The Stranger
暗闇の中に漂っている。
光が差すことを拒み続ける海の奥深く、視力を必要としなくなった生物が住むような真っ暗闇。
目を開けているのか閉じているのか分からなくなってくる。
上もなく下もなく、心地よくふわふわと浮いていた。不思議と不安も恐怖も無い。
思えば、今までが明るすぎたのだと思った。
星のない夜空に、24時間営業のコンビニ、行き交うヘッドライトにLEDの信号機。
なにもかもが眩しく、目の奥が痛くなってくる。
だからこそ、この暗闇が心地よく、心穏やかにいられた。
暗闇の中、誰かが俺の手を掴んだ。
ーー誰だ?
俺の手を引っ張り、どこかに連れて行こうとしている。
ーーもう少しここに居たいのだが。
「ここに居てはダメ」
ーーそうか、ダメなのか。
おかしな夢を見て目を覚ました。
時計を見ると午前5時50分である。
昨日はシルクハットの男と話した後、食堂でローストビーフと大盛りのペペロンチーノ、シーザーサラダでお腹いっぱいにした後、せっかくだからと、大浴場で長湯をし、これもまたせっかくだからと、サウナに挑戦して、30秒と保たずにギブアップした。
入浴後は喫煙室でタバコを吸い、自販機でビールを2缶買い、フロントで下着を追加で2組購入して部屋に戻ってきた。
「風呂に入った後のビールは最高である」この事に関しては、こっちの世界もあっちの世界も関係ない。
一息で半分ほど飲むと、心地良いのど越しと程良い苦みが口の中に広がり「カァー!美味い!」と一人叫んでいた。
一缶で酔いが回りだしたので、早めにベットに潜り込んで明かりを消した。
天井のランタンの灯りが部屋を優しいオレンジ色に染め、心地良く眠ってしまった。
確か、23時を回った頃だったと思う。
そして奇妙な夢を見て、今に至る。
ぼんやりと天井を見つめ、もう一寝入りしようかと思ったが眠れそうもない。
もぞもぞと身体を起こし、ベッドに腰掛け深くため息を付く。
色々とありすぎてストレスが限界なのだろうか?所詮は夢なんだから考えても仕方ないのだが。
思えば悩んだところでどうにもならない事が世の中多過ぎるし、深刻に考えることが問題の解決に繋がる、なんてことはほとんど無いわけで。
とどのつまり。
「物事は努力に寄って解決しない」っていうのが本質なんだと思えた。
ーー偉い人の格言ってのは全くもって正しい。
こちらの世界に来て2日経ち、段々と開き直りつつあった。
なんとかなるさ、、、いや、どうにでもなれであろうか。ホームレスになるのだけは勘弁だけど。
とりとめもない考えを振り払うようにテレビを点ける。
地方ローカルの朝のニュース番組。3人の女性アナウンサーがスタジオに並んでいる姿が映し出された。
「おはようございます、6時になりました、11月10日『おはよう碑高』です、現在の気温は7℃と朝は大分冷え込んできましたね、日中の最高気温は17℃まで上がり上着が要らないでしょう」
「気温差が10℃ですか、いやーこう寒暖差があると何着ていいか分からないですね」
「ねー日中は日差しもありますし、薄手のシャツで歩いていても、こう、じわっと汗ばんできますしね」
「はい、お日様が上がってきました、日の出とともに今日のニュースです」
緩いトークからオープニングが始まり、ニュースの各トピックがダイジェストで流れた後に、国会での常夜灯の増設と聖油の増産についてのニュースが始まった。
年間3万人の行方不明者の中に、怪異によるものと思われる失踪者数が7千件にも及んでいる事が判明、過去最多となっている事に政府は緊急の会議を行い、常夜灯の増設と聖油の増産の他に緊急対策チームを発足した。
地域住民には危険地帯とされる箇所には近づかないよう警告している、なおインターネットの特設サイトにて、危険地帯とされる箇所が載っているとのこと。
