王太子殿下の『真実の愛』のお相手なので、退学して年上の蛮族の後妻になることで生き延びます
「この席は空いているね」
王太子ニコライ殿下と取り巻きたちが、テーブルに銀のトレーを次々と置いた。
王立学園のカフェテリアには、まだ空席がある。
なんで、わたくしと同じ席に座るのよ……。
わたくしは自分のトレーを持って立ち上がった。ニコライ殿下と取り巻きたちが、この席を使いたいのなら、わたくしが別の席に移るわ。
「アーシャ、どうしたんだい?」
ニコライ殿下は、整った顔に綺麗な笑みを浮かべた。
黄金の髪に、琥珀色の瞳をした、端正なお顔……。わたくしだって、遠くから見ている分には、すごく素敵な方だと思うわ。
「座れよ」
命令されてしまうと、男爵家の娘には拒むことなんてできない。
ああ、なんでこんなことになってしまったの……?
わたくしが座ると、ニコライ殿下は当たり前のように、わたくしの肩を抱いてきた。
「アーシャは恥ずかしがり屋さんだね」
ニコライ殿下が耳元でささやき、息を吹きかけてきた。
わたくしは両手で顔を覆った。
ニコライ殿下と取り巻きたちが、そんなわたくしを見て笑っている。
「初心なところも、実に愛らしい」
ニコライ殿下が、ねっとりとした口調で褒めてくる。
わたくしは胃の中身が喉元にせり上がって来て、「ウッ!」と呻きながら口元を押さえた。
「やだ、まさか……!」
近くの席から女生徒の声がした。
その一言の意味がわかってしまうのが悲しい。
わたくしが王太子殿下のお子を身籠っているとでも思ったのだろう。
事態は悪くなるばかり……。
「申し訳ありません……」
わたくしは小声で言いながら、ニコライ殿下の腕から逃れる。
そのままカフェテリアから走り出て、一番近くの女子トイレに駆け込み、鏡の前に立つ。
ピンクブロンドの髪が少し乱れ、菫色の目が大きく見開かれている。顔色は真っ白だった。
茶色いブレザーの襟の歪みを整え、赤いリボンを結び直す。
「どうしよう……?」
わたくしは鏡の中の自分に問いかけた。
同級生たちは、王太子殿下の見つけた『真実の愛』、つまり、わたくしと王太子殿下との恋愛を応援している。
このことを担任の先生に相談しても、先生は「わかった」と言うばかりで、なにもしてくれない。
両親だって頼りにならない。父は公爵家の嫡男だったのに、王立学園で婚約破棄騒動を起こした人だもの……。特待生だった平民の母と恋仲になり、婚約者だった侯爵令嬢を捨てたのよ。
祖父は父を廃嫡し、従属爵位の男爵と小さな領地を授けて、公爵家から放り出した。「二度と顔を見せるな」と言われたそうよ……。
王太子殿下の婚約者である侯爵令嬢のカミーラ様からは、数日前に階段から突き落とされそうになった。
「ニコライ殿下に近づく泥棒猫め!」
と怒っておられたから、わたくしの話を聞いてくれるとは思えない……。
このまま『ニコライ殿下の子を妊娠している』なんていう噂になってしまったら、きっとカミーラ様に殺されてしまうわ……。
――頼りになるのは、自分だけ……。
わたくしはふらふらと女子トイレから出ると、昇降口に向かった。上履きからローファーに履き替えて、学校から出る。
そのまま国立王都図書館に向かう。
馬車でならば、たいした距離ではない場所。
だけど、歩いて行くと、だいぶ時間がかかってしまった。
国立王都図書館は、とても幅の広い石造りの階段の上にある。
階段の途中にある王国のシンボル『猛き翼獅子』の像の横を通り、図書館の中に入る。
わたくしは書架の間を歩きまわり、なんとか法律書のコーナーに行った。
男爵家の娘が王太子殿下に迫られた場合、どうなってしまうのか……。過去の事例が知りたかった。
本棚には黒や茶色の分厚い革表紙の本がずらりと並んでいた。
わたくしは『判例集』なる本を手に取り、目次を見てみる。
専門用語が並んでいた。中身を読む前に、わかってしまった。なにが書かれているのか、まったく理解できない……。
――殺されなかった場合には、わたくしはどうなるの……?
