勇者が頭につけるアレ
「リディ。あれ作ってくれ。勇者が頭につけるあれ」
カラン。
ドアベルを鳴らして入ってきた黒装束の友人は、開口一番そう言った。
「は?」
振り向いた私の手には、守護魔法を付与し、研磨を済ませたばかりのブローチ型の護符。
私、リディアは王家公認の魔導具師だ。
「……誰がつけるの?」
「俺が」
「なんで」
「勇者になったから」
「は……はあああああ!?」
私は思わず立ち上がって叫んだ。
「マジで? あんた暗殺者じゃない!」
カウンターの向こうに立つ男、マティスはがっくりとうなだれるように頷いた。
「だよな。絶対変だよな。……けど、王家もいよいよ後がなくなってきたんだよ……」
◆◆◆
事の起こりは、昨年行われた――いや、行われるはずだった戴冠式だった。
この国には、代々王家に伝わる至宝が三つある。
王冠と、聖剣と、聖杯だ。
このうち聖剣と聖杯は、初代王たる古の勇者が持っていた対の魔導具だった。
聖剣は勇者の子孫たる正統な王にしか抜くことができず、聖剣が王の手にあるかぎり、神殿に安置された聖杯は、国を覆う守護結界の要となって輝き続ける。
ところが――。
先代王の崩御に伴い、王位に就くはずだった王太子は戴冠式で聖剣を抜くことができなかった。
調査の結果、殿下は先王陛下のお子ではなかったことが判明。
実母の王妃様はすでに亡く、第二王子と第三王子は側妃様のお子である。
ならばということで、王位は第二王子にスライド――するかに見えたが、今度こそ戴冠式をしくじってはならぬと、重臣たちが第二王子に聖剣を抜かせようとしたところ、彼にも聖剣は抜けなかった。
この時点で事態はかなり深刻だったが、問い詰められた側妃様が、陛下とは実は一度も閨をしなかったと告白するに及び、まだ幼い第三王子も王の――すなわち勇者の血を引いていないことが確定した。
紛うことなき国難である。
ほどなく聖杯の輝きは失せ、国を覆っていた守護結界が消失。侵入してきた魔族によって、聖剣が盗み出されてしまった。
もはや、国家滅亡待ったなし。
と、思われた時。
聖杯を安置した神殿に神託が降りた。
――新たな勇者が現れし時、聖剣は戻り、聖杯は光を取り戻すだろう――
その日からここまで一年あまり。
八人の勇者による魔王討伐遠征は、いずれも失敗に終わっていた。
最初の三人は文句なしの人選だった。
王国騎士を率いる騎士団長。女神の祝福を受けた聖騎士。大陸中にその名を馳せた冒険者。
誰もが「あの人ならば」と望みを託し、事実、彼らはいずれも二ヶ月をかけて魔族の領土を踏破し、魔王城の門をくぐるところまで漕ぎつけた。
だが、そこまでだった。
四人目からは、目に見えて勇者の質が下がっていった。
四人目は国境を越えて三週間で、五人目は二週間で、六人目は十日ともたずに斃された。
七人目と八人目は双子の剣士だった。二人の勇者が同時に戦えば、あるいは――と思われたが、結果は同じだった。
◆◆◆
勇者が頭につけるあれ。
金の輪っかの中央に、大粒の宝石を嵌めこんだあれである。
我が国では正式名称を〈勇者のサークレット〉という。
私はマティスの前に、A4サイズのフライヤーをずらりと並べてみせた。
「輪っかの素材は金か銀、オプションでミスリルも選べるわ。金はホワイトゴールド、イエローゴールド、ピンクゴールドの三色から選べて、銀なら鏡面仕上げ、マット仕上げ、燻しの三種類。幅は細め、普通、太めの三種類だけど、こっちもオプションで好きな幅に変えられる」
実は私は転生者だ。前世の職業は彫金師。
チートというほどではないものの、〈付与魔法〉という特技を持って生まれたおかげで、この世界でも自活できている。
「いや、俺そういうのは全然疎くて。デザインはリディに任せるよ」
「そう? なら……」
私は改めてマティスの全身に目を走らせた。
職業柄、日に当たることが少ないせいで白い肌。髪は漆黒。瞳は淡い灰色だ。
