退屈という名の魔法
翌日からのレッスン中も、春香の心は千々に乱れていた。
「私、また失敗するんじゃないか」「周りに迷惑をかけているんじゃないか」――あの吹奏楽部の記憶が、何度も足を引っ張る。
廊下で友樹を捕まえ、春香は胸の内を吐露した。
「私、一番を目指すとか言われると冷めちゃうんです。周りが上手くなっていくと、居づらくなって……」
「でも、有本さんのレッスン、やってみて、嫌だった?」
友樹の問いに、春香は少し考えてから答えた。
「……いえ、楽しかったです」
「じゃあ、やってみなよ。瞳もみなも先輩もいい人だし。……君なら、あのアニメのみなせちゃんみたく、新しい自分になれるかもよ」
その言葉が、春香の背中をそっと押した。
次の日、演劇部の皆は、有本を囲んで、レッスン前の軽い雑談に興じていた。
「それで先生、エレベーターってどうやるんですか?」
副部長の瞳が元気よく問う。
「エレベーターが急に止まってしまったと言う設定で、後は自由に演じてもらいます」
やさしく、淡々と答える有本に、瞳は質問を続ける。
「勝つ為の必殺技とか無いんですか?」
あまりにも現実離れだ、と、みなもが「ちょっと瞳!」と、注意するが、有本は微笑見ながら「無いですね」と、答える。
「えー、なんかあるのかって思ってました。でも、レッスンでやるの楽しみです」
「あ、エレベーターのエチュードは当日までやりません」
有本の言葉に、その場にいた部員たちは驚くが、そのテンションのまま有本は続ける。
「他のシチュエーションでポイントを押さえれば大丈夫なので」
そこに映研部員、八神友樹が不安そうに問うた。
「先生、ウチの部長はパパ本山に教えてもらってるので結構上手いと思います。やった方がいいんじゃないですか?」
パパ本山というのは、本山監督のあだ名であるが、本山自身は呼ばれてる事を知らなかった。
「大丈夫ですよ。エチュードは練習するものではありませんし」
有本がそう言うと、気持ちが少し落ち着いたのか、瞳が友樹の腕に抱きついて言う。
「友樹、心配してくれてるのー? 友樹も演劇部に移籍しちゃう?」
友樹はあからさまに嫌な顔をして瞳の手を振りほどくと「いや、俺はいいから」と言う。
その様子をにこやかに見ていた有本が友樹に聞いた。
「八神君、脚本書くのに行き詰まってるんですよね? 演劇部に参加して新しい環境に身を置くのもいいかもしれないですよ?」
その言葉には聞き覚えがあった。「虹色⭐︎マジカルスターダム」のみなせたんのセリフだ! 春香は身を乗り出してノリノリで有本に聞いた。
「『自分を変える為には、全く違う環境に身を置くしか無い』って事ですね!」
その勢いに少し驚きながらも有本は優しく言った。
「その通りです」
有本の言葉を受けて、瞳は友樹に向かって続けた。
「いいじゃん友樹、参加するだけしてみなよ。映研で仲間外れなんでしょ?」
「まあ、参加だけなら」
「また本山君に睨まれるよ……」
みなもが心配そうに友樹に言うは、友樹は「いいんだよ、あんな奴」と、開き直るように言うが、少し考えると「いや、まずいって」と言い直した。
「でも友樹、なんで悟に嫌われてるの?」
瞳が聞く。
「解んないよ、入部した時からだから……もしかしたら、自己紹介のアレかな?」
瞳が興味津々とばかりに聞く。
「なんて言ったの?」
「邦画は嫌いだから観ないですって」
その場にいた全員が天を仰ぐ。
「友樹、空気読みなよー」
次の日、演劇部のレッスンが終わり、帰り支度をしている友樹に有本が声を掛けた。
「あ、八神さん」
「はい」
「脚本読ませて頂きました」
「ありがとうございます!」
友樹は嬉しそうにお礼を言うが、有本は「確かに物語がまとまってなく、文章に迷いを感じました」と、手厳しく言った。
「実は今までは部長に見てもらってたんですが『使えない』の一言で、直しては返されての繰り返しが続いて、自信は無くなってくるし、後から入った部員が今年の脚本任されそうになって焦ってるんです……」
その横で、なんとなく会話を聞いていた春香は、ハッとした表情で友樹を見つめる。
有本は、友樹に続ける。
「それだけが理由ではない気がしましたが」
「実は、今人気の漫画や小説が面白いと思えないんです」
「それはどう言う事ですか?」
「例えば、大体の作品で主人公は特別な才能を持った天才で、あらゆる困難をそんなに苦労もしないで乗り越えちゃうし、それを導く才能ある人とか危機的状況で出て来る優秀な人は大体破天荒で口も態度も悪い人だし、殺人犯はサイコパス。他にも感動させる為だけを目的にしたストーリーとか……そんな作品ばかり人気があって、自分の面白いと思うものは間違ってるんじゃないかと考えちゃうんです」
友樹の話を聞いた有本は、腑に落ちたようににっこりと笑って続けた。
「そうなんですね。やはり八神君は一度映研を離れた方がいいですね。演劇部で一から勉強してみませんか?」
「でもーー」
「ちょうどいい。私の友人で脚本家の人間がいるんですが、時間が合う時にゲスト講師で演劇部に来てくれる事になってるんです。今の映研にいてもプラスにはならないと思うので、演劇部の方でやって行きましょう。演出部という形で私の補佐に就いて下さい。八神さんが書いた作品も私がまず見てアドバイス出来ると思いますよ」
