2 魔犬と立ち合ったら
男は微笑したまま厳しい事を言う。
「だからってこんな処で、世捨て人かい? …まあいい、確かに用事はあるんだ。――キィ、こいつはリュート。独立戦争時の英雄ってところだ」
ヴォルガの言葉に、リュートと呼ばれた男は、軽く苦笑してみせた。
「命を懸けて独立した挙句、貴族がのさばるだけの、つまらない国になったね……。まったく、下らない戦いだった。そして君は、そんな体制の維持に手を貸しているわけだね」
「そう、言うなよ。――こいつはキィ・ディモン。こいつに気力を使った武器術を教えてやってほしいんだ」
「断るよ。これでも犬の散歩とか、餌やりで忙しいんだ」
男はそれだけ言うと、犬に合図して踵を返した。
「おい! ちょっと待ってくれよ。こいつは最近起きた、神父長殺し、それから五人の連続殺人事件の犯人をあげた男だ。平民の被害者のために奔走して、犯人と戦ったんだ」
ヴォルガの声に、男は足を止めて振り返った。
「最初に会った時、こいつと戦闘になった。けどその時、こいつは頭部を狙わなかった。後でその理由を訊いたら、『刑事はなるべく犯人を傷つけずに逮捕する』とか言いやがった。…面白いだろ? オレが気力を使った格闘戦は仕込んどいた。だから、後はあんたに頼みたいんだ」
ヴォルガがそれだけ言い終わると、男は俺を見つめた。老人だが、青い澄んだ瞳だ。俺は真っすぐ、男の眼を見返した。
俺の内側を見透かすような静かな眼だ。そして口を開いた。
「……判ったよ、とりあえず預かろう」
「よし、よろしく頼むぜ。――じゃあキィ、あとは頑張りな」
「ああ、ありがとう、ヴォルガ」
俺が礼を言うと、ヴォルガは手をあげて立ち去っていった。
残った俺を一瞥すると、リュートが犬に言った。
「ロック、模擬刀を持っておいで」
ロック、と呼ばれた犬が小屋に入っていく。と、すぐに木製の剣を一本咥え、もう一本は尻尾の手に持って戻ってきた。リュートが俺に言う。
「見込みのない者に教えるつもりはないよ。まず、このロックと戦ってごらん」
「この……犬と?」
ロックがハンドテイル=尾手に持った剣を俺に放る。俺がそれを受けとると、ロックは前に出てきた。
――手の甲を見せて、ひらひらと振る。「――かかって来い、と」
そっちがそのつもりなら、いいだろう。やってやろうじゃないか。
俺は剣を構え、その小さな犬と対峙した。
ロックは尾手に持った剣を、ゆらゆらと揺らしている。と、突然、その姿が消えた。
いや、消えたように見えただけだ。ロックは右側に急進している。が、剣は左から顔を狙って来ていた。
「くっ」
ギリギリ、防御が間に合う。が、すぐさま地面に降り立ったロックは、剣で足を狙ってきた。
低い。こんな低い攻撃は、ほとんど受けたことがない。俺は慌てて跳んで躱す。しかしそうなると空中にいる俺は移動ができない。そこを狙って、ロックの剣が尾手を鞭のようにしならせて、縦横無尽に襲いかかってきた。
二撃、三撃、四撃まで来たとき、ロックの剣が俺の肩を打った。
地面に降り立って、間合いをとる。ロックも間合いをとり、俺を見ている。
「……犬と思ってナメるのは止めにするよ」
俺は呟きながら、片手持ちで剣を構える。逮捕術の棒の使い方だ。
ロックが動く、右。と見せかけてすぐに左、剣は空中で軌道を変えて、左から右に動いて俺に襲い掛かる。
対人の訓練しかした事のない俺にとっては、見た事のない動きだ。だが、落ち着いていれば、剣は一本しかない。
襲ってきた剣を受け流した直後に、俺は空いている手で下方のロックの首を抑えつけた。
「きゅん」
地面に抑えつけられたロックが鳴く。俺は思わず手を緩めた。
と、ロックの姿が消えた。
「なに?」
速さで消えたんじゃない。本当に姿が見えない。
「くっ」
いきなり、腹に一撃を喰らった。だが、やはりロックの姿が見えない。
「なんだ、透明にでもなっているのか?」
しかも、持っているはずの武器まで透明とは。シイファの言っていた魔能というやつか。
戸惑っている間にも、足に一撃もらう。衝撃が俺の足に走る。判る。ロックは気力を使って衝撃を俺に与えている。犬のくせにマギアに気力も使う、魔犬だ。
不意に俺の顔を襲う気配を、俺はなんとか剣で防御する。しかし相手がまったく見えない。このままではやられる一方で、リュートは口を出す気配はない。これも試練のうち、という事か。