細身の身体は手足が長く、引き締まって均整が取れている。
「なら、土台は燻し銀で、幅は細めにしておくね。太かったり重かったりすると、動く時邪魔になるでしょう?」
「ああ、助かる」
暗殺者と言っても、対象は人間ではなく魔物だ。
冒険者の職業の一つで、彼がリーダーを務めるパーティ〈闇夜の鴉〉は、暗殺者のマティスを筆頭に、偵察、狩人、盗賊といった機動性と隠密性を徹底的に追及した構成だった。
「あとは中央の石だけど……」
私はフライヤーを脇に寄せ、間仕切りで小さく区切られた平たい箱を取り出した。
仕切りの一つ一つに、アクセサリーに加工する前の石が入っている。
「土台が黒っぽい銀だから、何を嵌めても合うと思うんだ。逆にあまり目立つのが嫌なら、こういう灰色の石もあるけど」
言いながら、マティスの瞳に一番近い色の石を指さす。
「これなんかお勧めよ。グレーサファイア。最高品質で、傷もないし付与もしやすいし」
「そうだな……」
マティスはしばらく視線をさまよわせていたが、やがて一つの石を指さした。
「これは?」
「ロードクロサイト。これも最高品質で付与耐性もばっちりだけど、どっちかっていうと魔導具よりアクセサリー向きよ?」
ロードクロサイト。
前世なら「インカローズ」と言ったほうが通りがいいだろう。恋愛成就の護符として、こっちの世界でも人気の石だ。
「いや、これがいい。この色が気に入った」
「そう? まぁ長く身に着けるものだし、好きな色にするのが一番よね」
「うん。で、支払いだけど」
「無料よ」
「えっ」
驚くマティスに、私はこれまで何度もしてきた説明を繰り返した。
「勇者探しは国家事業だもの。オプションには追加料金がかかるけど、今回は基本料金の範囲内だから全額無料」
「へえ。何か得した気分だな」
「でしょ? ついでに言うと、付与料金も国家持ち。だから、いい感じの守護魔法をがっつり仕込んでおくね」
「ありがとう。助かる」
嬉しそうに頷いたマティスが、ふと、私の手許に目をやった。
「その灰色の石」
「グレーサファイア?」
「そう。それ、イヤリングかネックレスに加工できるか?」
「できるわよ。このサイズなら、イヤリングよりペンダントトップのほうが映えると思う」
「じゃあそれで。デザインは……その、俺の……と、似たような感じにしてくれると……」
「ほおん?」
私はにやにやしながらマティスを見た。
「遂に好きな子ができたんだ?」
「……一応」
「いいわよ。無料とまではいかないけれど、今回は特別に材料費だけで作ってあげる」
「いや」
そう言うと、マティスは懐から財布を取り出した。
「ちゃんと工賃も請求してくれ。こういうのはけじめだから」
「……了解」
その後、私はマティスの頭囲を測り、サークレットとペンダントトップのデザイン画を起こし、納得のいくものができるとマティスは帰っていった。
双子の勇者が消息を絶ち、石の砕けたサークレットだけが戻ってきてから一ヶ月。
マティスが魔王討伐の旅に出るのは、十日後と定められていた。
◆◆◆
マティスが店を出ていくと、私はすぐさま作業に入った。
棒状の地金のストックから、ミスリルの地金を選び出す。
オプション料金は私持ちだ。
どうせ最後は黒っぽく燻すのだ。マティスの目には銀もミスリルも見分けがつかないに違いない。
地金をローラーに何度も通し、細めの線に延ばしていく。
専用のバーナーで赤くなるまで炙った後は、冷水に入れて急激に冷やし、柔らかくなったところでサークレット用の木型に巻きつける。
長時間つけていても頭が痛くならないように、全体に丁寧にやすりをかけ、裏側にマティスの名前と「9」という数字、そして古代語の祝福を彫り込んだ。
いつもならこの後一気に付与まで済ませるところだが、明日はたまたま女神様の祝日だ。
験担ぎなんて柄じゃないけど、この際できることは何でもやっておきたかった。
