5 巫女が還ってきたら
*
ニャコは、母親に抱きしめられている。
身を少しだけ離したニャコは、母親に言った。
「お母さんのおっぱい、大きい。なんで?」
母親は可笑しそうに微笑む。
「それはね、ニャコをギューってした時、ニャコが安心して眠れるようによ」
母親の言葉に、ニャコは嬉しそうに微笑む。
「お母さん、大好き!」
ニャコは、母親の胸に飛び込んだ。
*
薄暗く、何もない空間に背を向けて座っている。
ニャコだった。
俺は、一歩だけ近づいた。
「……忘れてたんだ」
ニャコが――膝を抱えたニャコが、背を向けたまま声を出した。
「お母さんの事……。ニャコが、死にかけた事も、お母さんが助けてくれたことも――」
俺は、さらに近づいた。ニャコの、すぐ後ろに立っている。
「恐かったんだろう…全て忘れてしまわなければいけないほど。……そして、辛かったんだろう。事実を認めれば、心が壊れてしまいかねないほどに」
俺は、ニャコの背中に話しかけた。
ニャコは、自分の肩を抱いて震えている。
「ニャコを助けて、お母さんもお父さんも死んだのに……ニャコはその事を忘れて……呑気に生きてたんだよ…。ひどいよ…」
「――いいじゃないか」
俺は言った。
「それが多分、ニャコの両親の願いだろ。お前が幸せに、笑って生きていくこと……それが、お前の両親の願いだ」
「え……」
涙を流したニャコが、振り返る。
俺は、手を差し伸べた。
「戻ってこい、ニャコ。シイファも、ロックも――俺も…お前が戻るのを待っている」
「けど……」
ニャコは座ったまま、俺に言った。
「お母さんとずっと一緒にいたい。もう、離れたくないよ!」
ニャコは俺の手から目を背けた。
無理もない。そう、思った。
家族を失ったニャコだからこそ、家族が一緒にいられるこの夢の中で、ずっと甘美な想いに浸っていたい。それは、本能が求める欲求で、理性が考えるものよりはるかに強力だ。
そんな強力な本能に、説得なんか通じるのか?
「――美味いメシが喰えないぞ」
「へ?」
俺の言葉に、ニャコが眼を見開いた。
「此処にいたら、もう美味いメシが喰えないぞ。それでもいいのか?」
ニャコが、驚きの顔を浮かべる。
「此処は安らぐ場所だろう。けど、美味いものは食えない。生きているから、美味いものが喰える。生きてれば――新しい経験をつくっていけるんだ。帰ってきたら……美味いメシをつくってやる」
俺の言葉を聞くと、ニャコは涙を拭きながら苦笑した。
「なんだよそれ…。こういう時って、もっといい事言うんじゃないの?」
「俺は刑事だ。嘘はつけない」
俺はそう言った。ふと、俺の口元が緩んだ。
「あ、キィが笑った。笑った顔、初めて見たよ」
「……此処は心の中の世界だからな。ニャコや、シイファに会って、俺も少しは笑えるようになったのかもしれない」
差し出した俺の手を、ニャコが握った。ニャコが立ち上がる。
「キィももっと、笑っていいんだよ」
「…そうかもしれないな」
ニャコは不意に思いついたように、俺に訊ねた。
「ね、何つくってくれるの?」
「そうだな…。お前の好きなビーフシチューを作ろう」
「ハンバーグも!」
ニャコの声に、俺は苦笑した。
「判った。つくってやるよ」
「約束だかんね!」
ニャコは、嬉しそうに笑った。
*
「――ニャコ!」
シイファの声だ。シイファが、ベッドのニャコに抱き着いている。
現実に戻って来たと、判った。ニャコが上半身を起こす。
「シイちゃん……」
「バカ! 寝すぎだからね! 朝はちゃんと起きて……歯ぁ磨きなさいよ……」
そう言いながら、シイファは涙を零した。
「うん。……判った」
ニャコはそう言うと、微笑みを浮かべた。




