8話 御婚約者様が巻き付けた頸木が取り払われるも、『至高の座』に座る女性の前に引き摺り出され、策謀の片棒を担ぐことになる 私。
次の学園の休日。 何時もの通り宰相家の別邸にお伺いした時、ちょっとした騒動が持ち上がった。 宰相家の別邸の玄関ホールに於いて、見眼麗しい一人の男性が私の前にお立ちに成られたの。 彼の背後に居並ぶ この別邸の執事、侍女の方々 そして、教育官の皆さま、皆様 『一様』 に、顔色が悪いのよ。
恭しく首を垂れられ、胸に手を置かれたその見眼麗しい男性が、渋く朗々たる御声で私に言葉を紡がれたの。
「マロン=モルガンルース龍爵様。 貴女の私的な時間を奪っていた、『宰相家別邸への訪問』は、本日を限りに終了に御座います。 もう、此方に勉強の為に訪問される必要は御座いません。 何かしらの必要が有れば、宰相家より、先触れを差し上げます。 ご迷惑でなく、お時間の都合が付き、お受け頂ければ幸いに存じます。 これまでの御無礼、如何様にご処断されても、我等宰相家としては、なにも申し立てする事はありません」
ってね。 えっと、どなたかしら? それは…… どういう意味なのかしら? その御言葉を戴いた私はとても困惑したわ。 でもまぁ、来なくていいって事よね。 でも、ガスビル従子爵からは、そんな事は言われていないわ?
はて、この方は、ガスビル従子爵の御兄弟なのかしら? そして、従子爵の代わりに彼の命じた事を翻す権能をお持ちなのかしら? ……まぁ、断定的に確定的にそう言われたのだから、その権能をお持ちな方と理解したわ。
その方に応接室に誘われ、お茶にしたのよ。 貴族間の…… それも令嬢としてでは無く、『爵位』持つ者への『礼法儀礼に則った』お茶席にね。 その席には、執事長、侍女長、そして 教育官の皆様も同席されていてね、その中でも、青を通り越して、白くなっているマナー担当の教育官である『 伯爵夫人 』も、居られたの。
豪華な応接室に通されたわ。 傍らに、普段いる宰相家の侍女では無く、侍女長様がガチガチに緊張していたのよ。 茶を淹れるポットが、カップの縁に触れてカチカチ音を立てるくらいね。 震える手で、私とその男性の前にカップソーサーを置かれたわ。 物凄く、物凄く、何かを畏れているって感じね。
はて? この方、本当にどなたなのかしら? ピンと引き締まった応接室の空気。 目の前に座る見眼麗しい男性。 そして、その後ろに控える、私に付けられていた畏怖と恐怖の表情を浮かべられている教育官様達。
にこやかな笑みを浮かべられたその男性は、おもむろに言葉を紡がれるの。 極めて丁重に、そして、後悔の感情を載せた御声でね。
「弟が失礼な事をしてしまった。 西部辺境伯家の御令嬢…… いや、フェベルナの「龍爵」様に対し、『学べ』とは……。 自身の立場を理解せず、そして、貴女が何者であるかすら知らず、その様な恥知らずな事を言ってしまった。 貴女の配となるべく定められた”フレデリック ”の兄、マカデミック=ミッド=ガスビル伯爵が、ガスビル侯爵家を代表して謝罪申し上げます」
「お初にお目に掛かります。 西部辺境伯家が次女 マロン=モルガンルースに御座います。 お見知り置きを。 申し上げにくい事では御座いますが、謝罪の意味が判りません。 わたくしとしては、その様な事は、取り立てて気にはしておりません。 王都には王都のやり方が有るので、良く学ぶようにと兄達から伝えられておりますし、宰相家に於いての勉強ならば、それは王都の『在り方』に則していると判断しておりましたので」
そうかぁ…… この方が義兄様となられる、ガスビル侯爵家の御次男。 マカデミック=ミッド=ガスビル伯爵なんだ。 御継嗣様と同じく、既に宰相閣下の右腕として、王城宰相府に於いて辣腕を振るわれている方ね。 たしか…… 大兄様と同い年だったかしら? と云う事は、大兄様ともご面識が有るのかしら?