作業場の明かりを落とし、店の戸締りをして、一人暮らしの二階に戻る。
ベッドにぽすんと転がれば、昼に会ったマティスの顔や言葉が次々と浮かんできた。
『いや、これがいい。この色が気に入った』
『……一応』
サークレットと揃いのアクセサリーの注文は、これまでにも何度も受けたことがあった。
愛する人の瞳か髪色の宝石をサークレットの中央に。
自分の色の宝石を、相手に贈る装身具に。
枕に広がる自分の髪を、くるくると指に巻きつける。
私の髪は亜麻色、瞳は若草色だ。
「ピンクの髪か瞳の女の子かぁ……」
誰だろう。
〈闇夜の鴉〉は男ばかりのパーティだ。
マティスがよく行く食堂や、交流のある冒険者の女の子たちを一人ひとり思い浮かべていくうちに、はたとある女性に思い当たった。
冒険者ギルドの受付嬢。
一年ほど前、王都から派遣されてきた彼女の瞳が、確かピンク色だった。
銀髪をひっつめ、地味なスーツに黒縁眼鏡をかけていても、滲み出る気品は隠せない。噂では王都で婚約を破棄された、さる貴族のご令嬢だという。
「……あーあ」
思わず深いため息が出てしまい、私はごろんと寝返りを打った。
マティスに初めて会ったのは、この店をオープンしたばかりの頃だから、かれこれ五年は経つだろうか。
最初は店主と客として、注文を受けるだけだった。
それがある時、私がギルドに依頼したレア素材をマティスが取ってきてくれてから、ギルドで会えば挨拶を交わし、ついでに二言三言話すようになった。
その後もマティスは私の依頼を毎回のように受けてくれ、魔導具店の常連みたいになったから、時たま一緒にご飯を食べに行ったり、仕事以外の話もするようになったけど……。
「友達、だよね」
一緒にいるのは楽しいし、向こうも私を決して嫌いじゃないとは思う。
でも、別に好きとか言われてないし。
お互い身の上話をしたことはあるけど、そんなの友達同士でも普通にするし。
私は自分が付与魔法をかけるところを、マティスにだけは見せたことがあったけど、それだって別に、他に見せるほど親しい人がいなかっただけだし。
「はあ……」
もう一度ため息をついて、反対側に寝返りをうつ。
「……寝よ」
◆◆◆
サークレットの土台は三日で仕上がった。
黒く燻したミスリルの、一見地味な輪の表面には、よく見れば細かなレリーフがびっしり彫ってある。そのレリーフの一つ一つが強力な付与の魔法陣だ。
翌日、ミスリルの地金を薄く引き伸ばし、涙型の板を作った。
こちらはペンダントトップの土台である。
サークレットと同じ付与魔法陣を周囲に彫り込み、同じように燻し加工をするのに二日。
次の三日は、二つの宝石にひたすら付与魔法をかけて過ごした。
金属と違い、宝石は魔力を一気に流し込むと濁ってしまう。
護符としての働きは濁っていても変わらないが、それでもマティスには少しでも美しい石を持っていてほしいし、マティスの瞳と同じ色の宝石を濁らせるなんて絶対嫌だ。
私は自分の魔力を蜘蛛の糸のように細く研ぎ澄まし、細心の注意を払って少しずつ、少しずつ二つの石に注ぎこんでいった。
マティスが来た日の翌日から、店のドアにはずっと『作業中につき休業』の札を出してある。
これまで同様、私にサークレットの注文が入れば、そのことはギルドを通して街全体に告知される。
店を訪ねてくる者はなく、私はほとんど不眠不休で制作に打ち込んだ。
作業を始めて九日目。明日はマティスが討伐の旅に出るという日の深夜、最後の魔法をサークレットに籠め終えた私は、久しぶりに家を出た。
行く先は冒険者ギルドである。
昼夜を問わず迷宮に潜ったり、魔物の討伐に出たりする冒険者のために、ギルドは二十四時間開いている。
魔導灯に照らされたホールは、日中ほどではないものの、そこそこ冒険者で賑わっているが、当然ながらそこに〈闇夜の鴉〉の面々はいなかった。
明朝の出発に備え、今ごろは宿かそれぞれの家で休んでいるに違いない。