そんなことを教えてくれる相手なんて、わたくしにはいなかった。
わたくしはとぼとぼと歩いて、子供向けの図鑑のコーナーに行った。
幼い頃は良かった……。両親のことも、他のことも、なにも知らなくて……。ただ毎日が楽しかった……。
わたくしは大好きだった動物図鑑と同じ物があるのを見つけた。
動物図鑑は、たくさんの人に読まれてきたようで、だいぶ痛んでいる。
わたくしは懐かしくなって、動物図鑑を持って閲覧席に行った。
座ってページを開くと、動物たちの絵が次々と現れる。
シロクマという熊は、雪深い北方の島だけに住むという。
クジャクは、エメラルドやサファイアを散らしたような鮮やかな羽根を持っている。
シマウマは、その名の通り白と黒のツートンカラー……。
わたくしは静かに動物図鑑を閉じた。
――こんなことをしている場合ではないわ。自分でなんとかしないと……。
動物図鑑を元の場所に戻し、図書館を出る。
図書館は『知恵の宝庫』だというのに、わたくしにはその知恵を生かせる力すらない……。
わたくしは『猛き翼獅子』の像の横で座り込んでしまった。
この国では、王族は獅子の化身だと言われている。
獅子というのはライオンのことで、ライオンは百獣の王……。
ライオンに狙われて、逃げ切れるわけがない……。
どうやって戦ったらいいの……?
王太子殿下を傷つけたら、こちらが捕まってしまうのに……。
わたくしは身体を縮こまらせて、長いこと考え込んでいた。
「お嬢さん、なにかお困りですか?」
わたくしの上に影が落ち、男性の声がした。
顔を上げると……。
青い騎士服を着たゴリラが立っていた。
いいえ、違うわ……。
肌が浅黒くて、髪と瞳が黒くて、筋肉が隆々とした騎士様よ。
まぶたが厚ぼったくて、鼻は横に大きく広がっていて、鼻の下が変に長く、唇が妙に薄いだけ……。
ニコライ殿下と比べたら、うんと見た目の悪い方……。
「あの……、わたくし……」
わたくしは騎士様に自分の状況を説明しようとして……。
やっぱり止めることにした。
騎士様の制服は、王都守備騎士団のもの。
貴族で見た目が良かったら近衛騎士団。
同じく貴族で腕の立つ方は王宮警備騎士団。
王都守備騎士団なんて、弱い貴族か平民の集まり……。
だいたいゴリラでは、ライオンには勝てないわ。
ゴリラは草食獣ですもの。肉食獣のライオンに狩られる側よ。
「私は王都守備騎士団のカイ・ロカヒです」
「わたくしはサイラ男爵家のアーシャと申します。ロカヒというと、南方のロカヒ伯爵領の……」
平民に人気の『アイランドリゾート』なるものを擁する蛮族の領地だわ。
「ええ、そうです。私はロカヒ伯爵家の長男です」
「でしたら、ご嫡男……?」
嫡男なのに、王都で騎士をしているの? この方もお父様みたいに廃嫡された方……?
