5 自分の気持ちを初めて知ったら
俺は一つ息をついて、話を続けた。
「事件以降、俺の家族の風景は変わった。両親は俺を責めなかったが――俺が時間に迎えに行かなかったことが、さくらが死んだ原因だと内心思っているのが判った。家の中は会話が無くなり、父親はあまり家に帰ってこなくなった。母は家の中で、ボーッと空を見つめてる時間が増え……父が病院に連れていくと、鬱病と診断された。――心の病だ。母の心は壊れてしまって…元には戻らなかった」
リビングの椅子に座り、母はじっとさくらの席を見つめている。俺はその光景を、何度見ただろう。声をかけても、ろくな反応もしない母の様子は、無言で俺を責めてるようにしか感じられなかった。
「…俺は高校卒業と同時に、家から逃げるように警察に入り、独身寮に入った。父は外で女を作っていたらしく、俺が警察学校に入ってから二年後、離婚した。たった一つの事件が…ほんの五分の遅れが――俺の家族の運命を変えてしまったんだ」
「辛かったね……キィ」
シイファが、俺にそう言った。だが、俺は首を傾げた。
「辛かったのかどうか…俺は覚えてない。ただ俺が、妹を死なせたという罪の意識から逃げるために、俺は警察学校の過酷な訓練を進んで引き受けた。過酷で苦しい訓練をこなしてる間は――事件を忘れられたからだ」
苦笑いが思わず洩れた。
「周りが音を上げるなか、俺は黙々と訓練をこなした。俺は強くなって……もう二度と、間に合わないことがないようになりたかった。時間に間に合わなかったのは、俺の罪だ。そう…思ってる。俺は刑事だ。もう二度と……罪は犯さない」
俺は、そう話し終わると、息をついた。
シイファは、驚きの顔で俺を見つめている。
「そんな張り詰めた気持ちで――ずっと生きてきたの? キィ」
シイファの問いに、俺は答えられない。その横から声があがった。
「ふぃ…ふぃーン……」
ニャコは、声にならない泣き声をあげていた。顔が真っ赤になって、涙がボロボロこぼれている。
「お、おい…そんなに泣かなくてもいいだろう」
「だって――可哀そうだよ。さくらちゃんも、キィも」
「さくらは確かに可哀そうだが…俺はそうじゃない」
俺がそう言うと、ニャコは涙のたまった眼で俺を見た。
「そんな事ないよ。キィだって、悲しいでしょ? さくらちゃんに逢えなくて」
さくらに逢えない?
――虚を突かれた。
そんな事は考えてもいなかった。
俺はただ、ずっとさくらの事を考えないために、必死になって訓練し、事件を追っていた。自分を追い込むことが、ラクだった。
「悲しいよ、キィ。逢いたい人に、逢えないのは」
俺は……さくらに逢いたかったのか?
そう考えた時、俺の中で何かが弾けた。
「そうか……俺は――」
さくらに、もう一度……一目だけでいいから逢いたかった。逢って謝りたかった。だがもう、それは叶わないことだ。願っても叶わないことを願うのは……無駄なことだ。だから俺は、願いを捨てた。
“もういいよ、お兄ちゃんはお忙しそうだから勉強してて。わたし一人で帰れるから”
あの日の、さくらの顔が浮かぶ。
待ってくれ。もう一度、やり直させてくれ。
“よくそんなに勉強して飽きないね”
呆れても構わない。もしお前が戻って来たなら、俺は何でも教えてやる。だから――
「――さくらに…逢いたいんだ」
そう言葉にした瞬間、俺の眼からとめどもなく涙が溢れてきた。俺は片手で顔を覆った。
「キィ……」
不意に、俺の頭を柔らかいものが包む。ニャコが席を立ち、俺の頭を横から抱きしめていた。
ふと、俺のもう一方の手が、テーブルの上で握られている。
シイファが、そっと俺の手を包んでいた。
「キィの真面目で真剣な気持ち……よく判った。だから、あたしたちに協力させて。いつでも力になるし――キィは、独りじゃないから。それを忘れないで」
「……ありがとう」
俺はそのまま、温もりに包まれてしばらく泣いていた。
15年ぶりだった。さくらが死んだと知った時泣いたが、それ以降は泣いたことがなかった。
俺には泣く資格がない。何処かでそう思っていた。
けど涙を止める代わりに、俺はさくらを想う気持ちまで封じていたんだ。その事を、ニャコが教えてくれた。
「まあ、泣きたいときは、ニャコの豊かなおっぱいで泣いていいからね!」
「それ言うなら、広い胸でしょ!」
「だって、シイちゃんより、おっぱいあるよ」
二人のやりとりに、俺は泣きながら笑った。




