えられていた他の席に座る大勢の人々もその様子を見て次々に立ち上がる。結果は確認するまでもなかった。
「満場一致でこの者の解任を可決する。後任の任命は後ほど行う」
壇上に立っていた男は腰が砕けたようにその場に項垂れ、四つん這いになりながら小さな呻き声を漏らし、目元から数滴の雫を滴らせる。その粒が床の赤い絨毯に小さな、小さな染みを浮かび上がらせる。
染みは少しずつ大きくなり半径十五センチ程の黒い影となった………
その刹那
――パリン
突然議場のてんがい天蓋が砕けて強化ガラスの破片はダイヤモンドダストのように浴びる日光を四方に乱反射させる。輝く破片とともに天蓋からは影が降り立つ。
――シュ
僅かな破砕音からコンマ数秒の一瞬で四つん這いに突っ伏した男の目の前には黒ずくめの人影が立っていた。
――ポト
場内の全員が黒いコートに身を包み、深々とフードを被り、双方の腰に二対の太刀と脇差を納めている男を確認する。そして同時に不吉な落下音が静かに響いた。
その場にいあわせた誰もが目の前の光景を疑った。男の傍に立っている翁の胸部から上は黒味がかった鮮やかなワインレッドに染まり、場内には仄かに鉄の臭いが漂う。翁の足元には先程までしっかりと繋がっていた首から上の部位は、あたかもサッカーボールのように中身の臓物をはみ出させながら転がる。
二、三秒の静寂がその場を支配した。
その後、場内は狂気が充満し、所々からは金切り声の発狂や現実を直視できない戸惑いの呟きがこだまする。
「何をしている、そいつを殺せ」
叫んだのは高台に設けられた豪奢な席の中央に座っていた男、藤堂元老である。
彼は周りの十賢帝や代表の面々が口をただパクパクさせ、唖然としている中、唯一この状況下で指示すべき適切な判断を下した。
そう、目の前の黒い影は社会を管理する十人の首の一つを何のためら躊躇いも無くは刎ね落とし、平然と佇んでいる。これはテロであり間違いなく残りの九名やこの場にいる全員が危険な状態であることは言うまでもない。
藤堂元老の指示で警備の役に服していた者たちが手に物騒で野蛮な殺戮兵器を構えて、黒ずくめの男の前で安全装置を外し、即座に引き金に指を掻けた。耳障りで単調な轟が場内に空しく響き渡り、今度は鉄の臭いに加え、焦げ臭い火薬と薬莢の臭いも混じる。
警備兵はいかく威嚇射撃なしに即座に実弾を闖入者に浴びせる。射線軸は確実に男を捉え、男が蜂の巣のように穴だらけにされ、そこら中に血を撒き散らすだろ姿は誰にも容易に予想できた。
しかし、その予想は見事に裏切られた。
銃弾は招かれざる客人を貫くどころか、まるで怯え、畏怖したように男の体から逸れていく。場内に再びどよめきが起きる。
「貴様、パイオニアか?」
苦々しい表情を浮かべながら藤堂元老は客人に問う。
籐堂元老はパイオニア相手に能力を持たない警備兵では力不足ということを即座に理解し、自ら排除行動に移ろうと足元に置かれる愛用の槍に手を伸ばした。
「私はマクベ、この世界を破壊し、救う者だ」
銃声が鳴り響く中、闖入者は突然言葉を発した。自らをマクベと、変声機を通した奇妙な声色で名乗る。各メディアの取材陣はこの動乱の中心であるマクベにカメラを向け、彼の姿、声を拾おうと放送機器を回し続ける。
「君達は満足か、管理され、差別され、力ある者達にむしば蝕まれて。私はそんな世界は認めない。だから私は、この世界を破壊し、新たな世界を創る。力あるものとないものがお互い助け合える人道的世界を。己の欲を満たす強者が作った、腐ったシステムにより、今まさに、人々も腐りかけている。力なき人々よ、腐るな、平伏すな」
マクベはメディアに対して台詞を吐き続ける。ひたすらに発砲を続ける衛兵も殺意の籠められた銃弾も無視し、あたかも存在する次元が違うかのようにその場を一歩たりとも動かない。
何も、誰も彼を捉えることが出来ない。
「虐げられる力なき人々よ。君達はこのままでいいのか? 能力、暴力、権力、資力を持つ、恵まれた者に支配され続けて」
籐堂元老はマクベの言葉をしばし聞いていた。しかし、彼の我慢もすぐに臨界に達した。
「能書きはその辺にしてもらおう」
籐堂元老は深い紅塗りの刃を備える槍を手に馴染ますように握りなおす。
刃の部分だけでも己の身長の半分はあり、過度ではない装飾の施されたかれん可憐で巨大な槍を掲げ、長い柄を握る指に力を送る。
突きの構えで身構え、前方に置かれる足の五指で地面を掴むように踏ん張り、後方の足は極限まで収縮させる。溜め込んだ力を加減抜きで解き放ちマクベの懐に一気に駆け込んだ。
籐堂元老が間合いを詰め、射程に入ると彼は槍の柄をさらに握り込み自らの腕、腰、足、各部位の鍛えられた筋肉を稼動させる。
肩を捻じ込むように腕を振り抜き、同時に柄を握る力を僅かに緩める。
管理者であり、パイオニアでもある彼の渾身の一撃は招かれざる客人の心臓部目掛けて真っ直ぐに放たれた。
