TWILIGHT IN UPPER WEST
ホテルで一夜を過ごし、3食昼寝付きの軟禁生活が始まる。
飯を食うシーンとかこだわってみた。
翌朝は8時に目が覚めた。前日の疲れと飲み会のためか身体が重い。
約4時間の睡眠。40手前の俺の身体はまだ休息を求めていた。
ぼんやりと天井を眺めるとランタンが視界に入る。夢であってくれと思ったがこれが現実らしい。
ゆっくり身体を起こして、トイレで小便をしたあと洗面所で歯を磨いて部屋を出る。エレベーターで一階まで降りて食堂に向かう。
係員にカードキーを見せて食堂に入る。長テーブルに置かれたトレイを取り、茶碗、汁椀、大皿一枚を置いて歩く、炊飯器からご飯をよそい、隣にある鍋から味噌汁を入れる、おかずに鮭とだし巻き玉子を二つ選び、近くにあった納豆のパックを取って空いている席に座った。
久々にちゃんとした朝飯である。普段は毎晩疲れ切って眠り、朝は出発ギリギリに起きて仕事に向かう、朝飯なんて食べる暇が無かった、いや余裕がなかったと言うべきか。
3食昼寝付きの贅沢な軟禁生活。偶然手に入った休暇である。ありがたい。
…そう思いこむことにした。
「いただきます」
そう言って手を合わせる。
箸で鮭をほぐしてからご飯に乗せ口に運ぶ。程よい塩加減と油の乗った鮭の味が口いっぱいに広がっていく、味噌汁を一口啜るとカツオの香りが鼻から抜けていった、ほっとする味だ。
次にだし巻き玉子を頬張る、玉子の味を邪魔しない丁度いい塩加減に思わず笑顔になる、納豆のパックを開け、フィルムをはがしタレと辛子を入れ、軽く箸で混ぜ合わせてからご飯にかけて勢いよく口にかきこんだ。
食後にオレンジジュースを飲み、食器とトレイを返却口に返して奥の厨房に「ごちそうさまでした」と声をかける。どんな世界でもこういうのって大事だと思うのだ。
食堂を出て大浴場に向かい、トイレ近くの喫煙室に入った。
ポケットからタバコを取り出して指でカプセルを潰して火を付ける。換気扇の音だけが寂しく響く喫煙室で煙を肺の奥まで吸い込んで吐き出した。
状況を整理してみる。
まずは、本名を口にしてはならない。
このホテルに最低でも3泊、そして外には出られない。
自力ではどうにかなる状況ではない
あとは…そんなもんか。
ダメだ、状況を整理しようにも情報が足りなすぎる。
暗い気持ちを抱えながら、煙草の火をもみ消して灰皿に放り込んだ。
ロビーにある自販機で炭酸水を2本買い、エレベーターに乗り部屋に戻った。
炭酸水を一本冷蔵庫に入れ、一本は蓋を空けて三分の一くらいまで飲んで蓋を閉める。ペットボトルをテーブルに置いて腕時計を見ると、時刻は9時13分。平日であれば朝礼が終わり「毎朝この10分間はなんの意味があるのか」とぼやきながら働き始める時間である。
とりあえず、部屋のユニットバスでシャワーを浴びた。暗い気持ちもシャワーを浴びれば、そこそこ前を向いてくれる。フロントで買った肌着とトランクスに着替え、脱いだ作務衣をもう一度着ることにした。替えの寝巻はなさそうである。後でフロントに聞こう。
このホテルに来たのが深夜であったため、昼間の外の様子が気になった。
カーテンを開けると、地上7階からの景色が目の前に広がる。
スーツを着たサラリーマン、忙しなく行きかう車、立ち並ぶビル。このホテルが駅から歩いて数分という立地であったことに気づいた。ふと空を見ると心臓が跳ね上がった。
窓の上側に手の跡がべったりとついていたのである。
「やだーもう帰りたい!」
恐怖を誤魔化すために思わず口から出てしまった。
こういう時、オネェ口調になるのは俺だけじゃないと信じたい。
昨晩窓を叩いていたのはこの手なのだろう…見なかったことにしよう。
俺は勢いよくカーテンを閉めた。
二度寝しようかと思ったが眠れる気がしない。仕方ないのでテレビをつけると、見たことないタレントが胃もたれしそうなほどの山盛りパフェの食リポをしていた。
試しに有料のアダルトチャンネルに切り替えてみる。サンプル動画を何本か観て、チャンネルをニュースに切り替えた。
ベットに寝転がりながらニュースを眺める。
政治と金の問題、どこぞの知事のパワハラ、芸能人の不倫騒動、学校でのいじめと学校側の「いじめは無かった」という見解。コメンテーターが当たり障りのない事を言って次の話題に移っていった。こっちの世界でもやってることは変わらない。
ぼんやりとニュースを眺めていると「今月の失踪者数の増加」というニュースが目に飛び込んできた。
失踪者の増加に伴い、国会で常夜灯の増設と聖油の増産に補正予算を組むことが閣議決定されたと報じられていた。
こっちの世界では、幽霊や怪異が身近にある世界なのだと改めて思い知らされる。
聖油って昨日、古城さんが街灯に注いでいたあれだろうか?
