5話 御婚約者様との初顔合わせ。 御婚約者様の無礼な態度に疑問が浮かび上がりつつも、対応する私
王都領域に到着すると同時に、早速、お父様に呼びつけられたわね。 王立学園の『単年度学生』の寮に入る前に、最後に取っていた宿に使者を送ってこられ…… と云うよりも、泊していた宿にいきなり現れ、私は連れ去られる様に、御父様が居られる、”バレンティーノ侯爵家の別邸” に、連れ込まれたの。
長距離の移動にって、楽な姿をしていた私を、さも田舎者だと言わんばかりの蔑んだ目で見ながら、その日の『予定』を、お話に成られた。 これから、宰相家の別邸にお伺いするとの事。 なんでも、私と、宰相家の御三男様の顔合わせをして置かなくては成らないからだとか。
領都の方には、何の連絡もしなかったお父様。 もうちょっと、余裕のある予定を組んで欲しかったわ。 なにも、長距離移動でボロボロになっている今じゃ無くても…… なんて、思っていても、私の『御父様』である人だから、彼の有無を言わせぬ行動に頷くしかなったのよ。
着ている服は、お姉様の御下がりを仕立て直したモノ。 それも、ちょっと微妙で、ブカブカな感じの物。長距離移動に備えて、馬車の中でゆっくり出来る様にって、仕立てて貰ったモノなのよ。 流石にコレは、他家に訪問するようなモノじゃない事ぐらい、私にだって判っているわ。
お父様の蔑んだ視線は、そんな私の絶妙に田舎臭い着衣の為だったと思いたいわ。 こんなんじゃ、きっと、第一印象は最悪だろうなぁ…… なんて、考えていたの。
せめて愛想よく笑顔を作れればいいのだけど、生憎、私の表情は上手く動かないのよ。 『茫洋とした笑み』しか浮かべられないの。 まぁ、薄らぼんやりとした、田舎貴族の娘って云うのが、きっと第一印象に成るわ、きっと。
なにも、御義姉様に云われた、『壮絶な笑顔』を浮かべる必要も無いしね。
着替えが用意されている訳でも無く、御父様と御義母様に連れられ、御父様の馬車に揺られ宰相家の別邸に向かったの。 まぁ、大きな御邸だったわ。 宰相閣下の権勢の高さを物語るってモノよ。 それも、別邸よ? これだけの大きさと規模の御邸…… 領都の本邸にも負けない程なんだもの……
話は付いていたのか、すんなりと門扉を抜け、馬車溜まりに停車する。
すぐそこに大きな扉があり、既に執事さんや、メイドの方々が並んでおられた。 馬車から降り、ペコペコ頭を下げるお父様。 ん? なんだこれ? 階位とか爵位とか…… あぁ、御父様は既に辺境伯を大兄様に譲られて、今は従伯爵でしかないから?