「嫡男ではありますが……。ロカヒは様々な文化が混じりあっていまして……。この国の主流は長子相続ですが、ロカヒは末子相続なのです。我が家も末弟が継ぐことになっています」
つまり、末っ子が家を継ぐ、ということね。
「そうだったのですね……。すみません、よく知らなくて……」
「いやいや、気にしないでください」
カイ様は大きな口を開けて、豪快に笑った。
ロカヒは『太陽に一番近い島』などと呼ばれている。
半裸で暮らす野蛮な人々がいるのだとか……。
わたくしはこれまで、こんな風に大らかに笑う方を知らなかった。
「それで、なににお困りなのですか?」
カイ様は騎士らしく胸に手を当てて、礼儀正しく訊いてきた。
わたくしは迷った末に、自分の境遇をすべてカイ様にお話しした。
チャンスなんて、そう何度も巡ってくるものではない……。
わたくしはカイ様が差し伸べてくれた、肉厚な手を取ることにしたのよ。
◇
ゴリラというのは最強の猛獣ではないけれど、頭がとても良いの。手話で人間と会話のできる子がいたりするくらいなのよ。
「それは逃げるしかないですね」
カイ様は、わたくしに苦笑してみせた。
「逃げる……?」
わたくしには、逃げる場所なんてなかった。だから、なんとかして、ニコライ殿下たちと戦おうと思っていたのよ。
「私は王立学園の騎士科の出身でして、戦術や戦略も学びました。時には逃げることも、立派な戦い方の一つです。策として逃げるならば、それは負けでもないし、卑怯なことでもありません」
カイ様は力強く教えてくれた。
「負けでもないし……、卑怯でもない……。それなら、わたくしは、もう王立学園に登校しなくても良いかしら……? だけど、ニコライ殿下が家まで来たら……?」
ニコライ殿下と家の一室で二人きりになんてなったら……。
男爵家の人間には、王族を止められない。
わたくしは恐ろしい想像をしてしまって、「わあっ!」と声を上げて泣き出してしまった。
それなら王立学園に通っている方が、まだましよ……。
「では……、私とロカヒに来ますか?」
カイ様が弱々しい声で言った。
「え……?」
わたくしは顔を上げてカイ様を見た。
「アーシャ嬢、貴族は娘を利益のために嫁がせます。私は長男ですから……、私が求婚したら、ご両親はロカヒの小伯爵が求婚したと勘違いすることでしょう。きっと断りはしません」
「それは……、その……」
求婚ですって……? カイ様が、わたくしに……?
「アーシャ嬢のご両親を騙すことになってしまいますが……。王都守備騎士団を辞めてロカヒに戻る、騎士爵しか持たない男では、申し込んでも断られる可能性があるかと思いまして……」
「そう……、そうですわね……」
男爵でしかない両親では、わたくしを守り切ることはできない。
ここでカイ様のお話を断ったら……?
わたくしには、自力でニコライ殿下から逃げるなんて、きっとできないわ……。
「嘘だと思えば気が咎めるかもしれませんが、戦場においては『偽伝令』などというものもあります。敵方に偽りの命令を伝えるという戦い方です」
「そんなものがあるのですね」
「これはアーシャ嬢が生き残るための戦いです。勝利をつかまねば!」
カイ様は、拳をぐっと握った。
そうよ、わたくしはニコライ殿下というライオンから逃げ延びなくては!
「カイ様……、だけど、ご迷惑では……? カイ様にだって、婚約者がおられるのでは……?」
カイ様は、わたくしより、うんと年上に見える。婚約者どころか、奥様がいたって不思議ではない……。
「私は……、このような不細工ですから、女性には一切好かれません。一度は結婚しましたが、妻は見目良い護衛騎士と逃げました……。そのようなご心配は無用です」
「まあ……、不細工だなんて……。そんな風には思えませんわ」
カイ様の明るい笑顔は、ぽかぽかした春の日差しみたいよ。
ニコライ殿下は整ったお顔立ちだけれど……、わたくしには、なにもかもが恐ろしいばかり……。
「私は騎士団ではゴリラ野郎などと呼ばれていまして……。お気遣いは不要ですよ」
カイ様は、とても申し訳なさそうにしている。