「引きずり込んじゃうんですよ、あっちの世界に」
「最悪連れていかれます、どこか遠いところに」
昨日聞いた言葉を思い出す。
いろいろな意味で生と死が隣り合わせ、それがこの世界の在りようなのだろう。
チャンネルを変えると、見たことない芸人がカレーの大食いにチャレンジしていた。
テレビを消す気にはならず、かと言って見る気にもなれず、中途半端な思いを抱えながらぼんやりと映像を眺め続けているうちにフロントから電話がかかってきた。
「はい」
「昼食のご用意ができました、食堂へお越しください」
「あ、分かりました」
気づけば12時を少し回った時間帯である、煙草を作務衣のポケットに入れて部屋を出た。
食欲が湧かず、用意されたのり弁当を半分ほどを残し、申し訳ない気持ちで返却口に返した。
喫煙室で煙草を吸い、部屋に戻る。
再びベットに寝転がりテレビを眺める。何も考えないようにするためにニュースを見るのは止めにした。
チャンネルを変え、恐らくラブコメディであろうという感じのドラマを眺めながら、枕もとにリモコンを置いて布団に入った。
主人公が別の女性と抱き合っている姿をヒロインが目撃する。そんなお決まりのシーンを見ている内にいつの間にか眠ってしまった。
「おーい、いますかー」
近くで声が聞こえ飛び起きた。この部屋は俺一人のはずである。
「え?なに?どゆこと」
「おーい、こっちですー」
閉め切ったカーテンの方から声が聞こえる。
「君には私の声が聞こえているはずだー。ちょっと話してみませんか、カーテンを開けてくれると助かります」
時計を見ると時刻は17時54分、沈み切る手前の夕日が、僅かに開いたカーテンの隙間から微かに差し込んでいた。
俺は恐る恐るカーテンを開けてみる。
「声かけに応じてくれてありがとう!いやー何年振りだろう、生きてる人間と話せるのは」
シルクハットを被ったスーツ姿の初老の男がフワフワと宙に浮かんでいた。
空はオレンジ色に染まり夕日がビルの隙間に埋もれようとしていた。
「マジックアワーというらしいね。実に美しい」
そう言ってシルクハットの男は夕日が落ちるのを眺めていた。
久々に綺麗な夕日を見た。忙しく働いていると、綺麗な夕日を拝むことなく日々が過ぎていく。
「どうだい?綺麗だろう?」
「ええ、とても」
おそらく怪異か幽霊なのだろう、しかしこのシルクハットの男からは不思議と恐怖を感じなかった。
「君にお願いがあってね、今日は声をかけたんだ」
沈む夕日を見ながら、男は俺に話しかけてきた。
「なんでしょう?」
「いや、そんな大したお願いじゃないんだ、紙に『視力』と書いて僕に渡してほしいんだ、紙は何でもいいしペンはボールペンでもマジックでも構わない、ただ鉛筆は止めてほしいかな」
紙に視力と書く?なんの意味があるのだろうか?考えても仕方なさそうである。
「はぁ、付箋でも良いですか?」
「上等だ、くっつくからね、お願いできるかな?」
「まぁそれくらいなら」
俺はカバンから筆箱と大判の付箋を取り出して、ボールペンで丁寧に「視力」と書いて、窓を少し開けてシルクハットの男に渡した。
「ありがとう!助かるよ!」
そう言って男はシルクハットを外し、付箋をシルクハットの中に貼り付け、被りなおした。
「おお!よく見える、上手くはないが丁寧な文字だ、視力が1.0に戻ったかな」
「そりゃよかったです」
文字で視力が上がるのか、どういう仕組みだろう。
いつの間にか日が沈み切って、常夜灯の明かりとビルの明かりが際立ち、目の前に駅前の夜景が広がっていた。
「この夜景も好きでね、もう少し高くまで飛んで眺めたりしているんだ、今日は夜景が綺麗に見えそうだ、ありがとう」
「どういたしまして、なんだろ、文字で視力が上がるんですね」
俺は自然と疑問を口にしていた。
「そうなんだ、僕らは肉体を持たない、言わば幽霊とかお化けとかそういう概念的な存在だからね。だからお経とかで払ったりするでしょ?海外ではラテン語の聖書とかかな。生きてる人たちは忘れがちだけど、世界は言葉で出来ていたりするんだよ、分かるかい?」
「世界は言葉で出来ている?」
「そう、言語化された思いや口にした思いが人を前に進めたり、あるいは癒したり傷つけたりするんだ、これは小さくても大きな力だよ、君が書いた文字のようにね」
俺はそのことについて考える。自分の人生を振り返れば思い当たる事がいくらかある事に気づく。
「世界は言葉で出来ている、良い言葉ですね」
俺は素直に思ったことを伝えた。
「そう、時折思い出してくれたまえ。それと字を書いてお礼になにかしなくちゃね」
シルクハットの男はその場でしばらく考えた後口を開いた。
「そうだ、君がピンチの時は駆けつけるようにしよう、シルクハットのおじさんと叫んでくれればすぐに駆けつけるよ、気の利いた物はあげられないし、お金も渡せないからね」
「いえ、それで十分ありがたいです」
敵か味方か分からない存在だが、一人よりマシだと思った。
「シルクハットのおじさんで良いんですか?」俺は聞いてみる。
「そう、シルクハットのおじさんだ、ちょっと長いけどそう呼んでくれ、良いかい?ピンチの時は必ず呼ぶんだよ」
そう俺に念押しして「それじゃあね」と言って男は夜空に消えていった。
「煙草…吸いに行くか」
窓とカーテンを閉め、煙草とライター、カードキーをポケットに入れて部屋を出た。
そろそろ夕食の時間…だったっけな?