それにしても、宰相閣下の御家の執事様って、正伯爵位相当の方なの? 先の辺境伯がペコペコ頭を下げているのって…… ちょっと不思議。 シェス王国の貴族の階位で云えば…… 私の知識がちょっと、現実の風景と乖離している事に、驚きを覚えたわ。
にこやかな表情を浮かべて居られる執事様は、私達を誘い応接へと案内したの。 まぁ、あまり大きなお部屋という訳じゃ無かったわ。 領都の御邸の事を考えると、第二応接か…… 商談室って感じ。 メイドさん達が残り、執事様はそのままお部屋をお出に成られたの。
コチコチと時計が時を刻む音がするだけのお部屋。 豪華な設えは、流石、宰相家と云えるわね。 でもねぇ…… 私は丸太小屋に住んでいるのよ? 装飾品はおろか、身の回りの物を購う財すら、領の整備に充てている身なの。 こんなモノを見せられても、なんの感動も無いし、それだけの財が有れば、アレも、コレも…… 出来るのにッ! ……なんて、そんな思いしか湧き上がらない。
茫洋とした笑みを頬に張り付けたまま、ソファに座って、暫くそのお部屋に居たの。 お父様はせわしなくお部屋を見回しているし、御継母様はお茶に口を付けたり、お菓子に手を伸ばしたり、引っ込めたり。 緊張を隠せもせずに居られた。
えっと…… なんなの? この縁談は宰相家からの申し入れでしょ? もっと…… ほら…… 大兄様なら、既に席を立っておられるわ。 厳しい視線をしてね。 でも……
御継母様のカップが三度、替えられる程の間、この部屋に待たされた。 前触れも無く扉が開く。 見眼麗しい男性が大股で入室してくる。 ドカリと私の前に腰を落とされ、不機嫌そうな表情を浮かべ、沈黙を以て、対峙したの。
この人が…… そうか……
フレデリック=テュル=ガスビル子爵様。
宰相家ガスビル侯爵家の御三男。 頭脳明晰で性格も良く、第三王子の側近で…… とても、貴族の女性に人気が有るとお噂の…… ねぇ……
第一印象は最悪。 私をゴミでも見るような眼で見られ、その後は視線すら合わせられない。 お父様は、そんな彼の前で小さくなっているのが、ちょっと気にかかる。
「で、ソイツがマロンと云う名の卿の娘か。 ……まったく、なんで、父上は」
「御前に。 宰相閣下よりの思召しに御座います。 我が娘、マロンを御前に。 マロン、ご挨拶を」
「はい。 モルガンルース辺境伯家が次女、マロン=モルガンルースに御座います。 以後お見知り置きを」
私がそう云うと、此方を怒りに満ちた目で見て来たの。
何がおかしいの? モルガンルース西部辺境伯家の娘が、侯爵位序列二位のガスビル侯爵家の ” 三男様 ”に対して行う、自己紹介するには十分なはずよ? それに、貴方からは、まだ、ご挨拶すら無い。
「言葉が足りぬな。 西部辺境伯家に於いて、礼儀作法は教えぬのか卿」
「誠にお恥ずかしい事に御座います」
「もうよい。 マロンとやら、お前には相当の教育が必要だな。 『単年度学生』ならば、時間も豊富にあろう。 王立学園の拘束時間の他は、この別邸に於いて我がガスビル侯爵家に嫁す者としての教育を施してやる。 こんな事だろうと、教師は用意しておいた。 我妻と成るつもりならば、礼儀作法を身に着ける事だ。 教育が終わらんうちは、婚約者として遇する事は…… いや、父上の御顔も有る故、『婚約者候補』としてしか遇するつもりは無い。 良いなッ!」
「承りました。 マロン。 心して此方で勉強する様に。 ガスビル卿の御心に叶うように、決して驕らず、控えろ」
「…………」
茫洋とした微笑みを浮かべたまま、ちょっとだけ頭を下げる。 これは、完全にオカシイ。 なんで、私が侯爵家に嫁入りする事に成っているのよ。 私の『 配 』じゃなかったの? 大兄様とゴブリット兄様にご報告する案件に成ってしまったわ。
ええ、必ず、ご報告申し上げるわよ。
それに…… 何だって云うの? この傍若無人さは。 これが高潔で思慮深い事で有名なガスビル侯爵家の方なの? 別れの挨拶もせず立ち上がり、そのままお部屋をお出に成ってしまわれた。 まぁ、そんなモノよね。 お父様は頭を抱えつつも、厳しい目で私を見る。
御継母様も額に手を当て、首を横に振っている。 まるで、私がヤラカシタみたいに受け取っていらしたのよね。 そんなお二人を、冷たく見ていたの。
執事の方が三人の貴族らしい方々を伴ってお部屋に入ってこられた。 お父様達とは此処でお別れ。 睨みつける様に私を見られて…… 肩を落としながら、踵を返された。 そのままその部屋に残され、三人の方々のお話が始まったの。
三人の”教師”は、マナー担当の女性と、男性の法学担当、財務担当の御三人。 メイドさんが結構な量の本をワゴンに載せて入室する。
「ガスビル子爵様より、御婚約者様に教育を施せとの思召し。 まずは、この本を使い御教育を始めます。 量もあり、教育は多岐に渡ります。 とても、一年では…… ガスビル子爵様との御婚姻を望まれるならば、履修して頂かなければなりません。 取り敢えず、本日は教本をお渡しいたします。 王立学園へは、ガスビル侯爵家の馬車にてお送りいたします」
「それは、ご配慮有難く。 本日、王都に入りましたので、右も左もわかりかねます。 どうぞ、良しなに」
「お疲れでもありましょうが、別邸に御婚約者様を留め置く事は出来ませんので、早速ですがお送りいたしましょう。 授業は明後日から。 コレは、今後の予定に御座います」
一枚のとても良い紙を渡されたの。 びっしりと予定が書き込まれている。 まぁ…… なんだ…… 目の前に置かれた三台のワゴンの上にある教本を履修しないと、同じ場所に立てないと、言われている様なモノ……
いや、待って?