が、刃はマクベに徐々に接近するにつれて、そこに掛かる抵抗が大きくなる。
あたかもマクベに何者も触れさせないという意志が働いているかのように。
籐堂元老の突きがマクベまで五十センチ圏内に入った時、槍は突破力を完全に失い押し返されてしまう。
フードから少しだけ垣間見えるマクベの口元は歪な弧の形を形成、彼は瞬時に右腰の太刀の柄に手を添え、親指で刀の鍔を弾いた。
――カチ
鞘から刃が僅かに冷徹な鋼の顔を見せる。鍔を弾いた音と同時に元老の左肩がえぐ抉れた。
鮮血が宙を舞い、元老は尻餅をついて仰け反る。彼は今の一瞬で己の肩があっさりと斬られた事実に多少の脅威を覚える。
咄嗟に自らの浅はかな突撃を反省した。
相手の能力も実力も定かではない状況において、感情の起伏に任せて前に出ることは実に愚かな行為だと、自分はまだまだ青いと自らを改めて戒める。
だが、彼の内心に反省は存在しても後悔の念はいちる一縷も生成されない。
それは彼には決して力で劣ることは有り得ないという確固たる自信があり、実際にそれほどの力を持っているからだ。
「全く驚いたよ。まさか私が一太刀受けることになるとは。君のような有能な人材を失うことは社会にとっても大きな損失だ。どうかね、私の下で働かんか? その度量に肝の座りよう、悪いようには扱わんが」
籐堂元老は小さく、しかしはっきりとマクベに聞こえるように呟いた。
籐堂元老はその地位がために頻繁に命を狙われる。
しかし、彼はことごとくそのしかく刺客を時には警備の者に任せ、時には自らの力で排除してきた。それも常に無傷でだ。
だからこそ、彼は久しく傷付けられていない自分を負傷させたマクベを高く評価した。例え十賢帝の一人をほふ屠ったとしてもおつ御釣りがくるほどの有能さだと。
無論、公衆の面前に加えメディアが全国中継するさなかでのこの発言に躊躇がなかったわけではない。そんなことをすれば当然ながら管理者としての信頼を失うだろうことも重々承知だった。
しかし、彼にとってそれは些細なことなのだった。
彼にはそれを捩じ伏せることが容易なほどの能力、権力、資力を持っている。それよりも彼は自らの内に秘めている計画を実現するためには目の前の存在を殺すには惜しいと考えた。
「私は誰の力にも屈しない。己が正義を貫くだけだ」
再びマクベが先程と同様に右の刀の鍔を弾く、音と同時に先程肩を裂いた居合いが籐堂元老の顔面目掛けて飛来する。
「力の過信は感心せんな」
マクベは刀を振り抜いた姿勢で硬直した。抜かれた刃は刀身の中央から先が完全になくなっていた。
「その程度で我々を全員始末できると思ったかね。君の実力は惜しいが慢心する愚者に興味はないよ。消えたまえ」
籐堂元老は溜息交じりに呟くと腰を床に着けた体勢のまま即座に槍を握っていない、空いている反対の拳を握り込みマクベの肝臓に叩き込む。
が、マクベはそれを二歩後退して紙一重でかわした。
「この刀は結構なわざもの業物なのですが、どういう仕掛けで刀身がなくなってしまったのでしょう?」
マクベは疑問を素直に口にした。
刀の刃は残った部分以外破片もなく、見事に上半分だけがなくなっている。折れた断面も一直線であり、まるで上半分がすっぽり消えたみたいになっていた。
「経験の違いだよ、まだまだ青いな君は。世の中には想像を絶するようなこともしばしば起きるのだよ」
ニッタリと嫌味な笑みを浮かべて籐堂元老は立ち上がった。
「想像を絶するねぇ………。どうやら貴方がテスタメンツであることは間違いなさそうですね」
マクベは満足げな笑みを口元に浮かべる。それとは対照的に籐堂元老の表情は僅かに引き吊った。
「何処でその単語を知った」
藤堂元老の表情の変化を見てマクベはさらに笑みを深める。
「さぁ、何処でしょう? あなたの中にいる同士に聞いてみてはいかがでしょう」
藤堂元老は引き吊った表情のまま、手にしていた槍をマクベの頭上に振り上げ一気に落とす。
しかし、やはりまたも槍は弾かれてマクベの右側の床に虚しくめり込んだ。
「ふははは。焦っていますね。先程効かないと解かっていたのに。あなたはいずれ報いを受けるそれまではせいぜい夜道に注意することですね」
マクベは左腕を右胸の前に掲げ、上半身を折り曲げて紳士的な一礼を行うと天蓋の穴に向かって跳躍する。床から穴までの高さは優に十五メートル以上はあるがその高さをものともせず天蓋に穿った穴に吸いこまれるように消えていった。
後に残ったのはざわめきと眉間に皺がより、僅かな汗を垂らす藤堂元老。そして、状況を唖然と見ている傍観者達だけだった。
この時は、まだ誰も気が付いていない。これが円滑に回転を続けていた世界に小さな歪みをもたらしたことを。
そして、世界がそのシステムに甚大な被害をもたらす病魔を背負ったことを。
ただ一人、高らかに歪で邪悪な笑みを浮かべるマクベを除いては。