「では……、では……。だけど、求婚なんて……。出会ったばかりなのに……」
「貴族の女性は、一度も会ったことのない方にも嫁ぐでしょう? こうして話をしてからなど、良い方だと思いますよ」
「わたくし……、王立学園に入学したての十六歳なのです。カイ様から見たら、まだ子供なのでは……? それでもよろしいのですか?」
「私は二六歳です。十歳くらいでしたら……。いや、しかし、初婚のアーシャ嬢に、十歳も年上の男の後妻など……」
「後妻なんて! そんなことは気になりません!」
カイ様は、わたくしの話をきちんと聞いてくれて、どうしたらいいか一緒に考えてくれたわ。
騎士爵だって持っていて、戦についてもよく知っている。
『王太子殿下が気に入っている女』を連れて逃げてくれるような度胸のある方なんて、探したってなかなかいないわ。
「では、アーシャ嬢……」
カイ様は、わたくしの前でひざまずいた。
わたくしは驚いて立ち上がる。
「どうか、我が妻になっていただきたい」
カイ様が、わたくしに片手をさし出してきた。
わたくしはカイ様の手に、そっと手を載せる。
カイ様は、わたくしの指先に誓いの口づけをくれた。
◇
わたくしはカイ様と共に帰宅して、両親から退学と結婚の許可を得た。
カイ様はその足で王都守備騎士団に辞表を提出しに行き、退職を許可してもらってきた。
わたくしはカイ様が辞表を出しに行っている間に、父の実家であるフォルン公爵家に宛てて手紙を書いた。内容は、王立学園でのニコライ殿下や同級生たちの様子を伝えるもの。
男爵家の娘とはいえ、わたくしも貴族の端くれ。『泣いていたら王子様が通りかかって求婚してくれる』などという都合の良いことが、偶然起きるとは思えなかった。
カイ様の母は、先王の異母妹。側妃腹の第四王女。政略結婚のために愛妾を側妃にした上で、その娘を蛮族の大族長でもあるロカヒ伯爵に嫁がせた。有名な話よ。
公爵家というのは、王家の血筋に連なる者。フォルン公爵家とロカヒ伯爵家が、どこでどう繋がるのかまでは、わたくしにはわからない。けれど、おそらく、愛妾から側妃となった方と、なにかしら関係があるのだろう。
フォルン公爵家が、そのあたりの伝手を使い、わたくしを逃がしてくれたとしか思えなかった。
だから、わたくしは、恩を返しておくの。この手紙は、お礼状よ。『王太子殿下に言い寄られた男爵令嬢が、祖父母に助けを求める手紙』ならば、なにかしら使い道があるはずですもの。この手紙は、使用人に命じてフォルン公爵家に届けさせた。
カイ様が騎士団から戻ると、わたくしたちは、すぐに乗り合い馬車でロカヒ伯爵領へと旅立った。
慌ただしい出立になってしまったから、わたくしが用意できたのは、最小限の身の回りの品を詰めた鞄や革袋が数個だけ。残りの荷物は、両親が後からロカヒ伯爵家に送ってくれる。
荷物は、カイ様が自分の分と一緒に木箱に入れて、肩に担いでくれた。
わたくしたちは二人だけで乗り合い馬車を何度も乗り継ぎ、最後は船に乗って、ロカヒ伯爵領まで行った。
とても大変だったけれど、カイ様が気遣ってくれたから、なんとか頑張れた。
乗り合い馬車を使った方が、追っ手に気付かれにくいらしい。カイ様がそう言うのだから、きっとそうなのだろう……。
ロカヒ伯爵領は『太陽に一番近い島』の二つ名の通り、日差しがとても強かった。
島に降り立つと、女性が花の首飾りをかけてくれた。プルメリアという、白くて愛らしい花の首飾りよ。
女性が着ていたドレスは、独特な花柄。ハイビスカスという、この島に咲く花らしい。
ロカヒ伯爵領には、近隣のいくつもの島が所属している。
王都などのある対岸のことは、『本土』という独特の呼び方をする。
わたくしには、覚えることがたくさんありそうだった。
カイ様は、わたくしを実家に連れて行ってくれた。
ロカヒ伯爵とご嫡男である弟は、群島会議に出ていて不在だった。
わたくしの義母となった元第四王女殿下は、ロカヒ伯爵領の主たる収入源である『ロカヒショッピングセンター』のオーナー店長をしているとのこと。
ロカヒ伯爵領は『本土』とは税率が違うため、王都よりも安く買える物があったりするらしいの。