わたし…… 西部辺境域フェベルナの地で「龍爵」の階位を保持しているのよ? チラリと教本の背表紙を見たけど、それ…… 半数以上が、『全過程学生』さんの使う、初級や中級の教本なのよ? 大兄様が御領に持って帰ってこられた、教科書と同じモノ。
アハハハッ! おっかしいッ! そんなの十五歳までに既に履修しているわよ。 もうね…… 何も言えなくなったわ。 いいえ、言いたくなかった。
『茫洋とした笑み』のみを浮かべ、コイツ等どうしてやろうかと、そんな思いが浮かび上がるの。 笑みの裏側に、御義姉様より申し付かった、決して浮かべてはいけない笑みが…… 仄かに浮かび上がったのよね。 ええ、自覚している。 そんな、私の複雑な感情は、氷の様に動かない、張り付けた笑みの裏側にしか現れない。
でも、その表情を伺うには、この人達には無理って云うモノ。 それ程の教育を私は受けて来たんだものね。 ええ、「龍爵」としてね。 過酷な御領の軍執政官として、二年間、死に物狂いで習得したんだからね。
「承りました。 早速、王立学園の寮に入り、拝読させて頂きたいと思います」
「素直なのは、良い事ですよ。 さぁ、お帰り頂きましょうか」
とまぁ、慇懃無礼に云い放たれたの。 これが、宰相家に連なる人の為人ね。 判った。 そう云う事なら、私にも考えが有るわ。 好きにしていい、私は私らしくあれば良いと、大兄様にも云われていたしね。
驚きに満ちた、王都一日目だったと記憶しているわ。 まぁね、きっとそんな事だろうと思っていたのよ。 教師の方の御一方に、王立学園の寮まで送って頂きました。 侍女 兼 護衛の女性機動猟兵のアマリアと一緒に、持ってきた教本を全て運んで、いざお部屋に!
あぁ、教師の人はとっとと帰られましたよ。 教本を侍女の目の前に積み上げると、直ぐにね。 アマリア…… ゴメンね。 一緒に運ぶからね。 苦笑いで、二人で運んだのは、まぁ、内緒。 ほら、私もフェベルナでは猟兵の中の『一人』って数に含まれるでしょ? だから、身体強化魔法なんてお手のモノなのよ。
かなりの量の教本を二人で一回で持って行ったのを、誰にも見られなかったのは良かったわ。 まぁ、それでも、アマリアったら、とても憤慨していたのよ。
「西部辺境伯家の御令嬢であらせられます、マロン姫様に対し、この様な扱いは酷すぎます。 ご報告申し上げます。 ええ、猟兵団総指揮官様に。 そして、御領主様にも届く様に。 必ずッ!」
フンガッ!! って感じだったのわ。 他の人が怒ってくれると、私は怒りが収まるのよ。 ほんと、助かったわ。 もしアマリアが居なかったら、きっと今日の事で、夜も眠れない程、憤っていたかもしれないんだものね。
王立学院の寮のお部屋は大きくも無く、小さくも無く。 フェベルナのあの屯所の本部と比べたら、什器は十分に揃っているし、暖かく柔らかいベットも完備。 その上、隙間風なんても入ってこないし、簡易的な厨房すらついているのよ。
凄くない? なんなら、ずっと暮らせちゃうよ? 屯所での暮らしを知っているアマリアも、お部屋には満足気。 まぁ、あの屯所と比べたら、王都の木賃宿だって豪華に思えるかもしれないけどね……
そんなこんなで、一息ついて、作り付けのクローゼットに衣服も収納。 たいして衣服は持っていないけど、まぁ、其処は制服ってモノがあるから、気にしていない。 お姉様の御下がりを『お直し』した真新しい『単年度学生』の制服とローブをクローゼットに仕舞い込み、今日は部屋着で過ごす事にしたの。 ええ、鎧下よ? キルティングの。
厚ぼったい、寝間着って感じかしらね。