ホールの奥に並んだカウンターの一つに、銀髪ひっつめ黒縁眼鏡の女性を見つけた私は、真っ直ぐそちらに歩いていった。
「こんばんは、アデルさん。サークレットの納品に来ました」
「まあ、リディアさん! こんばんは。こんな遅くまでお疲れ様です」
にこやかに挨拶を返してくれたアデル嬢は、次の瞬間、綺麗に整えた眉をひそめた。
「いやだ、あなた大丈夫? 顔色がひどいことになっているわ」
「はは、ご心配なく。ちょっと魔力が切れかけてるだけですから」
〈勇者のサークレット〉に必ず付与することが義務づけられているある魔法は、難易度がべらぼうに高い上、とんでもない量の魔力が必要だった。
それだけの技量と魔力があるからこそ、私は王家公認の魔導具師なのだ。
「とにかくこっちへ」
アデル嬢に個室に案内された私は、ぐったりとソファに沈み込んだ。
向かい側に座ったアデル嬢が、納品したサークレットを判定の魔導具に通し、納品書に認可の印を捺す。
「はい、確かに。今回も〈帰還魔法〉はきちんと付与されていることが確認できました。……いつもながら、素晴らしい腕前ね」
アデル嬢は完成したサークレットをためつすがめつした後で、大切そうにベルベットの台座にそれを置いた。
明朝、これは神官の手で、旅立つマティスの額につけられるのだ。
「ありがとうございます。あと、これを」
私は銀色の薄紙に包んだ小箱をアデル嬢に差し出した。
リボンはサークレットに嵌めたロードクロサイトと同じピンク色だ。
「サークレットと一緒にオーダーされたペンダントトップです。明日、マティスに会ったら渡してください」
「あら。だったらそれはあなたが直接彼に渡してあげれば……」
言いかけたアデル嬢は、ふと何かに思い当たったように言葉を切って微笑んだ。
「……そうね。わかったわ。これは私から渡しておく」
「はい。どうぞよろしく……お願いします……」
ああ、ようやく終わった。
気が緩んだ途端、ぐわんと目の前の景色が回転した。
「え、ちょっと! リディアさん!? リディアさん! ……誰か!」
慌てたようなアデル嬢の声が、次第に小さくなっていく。
それきり、私は吸い込まれるように意識を失った。
◆◆◆
魔力切れによる昏睡状態から私が目を覚ましたのは、それから一週間も経ってからのことだった。
マティス率いる〈闇夜の鴉〉は予定通り魔王討伐の旅に出発し、人々は「今度こそは」という期待と「今度もまた」という不安を胸に抱きつつも、いつも通りの生活を営んでいる。
アデル嬢が私の店を訪ねてきたのは、マティスの旅立ちから二週間ほど経ったある日のことだった。
「こんにちは、リディアさん。その後体調はいかがかしら」
言いながら、アデル嬢は手土産だという茶葉と焼き菓子を渡してくれる。
どちらも王都の有名店のロゴ入りの箱に入ったそれらは、私などでは到底手の届かない高級品だ。
「おかげさまで、魔力はもう完全に回復しています。……すみません、その節はアデルさんにも、ギルドの皆さんにもご迷惑をおかけしてしまい……」
「あら、いいのよ、気にしないで。勇者探しは国家事業ですもの。そのために尽力してくださった魔導具師の方をお世話するくらい、旧王家としても国としても当然だわ」
「きゅ、旧王家……」
そうなのだ。
勇者の血統が断絶したことが明らかになり、現在、我が国の王位は空位である。
とはいえ国家存亡の折から、内紛などしている場合ではないこともまた事実。
かつて王太子だった元第一王子は、戴冠式まで自身の出生の秘密を知らなかったこと、また、もともとたいそう優秀で人望もあったことから、現在は王族の称号こそ剥奪されたものの、臨時の政務官として魔王討伐事業の指揮を執っている。
「そんなことより、今日はあなたに作っていただきたいものがあって来たの」
と言うアデル嬢に、私も表情を仕事モードに切り替えた。
「魔導具のご注文ですね。何でしょう?」
「ペンダント用の鎖なんだけど」
(……っ!)