王都やサイラ男爵家の領地とは、いろいろなことが違いすぎて、わたくしは戸惑うばかりだった。
義母はビジネススーツなる服で仕事から帰って来た。ブレザーとスカートの組み合わせなところは、王立学園の女子の学生服に似ている。
「ようこそ、ロカヒへ!」
ご機嫌な義母から両頬にキスされて、わたくしはひどく驚いた。
ロカヒでは、家族にはこのように挨拶するのですって。
金髪碧眼の義母は、大柄で体格も良くて、カイ様と同じく豪快に笑う方だった。
「カイが、こんな若いお嫁さんを連れて帰って来るとはねえ!」
義母は大声でカイ様を褒めていた。
「すまない……。母はいつもこうなのだ。慣れてほしい」
カイ様は、とても申し訳なさそうにしていた。
「歓迎していただけて感謝しておりますわ」
わたくしは二人に笑ってみせた。
翌日、カイ様と義母が『ロカヒショッピングセンター』を案内してくれた。
店内には、近隣の島から贈られたという剥製の『イリエワニ』やら『アミメニシキヘビ』やらという、巨大な生物の剥製が飾られていた。
「どうだ! 格好良いだろう!」
とカイ様に自慢気に言われたけれど、わたくしにはワニやヘビの魅力がわからなかった。
「強そうだってことよ」
義母が説明してくれて、ようやく理解できた。
たしかに、どの剥製も強そうだった。
「クロコダイルの革のバッグは女性に人気なのだ。アーシャにも贈ろう」
カイ様は、わたくしにワニ製のバッグを買ってくれようとしたけれど、わたくしは「高価すぎる」と断った。
カイ様が買ってくれようとしたのは、シャイニークロコというもので、メノウという石でワニの革を磨いて艶を出したのですって。宝石のような輝きがあり、剥製になっている荒々しいワニとは、まるで別物のようだった。
わたくしとカイ様の結婚は、群島会議に出席している義父と義弟の元にも伝えられた。
そうしたら、出席している群島の族長たちが、「おお、大族長のご長男の結婚式か! 今度は逃げられないようにしないとな!」と大いに奮い立ってしまったそうで……。
ロカヒ本島の浜辺では、今……。
大きな焚火のまわりを半裸の男たちが囲み、踊り狂っていた。群島の一つに伝わる舞いを披露してくれているらしい……。
それが終わると、火のついた棒の下を、のけ反りながら通り抜ける様子を見物することになった。これも群島の一つに伝わる、祝福の儀式らしいわ。
わたくしの前には、木の器に盛られたポキやロコモコといったご馳走が並んでいた。どちらも炊いた米の上に具材が載せられているの。
ポキの具材は、小さな四角に切ったアボカドとサーモンをタレに漬けたものよ。
ロコモコの具材は、目玉焼きという卵を割ってそのまま焼いたものと、ハンバーグなる挽き肉でできたステーキ。
これらを木のスプーンで食べるの。
「無理して食べなくても良いから……」
カイ様は心配そうに、わたくしを見ていた。
「美味ですわ!」
わたくしはカイ様に拳を突き出し、親指を立てた。これは『グー!』というハンドサインなのですって。『すごく良いね!』などといった、肯定の感情を表しているの。
ロカヒは本土とは違うところが多いけれど、結婚式は普通は本土と同じく聖堂でやるらしいわ。
だけど、今回は、群島の族長たちのせいで、伝統的な婚礼になってしまったの。
カイ様の衣装は、群島の一つから贈られた、巨大鮫の革の腰巻だけ。
わたくしは、プルメリアの描かれたワンショルダーの白いワンピース。
「これじゃあゴリラと人魚姫の結婚式だあ!」
なんて、族長の一人が酔って叫んで、奥様と娘さんらしき女性にボコボコにされていた。
この激しい婚礼の最中に、沖の方から、大きな篝火を焚いた一艘のボートが近づいてきた。
「アーシャ、迎えに来たぞ!」
ニコライ殿下が、ボートの舳先に片足をかけて叫んでいた。きっと格好良いポーズだと思っているのよ……。あの方って、そういうところがあるもの……。
邪悪な獅子が翼を広げて、ロカヒまで飛んで来てしまった……。
ボートを漕いでいた取り巻きたちが、オールを置いて海に入り、ボートを後ろから押し始める。
しばらくすると、ボートは浜辺に乗り上げた。
