君という名の物語
それから二週間、有本は遊んでいるような楽しくなるようなお題をたくさん出した。いつからか春香は演劇部にいくのが楽しみになっていた。
そして決戦の日。
部室の中央には仕切り板が置かれ、春香と悟はエレベーターに乗るように想定された位置へと進む。エチュードは互いが見えない状態で同時に行われるのだ。
有本の手が鳴り、エチュードが始まる。
右側。悟は「パニック」を完璧に演じた。衝撃に驚き、非常ボタンを連打し、マイクに叫び、ドアを激しく叩く。それはまさに、本山監督の指導通り、極限状態を「表現」する技術の粋だった。
左側。春香は、棒立ちのまま、少しだけ「ん?」と小首を傾げた。そして、おもむろに携帯を取り出し、お気に入りのパズルゲーム『パンポン』を始めた。
観客の映研部員が失笑する。「こんな状況でバカかよ」
やがて悟は絶望し、床に項垂れる。
春香は携帯を閉じ、ふーっと長く息を吐いて「退屈」そうに天井を仰いだ。そして、ふと思いついたように非常ボタンを押すが、返答がないと分かると、考え込み、最後にはしゃがみ込んでぼんやりと上を見つめた。
悟は無理やりドアをこじ開けて脱出し、ガッツポーズで自分の「演技力」を誇示した。
春香は、ただ最後にはトイレに行きたそうなソワソワした「身体の反応」を見せたところで、終了の合図が鳴った。
判定の時。
本山監督は悟の「鬼気迫る演技」を絶賛した。しかし、有本先生は静かに問いかけた。
「映研の佐藤君、なぜ橘さんが『パンポン』という特定のゲームをしていると分かったんですか?」
「え……それは、手の動きとか、目の追い方が、マジでパンポンやってる時のそれだったから……」
「そう。それが『伝わる』ということです。本山君の演技は段取りをなぞっているだけで、外の世界との繋がりがない。だから取って付けたように見えるんです」
「なに言ってる! 完璧に演じてたじゃないか! その目は節穴か?」
激昂する本山監督を背に、有本は毅然と言い放った。
「私はあなたの指導方針は嫌いです。演技を齧る《かじる》と頭で考えがちになるが、橘さんは未経験ゆえに、身体が自然に反応していた。それが『真実』ですよ」
本山監督が立ち上がって吼えた。そこには相手に対しての尊厳も何もない。
「何を言ってるんだ! 悟の演技は完璧だった! お前の遊びに付き合ってる暇はない。行くぞ悟!」
本山はそう言い放つと教室を出て行った。悟も慌てて後を追う。
監督親子が去った後、部室には晴れやかな空気が満ちていた。演劇部の自由は、一人の「魔法少女オタク」の、飾らない日常の断片によって守られた。
「さあ皆さん、勝負は有耶無耶になってしまいましたが、演劇部の自由は保たれました。レッスンを始めましょう。この中には、将来演技を仕事にしていく者、趣味や興味で参加している方、裏方を目指している方、色々な方がいると思います。お芝居を仕事にすると言うのはとても大変な事です。努力しても認められなかったり、自分には向いてないんじゃないか、収入面での不安や葛藤。特殊な世界です。私はそう言う世界で生きてきました。そして今度は講師として、皆さんと一緒に成長していこうと思っています。
放課後、夕焼けに染まる廊下。
友樹が一人、窓の外を見つめていた。
「先輩」
春香の呼びかけに、友樹が振り返る。
「色々ありがとうございました。私、演劇部をやってみようと思います。今、凄くワクワクしてて」
「良かった。……あ、脚本、読んでくれた?」
「はい。(クスクスと笑いながら)あんまり面白くないですね」
「……手厳しいな」
苦笑する友樹。だが、その瞳にはこれまでになかった創作への意欲が宿っていた。
「でも、書きたい話を見つけたんだ」
「え、どんな話ですか? 教えてください!」
「橘さん。君のことを書きたい」
友樹はまっすぐに春香を見つめた。
「魔法も才能も持っていないはずの君が、ただそこに『在る』だけで世界を変えていく物語だ。書いても、いいかな?」
春香は驚き、少しだけ俯いた。
そして、ゆっくりと顔を上げると、みなせちゃんが杖を掲げた時のような、誇らしげで、瑞々しい微笑みを浮かべた。
「……期待して、待ってます!」
放課後の廊下に、新しい物語の鐘が鳴り響く。
それは、平凡な日常を最高に特別な「魔法」へと変える、彼女たちだけのオルタナティブな幕開けだった。
――おわり――




