チャプター1 ロックスター part1
午後20時
ヴィンスから屋上の塔屋にマイクスタンドを立てて、それが終わったら屋上で待っている様に言われた。
何が始まるかは教えてくれなかったが、屋上では100人以上の希望者達が集まり、何かを待ちわびている。
そして始まる、大勢の希望者達の前に“大スター”が現れ、熱狂ライブが幕を開ける。
突如姿を現れたスターは、金色のギターを肩に掛け、ロックミュージシャンのファッションで屋上の塔屋に登る。
“彼“が用意したマイクスタンドの前に立ち、満月に照らされながら、大音響を響かせる。
そして、今でもフランス人に愛されているロックバンド“Indocchine”の曲を流し、希望者達に披露する。
ロックは人を暑くさせる、“魂”を燃やす、人間の“心”を連結する。
希望者達は大きく腕を上げる、飛び跳ねる、騒ぐ、熱狂する。
“彼”は、周りが爆上がりのテンションの中で呆然としていたが。
先程までと打って変わった姿を、大勢の前で披露する“ヴァンサン・ヴィンス・ルイ”。
さっきまでお節介な人間だと思っていた人は、レストガーデンの大スターだった。
大歓声の大ライブは、2時間にも及び終了。
人々は幸福を感じ、満足気な表情で屋上を退室していく。
彼はヴィンスと共に、ライブの後片付けを手伝う。
ヴィンスはフラフラな状態で息切れをしていたが、充実しており、このあと渡したい“物”があるから、自分の部屋に来て欲しいと“彼“に伝える。
午後23時40分
ヴィンスは自分の部屋の壁に、有名なロックミュージシャン達のポスターや過去にライブで披露したバンド姿の写真を貼っていた。
そして、ある一人の“女性“の写真も何個も飾られていた。
ツーショット写真からして、恋人か妻のどちらかだと分かる。
ヴィンスは今日のライブで稼いだ分と貯金してある分、合計10万円を所持金0の彼に譲ると言い出した。
彼は10万円なんて大金を会ったばかりの人間からは受け取れない、彼は拒んだが、ヴィンスはどうしても受け取って欲しかった。
ヴィンス
「いいんだよ、もう使い道は無い、明日になれば俺はここにいないから」
彼
「えっ!・・・それって」
ヴィンスの希望日は4月2日。
つまり彼とヴィンスは、一日限りの付き合い。
彼
「それじゃあ・・・あの夫婦も!」
ヴィンス
「当然・・・明日だ」
談話室でラブラブな新婚夫婦も4月2日が希望日、それなのに幸せそうだった。
あの夫婦は貴重な時間を友好的に使っていた、そして今もきっと。
ヴィンス
「使い道があるなら、使った方がいい、だからこの金はもうキミのだ」
彼
「・・・どうして、どうしてそんなに人に優しく出来るんですか・・・なんの得も無いのに」
ヴィンス
「俺の妻も・・・人の為に尽くした人生を送ったからだ」
“彼“に自分の”愛“の体感を伝える。
ヴィンス
「妻は、・・・史上最高な女だ・・・代わりなんていない」
<ヴァンサン・ヴィンス・ルイの記憶>
最初に目指した夢は、ゲームクリエイターだった。
でも高校の時に、放送部が校内で流したロックミュージックを聴いた瞬間、彼の魂は情熱を覚えた。
ミュージシャンを目指したのは18歳の時。
大学時代は仲間とバンドを組み、大学のライブで披露した事もある。
仲間との絆、観客の熱狂、最高だった。
でも何より最高の瞬間は、ギターの音を耳に響かせる瞬間。
大学を卒業して、バンドは解散したが、今度は個人でミュージシャンを目指す事にした。
テレビでお目に掛かるまで、収入は無に等しかったが、それでも1日3食お腹を満たせたのは、ある"女性"のおかげであり、彼にとって女房・恩人・女神でもあった人物。
2人の馴れ初めは高校の時から、最初はヴィンスの好みの女性じゃないから、興味を示さなかったが、彼女の優しさに次第に惹かれていった。
ニート同然だった頃、ヴィンスと違って夢であったパン職人になる事が叶い、自分の店を持っていた。
彼女の手作りパン"タルト・タタン"は絶品、無料で食べさしてくれる自分は幸運だと思った。
彼女の優しさは料理にも出ていた。
無収入で将来保証のない男を信じて支える、まさに女神。
29歳の頃、ヴィンスの名はフランス国内で徐々に広まっていき、遂にテレビの歌番組で披露する事が決まった。