無表情に近い私の表情を読もうと、目を凝らすガスビル伯爵。 だけど、私は素の表情を浮かべるの。 ええ、何時もの白々しい『茫洋とした笑み』なんかしない。 欠片も感情を浮かべない、フェベルナに居る時の何時もの表情でね。
「寛大な御言葉、痛み入ります。 しかし、この者達が、宰相家の本邸に対し、なんら報告が無かった事は、相当に問題だと思っております。 西部辺境伯様に何とお詫び申し上げてよいやら…… 愚弟が隠して成していた事とは言え、誠に申し訳なく思います」
「宗家の方に隠しておられたのですか? それは、また…… わたくしへの対応は、フレデリック=テュル=ガスビル子爵様の真摯たる思召しなのだと、そう理解しておりました。 王都の仕儀については不案内なわたくしに、『社交』よりも『領地経営』の手腕を期待されておられるのだろうと、そう理解しておりましたわ。 実際、「お勉強」も、そう云った方面の事柄が多かったものですから」
「その様に御考えに御座いましたか…… 直截に問いましょう。 モルガンルース龍爵 フェベルナ卿に於かれましては、アレをまだ、貴女の『婚約者』に据え置いて貰えるのですか?」
「王命ですので、わたくしの一存や、互いの家の話合いでは、婚約の解除は難しく有るのでは? 陛下の御命じに成った事なので…… 」
「『龍爵様』御自身としては?」
「わたくしの『 配 』と成る方を見極めたいと思っておりましたの。 様々な事柄は、既に西方辺境伯様にご報告差し上げておりますの。 しかし、貴族の家に生まれた者に御座います。 わたくしの一存で、王命による婚姻と云う『縁』を覆す事など、罷りならぬ事ですわ。 御当主様がどの様に御考えに成るかは…… 私の関与する処では御座いませんわ」
「既に、ご報告済みで御座いましたか。 それでも、まだ、アレが龍爵様の『 配 』となる可能性を持っておられるのか。 まさに淑女の鑑のような御発言。 感服いたしました。 龍爵様の御恩情に報いるために、愚弟には…… どのような『罰』を、望まれますか? いや、宰相家に対してでも構いません。 謹んでお受けいたします」
「えっ? 罰…… ですか? 必要なのですか? 自身の配偶者に期待する”能力”を備えさせようと、便宜を図られただけなのでは? 少々、お言葉は乱暴でしたが、その様な御気性なのかと? きっと、それ程の才気をお持ちなのだと、幸薄きフェベルナに於いて、存分にその才気を以て、豊かさを、民の安寧を護られる自信が御有りなのだと、そう、思っておりましたわ」
「う、ウグッ…… ま、誠に、誠に、申し訳ございません。 しかし、この度の失態は……」
「尊大な物言いですが、『不問』と云う事で。 わたくしの『 配 』と成る方ですので、きっと、御自身の才と同等の能力を、わたくしに『お望み』に成られていると、そう理解しておりました」
全く表情も変えず、冷たいと思われる様な声音で、そう言い切ったの。 まぁ、私が何を要求しても、宰相家がそれを丸呑みにしようとしても、王宮方面から止めが入るだろうしね。 その上、私の方はもう、あの方との婚姻は微塵も考えていなかったのだものね。 大兄様もきっと、相当に激怒されている筈だし、後は手筈通り、王立学園卒業後、速やかにフェベルナに帰還するだけよ。
そんな私の言葉に、何を思われたのか、深く考えられたマカデミック=ミッド=ガスビル伯爵は、恐る恐る言葉を紡がれるの。
「………………成程。 マロン嬢。 ご配慮、痛み入ります。 弟も王立学園で研鑽を積んでいる筈です。 あと半年余りで王立学園も卒業と成ります。 それまでには、現実を見て考えも改めると、そう信じておりますので」
「左様に御座いますね。 フェベルナは厳しい土地柄。 彼の地の安寧の為、才豊かな『配』を、わたくしも、望みますのよ」
「まさしく、まさしく。 アレの主となる貴女がそう望まれるならば…… 今回は、注意に留め置く事に致しましょう」
