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甲斐国からの逃亡者です。

1531年に反乱を起こした【今井 信元】がまた信虎に対して兵を挙げようとしている噂があるので注意するようにという情報が武田 信虎の元に舞い込んで来た。

1531年に信元と共に反乱を起こした【栗原 信重】からの情報だ。


信重と取り引きをしている商人があくまで噂と前置きして信元が兵を挙げようとしているので信重の安全を考えて、巻き込まれないように信元と距離を取る様にと親切に忠告をしてくれた。


それを聞いた信重は保身の為にすぐに信虎に報告した。

信虎は信重があくまでも噂と報告したにも関わらず確認もせずに、信虎はすぐさま兵を率いて信元を討ち取った。


信重は信虎が1531年の反乱を未だに内面では許しておらず、自分も難癖を付けられて殺されると怯えて自領へ引き篭もってしまった。


信重が自領に引き篭もったと知った信虎は、信重も滅ぼす良い機会と思い、すぐさま兵を率いて討伐に行こうした時に家臣である【工藤 虎豊】が強く諌めたのだが信虎の怒りをかってしまい、その場で斬り殺された。


その光景を目の当たりにした1531年に共に反乱を起こした【飯富 虎昌】も信虎が出陣後に工藤家の者に虎豊が信虎に斬り殺されたので一族も危険だから甲斐国から逃れるように使者を出してから、領地の身延に逃げ帰り一族を連れて身延山久遠寺を頼った。


困ったのは身延山久遠寺の住職の日伝だ。

考えた日伝はすぐに材木問屋に使者を送り、急ぎ船を用意する事を要請した。


富士川を下ればそこは今川領だ。

善得寺城の今川 義元殿とは木材取り引きで便宜を図り繋がりを持っており、お礼に高級品である干し椎茸が贈られてくるほどの仲だと思っている。


義元殿は名門の今川家であるにも関わらず家臣の登用に身分を気にしない人物だ。

さらに仏門に身を置いた者なので情に熱い所があるのできっと虎昌の助けになるだろうと思いいたる。


すぐに書状を書き、虎昌に渡して善得寺城の義元殿を頼るように告げ、材木問屋の元に送り出した。


日伝としては信虎に身延山久遠寺が目を付けられるのは避けたい。

信虎がこの地に来る前に信昌をこの地から離れさせなければならないととにかく急いだ。


飯富一族と身延山久遠寺とは多少の縁も有るのでやはり助けてやりたいが自分には問題を解決する力が無い…


会った事も無い義元殿という人物を信じて飯富一族の運命を託し、無事を祈った。


飯富一族は信虎が攻めてくる前に無事に船に乗り富士川をくだり始めた。


その頃、信重は信虎の手によって討ち取られており、虎昌を討伐する為に兵を進めていた。


信虎が虎昌を攻めている内に虎豊を殺されたと報告を受けた工藤一族も慌てて一族をまとめて急いで駿河国へ向かい移動していた。

最初は相模国へ逃れようとしたのだが、駿河国は好景気に沸いていると噂を聞いていたからだ。


皆は悲壮感を漂わせながら足早に国境へ向かう…




私の元に友野 次郎右兵衛がやって来た。


次郎右兵衛が私に1通の書状を差し出した。

差出人は身延山久遠寺の住職である日伝殿からであり、訳あって甲斐国に居られなくなった者がいるのでその者と一族の面倒をみてほしいとの事だ。


次郎右兵衛に詳細を聞くと日伝殿の機転で材木問屋の船で富士川を下り、今は田子の浦湊にいるとの事だ。

その者の名を尋ねると飯富 虎昌というではないか!!


次郎右兵衛は虎昌を善得寺城へ呼び寄せると言うが一族で甲斐国から逃亡して来たという事は女、子供もいるだろうし、一刻も早く不安を取り除いてあげたい。

次郎右兵衛にそう告げ、田子の浦湊へ向かう準備をする。


……それは建前でただ少しでも早く虎昌に会いたい!!


早速、田子の浦湊まで馬を走らせる!!

小姓たちも馬術も様になってきたので急ぐ時は馬を使う事にしている。


虎昌が一族を引き連れて来ているという事は弟の【山県 昌景】も一緒に来ているかもしれない。

今は【飯富 昌景】になるのかな?


田子の浦湊に到着すると松永 久秀が虎昌たちの対応をしていた。


久秀は私たちが馬で現れた事で私が虎昌の事を重要視している事を感じたようだ。


私が到着する前から虎昌の能力の高さを肌で感じた久秀は虎昌たちに丁重な扱いをしていたようだ。


虎昌は私に会うと、久秀の対応と私の素早い対応に感謝の意を表した。


久秀は次郎右兵衛から有能な人材が甲斐国から逃亡して来たので対応を頼まれた。


代表者の虎昌と名乗る男と対面すると纏っている雰囲気が常人の物ではないと感じ、すぐさま久秀は引き連れて来た者たちが身体を休められる様に宿泊場所と温かい食事を用意するように指示した。


田子の浦湊には船乗りたちが宿泊する施設や食事処も多数あるので用意するのは容易だ。


すぐに宿泊場所と食事の手配も出来たと報告が来たのでそのまま久秀は虎昌たちと共に宿泊場所へ移動し、虎昌たちに食事を取らせた。


虎昌も食事をして落ち着いたので、久秀が虎昌から事情聴取を行なっていると外から馬の足音が聞こえて来たので外に出た所で私が到着したそうだ。


虎昌はまさか田子の浦湊へ到着したその日に私に会えるとは思ってもいなかったようだ。


日伝殿の書状が有るとは言え最悪、会う事も出来ないのではと不安であったという。


虎昌は信虎の今回の行動を見て、自分もいつ難癖を付けられて殺されるかわからないと領地を捨てて、甲斐国から逃れて来た。


心機一転、私に仕えたいとのなので虎昌を家臣とする事にした。


やはり、いました!!飯富 昌景が!!

虎昌の許可を得て昌景も私の家臣とした。









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