あれだ。
マティスが私にオーダーしたペンダントトップ。
あれには鎖がついていなかったから……。
「……なんて、ここまで言えばさすがにわかっちゃうわよね。そうなの。あのペンダントトップにぴったりの鎖を作ってほしいのよ。素材はミスリルの燻しで、切れたり汚れたりしないように、〈破損防止〉と〈清浄〉の魔法を付与してくれる?」
さすがは貴族のご令嬢。あれが銀ではなくミスリルだとちゃんとわかっていらっしゃる。
「承知しました。長さと細工はどうされますか?」
私はちゃんと笑えているだろうか。声は震えていないだろうか。
「長さは……そうね、ちょうど鎖骨の窪みに収まるくらい。細工はあなたが考え得る最高のものにしてちょうだい。特別なジュエリーだもの。工賃はいくらかかっても構わないわ」
「……はい」
納期はそこまで急がないわとアデル嬢には言われたけれど、私は翌日からまた作業場に籠ることにした。
少なくとも手を動かしている間は、余計なことを考えなくて済むからだ。
◆◆◆
――さらに二ヶ月の時が過ぎた。
〈闇夜の鴉〉が国境を越え、魔物の領土に入ってからも、しばらくの間は届いていた魔導具による定期連絡。それが、
『これより魔王城に入る』
という報告を最後に途絶えてからすでに二週間。
前の勇者たちのサークレットが〈帰還魔法〉でギルドに戻ってきたのが、大体このくらいの時期だった。
その日、私は朝から落ち着かず、何ひとつ手につかないまま、作業場と店の間を行ったり来たりしながら過ごしていた。
妙に胸がざわざわする。
これまでの勇者たちは皆、剣士だったり聖騎士だったり、正面から堂々と戦うタイプのジョブだった。
暗殺者の勇者なんて、これが初めてだ。
だからこそ成功するのか、だからこそ成功なんてあり得ないのか。
街の人々も落ち着かないのか、今日はお客が来ないどころか、店の前の通りも人っ子一人通らない。
きっと皆、ギルドの前に集まっているのだ。
「……ああもう!」
静まり返った店の中に一人でいるのに耐えられなくなって、私は遂に外に出た。
案の定、ギルドの前には人だかりができていた。
エントランス脇の敷石に描かれた帰還の魔法陣。
勇者が死ねば、そこにサークレットだけが戻ってくる。
けれど、もし――。
フォン。
人だかりの向こうで、魔法陣が起動する音がした。
私は息を呑んで足を止める。
(どっち?)
サークレットか。それとも。
次の瞬間、あたりをどよもすような歓声が上がった。
「帰ってきた!」
「聖剣の勇者が帰ってきたぞ!」
(……っ!)
私はいっさんに走り出した。
勇者の姿を一目見ようとする人々にぶつかり、もみくちゃになりながらも、一刻も早く彼の無事を確かめたくて。
「すみません、ちょっと通してください」
「ごめんなさい。知り合いがいるんです」
ようやく人々の頭越しに魔法陣が見えるところまで来た私の目に飛び込んできたのは――。
全員無事に戻って来た〈闇夜の鴉〉のメンバーと。
アデル嬢の前に跪き、その手に恭しく口づけしているマティスの姿だった。
◆◆◆
そこから、どうやって店に戻ってきたのか覚えていない。
気がつくと私は二階の自分の部屋で、呆然とベッドに寝転がっていた。
(マティスが無事に戻って来た)
めでたいことだ。
だって、これで国は救われる。
(アデルさんの前に跪いていた)
もう魔物に怯えなくていい。
サークレットを作らなくていい。
(まるで騎士が求愛するみたいに)
砕けた石を見るたびに、また駄目だったと。
勇者の遺族が泣くたびに、心を痛めなくていい。
(マティスはいつからアデルさんが好きだったのかな。私と一緒にいる時は、そんなことひと言も――)
ドンドンドン!