取り巻きたちは、ずっとボートを漕がされていたみたい。ひどく疲弊しているようで、全員が無表情で口も利かなかった。
元気なのは、ニコライ殿下一人だけ。
「蛮族にさらわれた我が『真実の愛』よ! 助けに来たぞ!」
ニコライ殿下は大袈裟な動作で、わたくしに向かって片手をさし出した。
「すげえ演出だ!」
族長の一人が手を叩いて喜んでいる。
まあ、そう見えるわよね……。
「衣装が凝っているわね!」
「良いセンスしてるじゃない!」
若い女性たちが、ニコライ殿下の赤い王族服を褒めている。
完全にサプライズイベントだと思われているようだった。
――それならば……。
わたくしは部族の皆様に、このイベントをさらに盛り上げてもらうことにした。
義母がわたくしの提案を聞いて、二つの部族の皆様と共にショッピングセンターへと走っていく。
「ようこそ、ロカヒへ! ニコライ殿下!」
ロカヒ伯爵が、時間稼ぎに乗出してくれた。
「王族っていう設定か!」
「いいぞー!」
男たちが囃し立てる。
「ニコライ殿下、まあ、酒でもどうです?」
小伯爵がエールを勧める。ニコライ殿下でも飲みやすい酒を選んだようね。
ニコライ殿下は素直にエールを飲んだ。ここまで移動してきて疲れているのだろう。
「てめぇら、本日のメインディッシュが来たぞー!」
カイ様が立ち上がって叫んだ。
雰囲気を盛り上げるべく、太鼓が打ち鳴らされる。
普段のカイ様は、とても上品な方で、こんな荒っぽい話し方なんて一切しないの。今だけは特別よ。
二つの部族の男たちが、『イリエワニ』と『アミメニシキヘビ』の剥製を担いでやって来た。大族長にこの剥製を献上した部族の男たちだから、彼らはワニとヘビの動きを熟知している。
わたくしも動物図鑑が大好きだったから、ワニとヘビがどうやって狩りをするのか知っている。
「えーっ! あの怪獣をステーキにして食べるのですかー!?」
わたくしはニコライ殿下に聞こえるように大声で訊ねた。
「あれを食べるのか!? ステーキ!?」
ニコライ殿下が目を剥いている。
群島では、今でも普通に食べているのよ。ワニ肉やヘビ肉を目当てに来る観光客だっている。ワニ肉やヘビ肉は『人魚の肉』と呼ばれていて、不老不死を得ることができるという伝説があるの。群島では長寿の方が多いから、『人魚の肉』の伝説ができたらしいわ。
「おいっ、ちゃんと仕留めたのか!?」
カイ様が慌てたような声を出す。
これを合図に、ワニが一人の男の頭に噛みついた。
「ギャアァ――!」
噛みつかれた男が絶叫する。
ヘビの方も、一人の男に巻きつき始める。
「絞め殺されるー! 助けてくれー!」
ヘビに巻きつかれた男が、ニコライ殿下に手を伸ばす。
「祭りだからって焦りやがって! さっさと止めを刺せ!」
カイ様が怒鳴る。横暴な感じが、すごく蛮族っぽいわ!
ワニは激しく横回転を始めた。あのように回転して獲物を弱らせ、水に引き込むのよ!
ヘビは男の姿を完全に覆い隠した。ニコライ殿下に見えないように男が後ろに下がる。
「ウルが丸呑みにされたぁー!」
「なんてこった、ウルー!」
男たちはヘビをくねらせながら、ニコライ殿下に向かっていく。
「マカニの腕がぁー!」
ワニの方は、一人の男がシャツの内側に片腕を隠して、砂浜をのたうち回る。片腕を食われた、という設定のようね。
ワニも大きな口を開けさせられたまま、一直線にニコライ殿下を目指す。
「こいつは止まらねぇ――!」
「まずいぞー!」
太鼓がさらに激しく打ち鳴らされる! ドンドコドン!
「ニコライ殿下、助けてくださいませ! 『猛き翼獅子』たる強さを見せて!」
ここで、わたくしによる無茶ぶり!
「へっ!? 私かっ!?」
ニコライ殿下が問い返してくる。
「『翼獅子』であるなら、ワニやヘビになんて負けないはずよ!」
「おっ、おいっ!?」
「ヘビは『アミメニシキヘビ』という種類で、群島で八人の男女を丸呑みにしています! ワニは『イリエワニ』、街中で大暴れして十三人を殺し、二五人に重傷を負わせています!」
わたくしは適当にそれっぽい解説をした。すごくありそうな話よね!
