魔力ゼロの挑戦者
朝の光が、まだ少し肌寒い通学路を白く染めていた。
「まこっちゃん! 私、高校に入ったのをキッカケに、この絶望を塗り替えて、新しい世界を作ろうと思います!」
前を歩いていた橘春香は、くるりと弾むように振り返り、親友の真琴に向かって宣言した。その瞳は、朝日に負けないくらいのキラキラで輝いている。
「……は?」
真琴の反応は、絶対零度の氷水を浴びせるような冷ややかなものだった。しかし、春香はそんなことで怯まない。いつものことだから。
「昨日の『ダムロー』でみなせちゃんが言った台詞だよー! まこっちゃん観てないの? もう、大号泣必須、神認定なんだから!」
『ダムロー』――正式名称『虹色☆マジカル・スターダム』。
かつて栄華を極めた魔法が枯渇した世界。落ちぶれた元宮廷魔法使いの女性マネージャーと共に、少女が「演技」という名のイマジネーションを魔力に変え、真の聖女を目指す成長物語。春香にとっては、単なるアニメを超えた救いの福音だ。
「ああ、バルがハマってる、あの変身するやつ?」
「そう! 初めての聖儀でね、魔力ゼロ判定を受けたみなせちゃんが、審査員を睨みつけて放つ言葉がもう神! 絶望を希望に書き換える瞬間のエフェクトとか、カッコ良すぎて神認定だよ!」
「興味ない。バルがそこまで興奮する理由もわからないし」
やれやれとため息を吐く真琴に、春香は「冷たいなー」と唇を尖らせる。だが、真琴が次に発した言葉には、ぐうの音も出なかった。
「それより部活決めたの? 今週中だよ」
「う……まだだけど。でもほら、高校生だし、新しい環境で何かを始めなきゃなー、なんて? そのために探してるんだよ!」
春香が夢見心地で語り始めた瞬間、真琴の通学バッグが春香の腕に「バン!」と小気味よい音を立てて当たった。
「痛いよー!」
「ムカつく。バル、何やっても続かないじゃない。ピアノ、体操、中学の吹奏楽だって一日で辞めたでしょ」
「……だって、音が出ないんだよ? びっくりだよ! 気づいたらみんなに置いていかれてる感じだし。魔法みたいにパッといかないんだもん」
「付き合わされるこっちの身にもなってよね。現実はアニメみたいに、変身一つで人生変わったりしないの。あおいちゃーんって泣きついてきても知らないからね」
校門をくぐり、下駄箱で上履きに履き替える。春香の足取りは、いつの間にか重くなっていた。
「最初は楽しいんだよ。でもさ、なんか……嫌になっちゃうんだよね。私、どうしたらいいか解んないよ」
ふと、脳裏に苦い記憶がフラッシュバックする。
逆光の中、顔を顰めて自分を叱責する上級生。不機嫌そうにソプラノサックスを抱える同級生。
(私だって、本当はみんなと一緒に演奏してみたかった……)
春香は頭を振って、その湿った影を追い払った。
学校までの道のり、春香と真琴のじゃれあいはまだ続いていた。
真琴が思い出したように言う。
「じゃあ映研は? あそこ、毎年賞を取ってて有名らしいよ。部長の親が本物の映画監督で、仲間で映画作るなんてアオハルじゃない?」
真琴の勧めで、春香は一人、映研の部室前までやってきた。しかし、そこで彼女を待っていたのは、煌びやかな映画の世界ではなく、剥き出しの「暴力的な現実」だった。
「だから八神の脚本は使えないんだよ!」
怒号と共にドアが開く。そこにいたのは、苛立ちを隠さない部長の本山悟と、クシャッと丸めた脚本を押し付けられ、悔しそうに立ち尽くす八神友樹だった。
「何?」
悟の冷たい視線が、場違いな来訪者である春香を射抜く。
「えっと……見学に……」
「見学だってよ。八神、案内してやれ。俺は俺のやり方で二年連続賞を取ってんだ。何度書き直しても、お前の本は使わない」
悟は友樹にそう啖呵を切る。悟の傲慢な態度は、部室の空気を支配していた。悟の問いに、春香がおずおずと「『恋する飛行機雲』みたいなラブストーリーが好き」と話すと、悟は嘲笑を隠さなかった。
「テンプレの感動ポルノじゃん。芸術性のかけらもない」
「でも、わたし、『虹色☆マジカル・スターダム』のみなせたんみたいになにかに打ち込めるなにかを見つけたいんです!」
