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ミッドナイト・アゲート──五歩で寄り添う商店街交渉術  作者: 輝


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40/40

第40話 アゲートの夜明け。

 夜明け前の〈ミッドナイトアゲート〉は、湯気の細い糸がいくつも立っていた。マスターが拭いたばかりのカウンターは黒曜のように滑らかで、瑪瑙の看板はまだ眠そうに光っている。

 誰からともなく、紙袋や工具箱、花の束が集まってくる。宜幸は舞台袖のような身振りで手を回し、幸博は深呼吸の回数を指で示す。亜柊は非常時用のテープを腰に巻いて「今日は泣く暇ないからね」と短く告げた。有里杏は分刻みのスケジュールを胸ポケットに差し込み、るりは尻尾を一度だけ、とん。

 歩は扉の前で一人、息を整えた。指先に、角を丸くしたメモの感触。胸の内側で、三行が静かに並ぶ――〈言葉は短く/願いは一緒に/返事は相手の時間で〉。

 「準備、いい?」

 背中から結月の声。眠たい目なのに、包丁の刃みたいに澄んでいる。歩はうなずき、扉を押した。まだ冷たい朝の空気が、砂糖を溶かす前の匂いで頬を撫でていく。


 公開ヒアリングから一か月。合意の署名は済んだ。だけど、合意は「終わり」じゃない。今日は、街の「はじまり」を言葉にする日だ。

 「おはようございます」

 歩は通りの真ん中で、いつもの挨拶を少しだけ大きな声にした。提灯は消えているのに、橙の余韻が漂っている。集まった人たちの胸元で、「ありがとう」が連鎖する。誰かが言えば、誰かが続け、誰かが照れて笑う。


 カウンターの上に、結月の新作が並んだ。薄い瑪瑙色の層が朝の光を受ける「アゲート・ミルフィーユ」。一口で、夜の記憶と朝の決意が交わるように設計された、無愛想な優しさだ。

 「甘さで呼び込み、塩で止める」

 結月が塩をひとつまみ、皿の端に置く。歩は笑ってうなずく。それから、胸ポケットの小箱に触れた。箱の角も、やっぱり丸い。


 仲間たちが自然に道を作る。宜幸が指でカウントし、幸博が息を飲み、亜柊がうなずく。るりが、とん。

 歩は一歩、二歩と進み、結月の前で立ち止まった。膝が少し震える。目の前の人は、今日も短く、強い。

 「話せるうちは、街は息をする」

 マスターの声が背中を押す。歩は深く息を吸い、言葉の順番を整える。


 「結月。いっしょに、この街の「呼吸」を守ってほしい。ぼくは、あなたの「塩」になりたい。あなたが走りすぎるときは止めて、止まりすぎるときは甘さを連れていく。だから――」

 小箱が開く。光は弱いのに、指輪は十分だ。誰のものでもない、ふたりの朝にちょうどいい。

 結月は少しだけ目を伏せ、ゆっくりと顔を上げた。言葉は短い。

 「うん。――条件は、「一緒に食べる」」

 宜幸が「成立!」と叫び、幸博が泣き笑いで拍手を始める。亜柊は鼻をすすって、すぐに「持ち場戻って!」と言い直す。有里杏はスケジュールの「余白」に丸をつける。るりが吠える。いい声だった。


 拍手の波が収まると、歩は結月の左手に指輪を滑らせた。大げさな言葉は要らない。指先の温度が、街の温度になる。ふたりの肩が、自然に並ぶ。


 その時、東の空が淡く崩れた。瑪瑙の看板が、ほんのすこしだけ強く光る。夜の層と朝の層が重なって、薄い境目が一枚できた。

 「灯りは、人が運ぶ」

 マスターの言葉に、みんながうなずく。結月はアゲート・ミルフィーユをひとつ割り、半分を歩の皿に置いた。

 「最初の一口、あなた」

 「じゃあ、二口目は君」

 ふたりは笑い、同時にスプーンを入れる。甘さが輪郭を作り、塩が「ここまで」を示し、そして、余韻が次の会話を連れてくる。


 朝日が通りを撫で、提灯の紐がかすかに鳴った。看板犬は胸を張り、通りの人たちはそれぞれの店へ散っていく。歩は深呼吸を一度。結月も一度。

 「行こ」

 「うん。今日も、「反復」」

 ふたりの合図は短い。だけど、十分だった。〈ミッドナイトアゲート〉の扉がゆっくり閉まり、瑪瑙は新しい一日を抱きしめる。ここは、話せる限り、息をする街だ。


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