あら? ガスビル伯爵ったら、まだ、私が『王命に殉じる』と、思ってらっしゃるのかしら? 『注意に留め置く』? 挽回の機会を私が与えたと思っているの? 馬鹿馬鹿しい…… 既にそんな段階は通り越していると云うのにね。 表情が固定している私に、何とか許しを得ようと、次々と提案されるのよ。
「しかし、こ奴らの小賢しい仕儀については?」
「……『善き』教育官様方でしたわよ? 様々な実務に関連する ” 御教育 ” まで、受けさせていただきました。 本領政務の内容まで、お教えを受けたと、そう思います。 些か、辺境とは事情が違うと、そうお見受け致しました。 でも、仲良くして頂いた方に、王都の婚約者の立場で行う『社交』と云うモノをお聞きしましたのよ。 その点に関しましては、そちらの『伯爵夫人』のご鞭撻に関しましては、良くお調べに成った方が宜しいかと存じますわ。 でも、それは、其方の問題。 わたくしには、口を出す権能はございませんもの。 高々、婚約者予定なのでしょ?」
「ツッ…… ……ご配慮、有難く。 お前たち、判っていような。 『龍爵様』の御恩情で有るのだぞ。 それと伯爵夫人には後程、話を聞く事が出来たようだ」
「「「 御意にッ! 」」」
意味不明なほど教育官様方が震えてらっしゃるわ。 別に気にしてなかったのにね。 まぁ、リッド様達の御言葉で、私がいいように使われていたって事は判ったけれど、それも又、本領の事情を読み解くのにとても役立ったから良しとしていたのよね。
伯爵様の申し訳なくなる位の丁寧な対応に、私の方が恐縮してしまったわ。 でもね、この問答における、私と宰相家の意識の差は大きいわね。 私は可能な限り縁を切ろうと思っているし、あちらは、どうにか継続したいと思われている。
なにやら、義兄様と成る筈だった方は、相当に問題意識を持たれたご様子なのよ。 どの様に対処されるのかは、全くわからない。 でもね…… まぁ、この会談の結果、宰相家から私への『干渉』が、大きく減じたのは確実に成ったのよ。
『 お話 』を、義兄様となる、マカデミック=ミッド=ガスビル伯爵と交わして、ようやく別邸を辞せたの。 あの会話…… 後から考えても、私の意思は伝わっていなかったと思うわ。 いえ、明らかにガスビル従子爵の失態を、教育官様方への対応で、糊塗しようとされて居たもの。 謎なのよ、私にとってはね。 なぜ、そこまで私に固執するのかが。
でも、もう別邸に来なくていいって、云われたし、あの変な勉強もしなくてよくなったから、私にとっては福音も同じね。 でも、まだ完全に縁が、切れた訳じゃ無いわ。 用心に越したことは無いわね。
―――――
これで、私は自由な時間をかなり稼げたのよ。 つまりは、王立学園の 単年度学生様方からの『ご招待』を受けられる時間が出来たと云う事ね。 そして、最初に届いたお茶会の『ご招待状』は予想通り、リッド様からのモノだったわ。 ええ、宰相家の別邸に最後にむかったあの日、学園の寮に帰り着いた時に、既に届いていたのよ。
結局リッド様達の上奏が効いたって分かったのは、彼女達から正式な「お茶会」のご招待状を戴いたときね。 お願いを聞いて下さった、”至高の座に座るお方 ” に、” 御礼申し上げなくては成らない ” って、そう伺ったからなのよ。
招待状には、そのお茶会に開催場所が、王城 後宮内の園庭って指定されていたわ。 さらに、”持てる最高の正装にて、王城玄門にてお待ちください ” って、記してあったのよ。 とっても、ゾワゾワとしたわ。 なんとも言えない感覚が背筋を駆けあがったのよ。
でもねぇ……
いきなりそんな事を云われたって、私の持っているドレスはどれも、お姉様の御下がりで、お直し品なのよ。 王城に伺候できる、第一級の正装なんて言われてもねぇ…… 思い出したのが、木箱に入ったままの、フェベルナでの私の正装。 あれならば、どんな場所にでも伺候できる、『第一級の正装』と云えるわ。