危険地帯がある地域周辺では、ポンプアクション式のショットガンを持った警察官が、小学校の集団下校を見守るという物々しい映像が映し出され、周辺住民の不安の声が次々と流れていた。
俺のスマホはこっちの世界ではどこにも繋がっていないので、これ以上の情報収集は不可能である。ため息をついてテレビを消し、煙草とカードキーを持って朝飯を食いに行く事にした。
ニュースを見てはため息をつき、朝昼晩の食事を摂り、タバコを吸い、大浴場で長湯をして、タバコを吸い、ビールを飲み干して眠るというサイクルがその後2日続いた。
ホテルでの軟禁生活5日目、午前11時過ぎにフロントから電話がかかってきた。
「お迎えの方が来られました。チェックアウトをお願いします」
「はぁ、お迎えですか」
「はい、お迎えです、詳しくはその方に聞いてください」
「あ、わかりました」
俺は作務衣からホテルに来た時の服に着替え、リュックを背負って部屋を出る。エレベーターで1階に降りるとフロントの前に、40代と思われる男が立っていた。
黒のTシャツの上に青のウィンドブレーカーを羽織り、下はジーンズ、左肩にリュックという出で立ちである。
「あー来た来た!やあ!やあ!軟禁生活お疲れ様です」
男は馴れ馴れしく俺に声をかけてくる。
「あ、私、川辺と申します」
男はウィンドブレーカーのポケットから名刺入れを取り出し、俺に名刺を差し出した。
株式会社Lamp Lighter警備保障、警備課主任、川辺コウイチ。
「ご丁寧にありがとうございます、初めまして・・・あー・・っと・・」
「あー名前言わなくても大丈夫だから、てか言っちゃ駄目だから。ごめんごめん、こういう罠もあるよね。とりあえず一旦ホテル出ようか、席で煙草が吸えるナポリタンの美味しい喫茶店があるからさ、とりあえずそこ行こう」
思わず自分の名前を言いそうになってしまった。
なんとも中途半端な挨拶のあと「ありがとうございました」とフロントのボーイに言って、川辺さんとホテルを出た。
「シャバの空気はどうだい?」
「いやいや出所じゃないんですから」
「いいね、そういうツッコミが欲しかった」
別にツッコミを入れたつもりは無いのだが、川辺さんは嬉しそうに笑っている。
悪い人じゃないんだろう、こういう明るい人は好きである。
「喫茶店なんだけどね、車停めるとこ無くてさ駅まで歩く事になるけど、ちょっとお付き合いね」
そう言ってホテルから駅まで二人で歩く、その間川辺さんは俺に色々と話かけてくる。
「アダルトチャンネル見なかったんだね」
「あ、ええ、それどころじゃないですから、それにバレるでしょ見たら」
「良いじゃないの男なんだから、千円だの二千円だのかかったって会社の経費だもん」
「やっぱりタクシー代とホテル代を立て替えてくれたのって」
「そ、うちの会社だよん、古城さんともズブズブの関係なわけさ」
川辺さんは笑いながら言った。
「いやー古城さんから連絡あってね、迷い込んだ人がいるから迎えに行くって、そっちに任せちゃって良いか、なーんて聞くから、どんと来い!と受け入れちゃったわけ、ただ準備に時間かかるからどっか行っちゃわないように軟禁しといて頼んだわけさ、いやいや、申し訳ない」
「はぁ、そうだったんですね」
申し訳ないという口ぶりではないが、なるほどそういう事だったのか。
「あれ、もしかして、俺が迎えに来るってこと古城さんから聞いてない?」
川辺さんは不安気に俺を見て言った。
「はい、何も、ホテルにしばらく居てくれとしか」
「出たよ、あの人いつも大事なこと言わないんだから、ごめん、本当申し訳ない」
「いやいや、大丈夫です」
誰かが迎えに来ると聞いたところで不安に変わりは無いだろうし、元の世界に帰れるか分からない、ここ数日の奇妙な体験で俺の脳みそはキャパオーバーである、情報が多すぎて考えることを止めてしまっていた。