王都じゃ貴族の女性は髪が長く無くては成らないって不文律があるらしいのよ。 西部辺境領の東側でもそうなんだけど、西側は違う。 身を清める時間さえ惜しいから、若い女性でも髪を長くは伸ばさない。 私も、別の事情で伸ばして無かったの。
王都では、特に髪の長さと手入れの良し悪しが、令嬢の品格に直結するって、御義姉様が教えて下さったのよ。 気を付けなさいと。 私の姿を見て、とても心配そうに。 でも、私は猟兵でもあるでしょ? 勿論、髪は兜の中に入れるから、肩辺りでパッツンって切ってあるのよ。
王都に来るまでに、そんなに時間も無かったし、髪が伸びるのは、間に合わなかった。
領都での最終確認のマナー講座の時にも、其処が問題に成って、それじゃぁって、髢で対応する事にしたの。 王都への道中、得も言われぬ嫌な予感がして、前々日の移動から付ける様にしてたのよ。
ホント、助かった。 その日の出来事の時でも、誰も気付きもしなかったし、何も言われなかったわ。 良く出来たモノなのよ。 欠点はね、これ、かなり暑いの。 もう誰も学園寮の『お部屋』には来ないだろうし、来てもアマリアに、もう寝たって云って貰うようにして、早速 取り外したわ。
――― ファァァッ! 涼しい~ 軽いぃぃ~~ 楽ぅぅぅ~~~
ちゃんとソレを『お手入れ』して、同じくクローゼットに収納した専用の台の上に載せといたの。 アマリアにお茶を淹れて貰って、後は例の教本を読み込んでいったのよ。 ええ、ガッツリとね。
二日間の時間は有るのよね。 だから、その間に、此方としても牙は磨かないとね。
色々と学んでいたとはいえ、辺境領で施行されている法典との違いとかあったら、大変じゃない? だから、法学の教本からね、じっくりと……
基本は同じ、王国法。 不磨の大典は全く同じ。 それに伴う、判例集とか見てみれば、運用面でちょっとした違いが有るのが判るのよ。 辺境とは違い、運用の天秤がだいぶ貴族側に有利に傾いているのを、『不快』と、感じてしまったわ。
財務に関しては、辺境の方が複式簿記を使用している分、洗練されていた。
単式簿記では、何かと不正が出来ちゃうものね。 王都の大店も、辺境と取引している店は全部『複式簿記』なんだけどね、協商連合国の支店だけは、頑なに自分の基準での会計原則や特殊な帳簿を使おうとするのよ。 辺境領…… フェベルナでは、それを一切認めなかったわ。 ええ、シェス王国の会計法を盾にとってね。
御領でも問題に成っていた部分ね。 協商連合国の支店とはお付き合いしかねるって、結論に達していたっけ? 商工ギルドも歩調を合わせていたわよね…… だから、叩き出したの、フェベルナからはね。 その『裁定』を下したのは私よ、ええ、『龍爵』として断を下したの。 『目先の利』よりも、『王道』を、護る為にね。
王都では、そんな問題だらけの商家との付き合いが深いらしいわね。 会計原則が二重三重の基準を使っているって判ったの。 混乱するだけなのにね。 王都の商工ギルドさんたち、頭抱えているわよ、きっと。
さらに、オカシイのはそんな商会が、国家間の流通貨幣の『為替比率』を決める委員に選ばれているって事。 ほんと、どうかしているわ。 これでは、協商連合国の商家の方々にいいようにされてしまって、立ち向かえないわよ…… 国富の流出…… 言い換えれば、『金塊』の流出が止められていない。
色々と、問題だらけね。 辺境各領での認識は、彼の国とは『敵対している』って事で一致しているのよ。
――― 対応せねば。 ええ、間違いなく、此れは協商連合国の『軍事力』無き侵攻に他ならないんだもの。
『壮絶な笑み』を頬に浮かべ、お茶を飲みつつ、教本を読み進めたわ。 同時に色々な手立てを考えて行ったの。 アマリアが、こっそりと呟いているのが聞こえたのよね。 聞こえてるよ? 耳はいいんだよ、私。
