Hotel California
「帰りたければ本名を口にしてはいけないんです、口にしてしまうと、この世界と契約したことになり出られなくなってしまいます」
運転手が言った言葉を考える。
こっちの世界では俺は居ないことになる。
そして本名を口にしてはいけないという、帰りたければ守らなければならないルールがある。
俺の不安を置いてきぼりにして、タクシーは走り続ける。
途中パーキングエリアに止まってもらう事になった。
運転手の好意で後部座席で煙草吸わせてもらい、少し落ち着いたところで急激に尿意を催したのだ。
なんせつい3時間前までビールを中ジョッキ5杯程飲んでいたんだ。コンビニで買ったミルクティーを飲んだのも追い打ちとなったのだろう。終電に乗る前にトイレに行ったが、一回の排尿で中ジョッキ5杯分は流石に出てくれない。
現在俺の膀胱はパンパンである。
「すいません、あと5分くらいで着くので我慢してください」
運転手はタクシーを加速させながら言った。
「はい、、頑張ります」
俺は膝をモジモジさせながら答える。
なんとも情けない。
タクシーは左に車線を変え、ゆっくりと減速しながらパーキングエリアに入っていく。丁寧だが極めて迅速にエリア内を周回し、スライドドアを開けながら公衆トイレに一番近い駐車場に車を停めてくれた。
「ありがとうございます」
俺は急いでシートベルトを外してトイレに駆け込む、驚くほど長い時間小便が出続け、ようやく落ち着いた。
手を洗って公衆トイレから出ると、運転手が街灯の下から50センチ程の高さにある蓋を開け、ノズルの付いた缶で何かを注いでいた。
「すいません助かりました」
俺は運転手に声を掛ける。
「ああ、間に合いましたか、よかったです」
運転手は丁寧にノズルを引き抜き街灯の蓋を閉めながら言った。
「あの、なになさってるんですか?」
「ああ、これ?燃料が切れそうだったんでね、補充してたんですよ」
「燃料?」
「ええ、こちらの世界の街灯の多くはガスで明かりを灯しています、燃料が切れると大変なことになってしまうので」
そういえば、パーキングエリア一帯が暖色の優しい光に照らされているのに気づいた。
燃料?大変なこと?疑問が頭を巡る。
「あの大変なことって」
俺は運転手に聞いてみる。
「怪異ですよ、幽霊と言いますか化物と言いますか、そういうのが出ます」
にわかには信じがたいが、違う世界に来たのだからそういうこともあるのだろう。
そう思いながら俺は街灯の明かりを見た、温もりを感じるオレンジ色である、こころなしか気持ちが落ち着く。そんな優しい明かりだ。
「この明かりは太陽と同じ性質を持つと言われています」
運転手は街灯を見上げながら俺に言った。
「太陽?」
「ええ、彼らは昼間のうちは出てこれません、夜に活動するんです、だから日没と共に明かりを付けておかないと危険な目にあいます」
「彼らって怪異のことですか?その…幽霊とか怪物とか」
「ええ、今も暗がりに潜んでこちらを見ています、ほとんどは害がありませんが、一部は、まぁ寂しいからでしょうね、引きずり込んじゃうんですよ、あっちの世界に」
そう言いながら運転手は、ノズルを外し缶の蓋を閉めてアルファードのトランクに積み込んだ。
厄介な世界に迷い込んでしまった、夢ならさっさと覚めてほしい。
だが外の寒さも煙草の味も、限界ギリギリだった尿意も現実そのものだった。冷たくて酷く心細い。
再びアルファードに乗り込む、運転手はコンビニの時と同じように「お閉めしますね」と言ってからドアハンドルを引き、スライドドアが閉まりきったのを確認してから運転席に乗り込んだ。
「ここから1時間程でホテルに着きます」
運転手はそう言ってゆっくりとアクセルを踏み静かにアルファードを走らせた。
パーキングエリアの出口を抜けて丁寧に加速して本線に戻っていく。その間、ほとんど揺れを感じないことに気付いた。90キロピッタリで走行車線を走り、トラックに近づくと車線変更をして丁寧に加速し、また元の車線に戻る。同乗者を不快にさせない理想的な走りだ。乗り心地が良い。
しばらくして運転手が口を開いた。
「実は私もね、他所の世界から迷い込んだんですよ」
「え?運転手さんもですか?」
この世界に迷い込んだのが俺だけじゃないのと、いきなりのカミングアウトに驚いた。
「ええ、そうなんです。あ、申し遅れました、私、古城 って言います」
「あ、よろしくお願いします。」
運転の上手な古城さん、覚えておこう。
「まぁ仮の名前なんですけどね、同じ迷い人ってことで覚えておいてください」
古城さんはそういって笑顔を見せた。自分一人じゃない、その事実だけでも安心するが、仮の名前がどういうことか気になった。
「あの、仮の名前っていうのは?」
「帰りたければ本名を口にしてはいけないんです、口にしてしまうと、この世界と契約したことになり出られなくなってしまいます」
この世界との契約?どういうことだろう?
