見えない凶器
好奇心旺盛で厚かましいオバサン主人公による推理小説です。
閑静な住宅街に、キィーというブレーキの音が鳴り響いた。
「本当に耳障りだわ、なんとかならないのかしら」
そう文句をいって私は自転車から降りた。ちょうど玄関ポーチの防犯ライトが点灯し、明るい場所でしげしげと見ても、どうしていいかわからない。わかっていることといえば、もう二十年以上酷使しているということだけだ。
「主人に頼んでも、ぜんぜん直してくれないんだもん」
辺りは真っ暗で、時刻は九時を少し回っている。私は毎晩この時間にレジ打ちのパートから帰ってくる。このうるさい自転車のせいで、ご近所さんに迷惑をかけていないかと少し気になっていた。
「もっと強く言わないと駄目ね。今度の休みには絶対見てもらいましょ」
玄関ポーチの脇にオンボロ自転車を止めて、家に入ろうとした時である。突然窓ガラスのようなものが割れる音がした。聞いたこともないような大きな音だった。真向かいの大神さんの家かもしれない。心配になって私は行ってみることにした。
大神さんは資産家で、それゆえ住まいも立派なお屋敷である。部屋に明かりがあるのが見えた。しかしチャイムを鳴らしても、誰も出てくる気配が感じられない。
「変ねえ、お留守なのかしら」
お金持ちは庶民と住む世界が違うという思い込みで、普段から近所付き合いは乏しかったものの、それを近隣住民や、また大神さんも気にしているところはない。これといった不便もないため、むしろ不干渉であることが望ましいと見る向きもある。ところが私の場合は、どうにも他人の暮らしぶりが気になって仕方がない性分で、押し掛けオバサンよろしく筋金入りのお節介焼きだった。だから図々しいのも承知で、おもての庭へ回ってみることにした。
潜り戸を抜け暗がりの植え込みを進んだ。こんなことなら懐中電灯を持ってくるんだと後悔した。足もとに注意しながら通路を抜けたところで、私はびっくりして飛び跳ねてしまった。ジャーマンシェパードのハルクがいることをすっかり忘れていた。私は大きな声で吠えられ心臓が止まるかと思った。
「こら! うるさいハルク。私よ! 私!」
と勝手に他人の敷地に入っていることなどお構い無しに番犬を叱りつけた。それでもハルクはすぐに私とわかったらしく、尾を振って甘えるような声をだした。謝っているのかもしれない。この子はじつにかしこい犬だ。ハルクは毎日ご主人と散歩に出掛けるので、ガーデニングが趣味の私とは顔馴染みなのである。
「よしよし、ハルク。お家の警備ごくろうさん」
私は腰をかがめ、可愛がるようにハルクの頭を撫でた。
庭先を見ると、冬枯れの芝がキラキラ光っている。それが窓ガラスの破片だということはすぐにピンときた。つい先ほど割れる音を聞いていたからだ。ガラスは広範囲に散乱している。家の中から何かが飛び出したようだ。悪い予感を抱えながら、私は割れた窓から家の中を覗いた。
「まあ、大変!」
広間に女性が倒れている。このうちの若奥さんだ。私は割れた窓を開け広縁から家に上がり込んだ。若奥さんは畳の間にぐったりと横たわっていて、私は体を支えるように彼女を抱き起こした。
「大丈夫?! しっかりして」
私は軽く頬を叩いた。幸い気を失っていただけで彼女はすぐに目を開けた。
「落ち着いて一緒に深呼吸しよう。心配ない、私がついてるから」
上半身を自分の膝の上に乗せ手を握り締めた。若奥さんはゆっくりと息を吸い込み、私の顔をみてはっきり意識を取り戻した。
「あっ、はっ、主人がっ、うちの主人が……」
彼女が力なく指差す方を見た。ご主人の大神さんが隣の部屋で仰向けに倒れている。いや、それだけじゃない、首から血を流している。私は思わずひっと小さく悲鳴を上げ、一瞬恐怖でからだが麻痺してしまった。それでも気を取り直し、おそるおそるご主人に近寄り、鼻と口に手を当ててみた。やはりもう呼吸している様子がない。直感で死んでると思った通りだ。出血している首には、ナイフで切りつけられたような跡がある。
そんな、まさか──。と私は打ちひしがれてしまった。大神さんとは今朝も会っている。愛犬を連れ軽やかに散歩へ出掛けていった。あの元気な大神さんが変わり果てた姿となり、気持ちの収拾がつかなかった。
「知らない男が窓を破って、外に逃げていきました」
と若奥さんは震えながらいった。
「たぶん、あれは強盗です。金庫のなかのお金も全部持って行かれました。主人は犯人を捕まえようとして逆にこんなひどい目に……」
ええっ! じゃあこれは強盗殺人ということ──?!
私は思いもよらぬ事件に遭遇し、心臓はばくばくしていたが、頭の中は妙に冷静だった。それは娘ほども年齢の離れた大神家の若妻を見て、今はこの私がしっかりしなきゃと使命感に駆られていたからかもしれない。人妻とはいえ彼女は見るからに可憐で、深窓の佳人のようだ。
「奥さん、警察には連絡したの?」
と尋ねても、彼女は弱々しく首を横に振るだけだ。ずっと放心状態で、からだも微かに震えている。可哀想に、ご主人を殺され気が動転しているんだ。
困っている人をみたら放ってなんかおけない。私は俄然張り切って警察に通報した。
それからは私の独演会のようなものだった。自転車で帰宅したところから、一瀉千里余すことなく喋り続けた。やがて刑事の中には、露骨に煙たそうな顔を向ける者もいたが、だってしょうがないじゃない、彼女はショックのあまり口がきける状態ではないんだもの。私が証言するしかないでしょ。
もう遅いし帰ってくれてもいいからと背中をさすられたときには、働いているスーパーで万引きがあった出来事に話は及んでいた。
私はその場からつまみ出された。
──なんなのよもう、邪魔者扱いして!
うなだれる若妻をみて、私は去り際に励ましの言葉をかけた。
「奥さん、困ったことがあったらなんでも相談してね。私が力になるわ。気を強く持たないとダメよ」
◇
あくる日、主人殺しでその若妻が逮捕された。
閑静な住宅街は物々しい雰囲気に包まれ、たくさんの野次馬が大神家を取り巻いていた。考えてみれば大神さんにとって、彼女は二度目の妻だ。きっと財産目当てが犯行の理由だろう。
「虫も殺さないような顔をして、とんだ食わせ者だわ。もう気を使って損しちゃった」
おまけに私の面目は丸潰れである。多弁で得意になった手前、警察に合わす顔がない。私は自宅の窓から外の様子を眺めていた。女は捜査員に連行されパトカーに乗せられた。ふてぶてしい顔をして、昨日までとはまるで別人である。
悪妻を窓越しにみて、私は、はっとあることに気が付いた。
窓ガラスを割って犯人が外に出たなら、庭にいるハルクが吠えているはずだ。でも昨晩私は、ガラスが割れる音しか聞いていない。
もしかして彼女は、ガラスの破片を使って大神さんの首を切り、その凶器を誤魔化すためガラスを割ったのかもしれない。しかもそれを私に証言させるなんて。すっかり騙されたうえ、彼女の計画に一役買ってしまった。
「ああもう悔しい!」




