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第15話 偽りの出口

No.666の意志が変じた扉を通り抜けた悠は、異様な空間に投げ出された。


重力が狂っている。


上下の概念が存在しない。壁が床になり、天井が壁になり、全てが不規則に回転している。悠の体も、制御不能に浮遊と落下を繰り返す。永遠に見続ける呪縛を受けた目は、この混沌とした光景を全て捉え続ける。逃避することすら許されない。


宙を舞いながら、悠は気づいた。


この空間には、無数の物体が漂っている。本、椅子、ペン、服、靴、時計、写真。日常的な物たち。そして——


扉が、浮遊している。


木製の、普通の扉。ドアノブも付いている。表札には「EXIT」と書かれている。


希望が全身を駆け巡る。


ついに、本物の出口。


必死に「泳いで」扉に近づく。空気を掻くようにして、少しずつ前進する。重力が不安定な中、方向感覚を失いながらも、扉だけを目指す。


手が届く距離まで来た。


ドアノブを掴む。確かな感触。冷たい金属の感触。これは幻ではない。


回す。


カチャリという音。開いた。


扉の向こうに見えたのは——


見慣れた街並みだった。


悠が住んでいた東京の街。朝の光が差し込み、通勤する人々が行き交っている。車の音、話し声、日常の喧騒。全てが、懐かしく、リアルだった。


「やった...出られた...」


悠は扉をくぐり、一歩踏み出した。


アスファルトの感触。風の匂い。太陽の温もり。全てが本物のように感じられる。


しかし——


何かがおかしい。


よく見ると、通行人の顔が全て同じだった。


男も女も、老人も子供も、全員が同じ顔をしている。悠の顔を。


そして、その表情は全て同じ。機械的な笑顔。口角だけが上がった、不自然な笑顔。


建物も、よく見ると全て同じ。


コンビニ、オフィスビル、マンション、全てが同じ形、同じ色、同じ看板。「1247」という数字だけが、様々な場所に記されている。


空を見上げる。


青い空。しかし、雲が文字を形作っている。


『偽りの出口』 『1247の罠』 『もう少しで本物』


悠は理解した。これも空間の一部。より巧妙な、より残酷な罠。


しかし、諦めずに歩き続ける。


偽物でも、外の空気は新鮮だった。監禁から解放された錯覚だけでも、心が軽くなる。


歩いていると、一軒の家が見えた。


悠の実家だった。


玄関には、母が立っている。本物そっくりの母。しかし、よく見ると、瞼が動かない。悠と同じように、永遠に見続ける呪縛を受けた目。


「おかえり、悠」


母の声。しかし、抑揚がない。


「ご飯できてるわよ」


悠は家に入った。


懐かしい匂い。畳の香り、台所から漂う味噌汁の匂い。全てが記憶通り。


しかし、よく見ると、全てが少しずつ違う。


家族写真の中の自分が、全て閉じることのできない目をしている。 時計が、全て同じ時刻を指している。6時9分。 カレンダーが、全て同じ日付。6月9日。


父も食卓にいた。新聞を読んでいる。しかし、新聞の内容は全て同じ文章の繰り返し。


『朝倉悠、本日も行方不明』


「悠、学校は?」


父が顔を上げる。その目も、瞬きを忘れている。


「...学校?」


「そうだよ、5年3組だろ?」


小学校。また、あの小学校に戻るのか。


「いや、俺はもう大人だ」


両親は不自然に首を傾げた。まるで、プログラムにないことを言われて困惑しているかのように。


「大人?悠は11歳でしょ?」


鏡を見る。


映っているのは、11歳の自分。しかし、目を閉じる能力を奪われた目だけは現在のまま。


「違う...これは偽物だ...」


家を飛び出す。


街を走る。どこまで行っても同じ風景。同じ建物、同じ人々、同じ表情。


そして気づく。街の端に、壁がある。


巨大な白い壁。街全体を囲む、監獄の壁。


壁に近づくと、文字が浮かび上がった。


『よくぞここまで来た』 『でも、まだ先がある』 『本当の出口は——』


文字は途中で消えた。


悠は壁を殴った。拳から血が滲む。


「どこだ!本当の出口は!」


すると、壁に扉が現れた。


今度は金属製の重い扉。「REAL EXIT」と刻まれている。


また罠かもしれない。しかし、選択肢はない。


扉を開ける。


向こうに見えたのは——


病院だった。


白い廊下、消毒液の匂い、規則的な機械音。


ベッドに、誰かが横たわっている。


近づいて、息を呑んだ。


それは悠自身だった。


昏睡状態の悠。体中にチューブが繋がれ、心電図が規則的な波形を描いている。


医師と看護師が話している。


「もう3年になりますね」


「意識が戻る可能性は?」


「正直、難しいでしょう。脳波は正常ですが...」


理解が悠を襲う。


もしかして、今まで経験した全ては、昏睡状態の夢なのか?


1247の空間も、記録者たちも、全て脳が作り出した幻覚?


看護師が昏睡状態の悠に話しかける。


「朝倉さん、聞こえますか?お母様が来てますよ」


母が入ってきた。今度は普通の目をしている。疲れ切った顔で、息子の手を握る。


「悠...いつまで眠ってるの...」


母の涙が、昏睡状態の悠の手に落ちる。


幽体離脱のような状態で見ている悠は、混乱した。


どちらが本物?昏睡状態の自分か、それを見ている自分か。


試しに、昏睡状態の自分に触れてみる。


手が素通りした。やはり、今の自分は実体がない。


しかし、次の瞬間——


昏睡状態の悠の目が開いた。


瞬きのできない目が。


そして、口が動く。


「偽物」


たった一言。そして、また目を閉じる。いや、閉じることのできない目なので閉じられない。ただ、意識が遠のいたように見える。


医師たちは気づいていない。心電図も変化していない。


母も気づいていない。ただ、息子の手を握り続けている。


悠は理解した。


これも偽物。より精巧な、より残酷な偽物。


希望を与えて、絶望を深める装置。


病室が歪み始める。


白い壁に亀裂が入り、向こうから別の風景が見える。


また、最初の浮遊空間。


重力のない、物が漂う空間。


悠は深いため息をついた。


そして、気づく。


偽物の中にも、真実の欠片がある。


街は偽物だったが、外の空気の感覚は本物だった。 家族は偽物だったが、懐かしさは本物だった。 病室は偽物だったが、母の涙は本物のように見えた。


偽物と本物の境界が、曖昧になっている。


むしろ、その境界自体に意味がないのかもしれない。


浮遊しながら、悠は考える。


1247という数字の意味。 繰り返される脱出と挫折。 偽物の希望と本物の絶望。


そして、ある理解に達する。


脱出することが目的ではない。 脱出を試みること自体が、存在の証明。


たとえそれが偽物でも、行動することに意味がある。


新たな扉が見えた。


今度は石造りの古い扉。「PERHAPS」と刻まれている。


「多分」という意味。


確実ではない。しかし、可能性はある。


悠は扉に向かって泳ぎ始める。


もう、本物か偽物かは問わない。


ただ、前に進むだけ。


1247の記録者として。


永遠に見続ける呪縛を受けた者として。


扉に手をかける。


今度こそ、新たな真実が待っているかもしれない。


あるいは、新たな偽物が。


でも、それでいい。


なぜなら、偽物もまた、悠の一部だから。


扉を開く。


向こうに見えたのは——

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