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8 妹が泣いたら

 母親の言葉に、さくらは嬉しそうに答える。


「本当は優勝したかったんだけどな」

「いや、立派な成績だぞ。それに、ステージの上のさくらは、とても輝いていた」


 父はそう言ってさくらを褒めた。さくらは嬉しそうに微笑む。

 それはバレエの大会の後に寄った、レストランの光景だった。


 食事が来る前にさくらの入賞を祝い、家族で外食したのだった。


 ――これが、さくらの一番安らぐ記憶なのか。


 俺は、なんとも言えない気持ちで胸が締め付けられた。


「ね、お兄ちゃんはどうだった?」


 さくらが俺に訊いてくる。

 視界の先に見える俺は……何か仏頂面をしていた。


「まあ、よかったんじゃないの」


 俺はさくらの顔も見ずにそう答える。


 ……そうか。あの時のさくらからは、俺はこう見えていたのか。

 何かもうちょっと、返しようがあるだろう、俺。


「ふふん、わたしが思った以上に綺麗だったんで、びっくりしたんじゃないの?」


 さくらの言葉に、俺は驚いたように顔を上げる。


「バカじゃないの、自信過剰」


 俺は横を向いて、そう悪態をついた。

 …けど、本当は図星だったんだ。俺は見たことのないような妹の華麗な姿を見て、困惑していたんだ。


「自信過剰くらいが、いいんだもんね」


 さくらはそう言って笑った。


   *


 これが、さくらが閉じこもりたい光景。

 恐い記憶から逃れて、自分を守るための大事な記憶。


 けど俺は、此処からさくらを連れ出さなきゃいけない。


「――さくら!」


 俺は呼びかけた。

 真っ暗な空間だ。さくらが何処にいるか判らない。


「さくら、答えてくれ!」


 ふ…と、目の前がぼんやりと明るくなる。

 そこに、さくらが立っていた。


「さくら!」

「何しに来たのよ……」


 さくらは、うつむいたままそう呟いた。俺の方を見ない。


「さくら…俺は――」

「今さら、何しに来たのよ!」


 さくらが俺を怒鳴りつけた。


「さくら……すまない――」

「すまないじゃ、すまないわよ! わたし、殺されたんだよ? 汚されて、殴られて――真っ暗な闇に閉じ込められて……」


 俺はたまらなくなって、さくらに歩み寄った。

 さくらが俺を睨む。


「今さら、遅いよ! どうして助けに来てくれなかったの! どうして、わたしを早く迎えに来てくれなかったのよ!」


 さくらが俺の胸を拳で叩く。


「どうしてよ! どうして、わたしがあんなひどい目に合うのよ! おかしいじゃない! 理不尽じゃない!」


 さくらは俺の胸を両手でがんがん叩く。俺は、さくらに叩かせるままにしていた。


「ひどいじゃない! どうしてわたしが……死ななきゃいけなかったのよ! どうして――助けに来てくれなかったのよ!」


 さくらは泣き始めた。泣きながら、俺の胸を力いっぱい叩いた。

 だが、その力が次第に弱くなっていった。


「どうして助けてくれなかったのよ……お兄ちゃん…」


 さくらが、泣きながら俺を見上げた。

 俺の眼にも、涙が溢れてきた。だが俺はそれを見せたくなくて、さくらを抱きしめた。


「すまない……さくら。助けてやりたかった…俺も、父さんも、母さんも――」

「ひん…ひぃぃぃ……」


 さくらが声にならない涙声をあげて、俺の胸に顔を埋める。

 俺たちはしばらくの間、二人でそうして泣いていた。


「悪かった……俺が、迎えに行くのが遅れたばかりに――」

「…え?」 


 不意に、さくらが顔をあげる。


「お兄ちゃん……あの日、遅れたの?」

「ああ。五分遅れていった。お前はもう駅前にいなかった」


 さくらが、驚きの顔になる。


「違うよ……わたし、五分前に駅から出た。一人で帰れると思って、先に出たんだ――」


 俺は――さくらの言葉に驚き、声も出なかった。


「そう……なのか」


 さくらは涙の痕を残したまま頷いた。顔を上げて、俺を見る。


「もしかして……自分のせいでわたしが死んだって、思ってた?」


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