”西方飛龍の降臨…… ゴブリット様にお知らせ致さねばッ! ”
だ~か~ら~!! 誰が西方飛龍よ!! 心安らかに、王都ではオトナシクするって、言ってたでしょ! ホントに、もう! コレは、叩かれる前にする、予備回避行動なの! 知ってる方が良い事なんだからねッ!! 何の準備もしなかったら、それこそ、喰われるだけなのよッ!
まだ、王立学園の授業は始まっていなかったから、一日の殆ど時間を教本を読み込んでいたわ。 蓄えた知識と知恵は、大いに役に立ったわ。 そりゃね、大人の方々に混じって、フェベルナの地を統治していたのよ。 いろんな小さな争い事も、捌く立場にあったから、過去の判断を基準に王国法に照らし合わせて裁定せざるを得なかったのだもの。
民事関連の争い事にしても同じよ。
フェベルナの地では、拗れた境界争いから、家庭不和まで、なんでも持ち込まれたんだもの。 適時、上手く捌かなければ、禍根を残すこと間違いないもの。 フェベルナの地は広大よ。 魔物の森もあるし、国境線も魔物の森の向こうに存在する。
南部辺境伯領との境界もあるし、さらに言えば国境線の向こう側に有る、人族とは違う民族の国との交流やら『貿易に関する一般協定』すら理解する必要があったんだもの。
もちろん、そんなことは一人ではできないわ。 幾多の人の助けを借りて、現状を認識し、問題となる部分を切り離し、そして、皆が幸せになる可能性のある選択をするのよ。 その点、頂いた教本は、あくまで基本的な事しか書かれていないわ。
そう原理原則が主なの。 そこには、血肉を伴った、現場の生の声なんて、存在はしない。 けれど、どこかで一線を引くには、必要な指針でもあったのよ。
教本は謳う。 『王国に生きとし生ける者たちに、所属する階位に応じた平等を定義する』と。
そう、階位に応じたと平等っていうところが…… 神髄ね。 貴族には、貴族の、平民には平民の『義務』と『責務』と『権利』がね。 それを、細かく規定しているのが王国法なのよ。
二日間だったけれど、みっちり読み込んだ教本は、学園の寮に持って帰ったもの全てを網羅したわ。 だって、六割位はすでにフェベルナの地でも読んでいたんだもの。 残りの四割は、王都近傍での独自解釈の法令集みたいなもの。 幾つかの興味深い判例もあったわ。
まぁ、貴族と平民の争い事ではあったけれどね。
特筆すべきは、外国に本店を置く、商家がこの国の行政に対し起こした裁判に関して。 一部、高位の貴族の方を後ろ盾にして、あちらの方々が起こした裁判なのよ。 慣習法の一部を別解釈した結果、この国の大多数の商家と、商工ギルドに対して提訴されたモノね。
たしか…… フェベルナの地でも、同じような裁判を裁定した気がするわ。
判決は全く正反対の結果だったわ。
東、西、南、北の各辺境域は、本領とは別に『独自の自治権』を有しているから、フェベルナでの『裁定』は、本領で有効とはならないけれど、少なくとも、東、西、南、北の辺境四家では有効になった。 つまり、本領だけが『特別の配慮』を、その外国の商家に与えたというわけ。
腕を組んで、ふむっ って感じで熟考するの。 これは、ちょっと、厄介な事だと認識したわ。 辺境領と、本領では、少し商工通商に関して、考え方が違うと認識できた。 本領では、外国からの通商干渉に関して、無頓着と云うか、危機意識が無いと云うか……
武力的には本領の国軍は精強と云っても過言では無いわ。 特に”戦争 ”と成ればね。 良く組織されているし、人同士の争いに於いては、シェス王国の周辺国と比べれても精強とも云える。 でも、それだけ。 民の安寧を思うのならば、文官も不断の努力が必要なのよ。