でも、そんなモノを着用するのは、淑女の身としては、些か……
アマリアに相談したのよ。 どう頑張っても今からじゃぁ、一級品のドレスを購入する『お金』なんて用意できないし、万が一その費用が有ったとしても、王城に伺候する為のドレス何て簡単には準備は出来ないわ。 どうしようかと、そう相談したのよ。
「姫様に置かれましては、フェベルナの地に於いては 『龍爵』に叙せられておられます。 彼の地に於いて、姫様が国外の賓客を、お出迎えされた装具が一番かと」
「つまりは…… やっぱり、アレ?」
「はい。 まさしく「龍爵」たる姫様を正確に認識できる装具かと」
「……そうね。 それも、そうね。 理解した。 木箱を開けて準備の程、宜しくお願いするわ」
「承りました」
深く腰を折り、最敬礼で私に頭を下げるアマリア。 ゴメンね、苦労を掛けるわね。 それにしても、あの装備かぁ…… 重いんだよなぁ…… 全装備と云う事は、相当に重いのよ。
私の式典用の儀礼甲冑はね。
万が一を考えて、持ってきたの。 着用する機会は無いと思っていたのよ。 だって、儀礼甲冑は、フェベルナの地に於いても、そうは着用する事の無い式典用の豪華版だったのよ。
軽装甲の上に軽翠銀の胸部追加装甲。 もちろん私の紋章が大きく彫り込まれているわよ。 ええ、飛龍の紋章がね。 同素材の手甲と装甲長靴。 オープンフェイスの兜と、符呪付きの面体……は、要らないか……
その上、耐魔法、耐物理符呪付きのサーコートが付くのよね…… 全装備重量が、ほぼ私の体重ほどあるんだもの。 重いわよ。 さらに、此れに主武装である、薄く擦り上げたオリハルコンの長剣が腰に下がるのよ。 ほら、辺境伯家の者はたとえ王宮内であろうと、佩刀は許されているから、第一級の正装となると、剣も帯びる事に成るのよね……
はぁ…… そんな姿であの方達の前に? 本当に? えっと…… えっと…… 仕方ないか。 兜と、面体も付けて行く事に決めた。 王城内、後宮に入る場所で脱げばいい。 最正装って事は、そう云う事よなのよね。
リッドに、学園でも正装を特にと念を押されてしまった。 きっと彼女達も、私の正装が、まさか儀礼甲冑だとは思っていないだろうしね。 ちょっと、驚かせようと、黙っていたのは、悪い事したかな。 まぁ、同じ辺境伯家の子女だから、そこの所はきっと…… 納得してくれると思ったのよ。
約束の日は直ぐにやって来た。 当日、アマリアも同じように儀礼甲冑を付けて、私の後ろに侍る。 二人して、指定された場所で三人の御婦人たちをお待ちしていたの。 王城の門の前でね。 衛兵さんがとても緊張していたわ。 そりゃそうね。 勇猛果敢で有名な西部辺境伯家、猟兵団の指揮官職のモノとその従者が、完全武装で門の前に佇んでいたらね。
約束の日、約束の場所、約束の時間。 彼女達は盛大に着飾って私の前に現れたわ。 豪華な正装に、各人の『爵位』を示すクラバットを御召しになり、静々と控えの者達を後ろに、私を迎えに王城正門にね。 そして、クルクルと辺りを見回されていたの。
当然、私もドレス姿だとお思いに成っていたのでしょうね。 お声がけした時にとても驚かれていたのよ。
「お呼びにより、伺候いたしました」
「マロン様…… た、たしかに、正装ですが…… まさか…… 儀礼甲冑を御召しに成っているとは……」
「ま、正に、西方飛龍であられる…… 『龍爵様』であられますのね……」
「西部辺境伯家の従爵であるとはいえ、『龍爵様』となれば…… そう云う事に成るのね。 私も提督儀礼装にすればよかった……」
絶句し、驚愕とも困惑ともつかない表情を浮かべるお三人方。 仕方ないでしょ、だって、謁見用のドレスなんて持ってないモノ…… 面体に隠れた私の素の表情は、きっと、剣呑な雰囲気を醸していた筈ね。 けれどもそれを悟られることも無く、問題なく王城の城門を通り抜けたの。 一行はそのままズンズンと奥へ奥へと進む。 約束の場所は、王城 後宮内の園庭。
