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1 刑事が異世界転生したら

 荒い息遣いが聞こえる。俺と奴のものだ。


 俺は走って逃げる奴を追っていた。奴は夜の繁華街の細い小道を通り抜け、狭い路地に入る。雑居ビルの隙間は人がなんとか通れるくらいの幅しかない。足元はゴミだらけで、壁は剥き出しのパイプやクーラーの室外機が突き出ている。俺たちの息遣いが、薄汚れた壁に反響しているのだ。俺は走りながら、声をあげた。


「止まれ。黒須! 逃げても無駄だ!」


 先を走る奴――黒須摩実也が怯えた顔で振り向く。どれだけ怯えた顔をしていようが、奴は三人の人間を殺した連続殺人犯だ。同情の余地などない。

 黒須が路地から出た、と同時に転んだ。奴は這って逃げようとするが、俺は後ろから追いついた。


「ここまでだな、観念しろ」


 俺は息をつきながら、黒須に言った。そこは小道で、右は工事用の鉄フェンスが立ちはだかる行き止まり。俺は左に回り込んで、這いつくばる奴を見下ろした。


 黒須が這った状態から、仰向けになるように体の向きを変える。歳は30代後半、痩せこけた頬にうっとうしい程の長い髪がかかった。奴は妙に大きな目を血走らせて、俺に叫んだ。


「オ、オレはやってない!」

「なら、おとなしく署まで同行しろ。話はそれから聴く」


 俺は冷徹に言った。甘い顔をする必要はまったくない。目撃証言があり、こいつが少なくとも三人のうち一人を殺したのは間違いのない事実だ。俺は手錠を取り出して、奴に一歩迫った。


「ヒッ!」


 黒須が悲鳴を上げて、座ったまま後ずさる。

 その時、俺のイヤホンに音声が入った。


「どうした、キィ。大丈夫か?」


 太い声の主は、寛さん――山中寛治警部補だ。40代のベテラン刑事で、俺に刑事のイロハを教えてくれた。寛さんが奴のアパートを訪ね、俺が裏で見張る。黒須は二階の窓から飛び降りて逃げ出し、それを俺が追ってきたのだ。


「大丈夫です、ホシを追い詰めました」

「今、何処だ?」

「南西の方です。今からこいつを逮捕――」


 その瞬間だった。

 俺の胸に、凄まじい衝撃が走った。


「――な…」


 口の中に、血の味がこみ上げてくる。なんだ、これは?


 俺は自分の胸を見下ろした。

 開けたスーツから覗く白いシャツの右胸に、血が滲んでいる。その中心付近に、大きな穴が開いていた。ソフトボールほどもある穴だ。恐らく前から見たら、俺の身体を通して背中側の光景が見えたろう。


「――んだ…これは……」


 信じられないものを見ている。


 俺の身体に穴が開いているのだ。


 何かに撃たれたのか? しかし発射音のようなものはなかった。これだけの口径の銃器であれば、銃声がするはずだ。撃ったのは誰だ、黒須か?


「どうしたキィ? 何かあったのか?」


 耳で寛さんの声が響く。だが、俺はそれに答える余裕がない。


 俺は前を見た。腰を抜かしたようにへたり込んでいる黒須は、半泣きの怯えた顔でこちらを見ている。手は両手とも地面についていて、武器は持ってない。


 前から撃たれたんじゃない。じゃあ、後ろか?


 俺は振り返ろうとして、その視界がぐらりと変わった。俺は地面に倒れ込んだのだ。地面からアスファルトの焦げたような匂いがする。手を伸ばして地面に掴もうとするが、思うように動かない。


「ヒッ、ヒィーッ!」


 俺の目の前を、黒須の靴が踏んでいく。

 奴が逃げる。追わなければ。

 だが、俺の身体は、もうほとんど動かなかった。意識も霞んでいく。俺の身体から、大量の血が流れ出ているのが判った。


「キィ、どうした? 返事しろ!」


 イヤホンから寛さんの声が響く。口の端から溢れ出る血を感じながら、俺は寛さんに答えた。


「…すいま……せ……」


 駄目だ。もう口が動かない。意識が霞んできて、視界が暗くなってくる。


 すいません、寛さん。せっかくホシを追い詰めたのに逃げられました。後ろから撃たれたなら、奴には共犯者がいます。気を付けてください。そして…奴の逮捕をお願いします。


 俺の頭の中で、寛さんへの最後の言葉が響く。だが、それは届かない言葉だ。残念だ――俺はここで殉職するのか。俺を殺した奴の真相も知ることなく。


「――ねえ、このままじゃ、この人死んじゃうよ?」


 不意に、俺の耳に甲高い声が聞こえてくる。誰だ? 付近住民か。

 俺は最後の気力を振り絞って、眼を見開いた。


 俺の顔を覗き込んでいるのは、少女だ。呆れたことにピンクの髪をしている。ここら辺のキャバ嬢か?


