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第21話 時計のない時間

歪んだ教室から流れ出た透明な悠は、奇妙な部屋に漂着した。


白い部屋。窓はない。扉もない。そして、どこにも時計がない。


時間を示すものが一切存在しない空間。太陽の位置も分からず、影もなく、老化の痕跡すらない。永遠の現在に閉じ込められた場所。透明な体で浮遊しながら、永遠に見続ける呪縛を受けた目で観察する。


そして、異変に気づいた。


部屋の中央に、鏡が一つ。


透明なはずの自分が、なぜか映っている。


しかし、映っているのは——


7歳の悠。押入れに閉じ込められた、あの日の姿。泣き腫らした目、恐怖に歪んだ顔、小さく震える体。


瞬きできない目で見つめていると、鏡の中の自分が変化した。


一瞬のうちに成長する。


8歳、9歳、10歳...まるで早送りのビデオのように。


18歳の悠。大学受験に失敗した日。絶望に打ちひしがれた表情。 32歳の悠。フリーライターとして働いていた頃。疲れているが充実した顔。 45歳の悠。見たことのない、ありえたかもしれない未来。結婚指輪をしている。 65歳の悠。さらに遠い未来。白髪混じりだが、穏やかな表情。 90歳の悠。死の間際。しかし、恐怖はない。受容の表情。


そして、突然——


死。


鏡の中の悠が崩れ落ちる。心臓が止まり、呼吸が途絶える。


しかし、それで終わりではなかった。


死体が腐敗し始める。皮膚が変色し、肉が落ち、骨だけになる。


そして、骨も風化し、塵になり、無になる。


完全な無。


しかし、次の瞬間——


無から、また7歳の悠が生まれる。


老化と若返りが、不規則に繰り返されている。


時間が、直線的に流れていない。過去と未来が混在し、現在という概念が崩壊している。


悠は実験を始めた。


鏡に映る自分に、意識を集中させる。


すると、変化の速度をある程度制御できることに気づいた。


ゆっくりと老化させる:1歳ずつ、丁寧に年を重ねる 急速に老化させる:一瞬で90歳まで 逆行させる:老人から赤ん坊へ


しかし、完全な制御はできない。


時折、予期せぬ変化が起きる。


異なる年齢が重なって見える瞬間。 7歳と32歳と90歳の自分が、同時に鏡に映る。三重写しのような、不気味な光景。


そして、それぞれが違うことを呟いている。


「ママ、どこ?」(7歳) 「原稿の締切が...」(32歳) 「もう...終わりか...」(90歳)


全ての声が重なり、不協和音を奏でる。


さらに奇妙なことが起きた。


時間が逆流し始める。


90歳の悠が、死の床から起き上がる。 傷が治り、病気が消える。 どんどん若返っていく。


しかし、記憶は逆流しない。


90歳の記憶を持ったまま、7歳の体に戻る。


その結果、7歳の悠の目に、90年分の疲労と智慧が宿る。


子供の体に、老人の魂。


時間の実験は続く。


悠は、時間を「編集」し始めた。


不要な年齢を「カット」する。 苦しかった時期を早送りする。 幸せだった瞬間を引き延ばす。


人生を、まるでビデオ編集のように操作する。


しかし、ある真実に気づく。


どんなに編集しても、結末は同じ。


誕生し、成長し、老い、死ぬ。


ただ、順番と速度が変わるだけ。


鏡に新たな変化が現れた。


複数の時間軸が、同時に表示され始める。


通常の人生:普通に老いていく悠 加速した人生:数秒で一生を終える悠 減速した人生:1000年かけて老いる悠 循環する人生:死んでは生まれ変わる悠 停止した人生:32歳で永遠に止まった悠


全ての可能性が、同時に存在している。


そして理解する。


これが、1247回繰り返した理由。


同じ人生を、異なる速度で、異なる順番で、体験するため。


全ての可能性を、網羅するため。


透明な悠は、さらに深い実験を試みた。


全ての時間軸を、一つに統合する。


意識を極限まで集中させ、バラバラの時間を引き寄せる。


すると——


鏡が割れた。


いや、割れたのではない。


無数の破片に分かれ、それぞれが異なる時間の悠を映している。


そして、全ての破片が回転し始める。


万華鏡のように、美しく、複雑なパターンを作り出す。


破片の一つ一つが語りかける。


「準備はできた」(7歳) 「最後の部屋へ」(18歳) 「全てが明らかになる」(32歳) 「覚悟はあるか」(65歳) 「美しい旅だった」(90歳)


透明な悠は、もはや抵抗しなかった。


全ての時間の記憶を抱えたまま、壁を通り抜ける。


そして、気づく。


この部屋には、実は出口があった。


それは、時間そのもの。


時間を超越した者だけが、次へ進める。


しかし、超越することで失うものもある。


もはや、過去も未来も現在もない。


全てが同時に存在する、永遠の今。


その中で、個人としての悠は意味を失う。


しかし、恐怖はない。


むしろ、解放感がある。


時間という檻からの解放。


老いる恐怖からの解放。


死ぬ恐怖からの解放。


全てを同時に体験することで、全てから自由になる。


透明な悠は、時間から解放された存在として、最後の部屋へ向かう。


鏡の破片が、後ろでささやく。


「1247の時間が」 「一つになる」 「それが鍵」 「最後の鍵」


そして、透明な悠の意識に、新たな理解が生まれる。


1247という数字の真の意味。


1:始まり(誕生) 2:分裂(選択) 4:安定(成熟) 7:完成(死と再生)


1247:始まりから完成までの、全ての過程。


時間の全て。


存在の全て。


それを統合した者が、最後の扉を開ける。


白い壁を通り抜け、透明な悠は進む。


もはや、個人ではない。


時間でもない。


ただ、純粋な意識として。


1247の全てを内包した、一つの点として。


最後の部屋で待つもの。


それは——


香りだった。


記憶の香り。


時間の香り。


存在の香り。


全てを包み込む、最後の感覚体験。

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