咲き乱れる、終秋の花々。 冬枯れ前の芝生はまだ十分な緑の絨毯。 王宮庭園師の腕は確かな様ね。 小さな噴水まで完備され、清冽な空気が辺りを覆いつくしているたのよ。
多くの魔道具と、弛まぬ人々の努力、そして、そこに其処に注ぎ込まれる多額の金穀。 国の社交の表舞台としての機能を十全に果たす為に、成された『人の意思の結晶』が、そこに在ったのよ。
タイミングを掴み取れなかった私は未だに面体を付けている。 重々”不敬 ”だとは理解していたのだけれどもね。 お三人様の歩む足取りは、途中止まることも無く、誰に誰何されることも無く、後宮の庭園まで続いたものだからね。
一行は随伴の従者、侍女を含め二十名。 勿論この中では、公的な爵位では無い「龍爵」たる私の従臣はアマリアただ一人なんだけどね。 他の方には、侍従、侍女の方々が最低二人は付いておられるのよ。 結構な大所帯。
通された後宮園庭に於いて、指定された場所に向かう。 従者、侍女さん達もまた指定の場所に待機したのよ。 つまりは、この場に於いて正式な御招待を受けたのは、私達四人だけって事ね。 暫く…… と云うよりも、時間を図られていたかのように、至高たる方の到来が告げられる。
三夫人の方々は深く膝を折り、頭を低く垂れ、『淑女の礼』の最上位の体位を維持する。 私はこの装具でしょ? 淑女の礼は出来ないのよ。 儀礼甲冑にはスカートは付かないからね。 だから、左の膝を大地に下ろし、右の手を胸に当て、頭を深く落とす、騎士の最敬礼を以てお待ちするの。
サヤサヤとした衣擦れの音。 重厚な気配が辺りを圧するの。 この気圧は正しく王者の気迫。 いと尊きお方の御登場に、判っていたとはいえ、気圧される気分がするのよ。 なにせ、此処は正しくこの方の支配地。 とても、とても、重く感じ入り、畏れを心に置いたのよ。
「よく参られました。 面を、お上げなさい」
凛とし、涼やかな声が耳朶を打つ。 声に促され面を上げる。 そこに居られたのは、この国の高位貴族ならば、誰しもが間違いようも無く知る方の姿。 遠く、西部辺境の地に於いても、絵姿は大ホールに掲げられ、尊崇の念を幼少の頃より叩き込まれる対象。
――― 正妃 マリーアンネ=ファス=エイドリアン=デ=ブラーシェス殿下。 ―――
その人だったの。 淡い金髪に、何処までも白い肌。 王家の紫紺のクラバットを首に、金糸で彩られた碧緑のエンパイヤスタイルのドレスをお召しになっておられた。 にこやかな笑みを浮かべられたお顔には、何事をも見通すと云われる、紺碧の瞳。 その視線が一閃しつつ、私達に向けられているの。
「そちらは、初めての方ね。 マロン=モルガンルース。 直言を許可します。 顔を隠すのは何故?」
「はっ! 後宮園庭にお招きいただき、恐悦至極。 その栄誉は至高の歓びに御座います。 龍爵マロン=モルガンルースに御座います。 御尊顔を拝する栄誉を与えて戴きました事、歓喜にたえません。 非礼とは存じましたが、この面体も又、儀礼甲冑の正装。 兜及び この面体も装具の一つと成っております」
「ならば、わたくしが命ずれば、顔を見せてもらえるのね」
「御意に。 この場で拝謁の栄誉を与えて頂けること、栄誉の極み」
「お顔を見せて下さいな。 『お茶会』なのですものね、モルガンルース龍爵フェベルナ卿」
「承りました」
王国 正妃殿下にそう云われたからね。 このタイミングとか…… ほんとに、不敬で首を刎ねられるかもしれなかったわよね。 正妃殿下の背後に居られる近衛の女性騎士の方々から、剣呑な視線を浮かべられていたわよ。 おもむろに面体を取り、兜を脱ぐ。
アマリアは音も無く私に近づき、脱いだ兜と面体を受け取ると、スッと下がったわ。 今日は髢は付けていない。 肩口でスッパリと切りそろえられた、貴族令嬢としてはたとえ下位貴族でさえ、有り得ない髪型なのよね。
