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ミッドナイト・アゲート──五歩で寄り添う商店街交渉術  作者: 輝


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19/40

第19話 うわさは甘く、噂は苦い。

 連休の朝、紫瑠璃しるり通りは、光の粒より先に言葉の粒で満ちていた。風に乗ってくるのは、粉砂糖みたいに細かいのに、舌の上ではざらつく類のもの――「相談所は寄附で私腹を肥やすらしい」「〈ミッドナイトアゲート〉は裏で業者と繋がっている」「「静かな帯」は「規制」の言い換え」…………。黒板を出したあゆむは、書く前に一度、チョークの角を指先で丸めた。

  「うわさは甘く、噂は苦い」

  結月ゆづきが短く言う。保冷バッグを持ち上げると、角を丸く切った小さな紙袋がぎっしり詰まっている。

  「今日は「甘さで呼び込み、塩で止める」。――「ただし書き」を添える」

  幸博ゆきひろは、派手を封印したはずの紙束を胸に抱え、それでも少し誇らしげだった。

  「三行ファクト、百枚ずつ。『今日の三行』――「繰り返すことで効くやつ」」

  歩は黒板の上段に、角丸の枠を描いた。

 今日の三行/① 「静かな帯」=みんなが居やすい時間の約束/② 寄附=使途限定/「口は出さない」誓約つき/③ 話す順番=事実→気持ち→提案。

  その下に、結月が細字で小さく添える。

 ただし書き:※「静かな帯」は禁止ではありません。声のベルが優先される「譲り合いの時間」です。

  「「ただし書き」、小さいけど強い」

  「塩、みたいなもん」

  結月の言い方はいつも塩梅がいい。

  午前十時、三人は通りの角に立った。透明の立て看板は〈甘いファクトの配布所〉と名を変え、紺の帯と白の縁がその場の縁取りになる。看板犬見習いのるりは足もとで丸くなり、尻尾で床をとん、と鳴らす。

  「「ワンコイン接待」特別号、無料。――クッキーは一口、ファクトは三行」

  幸博の声に、最初に近づいたのは高校生のグループだった。

  「「静かな帯」ってさ、結局「うるさいの禁止」でしょ?」

  歩は黒板の前に回り、チョークで短く。

 禁止× 優先○。

  「禁止の言葉は短いけど、街を痩せさせる。優先の約束は手間がかかるけど、街を太らせる」

  「太らせる…………筋肉の話?」

  「呼吸の話」

  結月が紙袋から角丸クッキーをひとつ差し出す。「塩レモン。――先に塩、次に甘さ」

  高校生はそれを噛んで、少し笑った。「うま」

  笑いの角が落ちると、三行は喉を通りやすい。

  昼前、別の「塊」が来た。ひとりは腕を組んだまま、視線だけを投げる。

  「寄附って、結局「口出し権」の買い物でしょう」

  有里杏ありすがいつの間にか後ろに立ち、カードを一枚差し出した。

 協賛の約束/指示権なし/使途限定(角丸パネル・実測機材・安全備品)/「ありがとう」の場は公開。

  「「でも」の前に一晩、って書いてあるのは?」

  「感情の熱が下がるのを待って、紙に置く。――『でも』より先に『ありがとう』」

  歩が短く言うと、腕組みの男は鼻を鳴らし、クッキーの袋をひとつ取った。「甘いもんは嫌いじゃない」

  「塩、利いてます」

  結月の声は相変わらず短い。短い声が、長く効く。

  正午、通りの端で声が跳ねた。

  「裏で手を組んでるって、聞いたぞ!」

  声は硬く、こちらの角に突き刺さろうとする。幸博が一歩出かけて――結月に袖をつままれた。

  「合図」

  「すれ違いスイート」。皿の上に、薄い塩キャラメルが一欠片。十呼吸。歩はその場で息を十まで数え、視線を皿に落とした。

  「…………まず、事実」

  歩は黒板に書く。

 事実「寄附の使途公開/「口出し不可」誓約/会計は月次で掲示」と三行が並んだ。

  その下に、〈気持ち:不安・疑い〉と自分で書き、マーカーを置いた。

  「不安は、大事。――次に提案、ありますか」

  男は口を開きかけ、閉じ、結局「会計、見に来る」とだけ言った。その声は、さっきより角が落ちていた。

  「一口」

  結月がキャラメルを男の手のひらにのせる。苦味が輪郭を引き、塩が「ここで止まる」を指示し、甘さが「また話そう」を残す。

  午後、〈甘いファクトの配布所〉は二箇所に増えた。とおるは「薄い曲」を遠巻きに置き、和音の隙間で会話の間合いが柔らかくなる。ブティックの店主は〈紺の帯+白の縁〉の簡易テーブルクロスを縫い、乾物屋の主人は「塩レモン水」の桶を見張る。