なぜなら、目には見えない戦いは、常に紙の上や社交の場で発生するわ。 少しでも油断していると、国富を外国に持ち出され、痩せ細ってしまう。 それを防ぐには、強固な法と条約が必要なの。 でも、内側からその砦を崩す様な真似をされていたら……
強固な砦も、蟻の一穴から崩壊に繋がるのよ。 護るべきモノを見失った『人』は、壁にも砦にも成れはしない。
整備と補修が必須なのは、何も軍備だけでは無いのよ。 えっと…… どうしようかな。 あの教師の方々は、見るからに…… 結構、高位の貴族の方々とお見受けしたわ。 それも、文官職に就いておられるご様子もあった。 つまり…… うん、疑わしきを質すのに最適な方々と云えるわね。
よしッ! ならば、最大限、” 利用 ” させて貰うわ。 ええ、この国に対して、忠誠を誓う人ならば、きっと私の言葉は耳に届くでしょうしね。 そうでなければ、上級官吏職が着用する式服なんか、着られはしないもの。
あの方々への対応は決めた。 対決するって、決めたのよね。 それが、あの別邸にお伺いする前夜。 それも、深夜の事。 アマリアに寝る前のお茶を淹れて貰って、ホッと一息。 大きなゴブレット一杯のミルク入りの紅茶。 遠く辺境から持ってきた、私のお気に入り。
心が落ち着き、この『問題』への私の対処方法が、次々と決まっていったの。
それを横目で見ていたアマリアは、フゥゥと大きな溜息を漏らし、私をマジマジと見詰めて来たわ。 ええ、その瞳には何とも言えない力強い光が灯っていた事を記憶している。
「……戦われるのですか?」
「何故、そんな事を聴くの?」
「マロン様のご様子が、魔物との闘いの前と同じな物で…… 真っ直ぐ前を見詰められ、その先にある民の安寧と領の平和を思われる時と、同じ強い光を見ました。 美しくも、恐ろしい笑みを頬に浮かべられて居られました故」
「……わたしも、まだまだね。 あれだけ御義姉様にご注意を受けたと云うのにね。 気を付けましょう」
「御意に…… でも、わたくしは…… アマリアは、今のマロン様がとても好ましく思うのです。 ゴブリット様の様な笑みを浮かべ、屠る相手を見据えた様なその有様は、誠、『フェベルナの戦乙女』と……」
「一応、『 壮絶な笑顔 』は、封印はしているのよ、此れでも。 でも、アマリア。 この場所でなら、貴女の前だけなら、許されても然るべきかと。 コレは、甘えでしょうか?」
「いいえ、姫様に甘えて頂けるのならば、至上の喜びです。 今後とも、存分に甘えて頂きたく思います」
「まぁ、有難う!」
身内には甘いのよ、フェベルナの人は。 アマリアもまた、フェベルナ出身だったしね。 アマリアは、ゴブリット兄様が『 特に 』と、私に用意して下さった、私の私的副官でもあるの。 全面的に頼っても良い相手なのだと、そう思えるのよ。 ゴブリット兄様のお気遣いが身に沁みたわ。
”有難う御座います ” と、遠く御領に居られる ゴブリット兄様に、ゴブレットを捧げ、神様に感謝を捧げたの。
§ ――― § ――― §
王立学園が始まる前。 あと、二週間ほどあるけど、その間は重点的に宰相閣下の別邸にお邪魔して、『お勉強』とやらを施される事になったわ。 お勉強といっても、殆ど復習みたいなもので、辺境領と本領の法律の運用の違いを重点的にお教え頂けるよう、お願いしたの。 ええ、とても、有意義な時間と成ったのよ。 かなり、驚いておられたけどね。
まさか、十七歳の小娘が王国法を十全に理解し運用しているとは思っていらっしゃらなかったらしいのよ。 まぁね、私に関して、『下調べ』をしてないって事で、心の中で大いに何時もの笑みを浮かばせてもらったの。 本領と辺境領の『法』の運用方法の違いなんかを突っ込んで、何が理由でそうなったかを、教えて貰ったわ。 かなり、言い辛そうにされて居たけれどッ!