「おーい、リディ。いるんだろ?」
階下から聞こえてきた声に、私はがばっとベッドに起き上がった。
(マ、マティス!? 何で……)
「帰ってきたぞ。入れてくれよ」
(いやいやいやいや)
あんなものを見ちゃった後で、どんな顔して会えばいいのよ。
(ああ、でも……)
マティスにとっては、私はただの友達だもの。
いつものノリで「ただいま」を言いにきてくれただけなのだ。
(だったら私も、友達らしくいつもみたいに……)
「リディ!? ちょ、どうした!? どっか具合でも悪いのか!?」
「ひゃあっ!」
不意に間近で聞こえた声に、私は文字通り飛び上がった。
ベッドの横に、マティスがいる。
「悪い。いくら呼んでも返事がなかったもんだから、心配になって」
「~~~~~。あんたねえ! 特技使って人んちに入ってくるとか、それ立派に犯罪だから!」
マティスの特技は〈壁抜け〉。
これがあるから冒険者になったし、暗殺者のジョブを選んだと言っていた。
「仕方ねえだろ。早く顔見て安心したかったんだから」
「え」
「てか、おまえ何で泣いてたんだよ」
「な、泣いてなんか……」
言いかけて、ずび、と鼻を啜る。
好きな人の前で鼻水なんか垂らしたくないし。
「あー、それでさ。とりあえず、これ」
マティスはごそごそと懐から出したものを私に差し出した。
銀色の薄紙に包まれた小箱。
薄紙はところどころ擦り切れて破れ、色褪せて皺くちゃになったピンクのリボンは、一度解いてから結び直したのだろう。がたがたの蝶結びが斜めに傾いている。
「その、外側がこんな汚れてて悪い。けど中身はちゃんと綺麗だから」
「…………」
ええと。
これは、どう解釈したらいいのだろう。
「……返品?」
「ちっげ――よ!」
いいから開けろ、と凄まれて、がたがたの蝶結びを解いて蓋を開ける。
中にはマティスの瞳の色と同じグレーサファイアのトップに、燻し加工のミスリルの鎖がついたペンダントが入っていた。
「本当は出発前に渡すつもりだったのに、おまえ、魔力切れで寝込んじまうんだもんなー。アデル様は何が何でも俺が自分の手で渡せって言うし」
(――アデル様)
討伐遠征に行くまでは、アデル「さん」って呼んでたのに。
「まあ? これ渡すまで絶対死ねないって思ったから帰ってこれたようなもんだし、結果的には良かったけどさ」
「え。でも……」
どうしよう。
さっきから、何だか私にばかり都合のいい考えが浮かんできて仕方がないんだけど。
これ、期待してもいいのかな。
(いや、でも)
いつまで経っても私が反応しないでいると、マティスはだんだん心配そうな顔になってきた。
「そのう……。嫌かな。俺じゃ」
「……してたよね」
「え」
「キスしてたよね、アデルさんの手に。跪いて」
物語に出てくる騎士みたいに。
「いや、あれはほら、帰ってきたらそうしろって神官のじいさんに言われてたし! そもそも手には触ったけど、絶対口はつけてねぇし!」
「いや、口つけるって」
料理のシェアじゃないんだから。
「あーもう! だからぁ!」
次の瞬間、私はマティスに抱きしめられていた。
「好きなんだよ! ずっと前から! おまえは俺のこと、友達としか思ってなかったみたいだけど!」
一瞬、頭の中が真っ白になった私は。
最初はおそるおそる、マティスの背中に手を回し。
やがて、私たちはお互いに、きつくきつく抱きしめ合ったのだった。
◆◆◆
「嫌だわ、リディアさんったら。本当に気づいていらっしゃらなかったのね?」