彼は遂に努力の末に名声を得た、そしてフランスで大人気の歌番組に出演のオファーが来た。
また伴いチャンスが降ってきたが、彼は同時に栄光と不運を神から送られる。
30歳過ぎた妻は、重い病を患い、パンを作る事ご出来なくなった。
ヴィンスは選択肢を迫られる、妻を見捨てて、ミュージシャンの道を歩み続けるか、それとも苦労をかけた妻を今度は自分が支えるか。
どっちを選ぶかは決まっている、"妻"を選ぶ以外考えられない。
40歳の頃、妻が病気を完治出来ずに亡くなってから、ヴィンスは孤独を強いられた。
今まで生きていけたのは、一時の間でもミュージシャンになれたのは、最愛の妻のおかげだった。
ヴィンスが安楽死を希望する“理由”は一つ、“最愛の妻に会うため”。
彼は、ヴィンスの過去を聞き、10万円を有難く受け取る事にした。
4月2日午前10時
天地の門の前で、4月2日の希望者達が集まる。
レストガーデンの責任者が、希望者達の出席を取り、全員いる事を確認。
レストガーデンの看板とも言える“部屋“の門が開門する。
40日間は施設を自由に出入り出来るが、この“天地の部屋”だけは40日に一度だけ。
希望者達にとって、未知の体験でもある。
4月2日の希望者達は、“天地の部屋“に入った瞬間、全員が心を奪われる。
レストガーデンのどの部屋よりも真っ白で清潔、天井には巨大なシャンデリア、壁のあちこちに天使の壁画が描かれ、窓から太陽の光が差し込む、世界的有名曲“アメージンググレース”のメロディーが流れ心を癒す、そして極めつけは余り過ぎる程の広さ。
まるで現世の“天国”を連想させる程の芸術。
そして、壁際には安楽死カプセル“サラバ”が、30台設置されている。
この日の希望者は28人、つまり28台使われる。
数名のスタッフが出迎え、安楽死希望者達に証明書のサインの仕方を説明する。
まず2枚の証明書が用意されている、初日に説明を受けた“存命書”と“終命書“。
どちらにも自分の名前がサインしてある。
大きなハンコ(承諾印)を持ち、最後にどちらかの証明書に押す。
“存命書“に押した場合は、安楽死を棄権した了承という証として、レストガーデンの希望者ではなくなる。
“終命書”を押した場合は、“サラバ”に搭乗して、安楽死を希望するという証。
順番に決まりはない、誰からでもいい、どちらを選んでも構わない。
先に希望したのは、レストガーデンの大スター、ヴィンス。
ヴィンスは恐れる事なく、同期達に笑顔でお別れの手を振る。
ヴィンスは迷わずに、“終命書”を選んだ。
”サラバ”前に立ったヴィンスに、スタッフはお別れを言う。
スタッフ
「ヴィンス様、これにてお別れとなります、今までお疲れまでした」
ヴィンス
「・・・こちらこそ、ありがとうございました」
“サラバ”の中に入った後は、最愛の妻の写真を手に持ち胸に添えて、安らかな表情で1分間経つのを待つ。
“ヴァンサン・ヴィンス・ルイ”
終命書に承諾印を確認
4月2日 レストガーデンより永眠。
他の希望者達もヴィンスに便乗して、どんどん永眠していくが、あの新婚夫婦の“妻”は死の恐怖で足がすくんでしまって、なかなか切り出せない。
夫は、そんな妻の姿を見て、ある提案をする。
夫
「キミが“生きたい”なら、僕もそうする・・・キミが“眠りたい”なら僕もそうするよ」
妻
「・・・あなた」
夫
「キミが望んだ選択肢なら、僕は何だって受け入れるよ」
妻
「・・・怖くない、“あなた”と一緒なら何も怖くないわ」
午後14時
談話室で“彼”は、カウンターで“オカザキ”に頼んだ氷入りミルクを飲む。
ヴィンスから貰った10万円で何を買うか悩んでいた。
施設の設備は無料で使える、最低生活必需品も無料で提供される。
使うとすれば売店ぐらいだが、せっかく貰った10万円を無駄に使いたいと思わない。
そして彼は、オカザキにある事を聞く。
彼
「オカザキさん」
オカザキ
「なんだい?」
彼
「・・・今日の安楽死希望者達は、全員死んだの?」
オカザキ
「・・・うん・・・そうみたいだよ」
全員安楽死を希望したという事は、ヴィンスも、あの新婚夫婦も、この世にはもういない。
“彼“もいずれ、選択肢を迫られる日がやってくる。
"土壇場の賭け"に続く