斟酌なんて、して差し上げたりはしない。 『龍爵』の見地を以て、整合性無く運用されている、シェス王国本領の『法』に関して、次々と問題点を指し示し、解消の方向性を問い質して行ったのよ。 まぁ、彼等には荷が重いわ。
だって、それは、立法府が為すべき事柄で、行政府所属の彼等の職掌を大きく逸脱する質問だったからね。 そう、支配者階級の質問を、被支配者階級に投掛けても、答えなんて出て来る訳ないのを知ってて、質問したのよ。
ええ、そうよ。 私、性格悪いわよ?
――――
行儀作法に関しては、頑として『王都の風習』には染まらなかった。
だってそうでしょ? 私は、フェベルナに帰るんだもの。 王都の正統なマナーなんて、覚える必要が無いし、まして、私が持つ『龍爵』の階位的に云うと、今のマナーに何も問題は無いんだもの。 何かしらと難癖付けてくる私に付けられた教育官である ”伯爵夫人 ” に対しては、薄っすら『茫洋とした笑み』を浮かべて、無視を噛ましたわ。
伯爵夫人が、イライラされていても受け流し、怒られても、『茫洋とした笑み』で躱していたわ。 そうね、どんなに怒られても、”獣人族”や”魔人族”の人達と交渉していた私にとっては、それはもう、笑っちゃうくらい可愛い物よ。
いつ何時、肉体的、魔力的に『危害』を加えられるかもしれない、そんな強者が相手の交渉事まで、私が成さねば成らなかった事なんだものね、フェベルナでは。 あちら等の方々に対して、頑として一歩も引かず交渉する胆力が無ければ、その交渉の場には居る事すら叶わないもの。
見た目が『ぼんやり』している私を ”侮っていた ”と、そう認識されたのは、三度目に御逢いした時だったかしら……? お話の内容が徐々に政治的な事に踏み入っても、全く変わりなく御相手してたしね。 『交渉の技術』は、お爺様から ”ご指導 ” 頂いたのよ。 ええ、酸いも甘いも存分に噛んでこられた、海千山千の老獪なモルガンアレント子爵様にね。
高々、侯爵家が御雇いになる『マナーの先生』なんかが振る、『政治的』なお話なんて、あっさりと躱せるわ。 『茫洋とした笑み』と、笑っていない視線を使ってね。 色々な意味で、『伯爵夫人』を叩きのめしたら、どうやら、彼女は私が相当に ”ヤル” 人間だと、そう認識された様だったわ。
西部辺境領的に、完成されたお茶席のマナーでもって、同じテーブルに着く『伯爵夫人』に対しても、お勉強の先生方と同じく、質問の数々をぶつけてみたのよ。
色々と突っ込んだ質問もしたし、回答が出来ない事柄も、折々に混ぜてお話したのよ。 ええ、お話をね。 最終的には、伯爵夫人が『御自身の不明』を詫びられた。 そりゃそうよね、人族とは違う人達の『考え方』も、敢えて混ぜて居たのですものね。 『柔軟に、そして、信念を持って』、『誇り高く、穢れなく』 が、辺境での心得なのよ。
性格悪いのよ、私。
最後に、ニッコリと笑ってあげたの。 ” ヒッ ” って、御声を上げられたのは、聞かなかった事にしておくわ。 こんな小娘に侮られる様な、無様な態度を示す方が悪いのよ。 そんなんじゃ、フェベルナに来たら、一日も持たないわよ? 各種会議に出席したとしても、何も判らないでしょうね。
王都から、出ない事をお勧めするわ。
―――― さて、お勉強もしっかりとしたし、御父様もご満足いただけるかしらね。