――後日。王宮内の、とんでもなく立派な応接室にて。
アデル嬢あらためアデライード・タラン公爵令嬢は、扇で口許を隠してころころと笑った。
どうでもいいけど、貴族のご令嬢って、本当に扇で口許隠すんだ……。
「いや、だっ……ですけど、サークレットに使うように頼まれた石は、あの頃のアデル……アデライード様の瞳と同じお色でしたし」
美しく結い上げられた銀髪にボルドーの瞳。
黒縁眼鏡を外したアデライード様の瞳の色は、ピンクよりもずっと青味寄りの色だった。この瞳と同じ色の宝石を、と言われれば、私ならルビーかガーネットを選ぶだろう。
「ふふふ。わたくしのことは今も『アデル』で結構よ。それと、サークレットのあの石の色は、間違いなくあなたの瞳の色で合っているわ」
「え。でも、そんなはずは……」
私の瞳は若草色だ。
アデライード様はそんな私を見てくすくすと笑う。
「あなた、彼にだけは付与魔法を――ギフトを使う瞬間を見せたのでしょう?」
「はあ。まあ……」
まだ知り合って間もないころ、誰にも見せたことがない、と聞いたマティスが、「そうか。じゃあ俺もダメだな」と言うから、「別にいいよ」と言って見せたのだ。
「それはそれは美しい桃色になるんですってよ。あなたの瞳」
「えっ」
「『あの色を見たことがあるのは俺だけなんです』なんて、このわたくしに向かって惚気たのよ。いい根性してますわよね、あの暗殺者」
「……あー。何かすみません……」
思わず小さくなった私に、アデライード様は「いいのよ」と微笑んだ。
「わたくしもちょっぴり意地悪だったわ。その鎖は、だから、お詫びの印に受け取ってちょうだい?」
そう言われて、私は思わず喉元に手をやった。
燻し加工を施したミスリルの鎖に、たっぷりと施した付与魔法のせいで淡く輝くグレーサファイアを嵌めこんだペンダントトップが、ちょうど鎖骨の窪みにおさまっている。
「値段はいくらになってもかまわない」と言われたことと、アデル嬢が貴族のお嬢様だという噂を聞いていた私が、半ば自棄になって持てる技術のすべてを注ぎこんだ結果、このペンダントは本来ならば国宝級の代物に仕上がっているのだが。
「勇者とその花嫁の持ち物ですもの。そのくらい当然よ」
とアデライード様は艶やかに笑う。
「それに、おかげでわたくしも、愛する人と別れずに済んだわけですし」
アデライード様は、何と、元王太子殿下、現国王陛下の婚約者だった。
例の戴冠式の後、王太子殿下が継承権を剥奪されたため、二人の婚約はいったん破棄されたものの、その後の更なる調査により、陛下がもともとお子を成すことができないお身体であったことが判明。
結界消失、聖剣の盗難という未曽有の国難に際し、粉骨砕身して国を護った元殿下を王位に、という声は重臣たちの間に根強くあり。
そこへ来て、勇者となったマティスが、
「王位なんて無理です。絶対無理。無理無理無理!」
と必死になって辞退したため、結局、前王妃と、直系ではないものの王家の遠戚にあたる人物の間に生まれた元王太子殿下が玉座に就くことで決着した。
コツコツ
とドアがノックされ、外からくぐもった声がする。
「王妃殿下。王家公認魔導具師リディア様。そろそろお時間でございます」
今日はこの後、勇者の帰還と魔王討伐を祝う祝賀会が催される。
扉が開き、現国王陛下に続いてマティスが入ってきた。
相変わらずの黒装束の腰には聖剣。額には燻し銀の中央に、淡く輝くロードクロサイト。
――そう、勇者が頭につけるあれである。
〈Fin〉