  「「ただし書き」、もっと見えるように」

  幸博の提案で、カードの右下に白の縁取りを足した。

 ※「静かな帯」は「静かにしたい人が優先される時間」。――声のベルが鳴ったら、譲る。

  別の母親がベビーカーを押して来て、カードを指で撫でる。

  「「譲る」って、教えられる言葉ですね」

  「教え「合える」のが、街」

  歩が返すと、母親は小さく頷いた。

  そのうち、噂の向きが変わり始める。

  「「ファクトのクッキー屋さん」ってどこ?」

  小走りで来た子どもが笑って言い、列の最後尾に並ぶ。列は「笑顔の列」になったが、笑顔を強制しない。結月は「角度、三つ。どれでも」とだけ言い、宜幸よしゆきが立て看板の前で写真を撮る。

  SNSの画面に、紺の帯と白の縁が次々と並び、〈今日の三行〉がそのまま拡散される。

 「静かな帯」=譲り合いの時間/寄附=使途限定/口出しなし/事実→気持ち→提案。

  幸博は画面を見て、胸を張りかけて、やめた。「派手は封印…………でも、いいな、これ」

  「派手じゃなくて、反復」

  結月は短く言い、紙袋の底から最後の一列を出した。

  夕方、空の色が紺に寄り、提灯の橙がゆっくり起き上がる頃、通りの向こうから、昼の「硬さ」の男が戻ってきた。

  「見た。会計。…………あんたら、面倒なやり方してるな」

  「「優先」は、面倒です」

  歩は迷いなく返し、黒板に小さく追記した。

 「面倒」=続ける方法。

  男は鼻で笑い、「面倒、嫌いじゃない」と言って、るりの頭をひとなでして行った。るりの尻尾が、とん、と二度鳴る。

  配布所を畳む前、結月は皿に「すれ違いスイート」を三欠片残した。

  「「喧嘩の予感」にも、合図は効く」

  十呼吸。三人は同じ速さで息を数え、一口ずつ分けた。今日一日の苦味が輪郭になり、塩が「ここで止まる」を教え、甘さが「明日もやる」を繋ぐ。

  歩は黒板の隅に、角を丸く囲んで〈今日の訂正件:口頭27/カード回収0〉と書き、マーカーを置いた。

  「回収ゼロ?」

  「「持ち帰る」が「持ち歩く」に変わってる。――ポケットに「三行」」

  幸博の声に、結月がうっすら笑う。「甘さの袋も、空」

  夜、〈ミッドナイトアゲート〉。瑪瑙アゲートの層が、今日の文字の重みをゆっくり吸い、カウンターの上で薄く光っていた。

  「うわさは甘く、噂は苦い」

  歩が言うと、マスターが頷いた。温いレモン水と塩を一粒。

  「甘い噂は、最初に入ってくる。苦い噂は、あとに残る。――どっちも「舌」の話だ」

  結月は「塩、先」とだけ言って、グラスに指を滑らせた。

  「今日の三行、書く?」

  「書く」

  歩はノートを開き、角を丸くして三つ並べた。

 ① 「うわさ」は塗りつぶさず、「ただし書き」で輪郭/② 「優先」は面倒。――面倒は続ける方法/③ 甘さで呼び込み、塩で止める。

  書き終えると、結月が短く付け足した。

 ※「笑顔」は強制しない。

  マスターは目尻を細め、「いい「ただし書き」だ」と言った。

  店を出ると、通りの提灯は橙を揃えて揺れていた。紺の帯と白の縁が夜気の中で輪郭を持つ。るりが先に歩き、尻尾でとん、と合図をする。

  「明日も、反復」

  「反復は、甘さの友だち」

  結月の言葉に、歩はうなずく。噂はまた来るだろう。甘いのも、苦いのも。

  でも、今日の三行は、人のポケットに入った。角は丸い。弱くない。噂の舌に負けない、ゆっくり溶ける甘さで。


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