その時、今がチャンスだとばかりに春香が、有本に駆け寄る。
「有本先生、私やっぱり演技とか出来ないです!」
有本は微笑んで春香に向かい「はい、出来なくていいんです」と言う。
友樹はその発言におどきながら有本に聞いた。」
「え!? 勝算あったんじゃないんですか?」
思わず顔を見合わせる春香と友樹。
「そ、それに素人ですよ?」
春香の言葉に友樹も「自分も無茶だと思います」と、同調する。
「そんなに気負わないで、ちょっとした遊びだと思って気楽に行きませんか?」
「無理無理、無理ですよ」
一生懸命に手と首を振る春香だったが、有本は、その微笑みを崩さず、友樹に向かって言った。
「八神君も手伝ってくれますし」
「いや、自分映研なんで……」
「脚本を見る代わりに、私の助手をして下さい」
痛いところをつかれた。と、友樹は思ったが、もう無理だった。
その様子をじっくりと盗み見ていた瞳が「やったね友樹!」と抱きついてくる。
有本は春香に向かうとこう言う。
「実は勝敗が目的では無いんです。彼らは演劇部を見下すと言うか、ちょっと下に見てますよね? そういう考え方は好きでは無いので、少し懲らしめてやろうかなと思うんです」
瞳は「さっすが先生! と言うと、春香に抱き付き「これは引けないねぇ、橘ちゃん!」と言った。
春香は苦笑いするしかなかった。
(早く逃げればよかったよ)
翌日、信号待ちの真琴に春香が駆け寄る。
「まこっちゃん、どうしようー。見学行っただけなのに変な事に巻き込まれちゃったよ」
「はぁ? 泣きついてきても知らないよって言ってありますが?」
「まこっちゃん、一緒に逃げようよー」
春香は、真琴の手を取り、ブンブンと揺らした。
「あれあれー? 橘ちゃんじゃない?」
そこへ演劇部副部長の瞳が声を掛ける。みなもも一緒だ。
「みなも先輩、瞳先輩! お、おはようございます」
「ちゃんと来たねー、偉い偉い」
「先輩もう無理ですー。今、まこっちゃんと逃げようかって相談してたとこなんですから!」
「いや、私関係無いし」
「まこっちゃん、冷たいー」
二人の漫才のようなやり取りに、瞳はクスクスと笑い「面白いね、君たち」と言った。
うーとうなる春香をスルーして真琴は瞳に聞いた。
「でも先輩、どうなんです? 勝ち負け以前の問題だと思いますけど」
「まあ、アレだよ。あの先生、帝国劇場とかで主演するレベルなんだよ。そんな人が指名するんだから勝算があるんだよ、きっと」
「でもあの先生遊んでばっかりじゃないですか!? 演技なんかした事無いのに何にも教えてくれないし……」
「先生にも何か考えがあると思うよ」
「みなもの言う通り! 悟の野郎、いっつも見下した様な態度しやがってさ、演劇部は映研の奴隷じゃ無いっての。まあ、勝負は関係無いって言ってるんだからいいじゃない。楽しんで行こーよ!」
放課後、友樹が帰ろうと歩いていると、春香が「先輩!」と声をかけた。
「どうしたの橘さん」
「相談乗って下さい!」
と、友樹の腕を取ると、近くのファーストフードまで引っ張っていく。
カウンターで注文を済ませて席に座るとすぐに春香が問うてきた。
「どう思います? 先輩!」
「いや、俺に言われても」
「もう毎日憂鬱なんです。先輩この前、後輩が認められて焦ってるって言ってたじゃないですか」
「うん」
「私も今までそうだったんです。ピアノも体操も吹部も最初は頑張ろうと思ったんです。でもみんなみたいに「大会で優勝する!」とか「一番になる!」って気持ちになれないし、そう言うの見ると冷めちゃうんです。そうなると練習も嫌になって来ちゃうし、周りは皆んな上手くなってくるし、居づらいし、ホントはやりたくなかったんじゃなかったのかなって……」
「そうだったんだ」
「真面目にやってないって嫌われたくないんです」
「でも、お芝居やってどうだった? 嫌だった?」
「いえ、楽しかったです!」
「じゃあやってみなよ。それに瞳もみなも先輩もいい人だし、その辺は大丈夫。この前話してたアニメの主人公みたくなれるかもよ」
「みなせたん……そう言われると頑張らないとって思えるかもです。先輩、先輩の話聞いてちょっと落ち着きました」
レッスン。有本先生が春香に「退屈」というお題を出した。
春香は戸惑いながらも、前に出た。
床に座り、本を読む。ため息をつく。寝転がる。テレビを点け、すぐ消す。また本を手に取るが、集中できずに辺りを見回す。
「正解は……退屈!」
瞳が叫んだ。有本が頷く。
「橘さんが良かった点は、一つのことに囚われず、いくつもの『退屈なシチュエーション』を繰り返したことです。それが、見ている側に『気持ち』を伝えるということなんです」
春香は驚いた。ただの遊びだと思っていたことが、あのアニメで言っていた「イマジネーションによる世界の塗り替え」に繋がっているような気がしたからだ。
「はい。演劇部への入部、おめでとう。楽しみましょう、橘さん」
「……はい!」
春香は嬉しそうに、小さくガッツポーズをした。