「そんな事言ったって、どうしょうもないでしょ」

「だけど、このままじゃダメだよ!」


 ピンク髪の顔が遠ざかって視界が開ける。二人の少女が俺を見下ろしていて、その一人がピンク髪だった。そしてその隣には、水色の髪をした少女が立っていた。水色の髪の少女が、口を開く。


「そうは言っても……こちらからは、ほとんど干渉できないんだから」

「ニャコ、転生の術を使ってみる!」


 ピンク髪が、両手で拳を作って鼻息を荒くした。水色の方が、呆れたように眉をひそめた。


「そんなの…一人で無理に決まってんでしょ」

「わかんないもん! ニャコは特級巫女だから、できるかも」

「それに…この人がそれを望んでるかどうか判らないでしょ? リワルドの人に無理強いできないよ」

「シイちゃん……」


 ピンク髪が目を潤ませる。騒がしい……俺の頭上で騒いでないで、早く警察を呼んでくれ。そしてもう…俺を静かに休ませてくれ。


「わかった。…しょうがないな、ニャコは。やるだけやってみたら? 無理だと思うけど」

「シイちゃん、ありがとう!」


 俺はもう疲れて、目をつぶった。

 暗くなる。もう俺は何も見ることはない。この世の忌まわしいもの――悲惨な事件や、殺された遺体を凝視する世界からサヨナラだ。


 そう思った直後に、俺の視界が裏切られた。


 突然、明るくなる。そして俺の身体が軽くなる。

 いや、軽くなってるんじゃない。浮いているのだ。

 俺の身体は宙に浮き、狭い路地の空中に浮かんでいた。


 どういう事だ? 見下ろすと、俺が――俺の身体が倒れている。

 これは…いわゆる幽体離脱という奴か? けど、あれは疲労の末におきる錯覚だとか言われてたはずだ。


〈こっちに来て〉


 不意に聞こえる声に、俺は顔を上げた。

 さっきのピンク髪の少女が、手を差し伸べて微笑んでいる。


 どういう事だ? ここは空中じゃなかったのか?

 そんな疑問をよそに、俺の手は吸い寄せられるように少女へと伸ばされた。少女が俺の手を取る。そこで少女は優しく微笑むと、俺の手を引いて後ろを向いた。


 俺の手を引いたまま、少女は上空へと飛んでいく。

 何処だ? どこまで行く気なんだ?


 暗くなっていく視界の先が、急に明るくなる。その先にあったのは、巨大な黄金の扉だった。

 少女が振り返って、俺に微笑みかける。


〈あなたの望む、あなたの姿で〉


 少女が俺を扉の前へと促している。俺は吸い込まれるように扉に引き寄せられた。

 扉が開く。

 少女が俺を送るように、扉の中へと誘った。


   *


 扉の中の、完全な暗闇。まったく光源はない。

 その闇に入った瞬間、俺は自分の身体が粒子のように分解されていくのを感じた。


 叫んだのだろうか。自分でも判らない。

 だが俺の身体は一旦、完全に粒子になって消えた。…はずだった。


 その拡散した粒子が再び凝集していく。

 光の下で俺の身体を構成する粒子が集まり、再構成されていく。

 そして俺は――復活した。


   *


 俺は地面へと降り立った。


「ウソぉっ!」


 耳元で驚嘆が聞こえた。俺は横に立つ声の主を見る。水色の髪の少女だった。


「……本当に、転生させちゃったの? 一人で?」


 水色の髪の少女は、信じられないものを見る目つきで俺を凝視している。何故かその手には、両手で抱えるほどの鏡を持っている。その隣に立つピンク色の髪の少女は、得意げに胸を張った。


「まあね~、なにせニャコは特級巫女だから!」

「特級って言ったって……嘘でしょ。どうするの、この人?」

「ど……どうしよう?」


 驚愕から困惑に変わった水色の少女が、ピンクに問いかける。ピンク髪もまた困惑の表情を浮かべた。


「おい」


 俺は声をあげた。二人の少女が驚いた顔で、こちらを見る。


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