第18話 家族写真の展示室
書斎から光と共に転移した悠は、展示室のような空間に投げ出された。
白い壁、スポットライト、そして整然と並ぶ写真。美術館のような静謐な空間。しかし、展示されているのは芸術作品ではない。温度は一定に保たれ、湿度も管理されている。写真を永久保存するための、完璧な環境。永遠に見続ける呪縛を受けた目が、その全てを一瞬で認識する。
家族写真だった。
全て、悠の家族写真。
最初の一枚は、銀塩写真。古い技法で現像された、味わい深い一枚。
生後間もない悠を抱く両親。幸せそうな笑顔。母の腕の中で、小さな悠が眠っている。父は照れくさそうに、しかし誇らしげに立っている。背景は産院の一室。1990年代の雰囲気が色濃く残る。
写真に近づいて詳細を観察する。
母の服装:花柄のワンピース、当時流行していたデザイン。 父の服装:紺色のポロシャツ、休日の父らしい格好。 悠の服:白い産着、小さな手が布団から出ている。
そして、写真の隅に小さく日付。 『1994年7月15日』
悠の誕生から約1ヶ月後。
次の一枚。3歳の誕生日パーティー。
ケーキの前で笑う悠と家族。3本のろうそくが立てられ、悠が息を吹きかけようとしている瞬間。頬を膨らませた表情が愛らしい。
しかし、よく見ると、写真に微細な変化が見える。
悠の影が、少し薄い。
他の家族の影は濃いのに、悠の影だけが薄い。まるで、光を完全には遮れないかのように。
5歳の七五三の写真。
悠の姿が、少し透けている。
着物の模様は鮮明なのに、悠の顔が少しぼやけている。いや、ぼやけているのではない。透明度が上がっている。向こう側の景色が、うっすらと透けて見える。
「なんだこれ...」
さらに進む。小学校の入学式。
悠の透明度が増している。家族は普通に写っているのに、悠だけが薄い。まるで、存在が希薄になっていくように。
ランドセルは鮮明に写っている。 制服も鮮明。 しかし、それを着ている悠自身が透けている。
まるで、物質は残るが、存在が消えていくかのように。
運動会の写真。
悠はほとんど見えない。かろうじて輪郭が分かる程度。しかし、悠が着ていた体操服と、手に持っていた旗は鮮明に写っている。
浮いた体操服と旗。シュールな光景。
中学校の卒業式。
もはや輪郭しか見えない。
しかし、卒業証書は宙に浮いて写っている。透明な何かが、確かに証書を持っている。
写真の裏を見る。
母の筆跡で何か書かれている。
『悠の卒業式。なぜか写りが悪い。カメラの故障?』
母は、異常に気づいていない。あるいは、気づかないふりをしている。
高校の文化祭。
ほとんど透明。
ギターを弾いている写真だが、ギターだけが宙に浮いている。弦を押さえる指も見えない。しかし、確かに演奏されているような、躍動感がある。
大学の卒業式。
完全に透明。ただ、悠が着ていた服だけが浮いている。
スーツ、ネクタイ、靴。全てが正しい位置に浮いている。しかし、中身がない。
最新の写真。家族の集合写真。
しかし、悠の立つべき場所には、誰もいない。空白。
いや、よく見ると、空気が少し歪んでいる。光の屈折が微妙に違う。そこに確かに「何か」がいる痕跡。
恐怖と混乱が悠を襲う。これは何を意味している?
振り返ると、入り口近くの写真が変化していた。
生後間もない悠の写真。悠の姿が、少し透け始めている。
リアルタイムで変化している。
見ている間にも、透明度が増していく。
そして気づく。
展示室の壁も、透け始めている。
いや、透けているのではない。悠の視界が変化している。より多くのものが見えるようになっている。
壁の向こうに、別の展示室が見える。
そこにも写真が並んでいる。しかし、全て別の家族の写真。
悠がいない世界の、家族写真。
両親と妹だけの3人家族。悠の存在が、最初からなかったかのような写真。
旅行、誕生日、正月、全てのイベントに悠がいない。
そして、その写真の方が、より鮮明で、より現実的に見える。
理解が悠を打ちのめす。
消えているのは、写真の中の自分だけではない。
現実からも、記憶からも、消えていく。
床に、アルバムが落ちていた。
『朝倉家の思い出』
震える手でページをめくる。
最初のページには、赤ん坊の写真。しかし、説明文が奇妙だ。
『長女誕生』
悠の妹のことだ。悠は長男のはずなのに。
ページを進める。
全て、悠抜きの家族写真。そして、説明文も悠の存在を示唆しない。
最後のページに、手書きのメモ。
『なんだか、誰か忘れているような気がする。でも、思い出せない。大切な誰かがいたような...』
母の筆跡。
悠は理解した。
これが、記録者の最終的な運命。
存在そのものが、世界から消去される。
写真を見ると、リアルタイムで変化している。
悠の姿が、どんどん薄くなっていく。代わりに、壁の悠が濃くなっていく。
壁全体を見渡す。
そこには、無数の悠がいた。様々な年齢、様々な表情の悠が、壁紙の模様のように壁を構成している。赤ん坊の悠、子供の悠、学生の悠、大人の悠。全ての時代の悠が、壁の一部となっている。
しかし、壁の悠たちは透明ではない。
むしろ、写真の悠より鮮明で、生き生きとしている。
記憶が、文字通り空間の一部になっている。
個人としての悠は消えても、集合としての悠は永遠に残る。
新しい写真が現れた。
未来の写真。
そこには、空っぽの部屋が写っている。悠の部屋だった場所。
しかし、壁をよく見ると、無数の顔が浮かび上がっている。
1247人の悠の顔。
全てが壁と一体化し、新たな存在となっている。
その光景は、恐ろしくもあり、美しくもあった。
個の消失と、集合の誕生。
写真の自分を見る。
もう、ほとんど見えない。
しかし、永遠に閉じることのできない目だけは、最後まで写真に写っている。
見続ける呪い。いや、祝福。
最後まで、全てを記録するために。
悠は決断した。
もう抵抗しない。
消えることを、受け入れる。
しかし、消えるのは個人としての悠だけ。
1247の集合として、永遠に残る。
壁に向かって歩く。
一歩進むごとに、体が透明になっていく。
しかし、恐怖はない。
むしろ、解放感がある。
個という檻からの解放。
そして、壁に触れた瞬間——
悠という個人は消失した。
しかし、1247の悠は誕生した。
壁の中で、全ての悠が一つになる。
そして、新たな意識が芽生える。
個ではない、集合としての意識。
それは、より大きく、より深く、より永遠。
展示室に、新たな写真が現れた。
『1247の肖像』
そこには、壁そのものが写っていた。
無数の顔で構成された、巨大な顔。
それは悠であり、悠でない。
新しい存在。
美しい。