「そんな怪物、討伐隊が必要だろう!」
「討伐隊などおりません!」
話をしている間にも、ワニとヘビの剥製がニコライ殿下に迫る!
部族の鳴き真似自慢の男二人が、ワニとヘビの威嚇音を出している。『シューッ! シューッ!』などの音が、砂浜に不気味に響いているわ!
そこに、さらに、ゴリラの動作を真似したカイ様が飛び出した!
「ああっ、ゴリラまで! なんて恐ろしいのっ!」
ゴリラは草食獣だから、人間なんて襲わないけれど……。このタイミングで『恐ろしい』なんて言われたら、猛獣に見えてくるはずよ。
カイ様は拳で自分の胸を叩いて、ドラミングという動作の真似をする。野生のゴリラは良い音を出すために、平手で胸を叩くの。だけど、カイ様はとにかく強そうに見せるために、拳で叩いているのだと思うわ。
「ニコライ殿下ー! みんなを助けてくださいませー!」
わたくしが叫んだ、次の瞬間――。
ニコライ殿下はボートに向かって走り出していた。
取り巻きたちも、ニコライ殿下を追いかける。
ニコライ殿下たちの乗ったボートは、暗い海の向こうへと消えていった。
「やりましたわー! 王族を追い払いましたわー!」
わたくしが勝利宣言をすると、群島の一つの男たちが並んで、勝利の舞いが始まった。息の合った力強い踊りは、『ロカヒショッピングセンター』の催し物でも大人気なのですって。
この後も、火吹き芸やら、花火の打ち上げやらで、だいぶ盛り上がった。
わたくしたちの結婚式は、出席してくれた人々に大いに楽しんでもらえたようだった。
◇
ニコライ殿下は王都に戻ると、国王陛下に対してロカヒ伯爵領にいる人食いヘビとワニとゴリラの討伐隊を結成することを進言したらしい。その過程で、わたくしとの『真実の愛』をロマンチックに語ったことで、廃嫡となることが決まった。
「私が『真実の愛』を捧げる姫が、今も遠き島で助けを待っているのです!」
「そんな状況で待っていられるわけがなかろう! その場で助けぬか!」
ニコライ殿下と国王陛下のやり取りは外部に漏れて、王都の民を大いに笑わせたそうよ。
王妃殿下はこの話を聞いて、怒りのあまりお倒れになったとか……。
ニコライ殿下は臣籍降下して男爵位を賜り、カミーラ様を娶った。カミーラ様も、わたくしを虐げたことが問題視されて、そのままニコライ殿下と結婚することになったのですって。
同級生や教師も、どうやら無事では済まなかったらしいわ。
新しい王太子は、幼い第二王子殿下。第二王子殿下の婚約者は、同い年のフォルン公爵令嬢、つまり、わたくしの従姉妹よ。
――だけど、もう、遠い王都にいる王族や貴族の揉め事なんて、わたくしには関係ないわ。
わたくしはカイ様と共に『ロカヒショッピングセンター』のイベント担当として、企画から司会、実況まで大忙しなの。
最近では他の領地から出張イベントの依頼が来ることもあって、ロカヒ伯爵領の魅力を王国全土に広めるために遠征したりしているわ。
わたくしは、今では『ロカヒの人魚姫』という二つ名で呼ばれている。サインを求められたりするほどの人気になってしまって、カイ様に護衛騎士をしてもらっているの。そんなカイ様も、『ゴリラ騎士』として絵本のモデルになったのよ。
「ワニが水から上がってきたわ! さあ、どうする!?」
今日もわたくしは、他領の舞台の上から子供たちに訊ねる。
「遠くに逃げるー!」
子供たちが大きな声で答えてくれる。
「そう、逃げるの! ワニは陸ではそれほど早く動けない! 水中に引きずり込まれたら終わりよ!」
舞台の上では、剥製をモデルにして作った巨大なワニの人形が、所狭しと暴れまわっている。
――人生では、絶対に勝てない強敵と出会うこともある。
そんな時には、逃げるのだって一つの手段よ。
あの日、カイ様が、わたくしにこの戦術を教えてくれた。
わたくしは、これからもカイ様と共に、自分の人生を生き抜くわ!




