海野 棟綱からの使者です。
色々なご意見をありがとうございます。
世鬼 政棟から私に報告が有った。
世鬼忍軍の人員も今はかなり増えている。
武田家の三ツ者は【武田 信玄】の時代に設立された組織であり今は【武田 信虎】の時代には無い。
しかも信虎は忍びをほとんど活用していないので政棟はどんどん甲斐国の忍びを配下に迎え入れている。
政棟には配下にした者は必ず私と対面させるようにと言い聞かせているので全ての者とは顔見知りだ。
私が必ず言う事は任務の成功よりも生きて帰る事を第一に考えてるようにと厳命している。
東泉院の雪山が富士山興法寺出身なので富士山興法寺を管理する村山三坊の今川家への協力を取り付けてもらった。
富士山興法寺は富士山の村山修験の中心地であり、村山三坊は村山修験における道者坊の事で大鏡坊、池西坊、辻ノ坊の総称だ。
さらに富士五山の協力を得られる事にもなった。
富士五山とは富士郡に建立された富士門流の5つの有力本山の総称であり、富士門流とは【日蓮】の高弟である【日興】の法脈を継承する門流の事だ。
5つの有力本山とは大石寺、北山本門寺、西山本門寺、小泉久遠寺、下条妙蓮寺の5つだ。
これにより諜報活動は大幅に広がり、世鬼忍軍の他に東泉院、浅間神社、富士山興法寺、富士五山が協力してくれている。
情報を纏めている政棟は大変だと思うけど頼むぞ。
報告内容は武田家が今川家に対して戦の準備をしているとの事だ。
さらに信虎は諏訪 頼重と和睦を進めていてほぼ話はまとまっているとの事だ。
今川家と頼重が接触しているのに気付き、武田家と諏訪家の間で婚姻関係を結ぶ方向で動いている。
私の動きが完全に裏目に出てるな…
高遠 頼継と藤沢 頼親は頼重の動きを見て、武田家に対抗するのは今では無いという動きだ。
小笠原 長棟は小笠原家を統一したばかりで小笠原家をしっかりとまとめる為に時間がかかるとの事だ。
海野 棟綱は使者を送って来た。
使者は【真田 幸綱】と名乗ったのだが真田と言う苗字でテンションが上がったが幸綱の名は聞いた事あるような、無いような……
まだ若いし、年齢的に【真田 幸隆】の事か?
それとも歴史に名を残していない真田一族なのか?
今夜、夢男に聞いてみよう。
幸綱は棟綱からの書状を小姓の岡部 五郎兵衛に手渡し、五郎兵衛から私に渡る。
書状の内容は表立って武田家と対立は出来ないが情報はこちらに流すとの事だ。
今の状態では十分すぎるな…
今夜は美味しい物を食べてもらい、ゆっくりと身体を休めてもらおう。
明日には信濃国へ戻るそうだ。
食事をしながら話をしているがやはり頭が良くて回転も早い。
清酒や料理に驚きながらも楽しんで美味い、美味いと飲み食いしている。
獣肉は普通に食べているそうだがいつも食べている料理と根本的に味付けが違うそうだ。
今後、私とのやり取りを担当してくれるそうなので頼もしい。
夜、寝ていると夢男が現れ、やはり幸綱は幸隆の事らしく、これは常識だぞ!!と怒られた…
幸綱に特産品の干し椎茸、清酒、さつまいもの切り干し、塩、鯵の干物の詰め合わせをお土産に持たせて見送ろうとしたが、せっかくここまで来たのだから田子の浦湊を観てから帰るのはどうだ?と提案したら海は見た事無いと言うのでお土産を置いて田子の浦湊へ!!
結局、商店を見て回り、水田の違いに気付き水田を見て回り、最後は吉原水軍の関船に乗ったり一日中楽しんでしまった。
吉原水軍も順調に規模が大きくなっている。
向 正重が伊勢国から人を呼んだり、田子の浦湊周辺で海賊紛いな事をしていた者、漁師などを編入させている。
造船所も建築したので船の数も増えて来ている。
田子の浦湊の発展で木材が足りなくなっている為、愛鷹山から切り出し沼川を使って木材を運んでいたがそこまで木材は豊富ではない為、富士川を使い甲斐国から木材を友野 次郎右兵衛に命じて購入しているが武田家の妨害が有ったが身延山久遠寺の仲介のお陰で木材が手に入るようになった。
何か問題が起きて木材が入手出来なくならないように興津川を使って木材を興津水軍に運んでもらっており、木材の在庫は今のところ十分にある。
せっかく身延山久遠寺とも良い関係になっているので住職である【日伝】殿にお礼の書状と共に干し椎茸を贈っている。
そろそろ見習いだった船大工たちの腕も上がってきたので関船を2艘、建造する計画する事にした。
失敗を恐れずに皆で協力して頑張ってくれと船大工たちに声を掛けてある。
今夜は田子の浦湊で漁師から買い付けた魚たちで夕食を作ってもらおう。
きっと幸綱も喜ぶだろう!!
そんな訳で今日は刺身の盛り合わせと煮魚、あら汁、漬け物かな?
刺身はマグロ、カツオ、真鯛、イナダの4種類で煮付けはメバル、漬け物はたくあん、ぬか漬けで良いかな?
たくあんは善徳寺で漬けている物を分けてもらっている。
私が善徳寺での修行時代に漬けていた物だが受け継がれて毎年漬けているとの事だ。
嬉しいね!!
幸綱は初めての刺身を恐る恐る食べたがその後はばくばく食べ始めた。
家臣たちも最初はそうだったな…
今では皆が喜んで食べている。
幸綱には本当に新鮮な物しか生で食べてはいけないと注意をしておいた。
下手に魚を生で食べて食中毒を起こされてはたまらないからね!!
命に関わる事をしっかりと教えておいた。
これは刺身を食べた者全員に伝えている。
翌日、幸綱はお土産の名産品詰め合わせセットを持って信濃国へと帰って行った。