思えば、こっちの世界では俺は居ないことになる、つまり戸籍もなにもない透明人間の状態だ、それと本名がどう関係するのだろうか?
「色々と気になるでしょうが、本名だけは口にしない、これだけは守ってください」
「あ、はい」
俺は気の抜けた返事をした。
「あの、ひとつ聞いても良いですか?」
「なんでしょう?」
「古城さんはどのくらいこっちの世界に居るんですか?」
「そーですね、かれこれ10年くらいですかねぇ」
古城さんは、何でもないかのようにそう言った。10年という月日が頭に重くのしかかる。
「あ、勘違いしないでください、私は 帰れない んじゃなくて 帰らない だけですから」
古城さんは慌てて訂正した。
「帰らない?」
「ええ、こっちの世界で結婚して子供も出来ました。裕福ではないですが幸せです。まぁ帰れないみたいなもんですけど、私の意志でここに残ってます」
自ら選んでこの世界に残ったのか、お化けやら怪異やらが出る世界に。決して居心地が良い世界とは思えない。
「後悔はないんですか?」
「無いと言ったら嘘になります、こっちにはイーグルスがいません、ホテルカリフォルニアって曲をご存知ですか?あれは名曲です、若いころ散々聴いたんですが今も時折聴きたくなるんですよ、もうあれが聴けないと思うと悔やまれます」
俺のスマホが圏外でなければ、サブスクから流せるのになと思った。
ホテルカリフォルニア、確かホテルにチェックインは出来ても、ホテルから去ることは出来ない、当時のアメリカ社会や若者文化を皮肉る小難しい内容の歌詞だった気がする。
「俺も好きで聴いてましたよ、ミステリアスで耳に残る良い曲ですよね」
「ええ、名曲は色褪せません、私はこの世界からチェックアウト出来ませんでしたが」
笑えない冗談だ。
タクシーは高速を降りて一般道を走り出す、交差点を曲がり薄暗い街並みを通り抜ける、パーキングの案内板を左に曲がりしばらく走る。やがてハザードを付けて減速しながら、歩道ギリギリに車を寄せて停車した。
左右両側からガス灯に照らされたホテルの玄関前。
外観を見る限り割高のビジネスホテルという感じだ。
道を挟んで向かい側のコインパーキングはホテル専用だろう。
「着きましたよ」
そう言って古城さんはシートベルトを外し運転席から降りてスライドドア開けた。
「あ、はい、え?お金は?」
俺がキョトンとしていると
「お代はもう頂いてるのでそのままフロントに向かってください」
古城さんは笑顔で言った。
「ありがとうございます」
俺は後部座席から降りて深々と頭を下げる。
「いいですか、本名は絶対口にしないように、忘れないで下さいね、あとは何とかなりますから」
古城さんは俺の肩に手を置き、そう強く念押しする。
「はい、肝に銘じておきます」
「こっちの世界からチェックアウト出来るよう願ってます、まぁこっちの世界もそう悪いもんではないのですが」
古城さんはそう言ってニヤリと笑った。