王妃殿下は、思わずと云った風に息を飲まれる。 ジッと王妃様に視線を合わせ、次のお言葉を待つ。 三人の御婦人たちも、息を飲まれているのは変わらない。 フェベルナの領地に居る時の様に、完全な無表情な私の顔をまじまじと見つめているの。 リッドは知っている筈のこの顔。 でもこの場に於いても、この無表情を維持しているのは、やはり、特別オカシイ事なのかもね。
「マロン…… 『龍爵』と云う『存在』はそれ程…… 過酷なモノなのですか?」
「お畏れながら正妃殿下、西部辺境伯家に於いて下賜される『龍爵』の爵位は、下賜される事すら稀な爵位に御座います。 非常時にのみ下賜される従爵位。 当代様は西部辺境域の危機的な状況により、三兄のゴブリットと、二女のわたくしに辺境伯家にとって、”非常に重要な従爵 ”を下賜される事を決断なされました。 連枝の者達も、危惧はしておりました。 しかし、それしか方策が無かったので御座います。 特に本来であれば、男児にしか下賜されない筈の『龍爵』を、女のわたくしに下賜されたのは、特段の状況と危機が重なった為。 その事実はとても重く、『龍爵』が使命を鑑みますと、邪魔となるモノは全て削ぎ落さねばなりませんでした。 貴族令嬢の最低限の装いも、何もかも。 連枝、配下の心情も、単なるお飾りの者を戴く事は良しとしません。 よって、このような姿となり、懸命に西部辺境伯領の安寧に寄与するのです。 また、それは『期待される者』の為す『矜持の表明』に、他なりません」
「……成程、見事な御覚悟ですわね。 全ては…… 辺境伯様達が標榜する、この国の全ての民の為ですか」
「国を想い、国体を成さしめているのは、市井の民草の献身に依る物。 貴種の義務は、そんな彼らの安寧を護る事。 少なくとも、西部辺境伯家を含み、辺境伯家の者達はその事を第一義に考える筈に御座います。 陛下の藩屏たるを自認する者達の『矜持』とお受け取りいただいても、間違いは御座いますまい」
「ノルデン上級伯爵。 まさしく『西方飛龍』ですね。 貴女の言、誠でした」
「御意に」
深く頷かれ、そして、心からの笑みを浮かべられた正妃殿下。 その笑みはとても優しく、慈悲深く、なによりも私をお認め下さったかのような笑みだったの。 促されるまま席に付き、『お茶会』を始めるの。 そこで交換される貴重な情報は、王国内の様々な懸念事項。 集められた人を見るに、これは何か対処せよとの思し召しなのだろうなと、当たりは付いた。
目下の王都での懸念事項は、様々な紛い物が市場に流れていること。 遠く辺境領から運ばれる筈の物品が、王都にて格安で販売されている事実。 そして、それらがとても粗悪な品質で、健康被害すら発生している事。 王家の耳と目だけでは、その実態の解明には至っては居ない事。
正妃殿下の眉が下がる。 険しい表情を浮かべるのは、アンジェ。 外国との交易を司っている、東部辺境伯のお膝元で密輸摘発の報告が多々上がっていると、そう、言上されたわ。 更に、北部辺境伯のお嬢様であり、ノルデン上級伯爵を王国より正式に下賜されているバーバラ様が、北部辺境伯家が手にした重要な機密情報を奏上されたの。
「帝国東部副帝領に謀反の兆しありと。 どうも、協商連合国家寄りの帝国貴族共が副帝を唆しているらしく…… それまでの帝政を遅れた政体と断じ、民衆の力を政策の場に登用すると、無茶な粛清に入っておられるご様子。 帝国の本領では、一軍を以て副帝様を処断されようとしておられる。 広大な領土を有する帝国に於いて、国を二分する戦が起こりつつあります」
「……我が国に対しても、何か仕掛けているのですね」
「それは、わたくしの方から御奏上いたします」
「許します、アストリッド」
「はい、これは予測でしかありませんが、わたくしたちの世代に於いて…… いいえ、もう一つ上の世代からでしょうか、王国、王家に忠誠を誓う若年貴族の意識に変化が見受けられます。 その原因として挙げられるのは、王立学園に於いて国史の時間の短縮と、マナーの軽視でしょうか。 算術や各自然学などは深く学びますが、殊、そういった王国の基幹となるべき教えを軽んじていると、そう勘案いたします。 時期的に、学園長並びに多くの教師の方を、有識者と云う事で、協商連合国からお招きしてからかと……」
