表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミッドナイト・アゲート──五歩で寄り添う商店街交渉術  作者: 輝


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/40

第25話 小さな勝利を積む。

 朝の紫瑠璃しるり通りは、夜の名残を薄く纏っていた。あゆむが黒板を店先に出すと、乾いた紙の匂いに、もうひとつ別の匂いが混じる。果物の皮、湿った段ボール、昨夜の屋台の竹串。路地角の臨時集積所に、朝日が斜めに入りはじめていた。

  「…………匂う」

  結月ゆづきが短く言う。無愛想な声だが、鼻の先だけが苦笑している。看板犬見習いのるりが、地面を二度嗅いで、尻尾でとん、と床を鳴らした。

  「おはようさん」

  腕組みの男が来る。何度か噂を投げてきた、あの硬い声の持ち主だ。今日は、怒りより疲れが濃い。

  「写真スポットの横にゴミは、やっぱり違うだろ」

  歩は黒板に四つの欄を描いた。〈事実〉〈気持ち〉〈譲れること〉〈譲れないこと〉。

  「事実:朝七時まで持ち込み可。回収は九時。――「静かな帯」の前」

  「気持ち:匂いがつらい。景色がもったいない」

  男は意外に素直だった。

  「譲れること:遠回りになってもいい。――店の前でなければ」

  「譲れないこと:ベビーカーに蜂が来るのはダメ」

  四つの角は、あとで結月が白で丸くする予定だ。

  「じゃあ、「現場五歩」の亜種でいこう」

  歩は地図の余白に、朝と夕の風向きを小さく書き、日陰の帯を紺の線で塗る。

 一歩は朝の匂いで耳が伏せない(犬)。二歩はベビーカーの停車が十秒を越えない。三歩は写真の「横顔」に集積所が入らない。四歩は台車が止まらない(段差・混雑)。五歩は店の「冷たい顔」が増えない。

  「「冷たい顔」?」と乾物屋の主人が笑い、「それは人の数で測れない」と首を振る。

  「測れないから、紙に書く。――『今日の顔メモ』」

  幸博ゆきひろが派手を封印して、角丸の小さな付箋束を配った。〈笑ってない顔/怒ってない顔〉。笑顔は強制しない。怒ってない顔が増えること、を狙う。

  午前。

  路地角の集積所は、朝日で温まる。匂いは上へ、しかし風は横へ撫で、写真スポットの木枠の橙を肘で押すように通り抜ける。

  「「匂いの帯」、ここ」

  結月が白粉のように薄いチョークで空気の線をなぞる。るりの鼻先が一度だけしかめ面をして、すぐ戻った。耳は伏せない。

  「匂い指数「昆布=1、ニンニク=5」で言うと、いま「2。5」」

  乾物屋の主人が、真顔で言う。みんなが吹き出しそうになり、結月が「指標、採用」と短く認定した。

  「昼前、ここは「写真の横顔」に入る」

  ブティックの店主が構図を示す。日陰が短くなる時間帯は、木枠の中に青い袋の角が見えてしまう。

  「――朝はここ。夕方は、あっち」

  歩は地図上に二つの丸を描いた。Aは路地角、Bは乾物屋脇の「風抜け側」。

  「曜日で回す。「月水金=A(朝七〜九)」「火木土=B(夕五〜七)」。日曜は「写真の日」で、どちらもゼロ」

  有里杏ありすが即座に、〈曜日別運用〉カードを角丸で作る。

 A=朝の短時間/B=夕の短時間/※Bは「昆布指数3」で鈴→Aへ切替。

  「「鈴で切替」、いい」

  亜柊あしゅが拍子木を一度叩き、誰も動かないことに自分で笑う。「いや、鈴だった」

  午後。

  宜幸よしゆきが透明の立て看板に「曜日別運用」を貼り、幸博は「今日の三行」を添えた。

 ① 匂いと景観=「時間で分ける」/② 写真の横顔を守る/③ 「怒ってない顔」を増やす。

  パン屋の夫は試食台を半歩内へ引き、とおるは「薄い曲」で余白をつくる。るりは足元でとん、と二回。二回は「賛成」の合図。

  夕方。

  A地点の袋が空になり、B地点に角丸のコーンが置かれ、白い縁取りテープが貼られる。蜂は来ない。風が通る。

  「「昆布指数」、2。0」

  乾物屋の主人は親指と人差し指で輪を作り、結月は塩レモン水を配る。「塩、先」

  写真スポットに若いカップルが立ち、笑っていない横顔を残していく。構図の右下に、薄い紺の帯――コーンの縁取りだけが映る。角は丸い。

  「「怒ってない顔」、今日は?」

  幸博が付箋を集める。〈笑ってないけど怒ってない×17〉〈ちょっと眉が下がった×6〉〈匂いで鼻にしわ×3〉。

  「笑顔を「取りにいかない」と、街は柔らかい」

  ブティック店主が言い、日暮れの風が頬の角を撫でていった。

  ――一週間。

  黒板の隅に歩が小さく書いた〈曜日別運用・試行〉は、七つのチェックで満ちた。数値も、紙のメモも、犬の耳も集まった。

 匂い=「昆布指数」平均2。3(A朝)/2。1(B夕)/写真×SNS投稿=「袋が写った」ゼロ/滞留=「段差で止まる」ゼロ(台車の導線修正済)/「怒ってない顔」付箋=四日目から増加。

  「反対派、減ったな」

  腕組みだった男が、腕をほどいている。

  「「朝はここに置かないでくれ」の声は消えて、「七時半までに済ませよう」に変わった」

  歩が言うと、男は鼻で笑い、「俺も七時十五分には出す」とだけ言って、るりの頭を軽く撫でた。るりの耳は立ったまま、尻尾でとん・とん。

  合意の日。

  〈ミッドナイトアゲート〉の二階に、角丸の合意書が広がる。紙は三枚。

 合意の三行/① 匂いと景観は「時間で分ける」(曜日別)/② 「破られたときの三行」で戻る/③ 「怒ってない顔」を測る。

  「「測る」?」と誰かが笑う。

  「数字じゃないから、紙にする」

  有里杏が付箋束を指で弾き、幸博が表紙に「笑顔を強制しない」と小さく添えた。

  「署名、お願いします」

  歩が差し出すと、腕組みの男は短くうなずき、名前を書きながらぼそっと言った。

  「俺、怒ってない顔、得意だ」

  室内に小さな笑いが流れる。笑いは強制されていない。

  サインのあと、結月が皿を中央へ。薄い塩キャラメルを、人の数だけきっちり割った。

  「合図――「勝ち」じゃない。「続ける」」

  十呼吸。苦味が輪郭を引き、塩が「ここで止まる」を指示し、甘さが「また七時十五分」を繋ぐ。

  「帰りに、カヌレ」

  結月がぽつりと言い、亜柊が「賛成」と即答する。

  「「匂いの話」のあとに、甘い匂いで上書き」

  乾物屋の主人の冗談に、ブティック店主が「上書きじゃなく「余韻」」と訂正した。

  夜、通りに戻ると、写真スポットの木枠は橙を濃くしていた。そこにゴミ袋はない。代わりに、小さな角丸の札がぶらさがっている。

 「怒ってない顔」、ありがとう。

  歩は黒板の隅に、今日の三行を置いた。

 ① 匂いは「時間」で薄くする/② 景観は「横顔」で守る/③ 勝ちではなく、続ける。

  結月は「塩、先」と復唱し、るりは尻尾でとん、と鳴らした。

  小さな勝利は、薄い層で積む。角を丸く、でも弱くなく。

  明日の七時十五分は、もう約束だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