氏豊は可愛い奴なんです。
今日も良い目覚めだ!!
昨夜、夢男から貰った富士金山と椎茸栽培の情報はしっかりと私の頭の中にある。
夢男は一体どうやって情報を調べているんだろうか…
不思議だが考えてもしょうがないか…
さて、朝のお勤めと朝の修練だ。
朝のお勤めが終わり、朝の修練に向かう途中で松永 久秀が姿を見せて今日は来客があるとの事。
諏訪 信真と海野 泰頼が武田家対策の為の話し合いに来るとの事だ。
距離的には小笠原 長高より近いはずなのに長高より顔を見せるのが遅いな…
まあ、皆それぞれ事情があるだろうがやはり早くにやって来た長高の方が印象は良いね。
そんな事を思いながら朝の修練をこなした。
久しぶりに必殺技の開発をしようと思ったら柳生 家厳とその弟子たちに察知されて止められ残念な子を見る目で私を見ている。
その目にはもう慣れた…
細かい事を気にしていたら次へと進めない。
斬撃をなんとか飛ばせないかな…
無理なのはもちろんわかっているけど私の中に夢男がいるという不思議な事もある事だし、ワンチャンなるかも…と思ってしまう。
朝の修練を終え身体を拭いてお茶を飲みながらのんびりとしていると信真と泰頼がやって来たので客間に通して会談を始めた。
信真には信濃国の【諏訪 頼重】とその祖父である【諏訪 頼満】さらに諏訪の分家である【高遠 頼継】などに武田家対策の使者を出すように命令した。
長高にも伝えた様に今川家と諏訪家が接触していたという既成事実を作るつもりで良いと伝えたところ、諏訪の分家である【藤沢 頼親】にも使者を出す事を提案されたので承諾した。
無理はしないようにもちろん伝えた。
後、信真の息子を私の側に置いて欲しいと言うので許可を出した。
信真は安倍谷に居を構えているので私の偏諱も与える事になり息子には【安部 元真】と名乗るように命じた。
泰頼には信濃国の【海野 棟綱】に武田家対策の使者を出すように命令した。
こちらも今川家と海野家が接触したという既成事実を作るつもりで良いと伝えた。
2人は急いで戻りすぐに使者を出すので会談は終了した。
周りは善得寺城へ向かう為の準備をしているが私は仏門に入っていた為、荷物はほぼ無いので準備はとっくに終わっている。
せっかくなので母上に挨拶でもして来ようと手の空いている者を探して柳生 家厳と世鬼 政棟がいたので護衛に付いてもらい今川館へと向かった。
母上は私が挨拶に来るとは思っていなかったらしく驚いていた。
母上と一緒に弟の今川 氏豊がいた。
氏豊は母上の子供では無いのだが母上に懐いており、私たち兄弟の中で母上との書状のやり取りは一番多いのではないだろうか。
氏豊は私に対してなぜ尾張国に来た時に会いに来てくれなかったのかと目の前で拗ねている。
妙心寺から駿河国に戻る時に尾張国を通ったので氏豊の居城である那古野城に寄ったが氏豊は連歌会で出掛けてたのでそのまま駿河国へと向かったのだが…
氏豊にもその後しっかりと書状を届けたはずなのだが…
全く連歌好きで連歌会ばかりやってある氏豊には困ったものだな。
まあ、可愛い弟の為に京で知り合った連歌師【宗牧】殿を紹介してしまった。
各地を旅していた宗牧殿に尾張国へ赴いた時には氏豊の元を是非訪ねて欲しいとお願いした。
宗牧殿は尾張国へ訪れた時に私の願い通り氏豊の元へ訪れて氏豊を喜ばせた。
氏豊から私にとにかく感謝、感謝の書状を送って来たぐらいだった。
氏豊と宗牧殿は親子程の年の差ながらお互いに友好を深めているとの事だ。
後日、宗牧殿の書状が届いたが氏豊にはかなりの才能があると興奮気味なのが書体からもわかる内容だった。
氏豊は私の人脈を羨ましがっていた。
私の働きにより、1532年に母上の姉の夫である公家の【山科 言継】様から紹介を受けて蹴鞠の宗家である【飛鳥井 雅綱】様を駿河国へと招き連日、蹴鞠会を開催した。
滞在中、雅綱様は多くを門弟にしたのでとても楽しんでくれて今も今川家中では蹴鞠が流行っている。
私も夢男のサッカーの経験の記憶があるので蹴鞠は得意な方だ。
どうやら夢男のサッカーの実力は県選抜代表候補ほどだったらしい。
私の蹴鞠の実力を見て雅綱様は駿河国へと行く事を決めたそうだ。
言継様は滞在中に今川家中で人脈を広げ今川家から多くの献金を獲得してホクホク顔だったそうだ。
私とも親しく書状のやり取りをしている。
言継様の書状には美味い酒が有り、自分たちの特技が役に立ち良い暮らしが出来ると言うので皆が駿河国へと下向したがっているので受け入れよろしくとあるので私からお屋形様に伝える事が多々あるのが困る。
直接、お屋形様へ書状を送るように言っても私の所に書状が来てしまう。
今回の氏豊が駿河国まで来た理由は私に会う為も理由だが駿河国へと下向している公家たちとの人脈作りと連歌会の為にやって来たそうだ。
言えないけど京での人脈作りは氏豊、お前の為だからな…
織田 信秀からお前を守る為に信秀に力を付けさせない為だからな。
本来なら翌年に雅綱様を信秀が招いて蹴鞠会を成功させてさらに朝廷に対して献金をして力を付けていく。
そして那古野城を乗っ取り氏豊は追放される。
その後、その息子である【織田 信長】の奇襲により私は命を落とす事になる。
ああ、私の人脈作りは私の為でもあるわけだ…
そんな事を思いながら母上の元を後にした。
最後に後ろから氏豊の声がして、是非那古野城に来て欲しいとお願いされてしまったので河東が安定した頃に那古野城に顔を出すと伝えた。