「帝国とこの国は同盟関係です。 更に帝国副帝領と北部辺境伯領は隣接しています。 …………その為ですか?」
「まさしく。 仕掛ける時に、帝国本領に合力される事を忌避したモノかと、思われます。 この国を混乱に陥らせて、その間に帝国副帝領を落とし、その後で、我が国も又…… 遠く北部の事ですが、遠く成ればよく見えるモノも御座います故」
「成程……」
皆さんのお話は、高度に政治的なお話。 特に協商連合国の妙な動きは、我が西部辺境領にも大きく影響を及ぼす可能性が有るの。 正妃殿下が仰られた通り、西部辺境伯領産の物産に、様々な紛い物が市場に混じって流れているのだもの。
アマリアが気付き、そして、大兄様が万が一の時に使えと、付けて下さった、”夜鳴鶯”がその詳細を掴んでくれたのよ。 まぁね、その為に付けられたと思うのよ。 本領、王都は辺境からすごく遠いのだもの。 そして、王都で行われている商取引には、辺境は絡めない。 だから、秘密裏に調べる必要が有るのよ。
問題は魔物由来の製品の数々。 当然、毒抜きとか、魔力抜きとか、独特の特殊工程を経て、辺境の製品では健康被害なんて出ないわ。 でも、それを面倒だから、とか、費用が掛かるからって端折っちゃうと、途端に危険物に早変わり。
王都で散見される、廉価品にはそんな非常に危ないモノも含まれて、それにより辺境領の物産に少なくない風評被害が起こっているのよ。 おとなしくお茶を戴きながら、正妃殿下のお話を伺っていたけれど…… ちょっと、お話に加わることにしたの。
「殿下、非才なる我が身に御座いますが、少々、ご提案が御座います」
「何か、マロン?」
気安く名前を呼んでくださる正妃殿下に奏上する。 真剣な目をし、ちょっと楽し気な口元でね。
「提案に御座いますが、我が領の影たる、『夜鳴鶯』が掴みし情報と、各家の影の者達の知る事、統合すべきと愚考いたします。 統合先は、王家の耳。 であるならば、正妃殿下のお耳にも、ひいては我が国の御重臣の方々に、いち早く情報が集まりましょう」
「……いいのですか? 辺境伯家の影の者達といえば、王家にとっても不可侵な存在では無いのですか?」
「西部辺境伯家は、問題は御座いません。 わたくしに付けられている影は、わたくしを通し王家の藩屏。 王国に安寧を齎すならば、いかなる御命令でも遂行いたしましょう」
「……そう願えれば、有難いわ。 王宮には、何処に裏切者が居るか判らないのだもの。 辺境伯家の者ならば、全幅の信頼を置けるわ。 そして、アレ等の事を彼らは知らない…… 防諜諜報には、とても善き進言と思います。 が、他の辺境伯家に於いては如何かしら?」
物憂げに、正妃殿下はそう仰られ、お三人様を見詰められる。 その視線を受け、何事も無いように、にこやかな笑顔を浮かべるお三人様。
「ノルデン上級伯爵家の『鵺』は、いつでもご協力いたします。 情報は北部辺境伯家のモノも扱いますので」
「ターナー伯爵家の『鴉』も、ご協力いたしましょう。 密輸品の迂回路は、全て押さえる事が出来ましょう」
「パスタイ伯爵家の商船団守護隊、および、領軍諜報隊『信天翁』は、現在も対応しております。 その情報を全てまとめて『王家の耳』にお届けいたしましょう」
「皆の献身は忘れる事は無いでしょう。 王家…… いえ、王国として、礼を述べましょう。 有難う、本当に有難う」
よし、通った。 これで、王都に於ける不穏な動きは相当に止められる。 いいえ、この国の最上層部に遅滞なく情報が伝わるわ。
証拠になるモノは、そこら辺にあからさまに転がっているのだもの。
それに、リッドが云っていたように、若い貴族の意識の問題もあるわね。
その辺も一緒に、綿密に調べないといけないわ。