「え……『虹色☆マジカル・スターダム』? アニメ? クソだな。俺らの映画は芸術なんだよね。ファッキンクソ魔法少女アニメなんか観て来る奴はいらない」
その言葉は、春香が大切に守ってきた「みなせちゃんの祈り」を、泥の付いた靴で足蹴にするような響きだった。
そこへ救いの手を差し伸べたのは、隣で活動していた演劇部の副部長、黒沢瞳だった。
「まあまあ、橘ちゃん。そんなイキってる部長のいるクラブなんかやめて、ウチらと一緒にやらない?」
「黒沢それはいい案だな。そんなヤツ演劇部で引き取れよ。お前んとこクソアニメ好きのオタク多いだろ?」
ひりつく部室。誰もなにも言えない。
演劇部部長、萩原みなもが立ち上がる。
「あの、本人の意思もあると思うんだけど……。(春香に向かって)ねえ?」
春香「あ、あはは。いやー、なんか迷惑でしたかね……じゃあ、わたしこれで……」
気まずそうに帰ろうとする春香の後ろから瞳が春香の両肩に手を置いた。
ビクッとする春香を置いて、瞳は話した。
「まあまあ、せっかく来てくれたんだしー、ちゃんと話聞いてあげなよ。(春香に向かい)ちなみに演劇部は今絶賛募集中だよ。橘ちゃんだっけ? 今日から新しい先生が来るんだよ。しかも超有名俳優!」
ミーハーな春香は目を輝かせて「えっ?」と驚いた。
「あれー? 橘ちゃんってそういうのに興味ある人なんだ。でもさー、同じ日に来るなんてなんてドラマティック、運命だとか思わない? 演劇部もいいよー。あんなイキってる部長のいるクラブなんかやめてウチらと一緒にやろうよ」
戸惑う春香を尻目に悟が反応した。
「誰がイキってるって!?」
「おー、怖い怖い。映研のエース様はおっそろしいねー」
「万年予選落ちのお遊戯クラブが何言ってんだよ。こっちはマジでやってんだ」
瞳は、固まってる春香の前に出ていって悟を睨みつける。
「ウチらが遊びでやってるっての?」
その様子を見ていた部長のみなもが、慌てて瞳の手を掴んで瞳の耳元で言う。
「ちょっと瞳、やめなよ。もうすぐ先生たち来るんだよ、まずいって」
それでも瞳は悟を睨みつけるのをやめない。睨み合う瞳と悟。
映研と演劇部の部員たちは遠巻きに二人を見ていた。
演劇部の輪へと引き込まれた春香の前に、映研と演劇部両部の顧問を務める前原に連れられて一人の男が入ってきた。
有本誠一。
その佇まいは、華やかな俳優の経歴とは裏腹に、どこか隠者のような静けさを湛えている。
奥に座っていた、悟の父親でもある映研の外部講師「本山正浩」が立ち上がり言う。
「私は、この学校で芝居の講師をしている本山といいます。なんだか、発声とか滑舌とかの基礎的なことを指導してもらうそうで」
有本はその発言に不思議そうに問うた。
「おかしいですね、私は映研と演劇部に演技を教えるよう聞いていますが」
「ハァ? もうオレらは本山監督に支持を受けてんですけど」
悟は当然のように反発する。自分の父である映画監督・本山こそが至高だと信じているからだ。
「それに、私は発声や滑舌を教える気はありませんし」
有本と本山、二人の指導者の視線がぶつかり合う。
「発声や滑舌は教えないと言いましたか?」
本山監督の問いに、有本は微笑んで答えた。
「役者をしていく上で、大切なことは他にもありますから。逆に、それが邪魔になることもありますし。さあ、皆さん、それでは、少し『遊んで』みましょうか」
始まったのは、およそ「演技」とは思えない不思議なワークショップだった。
言葉を使わずに握手だけで「色のイメージ」を伝えるゲーム。相手と鏡合わせの動きをするワーク。
本山監督も悟も「芝居と関係ない」「遊びだ」と嘲笑し、対決を仕掛けてきた。
「そこまで言うなら、この下手糞な演劇部員を二週間で俺が納得するレベルにしてみろ。代表一人による無言のエチュード、設定は『止まったエレベーター』。……代表は、橘さんにお願いします」
「えええええええっ!? 無理です、無理ですよ!」
春香の悲鳴が部室に響いたが、瞳に「ようこそ演劇部へ!」と肩を叩かれ、運命の歯車は回り出した。