「あーここここ、このビルの2階ね」
ホテルから10分程歩き、川辺さんは駅から200メートル程離れた所にあるビルで足を止めた。
ここの2階がナポリタンの美味しい喫茶店になんだろう。入り口の脇にあるフロア案内板を見ると2階に「レトロ喫茶・風来坊」と書いてあった。
「いくべさー」と川辺さんは陽気に言いながら階段を上がっていく、俺は何も言わずに付いていった。
2階に上がり右に曲がってすぐのところに「レトロ喫茶・風来坊」はあった。木製の看板が上に掲げられ、観葉植物が横に置かれた木目調の扉にはclosedと書いた札が吊るしてある。
「閉まってますね」
「良いの良いの、今日は定休日なんだけど話は通してあるから」
そう言って川辺さんは遠慮なくドアを開けた。
「チトセさん居るー?ナポリタン2つ!」
「おー来たか厄介者!サーフィンに行く予定がパーだよったく」
店の奥から30代と思われる女性がエプロンの紐を結びながら出てきた。
肌は小麦色に日焼けして白いTシャツにジーンズ姿、性格は豪放磊落といった印象である。
「1時間くらいで終わるからさ、そのあと行けばいいじゃん」
「午後は明日の仕込みやら、買い出しがあるからね、暇じゃないの」
「えーそんなに繁盛してないじゃん」
「うるさいわね!ったく、ナポリタンね、今作るから適当に座って待ってな」
二人のやりとりを見てから店内を見渡す。
木製のテーブルに、背もたれに籐が編み込まれた椅子が4脚並べられている。
4人掛けのテーブルが5つ、壁には古めかしいポスターが貼られ、店の奥のガラスキャビネットには小型のレコードプレーヤーとレコードが数枚立てかけて入っていた。
川辺さんはガラスキャビネットを開け、レコードを一枚取り出し、丁寧にプレーヤーに乗せて針を落とし丁寧にキャビネットを閉めた。
店内のスピーカーからジャズが流れだした「A列車で行こう」である。
「A列車で行こう、この曲好きでね、わがまま言ってここに置かせてもらっているんだ」
「そうなんですね」
イーグルスは存在しないのに、A列車で行こうは存在している、どこかチグハグな感じがするが、そういうもんだと言われたら納得せざるを得ない感じだ。なんか少し気持ち悪さを感じる。
「さて、本題に移ろうか、これ渡すね」
そう言って川辺さんはリュックからA4の茶封筒を取り出して俺の前に置いた。
「中を見ても?」
「どうぞどうぞ」
封筒の中から、戸籍謄本と採用通知書、それと雇用契約書が出てきた。
底の方にまだ何か入ってることに気づき、手を入れて取り出すと、銀行の通帳とキャッシュカード、それと鍵が出てきた。
「君は今日から『早坂ノボル』君だ、それとうちの会社の採用通知と雇用契約書ね、給料の振込先無いから通帳とカード作っておいた、当面の生活費として30万入っている、その鍵はうちの会社の寮の鍵ね、面接無しの一発採用、おめでとう!」
呆気に取られてしまった。この人は5日間でこれだけの物を揃えたのだろうか。
戸籍謄本を見ると、早坂アキコ・早坂ツヨシと知らない両親の名前と、早坂ノボルという、どうやら俺の名前になる見ず知らずの名前が書いてあった。
これが俺の仮の名前になるのだろう。
まったく違う誕生日だが昭和63年生まれで俺の年齢と合致した。
「あの、、この戸籍って」
「うん、まぁ、偉い人つつきまくって作ったやつ、うち天下りのおっちゃん多いからさー、まぁいろいろとね」
「いろいろですか」
「そ、いろいろだよ、知らない方が良いよ」
偉い人つついても作れる代物では無い気がするのだが、余計な詮索しない方が良さそうだ。
これで俺は「早坂ノボル」になったわけである。
少なくともこっちの世界では…。
「因果な世界にようこそ、早坂ノボル君」
そう言って、川辺さんは不敵な笑みを浮かべた。