ただ、その間、一度も我が『婚約者殿』は、別邸にお運び無かった。 この事は、キチンと御当主様と、ゴブリット兄様には『ご報告』したわ。 ええ、完全に私との関りを持とうとされなかったとね。 それはもう、言葉を尽くして、私に対して行われた事を事細かく、事実を羅列してね。
お返事は要らないって、そう追記したの。 こんなことぐらい自分で対処するわ。 辺境伯様に御出馬して頂くような事じゃないんだものね。 これは、私に成された侮辱。 ならば、それを晴らすのも、私がしなくては成らない事なのよ。 それがモルガンルース家の娘である、私の矜持でもあるんですもの。
王立学園の授業が始まる前の、集中的な「お勉強」が終わる頃、先生方から試験と称したモノを受けさせられたの。
まぁ、いいかなって感じで、別邸に於いて、その試験とやらを受けさせていただいたの。
驚いた事に、試験官と称された高位の文官職の方が六名も一緒にいらして、筆記と面談試験を実施されたわ。 筆記試験は辺境フェベルナ領での毎日のお仕事の延長みたいなもの。 そして、その面接はフェベルナの地方貴族議会の皆様との『お話合い』の軽い奴……
何がしたかったのか判らないけれど、最後は皆さんとても お疲れに成っていたとお見受け出来た。 だから、まぁ、お茶くらいならって、振舞ってあげたのよ。 ええ、フェベルナのお茶をね。 滅茶苦茶 苦そうな御顔だった。
あはははっ!
それが、辺境基準なのよ。 薬草茶は苦いに決まっているわ。 でも、身体は楽に成ったでしょ? 『茫洋とした笑み』を浮かべ、皆さんに頷いてあげたの。 その笑みの意味を間違えずに受け取って貰ったわ。
”こんな事ぐらいで、疲れてんじゃないわよッ! ” って云う、意図をね。
その方達、私の意図を受け取った後、シャキッっとされたわ。 そして、理解された。 ええ、私が何者で、何をしに王都に来たのか……
西部辺境領の従爵である、『龍爵』の階位を戴き、『軍執政官職』を遂行していた私が、何故に王都に来たのか。 単に貴族籍を受ける為に、そして、他の貴族の方々と交流を持つ為に来たんだと……
『全過程学生』様方の様に、一から勉強しに来たわけじゃ無いの。 たとえ、その爵位が従爵であろうとも、既に『爵位』を叙爵されている者、が、相応の繋がりを持つべく、王都に来たのだからね。
立ち位置が違うの。 『 嫁 』に、来たんじゃない。
『 配 』を、見極めに来たんだってね。
―――― そう間違いなく、ご理解頂けたと…… 感じたからね。
シェス王国史 : 暗闇の五年間。
八九九年 より 九〇四年 迄の五年間については、当時の王太子である、ドレッド=ファス=ドラゴニアス=ブラーシェス殿下による、閲覧制限が掛けられ、一般公開はおろか研究者にもシェス王国に於いて開示されていない。
この為、研究者は王国の各地に残された貴族家の家史により、シェス王国に何が起こったかを推察しなくては成らなかった。 ドレッド=ファス=ドラゴニアス=ブラーシェス殿下が国王に登極された後も、そして、遺言として死後も《閲覧制限》は解除されていない。
歴史的転換点とも云えた、その期間についての考察は多岐にわたり、歴史を学ぶ者には尽きせぬ興味を持つ期間として、”暗闇の五年間 ” と称せられる。